松村昭雄氏2007212-13日モスクワで開催されたGlobal Security and Sustainable Development(世界の安全保障と持続可能な発展)に関する国際会議にて演説

 以下はロシア連邦パブリック・チェンバーが2007212-13日にモスクワで主催した世界の安全保障と持続可能な発展と題する国際会議における松村昭雄氏の演説の全文である。

 松村氏は
Global Forum of Spiritual & Parliamentary Leaders on Human Survival (人類の生存に関する精神指導者および議会指導者の世界フォーラム)の創設者。

 私は先ず、ベリホフ博士およびサハロフ博士に、この会議のスピーカーとしてお招きいただいたことに感謝いたします。私が前回モスクワを訪問したのは、世界フォーラム会議を共同開催した1990年で、再度訪問する機会を得て大変嬉しく思います

 この会議はクレムリンのゴルバチョフ大統領の主催によるもので、初めて1000人の国会議員と宗教指導者がソビエト連邦で一堂に会しました。

 今でも語られているすべての会議の経験の中で一番忘れられないのは、正統派ユダヤ教徒を含むすべてのユダヤ人参加者が彼らの宗教上のタブーを乗り超えて、安息日にあたる金曜日の夜の行事に参加したことです。

 私たちの社会の個人およびグループにはそれぞれ固有のタブーがあり、それが他の社会を完全に理解することを隔てています。こうしたタブーを乗り超えるにつれて、世界の個人そしてグループがより親しく、いっそう理解され、そしてさらに団結するようになるのです。

 この証として安息日の話を詳しく説明したいと思います。

 政治指導者、宗教指導者にとって、予期せぬ難題を処理し、一般人には不可能な方法でその難題に対処するようにリーダーを動機付けることの重要性を示す好例が、この説明によりはっきりするでしょう。この話から政治的、宗教的な障害を乗り超えることがどういうことか理解できるでしょう。

 閉会式はもともとユダヤ人参加者が安息日の前に全員参加できるように1990119日金曜日の日没前の午後2時に予定されていました。

 ところが、間際になって共産党の緊急集会がクレムリンでその日に設定され、クレムリンでの我々の閉会式はキャンセルされました。

 国連事務総長、ゴア上院議員、シリアのイスラム教指導者、カール・サガン博士などの著名人、そして多くの世界の要人がクレムリンでの閉会式に参加することになっていたため、私はすぐにベリホフ博士のところに駆けつけ困惑を表明しました。

 ベリホフ博士は私の大きな落胆は理解できるが、ゴルバチョフ大統領は共産党の決定を変えることはできないと私に申しました。だが、それでも彼は私のメッセージを個人的にゴルバチョフ大統領に伝えようと尽力してくれました。ここに偉大なリーダーの英知があるのです。

ゴルバチョフ大統領は共産党の決定を変えることはできないが、集会の議長として会議の時間を調整することはできると言いました。彼は緊急集会を金曜日の午後5時までに終えると確約してくれました。

ゴルバチョフ大統領は私に閉会式を午後2時から午後7時に変更するように求めました。私はこの変更を承諾しましたが、別のタブーに直面しました。ユダヤ人のすべての参加者は、安息日に閉会式に参加することはできないと私に言ってきたのです。

 我々はようやく政治的タブーを超越したのだと彼等に答えました。従って、彼ら全員が彼ら自身のタブーを乗り超えられないのであれば、ユダヤ人の参加者抜きで閉会式を進めるつもりでした。

 13人以上のユダヤ教指導者が集まり廊下で祈りを捧げました。それから彼ら全員が安息日の閉会式に参加したのです。ユダヤ人参加者たちはこの安息日の経験を一生忘れないと私に言いました。

 これは、宗教的指導者が努力によって、いかに伝統的なドグマを超越することができるかを示したよい例です。

 会議では、タブーを破る一方で組織が創設されようとしていました。その時ゴルバチョフ大統領は、国際緑十字の創設を提案し、私はこの組織の初期段階で彼と一緒に取り組む光栄に浴すことができました。

モスクワでの会議以来、世界もそしてこの主催国も劇的な変化を遂げました。変化とともに話し合いが必要となるわけで、我々がここにいるのもまさにそのためなのです。

 このたびの会議では、地球温暖化、温室効果ガス排出とそれが世界の総生産物、世界の人口増加、世界の天然資源の消費、環境汚染、平和目的のための原子力エネルギーなどに与える影響について取り組み議論します。

 私のスピーチのテーマは精神性、生態そして社会の安全保障についてであります。私が最初に皆様の注意を引きたいのが、私が1985年に設立した人類生存に関する宗教指導者および議会指導者の世界フォーラムという組織の名称です。その名称自体が本日のテーマのコンセプトを含んでおり、私が国連時代に考え続けたことでした。

 私は政府による法律と精神的規範という二つの法秩序の基に人間がいかに生きるかについて考えました。私たちは人間に関する問題を物質的価値と精神的価値という二つの観点から考える必要があります。こうした観点から重要な問題が生まれるのです。

多くの人が私に次のような質問をしました。

精神指導者と宗教指導者の違いはなにか。

私たちはなぜ地球を救うべきという代わりに、人類を救わなければならないと身勝手にいつもいうのか。

私がこうした質問に答えることで、皆さんは身近な基本的な問題を理解するでしょう。

人類は神と人との関係を持ち始めました。この関係は、私たちが最終的に神のお告げを解釈し始めるまで続きました。この解釈を文書にしたのがいわゆる聖書、コーランあるいはトーラーです。これが宗教です。

 一方精神性は、個人の自然、社会あるいは因果との係わり合いから生まれます。したがって、精神性は私たちに無形の結果をもたらす目に見えない力なのです。

 「地球を救わなければならない」あるいは「地球は傷つきやすい」という人は、われわれ人類がわずか4百万年しか生存していないのに対して、地球の年齢は45億年であることを考えなければなりません。

 言い換えれば、人類が自らの環境汚染のために地球から消滅しても、人類の基準からすると長い時間ではありますが、地球の時間にしてみればわずか3日間にしか相当しません。そのときから一千万年後には、地球は完全に治癒し、多くの新しい生命によって回復しているのです。

 私がここで強調したいのは、私たちは極めて大きな地球の非常に狭く乏しい環境の中で生きているということです。この限定された環境が人類、皆さん自身、そして私自身の生存を可能にしているのです。

 私たちは力を背景にした考えを持つことで、我々の軍隊は他よりも強い、我々の経済は他よりも強い、我々の科学技術は他よりも進んでいる、我々の宗教人口は他よりも多いという幻想を信じ込むようになるのです。

 この精神的汚染が物質的汚染を引き起こすのです。

私たちは、地球の脆弱性、あるいは私たちが地球を破壊する問題に対して有形の結果を求めることがあまりにも多いのです。その解決策は無形、即ち目に見えない力なのです。

 私たちは社会間の精神的なつながりを見出し、それと同時に地球社会と自然との関係を見出さなければなりません。

 私たちすべてが地球、ほかの社会、そして科学技術に謙虚な態度を示してはじめて、広島と長崎の生存者の真に非政治的なメッセージ、そして地球から消滅しつつある何百万という種の訴えが聞こえるのであり、遂には地球という惑星の絶対的な力を受け入れ始めることができるのです。

 私たち一人ひとりが自分の為にこのことを認識するだけでは不十分なのです。即ち、地球の大切さをすべての未来の世代に知らしめることが必要なのです。従って私たちは私たちの子供たちに、そして彼らは彼らの子供たちにそのことを伝えることが必要なのです。このサイクルを通して初めて、私たちは地球と調和して生きることができるのです。

 

 私はアルバート・アインシュタイン博士の言葉を引用して私のスピーチを締めくくりたいと思います。彼は「プルトニウムを原子力エネルギーに変えることはできるが、醜い人間の心を平和的な心に変えることは極めて難しいだろう」と言ったのです。