「能」の幽玄の世界を垣間見る
(うたい)仕舞(しまい)
  
―80歳で奮闘するの記―     

高橋 暢也
近況報告・エッセー一覧
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国立能楽堂で冷や汗の初舞台
ジャンボ・ジェットで空を飛ぶことが仕事だった私が、なぜ事もあろうに古典芸能である「能」に興味を持ったのだろうと不思議に思われる方は多いと思います。

経緯はこうです。航空関係の仕事をしたのち日本ヒューマンファクター研究所に75歳まで勤め現役を完全に引退し、一日おきにスポーツクラブに通うだけの生活に飽きはじめたころ、友人に「謡と仕舞の会の集りがあるが行ってみないか」と誘われたのです。

そこで見たものは能の舞台の基本である所作から謡・仕舞のお稽古でした。「能」という芸能につながるものかと大いに興味が湧きました。長い能の一部分をいい所取りした稽古があると知りさっそく舞扇(まいおうぎ)と仕舞型附(しまいがたづけ)教本(きょうほん)と白(しろ)足袋(たび)を用意し弟子入りした次第です。

世間ではよく六十の手習いといいますが、私は80歳で新しい習い事を始めることになり周りは「どうせ投げ出すに決まっているさ」と冷ややかでした。始まった稽古の内容はこのようでした はじめは何が何だか分からず言葉さえも通じない状況が続きました。650年前に発生した古典芸能です。簡単には解りません。稽古の内容は所作や作法と進み「すり足」や「正座」と「礼」、舞台に出るときの仕草や扇の使い方などです。

2年を過ぎた頃、どう振る舞えば美しく見せられるかを老化と所作と能力の限界から自分で学ぶ、今までの経験のあまりなかったいわゆる古典的稽古を積み重ねました。あとは先輩方が謡をしたり仕舞をしたりするのに「口パクで謡い、まねて踊る」の稽古でした。まだ解らない言葉は沢山ありますが、調べて行くうちに少しずつ理解できるようにはなってきました。

仕舞は七騎落・絃上・芦刈、謡は二人静と進むうちに3年近くが経過しましたが、最近やっと先輩の方々から「様になってきたね」と声を掛けて頂けるようになりました。石の上にも3年とはよく言ったものです。

能の師匠はシテ方金春流能楽師といわれる方で中大法学部法律学科卒の後輩、日本航空へ入社した時技術系の教官をして頂いた方が同じく中大法学部卒の先輩でした。お二人の先輩後輩の同窓生に師事して自分に仕事を確立し豊かな老後を過ごさせて頂けるとはなんと幸運な人生だろうかと思っております。これからも精進が続きますが、いつまで続けられるかは「天のみぞ知る」です。(たかはし・まさなり)