宮城県亘理地区支援物資配布バザー 23.9.27
2011年9月27日(火)宮城県亘理地区支援物資配布バザー
「さざんか市」レポート
各地で猛威を振るった台風の翌週で快晴に恵まれた。
早朝3時頃から、25人が、八王子、小平、横浜、朝霞、日立、東松山、仙台から車9台に分乗、さらに新幹線白石蔵王駅で4人を乗せ、亘理地区会場「吉田公民館」へ到着。午前3時から並び始めた、という長蛇の行列を、計測器カウント。開始10時頃には400名を超える。今月は、全国の支援の輪が急速に広まり、約100名の方から送られた段ボールが、何と500個。受ける現地主催者は、「嬉しい悲鳴」だ。さらに車に積んできた物資も降ろし、会場造りに取り掛かる。
前回、天候不良で余り出せなかった「秋冬」衣料品は、山のよう。
我々は、お揃いのサッカーシャツに首からは、名前入スタッフカード。
開始。10人づつ、順番にコーナーに誘導、混乱は無い。自前の大きなバックや、会場で配る大きなビニール袋を手に、「童謡」や「上を向いて歩こう」など、BGMが流れる中、ゆっくりと進んでゆく。「バンドネオン・バイオリン・フルート・ベース・キーボード」演奏も、我々の有志だ。
さて、被災者の方々は、仮設住宅や、自宅の2階暮らしなどまちまち。家族構成も異なり、ニーズも多様。そして仮設住宅は、狭い。保管スペースが足りず、「その日暮らし」にならざるをえない。町からの援助は、電化製品など、入居後2週間だけ。その後は、自立すべき、と援助もない。一方で、職場も無くなり、収入も厳しい。自宅に戻った方々も、行政からは見放されたまま。なので、支援のニーズは、減らないのだ。
「食料品」―大量に届いた飲料水、りんごは、「一人一個」充足。それ以外の缶詰、レトルト食品、お菓子、などは足りず、渡すものが無くなる。
「日用品」―ミヨシ石鹸の御好意の「石鹸・シャンプー」は、大量に配布。
でも、なぜかボディーシャンプーが無くなる。さらに、数の少ない布団や毛布、そして紙オムツは、アッと言う間に無くなる。行列の被災者の方々が口々に、寝具が欲しい、と言う。靴も、ヒールの高いモノを除き、「売れ行き」が良い。
「台所用品」―これまで「売れゆき」の良かった食器、鍋・釜が余り始めた。
「衣料品」―秋冬ものの量は既にほぼ充足した。しかし、「おしゃれな都会の人と違い」、ゆったりしたズボン、や胴回りが大きい、Lサイズが足りない。
「本」―こども向けの絵本などが多く、残ったが、子供連れで立ち止まるお母さんや、単行本を嬉しそうに抱えてゆくオジサンもいた。
後片付けも終え、午後2時より、毎回好評のドライブインで「昼食兼交流会」。隣で食事中だった被災者の数人も、飛び入り発言頂きながら、冬に向けて必要な支援物資の絞込みをした。やはり、食品、寝具などだ。
午後3時すぎより、被災した海岸沿いの「亘理町荒浜地区」「山元町」を、時折下車しながら、体感。すっかりススキの草原となって、秋めいた風景の中、半年以上経過しても、寂しげにご遺体が発見された場所を示す「ピンクのリボン」が、いまだ荒野と化した市街地のあちらこちらで揺れる。涙ぐむ参加者。白石インターは、5時半。
思えば、午前2時起床し、午前様の帰宅。風呂などで午前2時就寝。
若い頃、期末試験の一夜漬けでも、「カンテツ」(完全徹夜)出来なかったのに、不思議と睡魔に襲われない「奇跡の日」だった。(齋藤記)
チラシ