同好会は、ゴルフ同好会のほかトリップ会などを時々やっています。
 このページでは、ゴルフ同好会トリップを中心に紹介しています。
 そのほかこんな催しに参加したい、あるいは自分の知っているところを紹介した
いという方は是非E-Mail(Mailhakumon43の次へ@gakuinkai.comとして下さい。
でご連絡ください。

 

 カラオケ部会

       第3回カラオケ同好会 開催報告

  去る4月24日(月)第3回カラオケ同好会が秋葉原駅近くの「パセラ秋葉原館」にて開催されました。当日は晴天に恵まれた初夏を感じさせるような暖かい中、11名の会員が参加して会を盛り上げてくれました。カラオケ館での開催は初めての事で少々心配でしたが、当初の予定より若干少ない人数にもかかわらず、お店の厚意により広い部屋を用意して頂きました。また、食事のメニューはサラダ・鶏肉のから揚げ・新玉葱のリング揚げ・パスタ・名物のハニートーストにドリンクは飲み放題と充実した内容で、味も良かったと思います。更にハニートーストのデコレーションには43会の名前を飾り付けてくれたり、集合写真を一人一人にプレゼントしてくれたりと、嬉しいサービスも受けました。3時間の限られた中、歌ったり踊ったり飲んで食べたりと楽しい一時を満喫された事と思います。
 会員の方々にはご多忙の中ご参加頂きまして有難うございました。ラジオの収録が控えているにも拘らず、時間を調整して参加して下さった玉澤さん、箱根から早朝の電車に飛び乗って来てくれた岡田さん、夕方から別の会合があるという金井さん・永井さんと皆さん夫々予定を縫ってのご協力に、心より感謝致します。                   
                                    芝木雅基
                                    
相澤一代

 
       第2回カラオケ部会 開催報告

  去る8月24日(水)第2回カラオケ部会がJR千葉駅近くの「ライブ&カラオケ 歌謡スタジオ 純」にて開催されました。この店のオーナーは歌手「有吉 純」こと我が43会会員の玉澤 宏氏で、当日はご厚意によりカラオケ部会のため貸し切りにして頂きました。最高の音響と千葉で初めての「ライブDAMスタジアム」の「最新設備を導入した」と玉澤氏が言われるだけあって、非常に歌い易く皆さんプロ歌手になった雰囲気の中で次々歌が飛び出しました。
 この日の参加者は15名で清家さんと布施さんはご夫妻で参加して下さいました。ペアルックでデュエットを歌われた布施さんご夫妻や、清家さんの「白虎隊」に合わせて奥様が詩舞を舞われるなど微笑ましい光景も拝見できました。これに刺激されたのか出席者の中に女性歌手が2名も居るにも拘わらず、お店の女性従業員にお願いして一緒にデュエット曲を何曲か歌う人もいました。又岡田さんの歌唱力と玄人並の演技力に歓声が上がりました。
 途中で、歌手「有吉 純」氏によるミニコンサートもあり「東京-パリ」ほか数曲を披露して頂き、皆を楽しませてくれました。
 4時間近くの楽しい集いはあっという間に過ぎ、午後4時過ぎにお開きとなりました。帰りには有吉氏より「信州味噌(2キロ)」を参加者全員が頂き、三々五々家路につきました。
 昼食を準備して頂いたうえ格安で会場を提供して頂きましたのに、お土産まで頂戴いたしまして感謝申し上げます。また、清家さんよりお惣菜の差し入れを、岡田さんは遠方より交通トラブルに合いながら数時間かけて参加して頂き、その上美味しいお菓子も差し入れて下さいまして誠に有難うございました。
     次回(第3回)の日程等につきましては、追ってお知らせいたします。
                                                    芝木雅基
                                                    相澤一代


       ● 第1回カラオケ部会 開催される。

新たに発足した、白門43会同好会の第1回カラオケ部会が、さる3月23日(水)午後1時より神楽坂のカラオケスナック「炭(すみ)」で開催された。
    
 この店は、本会会員である玉澤氏の紹介によるものであり、店の経営者のお兄さんが中央大学南甲倶楽部の専務理事をされている関係で、中央大学のOBの方もよく利用されているとのことです。
 今回の参加者は、当初14名の予定であったが1名欠員が出て、13名のカラオケ同好者が集まりました。
 店のカラオケ装置は、プロ歌手の玉澤氏が推奨されるだけあって音響効果が抜群に良く、皆からも非常に唄い易いと好評であった。
 参加者は各々得意の持ち歌を何曲か披露し、自慢の喉を聞かせてくれました。
 中には、谷村新司の物まねや詩舞も飛び出し、和気あいあいと楽しく過ごすうちに、あっという間に3時間が過ぎ午後4時にお開きとなった。
 次回は、場所を変えて開催しようという事になりました。
 白門43会の皆様、次回の開催もホームページ、及び一斉メールで連絡させて頂きますので奮ってご参加下さい。
 皆さん、カラオケは健康と認知症予防に良いとのことですよ。(笑)        (芝木 雅基)


 トリップ会

 
           2018年度「都内散策と寄席を楽しむ会」
                    
                  開 催 要 領

 1.   開催日:2018年10月22日(月)

2.   散策・・・ 江戸情緒・佃島をぐるり散歩 10:00~11:00

  (佃稲荷神社  佃渡し場跡   住吉神社  佃島砲台跡

 石川島灯台跡  もんじゃ通り  月島観音)

注)全体参加者(43会以外の参加者含む)が20人未満の場合中止

※集合場所等の詳細は後日お知らせします。

3.   寄席・・・お江戸上野広小路亭「しのばず寄席」 11:50~

4.   費用:散策と寄席・・・3,500円(軽食付き)

  寄席のみ・・・2,000円前後

5.    その他:  寄席終演後に懇親会(希望者)を行います。 

下記の回答欄に 参加は○を不参加は×を記入ください。

※なるべく早めに回答をお願いします。

氏 名:                

              回答欄(○か×)

 散策と寄 席  
 寄席のみ  
 懇親会  

          回答先:富田 sekkei-929678@onyx.ocn.ne.jp
             携帯Mail  t8s7nh64@docomo.ne.jp
                   090-3095-8552      

 
       ● 歴史と文化の散歩ラリー(両国界隈)          2016122

 この日、「赤穂浪士~吉良邸討ち入りコース(両国)」という散歩ラリーに10名の43会会員(龍門、富田、矢崎、浅葉、清家、古賀、相沢、中村、長谷川、八束)とともに参加してきました。     天気は快晴で気温も15℃くらいと歩くには絶好でした。この会は、以前から原さんが提案してきたもので、永谷商事が企画したものの中から43会に相応しいものを選択して、寄席に出ている芸人(講釈師が多い)が2時間ほど歴史的な場所を案内し、その後昼食を交えて日本橋亭という寄席で2時間ほど笑わせてくれるという極めて健康的な企画なのです。倍太寿司の昼食も含めて3千円という料金で、歩いて、ヘルシーな弁当を食べ、2時間にわたって笑わせてくれるのは、我々の年代にピッタリの行事と言えます。但し、最近原さんが体調を崩したり多忙だったりで年2~3回開催されていたのが年1~2回に減ってしまったのは残念なことでした。今回も原さんは参加できず、代わって富田さんが骨を折ってまとめてくれ、実現に至ったようです。
 集合地点は、地下鉄大江戸線の「両国」駅のA1出口前でしたが、集まる人数がいつもと違ってかなり多く、スタッフの人の話では100名くらいに達したので急遽2班に分けることになったとのことでした。暮れの「忠臣蔵関係コース」ということで人気が高くなったものと思われました。そして、我々10名は講釈師の神田山緑さんが引率するグループに配属されました。くしくもその人数は忠臣蔵に相応しい47名でしたが、それでもいつもの倍以上の人数でした。
 10時に一行は出発し、まずは近くの関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊堂などがある「横網町公園」に行きました。私も同じ台東区の住民なので1~1度は行ったことがありましたが、今回は清家さんが我々43会員にだけ詳しい説明をしてくれたので、かなりよく理解できた上に、目立たない場所にある日本庭園なども見ることができました。
 次は永谷商事の経営する 「両国亭」という寄席で、永谷商事のPRといったところでしたが、神田山緑さんの説明で、寄席芸人の序列(下から前座、二つ目、真打)とか、寄席に芸人の名前は「寄席文字」という特殊な職人が書くとか興味深いものがあり、それなりに面白いと思いました。
 次は「吉良邸」です。わずか20坪ほどの塀の中に、吉良上野介の像や松の廊下での刃傷以下の経過を描いた絵画などが展示されており、更に首洗い井戸などもありました。映画や芝居で演じられているものの多くは作り話で、講釈師は更にそれを面白おかしく語ったというのが神田山緑さんの説明でした。 例えば、映画や芝居では義士は揃いの服装をしているが、実際には各人がバラバラな服装をしていたとか、当日の天気は雪に設定されているが、実際には雨だったとかです。私はここには以前に3回ほど行ったことがあるので、現場の様子より神田山緑さんの説明の方が興味ありました。
 次は、私も初めての「江島杉山神社」です。ここは、杉山和一という幼い時に失明した女性が努力の結果「鍼」の世界で奥義を極め、最高位の検校にまで上がってここに屋敷等を構えたということでした。
 小さな他の先に洞窟のようなものがあり、中に参拝する所があったのでとりあえずは拝んできました。
 最後は「回向院」です。ここも何回も来たことがあるので、博打の運が付くという「鼠小僧次郎吉」の墓を撫ぜ、そろそろ買おうと思っている「年末ジャンボ宝くじ」の大当たりを願いました。
 その後は、JR両国駅から秋葉原経由で神田に向かい、あとは徒歩で「日本橋亭」に入り、目印に配布された黄色いリボンと引き換えに弁当を受け取って会場に入りました。
 会場に入って驚いたのは、いっもは最前列から4段目あたりから椅子席になっていたのが、この日は最後列と会場右側1列だけが椅子席で、あとは座布団の席だけなのです。会場の収容能力からしてそのようにしないと100名以上とされるこの日の参加者が座れないのです。私は所要があって3時の中入り(休憩)で抜ける予定だったので最後列の椅子席の前を選びました。会場が立錐の地なしの状態になっても最後列の椅子席との間にはトイレに行くための通路があるので、楽に出られると考えられたからです。実際、足がしびれて途中で退席した客が何人かいました。
 時半から寄席が始まり、1番は「桂伸力」という前座の若い人が「寿限無」をやりました。やはり前座ということで、声に張りがなく技術的には劣ったものでしたが、一生懸命に演じている初々しさというものが感じられそれなりによかったと思いました。
 2番手は「昔昔亭桃之助」という二つ目で、前座に比べると流石にうまいものがありました。自分の芸名に合わせて着物の紋を桃にしたところ「バーミヤン」と冷やかされたとか、二つ目と言うところを相撲の序二段と言われたなど冗談を飛ばすあたりはうまいと思いました。但し、出し物が「便器」に関するものだったので心から笑うことができませんでした。
 3番手は「神田すず」の忠臣蔵に因んだ「堀部安兵衛」でしたが、どうしたことか言葉を間違えたり、言葉に詰まったりで安心して聞くことができませんでした。「神田すず」の講談は以前にも聞いたことがあり、その時はそんなことが無かったと記憶しているだけに残念に思いました。
 中入り前の最後は、「桶屋竹蔵」という芸人のものでしたが、この人もかなりベテランの芸人なのですが、何か言葉がもつれるようで、やや心配な面がありました。この人も以前聞いたことのある人で、その時同様に最後に「カッポレ」を踊ってくれましたが、締りの方は落ち着いていました。思うに、神田すずさんや橘屋竹蔵さんも久しぶりの超満員で興奮して普段の実力が出なかったのではないでしょうか。
 私はここで抜けてしまったので、最後の真打「三遊亭鳳楽」の話を聞くことができませんでしたが、真打ともなれば落ち着いて演技ができたと思います。聞けなかったのがいかにも残念でした。
 もう一つの残念は、終了後の打ち上げです。日本橋亭の前にある中華料理屋でいつもなら飲んで食べて大いに色々話し合うのですが、この日はどうだったのでしょうか。
 いずれにしても、晴天の中を一人の脱落者もなく50間弱が歩き回り、日本橋亭にたどり着いたのですから、そのことだけでも快挙と言わざるを得ません。その中で、43会専属の説明者として活躍していただいた清家さんに感謝です。また、酒の無い寄席の中で自腹で缶ビールやおつまみを提供してくれた龍門会長にも感謝です。最後に、この日の楽しい行事をセットしてくれた富田さんにも感謝です。大変なこととは思いますが、これからもこうした行事を企画していただければ43会員として有難いと思います。       (八束一郎)

                                   以上


      ● 横浜三渓園散策と中華街ランチ

11月28日(月)、43会企画の「横浜三渓園散策と中華街ランチ」に参加しました。朝の9時50分に横浜三渓園入り口前に集まったのは22名(女性6名)で、横浜近郊の人も何人かいましたが、遠くから出て来た人もいました。私は、上野から京浜東北線の大船行きで横浜まで行き、ここで根岸線に乗り換えたのですがこれが事故の関係で超満員になっており、それでも15分くらいで根岸駅に到着しました。あとで聞くと京浜東北線の大船行きならそのまま根岸駅に行けたとのことで、慣れない電車で失敗してしまいました。いずれにしても、どのくらいの時間がかかるかわからなかったので余裕を以て7時15分に家を出て来たので9時前に根岸駅に着いてしまいました。朝食を食べずに家を出たので駅横の「リトルマーメイド」で朝食を食べ時間調整をしました。案内書ではここからバスで10分、その後歩いて10分で集合場所の三渓園入り口と書いてありましたが、バスを降りてからの案内が記載されてなかったのでタクシーに乗ることにしました。すると丁度正野さんが改札口から降りて来て一緒に乗ることになり、料金は正野さんが払ってくれたので得をしてしまいました。
 10時過ぎに何とか全員が集まったので入園し、2斑に分かれてボランティアの人の案内で散策を開始しました。私が入った第1班は、いずれも健脚の龍門、小塚、後沢夫妻、芝木、田中、立岩、正野、八束の9名だったので第2斑を遠く引き離してぐんぐんと進みました。
 三渓園のことはそれまで全く知りませんでしたが、我々よりも多少年配のボランティア案内人の説明では、この東京ドームの4倍もある庭園と屋敷は、明治初年に生まれた岐阜で成功した商人の息子の原三渓(号・本名富太郎)が、父が購入したこの土地に作り上げたものとのことでした。私もこれまで都内で大名屋敷や富豪の庭園(六義園、清澄庭園、安田庭園、岩崎邸等)を見学しましたが、ここは遥かに大きなもので、かつ格調の高いものでした。まず目につくのは園内の小高い丘に聳える三重の塔で、下が高い杉の木々に覆われているので五重の塔と言われてもわからないというものでした。園内にはいたるところに風雅な木造の建物、丘、池などがあり、説明を聞くとほとんどが京都、奈良、鎌倉などにあつた素晴らしい建物、堂、寺などでした。例えば、豊臣秀吉が京都の大徳寺に建てさせた母親の生前墓を収めていた堂とか、京都伏見城にあった大名が謁見を待つ間の控えの建物とか、飛騨白川郷の三長者の一人央箆原(やのはら)家の巨大な合掌作りの農家などで、いずれも素晴らしいものばかりでした。
  また、原三渓は優れた茶道家でもあり、そのため園内のいたるところに茶室が建てられていました。彼の財力の元は富岡製糸場を始め多くの企業のオーナーだったことで、だからこそ全国の有名な建物を購入し、解体し、運搬し、復元・修復という大変な金のかかることができたのです。但し、彼は金の力で無理やり買い漁ったのではなく、明治初期の「廃仏毀釈(これまでの仏教中心を神道中心に変える政策)」でなりゆかなくなった寺などから懇願されて購入したというのがボランティア案内人の説明でした。その結果、そのままだったら朽ち果ててしまったはずの素晴らしい建物を、今日の人々が目にすることができるのです。彼はまた芸術家等のスポンサーとして多くの若い人を援助するようなことも行っていたようです。また、彼の建物の多くは,前述の三重の塔が建てられた後に、この塔がよく見える場所に建てられたり移設されたようで、あくまで風流な人ということが想像できます。そのことは、近所に高速道路が作られて園内からの景観が悪くなった時、原三渓の後継者がその位置に山を築いて高速道路が見えないようにしたという事実から現在でもその精神が守られているといえます。とにかく、2時間余り、広い園内を歩き、石段を上がり下がりしてさすがの健脚組もいささか疲れました。
 三渓園の見学が終わり、記念写真を撮影した後、一行はバスに乗って昼食会場の横浜中華街に向かいました。店は「酔楼」といい、清家さんが警察関係の集まりの時によく来たということでした。まずは清家さんの音頭で乾杯し、次々に運ばれてくる料理を平らげていきました。酒も飲み放題ということで、ビールの次は当然紹興酒ということになりました。予定していた丸テーブルではなく、鰻の寝床のような細長い席だったので周囲の会員としか会話できませんでしたが、皆楽しく時間を過ごしました。横浜に住む北川さん、山田さん、星川さんからそれぞれ横浜に関する情報、PRがありましたが、なかなか興味深い内容でした。最後に、飯島さんの1本締めで会はお開きになりました。3千円の会費でこれだけの料理と酒が飲めるとは驚きでした。
 今回の行事は、11月2日に開催された「我孫子の歴史探訪と手賀沼遊覧」に続くもので、参加者は前者が16名、この日が22名と43会としてはいずれも大成功といえるものでした。これは、いずれも興味をひく内容だったこと、担当幹事がしっかりと下見をした上でリードしたことが成功の理由だったと思います。こうした企画を連発することは大変なことと思いますが、これからも楽しい企画に期待したいところです。今回の企画を提案してくれた清家さん、下見で苦労してくれた龍門・清水・矢崎さんに感謝感謝です。
 12月には2日(金)に「歴史と文化の散歩ラリー」、4日(日)に東京国立博物館での蓮沼氏(南禅寺宗務総長で43会員)の講演、7日(水)に役員会+忘年会と43会関係行事が目白押しです。「酔楼」での龍門会長の話の「全部に参加しろとは言いませんが、都合がつくどれかに参加して欲しい」という気持ちでの参加をよろしくお願いします。                      (八束一郎)
                                                   以上                                                    

 
       ● 我孫子の歴史探訪と手賀沼遊覧                   平成28年11月2日

  この日、午前10時に、43会の有志16名がJR我孫子駅の改札口に集合しました。メンバーは、龍門会長、清水幹事長の他、田中、小塚、矢崎、立岩、清家、清水(利)、金井、峰村、黒須、原田、正野、八束そして長谷川・宮本の二人の女性でした。
 まずは徒歩で10分ほど歩いて手賀沼の船付場に行き、予約してあった36人乗りの遊覧船に乗り込みました。船長は雉間さんという好青年で、その後約1時間にわたって船を操りながら資料も使って色々と説明してくれした。手賀沼が昔は海だったとか、水深が1メートル足らずなので生活用水の流入による汚染が進み、一時は全国のワースト10の常連だったこと、利根川から水を引いて環境整備した結果ワースト10の汚名を返上することができたこと等です。面白いことには、ここは一時ディズニーランドの候補地だったようで、用地買収もかなり進んでいたところ企画が挫折して、現在では高級住宅地に生まれ変わったとのことでした。この建設に携わっていたのが龍門会長の在籍していた東急建設だと聞いて「もしこの企画が成功していたら龍門さんはディズニーランドの社長になっていたかも」との声があがりました。雉間船長の説明は資料によるものだけではなく、「右手の杭の上に止まっている鳥は猛禽類のカケスです」とか「白鳥が浮いているので船を近づけます」とか「あそこに沢山群れているのはゆりかもめです」とか実際に目に入ってくるものを次々に詳しく説明してくれました。この時は季節が終わって枯れていましたが広大な蓮が群生しており、8月頃には蓮の花を見に多くの観光客が来るそうです。また一時はへラブナ釣りが盛んだったのですが、水の汚染が収まると大きなものが釣れなくなってしまったとのことでした。ハプニングとして突如大きな「蓮魚」が数匹、船の接近に驚いたのか水上に飛び上がり、皆を驚かせました。船長の話では、戦後の食糧難の時に食用として導入されたものの、味がいまいちだったので今では食べる人もいないとのことでした。
 手賀沼遊覧を終えた後、一行は昼食会場として予約してあった鰻屋の「西周(さいしゆう)」に入り、おいしいうな重をいただきました。やや甘いたれでしたが、量は十分で、全員が完食しました。ここは龍門会長と小塚副会長が2度も下見して決めた店で、会場も我々16名が揃って座れる2階席で、誰にも気兼ねなく話が弾みました。この店では佃煮を販売していたので、あさりと、シイタケ昆布の2つを買って翌日食べましたが、江戸前の辛い佃煮に比べてやや甘いもののおいしいものでした。
 うな重で元気一杯になった一行は、我孫子駅に戻り、そこで歴史探訪の案内人の小林さんと合流しました。小林さんは長年我孫子の歴史を研究してきて、今ではこうした我孫子散策を案内してくれるということで、龍門会長ともこうした機会を通じて知り合ったようです。歴史だけでなく、樹木に関する知識も豊富で、散策途中にあった「メタセコイヤ」の木の説明だけでもかなり中身の濃いものでした。
 我孫子は水戸街道の宿場町にすぎなかったのですが、明治29年に鉄道が引かれたことにより急激に発展し、製糸工場が駅前にできたり、柔道家の嘉納治五郎がここに2万坪の土地を購入して学園を建設しようとしたり、多くの文人が東京の喧騒を逃れるために別荘や仕事場を建てるようになったようです。
 我々はそうした別荘のひとつ「杉村楚人冠」の記念館を訪れました。この人は中大の前身の「イギリス法律学校」の卒業生で、その後朝日新聞の記者になり「アサヒグラフ」に随筆を連載して有名になったようです。この記念館では、学芸員の人から詳しい説明を受けました。夏目漱石と親友だったようで、交わされた手紙が何通も掲示されていました。この学芸員もマニアックな人で、手紙が出された経緯を実に細かく説明してくれました。もし私が一人でこの記念館に入ったら5分で出てしまうところ、この学芸員の人の説明はたっぶり30分もかかり、それなりに感心しました。
 その後は嘉納治五郎の別荘跡地や、柳宗悦の別荘(三樹荘)、志賀直哉の別荘跡地、村川堅固の別荘などを探訪しましたが、さすがに有名人の別荘でなかなかこだわりのあるものでした。書斎からは手賀沼が見えるようになっていることが共通していました。またこれらの散策の途中には、湧き水の出ている所や石碑の建っている所などもあり、小林案内人はその都度細かい説明をしてくれました。また我々が歩いた道はいずれも細く折れ曲がっており、アップダウンがきつい場所もあり、全体で4キロの道のりという案内で油断していた我々も息を切らせました。でも周囲は店もなく、人通りもなく、竹薮の脇や石段を登ったり降りたりしていると、都会にはない雰囲気を味わうことができました。
 散策を終えた我々はバスで我孫子駅前に戻り、駅前の大きなビル「アビシルべ」の11階の展望台から夕闇迫る手賀沼のほぼ全貌を再度確課しました。遠くにスカイツリーがぼんやりと見えました。
 駅前で長谷川さんと宮本さんと別れ、小林さんを含めた15人は懇親会場の「コピアン」というフレンチの店に向かいました。43会の懇親会場としては珍しい洋風で、最初はビールで乾杯しましたが、その後はワインでおいしいつまみをいただきました。もっとも、居酒屋専門家の金井さんは熱爛を飲んだものの、刺身がないとぼやいていました。予定通りに8時40分頃、清家さんの1本締めでお開きになり、そのまま帰宅する人、更に二次会に行く人で解散しました。
 今回の企画は素晴らしいもので、参加者は大満足のようでした。理由は、我孫子という目立たない場所だったこともさることながら、企画した龍門会長と小塚副会長が実に念入りに手配をしてくれたことだと思います。遊覧船の船長さん、案内人の小林さんも実によくやってくれましたし、昼食の鰻屋、懇親会場などもとてもよかったと思います。こうした楽しい行事こそが、70歳を超えた43会会員の望んでいることで、今後も43会が継続していく要素になると思います。企画者には大変なことだと思いますが、これからも楽しい企画をよろしくお願いしたいと思います。今月28日(月)には、横浜三壌園の散策と中華街での食事の行事が控えています。おおいに期待できるものなので、一人でも多くの会員の参加をお願いしたいと思います。                          以 上
                                                (八束一郎)
                                               

 

● 世界遺産・富岡製糸場を堪能!

            秋の旅行会盛大に

  11月17日(火)恒例となった秋の旅行会が開かれ29人が参加、世界遺産や名だたる史跡の見学で紅葉の一日を楽しんだ。
 東京駅から貸し切りの観光バスで出発、最初の訪問地は埼玉県行田市の「さきたま古墳群」。今から1400~1500年前に作られたと伝わる9基の巨大古墳が我々を待ってくれた。行田市にお住まいの会員川辺さん、中村さんがここで出迎えていただき、丁寧なご案内をいただくこともできた。熊谷から参加の新井さんもここで合流。
 丸墓山古墳にのぼり「のぼうの城」のモデルとなった「忍城」を眺め、「埼玉県名発祥の地」の石碑や国宝「金錯銘鉄剣」などを見学。
 次が日本の近代資本主義の父とも呼ばれる深谷市が生んだ「渋沢栄一」の生家。血洗島と呼ばれる土地に残る「旧渋沢邸・中の家」は古くからの養蚕農家屋敷の堂々たる屋敷。庭に若き日の栄一の像も残る。家のなかでは栄一ゆかりの数々の展示物も見もの。丁寧な解説員の説明で渋沢栄一やこの土地についての知識を得ることができた。
 昼食も味わい深いもの。横川で荻野屋の名物釜飯を頂く。
 今日のしめくくりは世界遺産「富岡製糸場」。明治5年創業のレンガ造りの繭庫は見ごたえ充分。われわれと同年代のガイドさんの説明を聞きながら近代産業の礎をじっくりと味わった。世界遺産となったこともあって場内は大変な人出、やっとのことでガイドさんに案内をお願いできたところであった。
 帰りのバス車中では忘年会、新春の集いなどの話題で盛り上がり、正月の箱根駅伝の話も大きな盛り上がりとなった。              (清水 正)


 

  講釈師と一緒に歩く散歩と寄席の会               2015. 10/20

  この日、久しぶりに43会の原幹事企画の「散歩と寄席の会」が開催されました。この会はここ何年も続いていた43会有志による行事で、お江戸日本橋亭の芸人が約2時間半にわたって散歩ラリーを案内してくれて、最後はお江戸日本橋亭に集まって弁当を食べた後に寄席の午後の部約3時間を観劇できるというものです。会費は弁当込みで3千円と安く、これで6時間半にわたってウオーキングと寄席を楽しめるというすこぶる健康的な行事なのです。ここ暫くは企画者の原幹事が病気で倒れたため中止になっていたのですが、原幹事が不死鳥の如く生き返ってきて再開されたのです。
 この日は、地下鉄日比谷線の「神谷町駅」に10時集合ということで、43会からは原幹事の他に富田副会長など10名が集まりました。43会以外の参加者も26名おり、全体としては36名という人数でした。案内人は神田山緑という長身・イケメンの講釈師で、粋な着流し姿での参加でした。
 43会以外の参加者の中には、この神田山縁日当てと思われる女性が何人かいて常に彼の回りに群がっていました。他に主催者である永谷商事という会社から案内人補佐として男性が1名付いていて会費の徴収や人数の確認などを担当していました。
 まずは神谷町駅から15分ほど歩いて港区愛宕にある「青松寺」という長州藩主の毛利家の菩提寺に行きました。最近建て直したらしく綺麗で立派な曹洞宗のお寺でした。歴代藩主の墓を見たいと思ったのですが、一般の人には公開されていないとのことでした。
 次は、数分歩いて愛宕神社に行きました。ここは講談の「寛政の三馬術」に出てくる坂があることで有名な神社で、81段の急な坂がありました。講談では、徳川三代将軍家光が「誰かここを馬で上がって、境内の梅の一枝を取って参れ」と命じた時、これに応じた3騎までが墜死したため諦めかけた時、曲垣平九郎という武士が挑戦して見事に成功し、将軍家光に認められて出世したことから、この坂が「出世坂」と言われるようになったとのことです。但し、神田山緑の話では、講談ではこれを誇張して実際より100段も多い181段として話しているとのことでした。何れにしても、我々も徒歩でこれに挑戦し、エレベーターや女坂というやや緩い階段を使った数人以外は全員が成功したようです。その後、神社にお参りし、現在も残っている「将軍梅」などを見学し、帰りは往路と同じ階段、女坂、エレベーターに分れて降りました。
 次は歩いて20分ほどの増上寺です。広い境内を見学し、お参りをし、その後暫く休憩をしました。ここは徳川将軍15人のうち6人が葬られているとのことで、この日は有料で見学できる日でしたが、時間と費用の関係からお墓の外側まで行くに止めました。
 その後は、麻布十番まで歩いて、安養寺という元の区役所とか、薩摩藩士がアメリカ人のヒユースケンを斬殺したという仲之橋などを見学して地下鉄で三越前まで行き、午後1時前にお江戸日本橋亭に入りました。ここで靴を脱いでロッカーに入れ、弁当とお茶の缶を受け取り、会場で昼食を食べました。会場は、舞台の前の数列は床に直接座る席で、座布団と座卓が付いています。その後ろは全部折り畳みの椅子、そして脇に長椅子というようになっており、満席で約100名かと思われます。この日は全部で70名位が入っており、朝からのラリー効果が大きかったようです。
 1時半から寄席が始まり、初めは若い落語家の落語が二つ続きました。一生懸命に熱演していましたが、やはりベテランに比較して声に力が無かったり、我々を心から笑わしてくれるにはいまいちでした。3番手に神田山緑の講談が登場しました。江戸時代の学者の荻生徂来が苦労していた頃の豆腐屋との遣り取りが中心になっており、なかなかの完成度でした。前半の最後は橘屋竹蔵の落語で、彼は最後に踊りまで見せてくれました。
 休憩を挟んで後半は、悠玄亭玉という86歳の女性の三味線でした。元は芸者さんとかで、三味線で色々な曲を演奏し、歌うのですが、86歳にしては声に張りがあり、新しい楽曲を三味線で弾くなどかなり斬新さがありました。最後に「奴さん」を踊ってくれたのですが、流石に年季の入ったもので、器用に軽々と踊っていました。
 最後は、三遊亭鳳楽という真打ちで、死に神から死ぬ人と助かる人の見分け方を教えてもらって大儲けする人の話で、最後は自分の寿命を締めてしまうという落ちがあり、最後まで客を掴んで離さない話術は流石でした。
 全てが終わり、外に出た所で43全会員の集合写真を撮影することになり、寄席から参加した正野幹事を加えた11名、それに特別参加の悠玄亭玉さんも加わってくれました。その後は、いっものコースとして、日本橋亭前の中華料理屋で楽しい打ち上げが行われました。
 このように、この「散歩と寄席」は実に楽しい行事で、リーズナブルな会費でウォーキングとか笑いで半日を過ごすことができ、我々の年代の暇人に丁度よいものです。企画としては毎月開催されているのですが、その中から原幹事が厳選して我々に提案してくれるのです。これからも、元気になった原幹事が、楽しい企画をチョイスしてくれると思いますので、43会の皆さんも積極的に参加されることをお勧めします。          以上

   
          紅葉の高尾山ハイキング

  平成25年11月18日(月)、雲ひとつない晩秋の一日、京王線高尾山口駅に集まったのは白門43会員18名(うち女性2名)で、その他に森林インストラクターの永田岳夫さんが同行してくれました。永田さんは龍門会長の友人で、今回のハイキングのために特に案内役をお願いしたのです。
 高尾山は「もみじまつり」の真っ最中で、山上での紅葉を十分に楽しむため今回は行き帰りともケーブルカーを利用することになりました。高尾山口駅を出発した一行は、まず高尾登山鉄道の清滝駅に向かいました。ところが駅前はケーブルカーを利用する人で溢れ返り、行列の最後尾に並んで乗車するまでに1時間も待ちました。ようやく乗車して動き出すと、沿線は紅葉の谷を登るような素晴らしい眺めでした。終着の高尾山駅の手前のトンネルの所は勾配が急で、31.18度というのはケーブルカーで日本一急な勾配だそうです。
 ケーブルカーを降りて、駅のすぐ近くで永田さんの指導の下に準備体操をしました。これからの道程で捻挫などしないように、身体を柔らかくして置く配慮です。それから薬王院へ向かいましたが、大勢の人が行き来していて雑踏の中を登る感じでした。
 パンフレットによれば、高尾山薬王院は真言宗の智山派に属し、成田山新勝寺、川崎大師平間寺と並ぶ三大本山の一つとのことです。ご本尊は飯縄(いいづな)大権現で不動明王の化身と言われています。薬王院にはあちこちに天狗の像が立っています。鼻の高い大天狗と鼻の先が烏の嘴(くちばし)のようになっている小天狗(別名・烏天狗)で、ご本尊をお護りする随身とのことで、開運や魔除けなどのご利益をもたらすとされています。
 薬王院から高尾山頂への道は広い一号路ではなく脇の細い道を行くことになりました。その過程で永田さんがいろいろな木や生き物のことを教えてくれました。白ブナと黒ブナの違いや、モミやカヤの木が何に使われるかとか、アサギマダラという蝶が多いのは毒性のあるつる草のキジョラン(鬼女蘭)を食べるので天敵の鳥やトンボが狙わないからだとか、また東京都の天然記念物になっている高さ47メートルの杉の話などをしてくれました。標高500メートルを超える高い場所なのにこうした杉が育つのは、高尾山の水脈が豊かで、高い所まで水が来ているからだそうです。
 頂上の少し手前の6号路の入口で昼食休憩、この場所は高い木が茂っていましたが、木の枝越しに見る紅葉がまた素晴らしい眺めでした。昼食休憩後、少し登って一号路に出るとそこに高尾山の檜で作った素晴らしいトイレがありました。個室の中も、男子の便器の周りも全て檜造りという贅沢なトイレでした。そしてすぐ上が高尾山頂です。
 展望台から丹沢・秩父の連山や遠くの町並み、そして間近の紅葉などが一望できました。予定ではここからもみじ台までいく予定でしたが、ケーブルカーに乗るのに時間を要したことなどから大分遅れが目立ったので、すぐ下山することになりました。
 下山は一号路をケーブルカー駅まで真っ直ぐ下る予定でしたが、ここでハプニングがありました。売店でお土産を買っているうちに皆がどんどん先に行って、姿が見えなくなってしまいました。道を急いで追いかけて行きましたが、どこまでいっても皆さんの姿は見えません。ついにケーブルカー駅近くまで行って、ケーブルカーに乗る順番を待つ行列の最後尾の所まで来ましたが、誰もいません。そこへ龍門さんから電話が掛かってきました。皆さんはまだ大分後ろのようです。どこで行き違ったのか聞いて見ると、どうやら途中で道が二股に分かれる所があり、私はそのまま右の一号路を進んできたのですが、皆さんは紅葉を愛でるために左の仏舎利塔に行く道を取ったためだと分かりました。
 皆と合流してケーブルカーに乗るためここでも行列に並び、40分待ちました。下参してからは高尾山口駅で案内役の永田さんにお別れしました。今回は永田さんのお陰で高尾の植物のことをいろいろ学び、またときどき立ち止まって話を聞きながらのハイキングだったので、疲れも余り溜まりませんでした。
 それからはすぐに帰宅する人を除き、ほとんどの人は京王線に一駅乗り、高尾駅(JR・京王線)近くの居酒屋レストランでの懇親会に参加しました。遠方参加の神林さんは新潟から日帰りで参加され、懇親会にも付き合って下さいました。皆さんお疲れ様でした。
                            (記:三沢充男)


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩と寄席の会)」(忠臣蔵ゆかりの地)を楽しむ

 今回は「忠臣蔵ゆかりの地を歩く と お江戸日本橋亭の寄席」でした。
 平成24年12月13日(木)午前10時、参加者8名が都営浅草線泉岳寺駅改札口に集合した。(赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日)。
 今回の案内役は女流講釈師の田辺一邑(たなべいちゆう)さん。まず本日のスケジュールなど簡単な説明を聞き泉岳寺へ向かった。

○曹洞宗萬松山泉岳寺
 駅から5分ほど歩くと泉岳寺。山門の脇を通り境内に入ると連判状を手にした大石内蔵助の銅像が立っている。この山門、特別な日以外は柵が有りくぐれないが、脇から天井を見上げると青銅で出来た龍がこちらを睨んでいる。
 赤穂浪士の墓を前に案内役の田辺一邑さんから歯切れのいい講談調の説明。
 浪士は、本懐を遂げた後 四つの藩屋敷に預けられ御沙汰を待ったが、世論の激賞や大名の助命嘆願の願いもむなしく切腹の命が下った。元禄16年2月4日、各々の藩屋敷に於いて切腹。その日の夜、泉岳寺に葬られた。墓は四つの藩屋敷ごとに整然と並んでいる。四家とは肥後熊本藩細川家、伊予松山藩松平家、長門長府藩毛利家、三河岡崎藩水野家だ。
 高輪学園から超高級な都営住宅を抜けて高松宮邸に向かうが、このあたり元は細川邸。直径2メートルも有りそうな椎(しい)の巨木や大石内蔵助他が切腹した跡などがある。

○大石内蔵助他忠烈の跡
 大石内蔵助ら17人が切腹した細川邸の庭の一部が史跡として残っている。中には入れないので扉越しに内部を覗いた。
○浄土宗長松寺
 魚籃坂下を桜田通りへ曲がると右に儒学者荻生徂徠(おぎゅうそらい)の墓のある長松寺があった。
○綱坂
 平安時代の武将 渡辺の綱が生まれたと云う伝説の綱坂を上り、イタリア大使館方面へ
○大石主税切腹の跡(松平邸跡・現イタリア大使館)
 左手に三井俱楽部、右にイタリア大使館。中には入れないので外観を視た。大使館の正門脇には、美味しいという評判の蕎麦屋『蕎麦切 宮下』があった。玄関前のメニューを見ると酒の肴も500円からとお手頃価格。
○水野監物邸跡
 慶應義塾大学を右に見ながら慶応仲通りへ入ると 突き当たりが水野監物邸跡だった。人混みの中で跡地に建っている説明書きの看板を読んでから田町駅へ急いだ。時計は12時、そろそろお腹もすいてきた。JR神田駅で下車、徒歩でお江戸日本橋亭へ向かった。

○お江戸日本橋亭
 玄関でお稲荷さんと巻物の入ったお寿司弁当とお茶を頂き、前の方に陣取った。持ち込んだ缶ビールを飲んだり弁当を食べ終わった頃、寄席の出囃子が鳴り出す。時計を見ると開演時間の13時30分だ。

○寄席 本日の出演者は次の通り。
  ①瀧川鯉津(落語)
  ②三笑亭夢吉(落語)
  ③田辺一邑(講談)
  ④昔昔亭桃太郎(落語)
    中入り
  ⑤あさひのぼる(ギター漫談)
  ⑥三遊亭鳳樂(落語)
 散歩の案内役だった田辺一邑さんの講談は、勿論 赤穂浪士。昔昔亭(じゃくじゃくてい)桃太郎は下ネタ入りの面白落語。ギター漫談のあさひのぼるは、「そーだろう皆(みんな)」を連発するギャグ&シンガーソングライターだ。あの名人、六代目三遊亭円生の処で修業し、現在 円楽一門会の会長である三遊亭鳳樂(ほうらく)の落語は流石だった。出て来るなり「待ってました」。終った処で「上手い」の声が自然に出て、拍手は幕が降りてからも暫らく鳴りやまなかった。
 
 朝10時から午後4時過ぎまで ウォーキングをしながら歴史を学び 6人の寄席を聞いて昼食付きで3,000円。参加者全員大満足。記念撮影はお江戸日本橋亭前でした。(記:原健作)


● 京都の紅葉と名刹での法話拝聴の旅

  「絢爛 !! 京都 永観堂、嵐山・渡月橋の紅葉と名刹南禅寺、青蓮院での法話拝聴の旅」

 この催しは平成24年11月19日~21日に行われ、まさに標題のとおりの京都の歴史、文化、自然を堪能した。全国からの会員は40人が参加、そのうちの2人が講師となって大活躍をした。
 19日(月)左京区の臨済宗南禅寺派の南禅寺、みごとな山門に40人が集合、久しぶりに出会った旧友たちと再開を喜びあう声があちこちから聞こえる。ここで出迎えてくださったのは我らの仲間蓮沼良直さん。蓮沼さんは南禅寺派の教学部長という職にあり、臨済宗の普及、教育につとめておられる。蓮沼さんは僧侶の正装である袈裟姿で南禅寺の各伽藍をご案内くださり、詳しく、かつ楽しく説明いただいた。見ものは小堀遠州の作と伝えられる方丈庭園や虎の襖絵、石川五右衛門の伝説で名高い山門。しっかりした建築の足踏みは歴史の重みを体で感じさせられた。
 徒歩数分で永観堂、ここは禅林寺といい空海の弟子が建立したもの。おそらく京都の紅葉ではここが一番といわれているように広い境内すべてが紅葉の木々であるかのようだ。ここで1枚記念撮影。
 「哲学の道」を散策する。せせらぎに沿っての散策道は西田幾太郎が好んで歩いたと伝えられることから命名されたそうだ。紅葉の木々が覆うように我々を包み歓迎をしてくれているようだ。南禅寺界隈の古都の情緒豊かな道を蹴上(けあげ)駅に向かう。
 夜は宿泊先でもある京都国際ホテルで懇親会。金閣、銀閣、清水、八坂、祇園とふられたテーブルに着席。このホテルの総支配人 和泉 浩 さんは白門60年卒業の同窓生。ご挨拶をいただいた。正野さんの発声で乾杯、金子、矢崎副会長の進行により宴がスタート。全員が自己紹介や京都の思い出等さまざまな話題で宴は盛り上がった。前日に誕生日を迎えた高野駿さんにプレゼントがあり、おひらきとなった。
 20日(火)40人という大人数のため人数確認もたいへん。朝出発前にホテル前で2列になって全員がでてきたかをチェック、ついでにホテルをバックに記念撮影となった。
 まずは東山の知恩院山門へ。日本一の山門は高さ24メートルで日本一。見事という外に言葉が見つからない。門と紅葉をバックに記念撮影。すぐそばの天台宗・青蓮院門跡へ。楠と築地塀に囲われたここの最高位である門主様、東伏見慈晃さんは白門41会員、もとは銀行員、50代で僧侶の道に入った努力家である。ご自分の人生についてのお話を1時間近く拝聴した。国宝の青不動のお部屋でも詳しくお話をいただき、あわせて見事な庭園を見学した。退出にあたっては門主様が我々をお見送り、門前では門主様を囲んで記念写真をとることができた。
 電車をのりつぎ嵐山へ。ここでは蓮沼さんが臨済宗天龍寺をご案内くださった。後嵯峨上皇の離宮といわれるこのお寺は昔は嵐山全体を境内にもっていたそうだ。庭園は夢窓礎石作といわれ、嵐山を借景にした見事なもの。昼食は境内の「しげつ」で精進料理をいただく。精進料理がこんなに美味しいものだとは思っていなかった。
 浄土真宗西本願寺では龍山俊暁さんの出番。若い三浦さんがよくとおる声で説明するところを程よい間隔でバックアップしてくださった。襖絵や能舞台、そして見ものは聚楽第の遺構とつたえられる飛雲閣。龍山さんのおはからいで見事なものを拝観させていただいた。
 21日(水)前日一部の会員が解散、この日は人数をしぼってゆっくりとした東山散策となった。まずは清水寺へ、舞台からの見事な紅葉の眺めはこれぞ京都かという感じ。子安の塔や音羽の滝を目、耳、手で感じながら清水坂の土産店や唐辛子店を見る。
 三年坂から東山の散策へ、ねねの道、石塀小路など八坂の塔(法観寺)をながめながら京都の味わいを楽しむ。昼食はお蕎麦。京の雰囲気豊かなお店からタバコ王の別邸長楽館を眺めながら美味しいお蕎麦をいただいた。前日山門をみた知恩院へ、男坂を上がった御影堂は工事中。納骨堂前の池と紅葉が見事。梵鐘はなんと重さが70トン。大晦日にはこの鐘の音が京都の町に鳴り響く。前日拝観した青蓮院を目の横にして帰途となった(清水正:記)


● 鎌倉のあじさいと古刹めぐり

 6月12日(火)関東地方が梅雨入りして数日後、鎌倉への小旅行が有志で行われた。北鎌倉駅へ集合したのは29人。雨は覚悟してはいたがなんとか凌げそうな気配。4寺の拝観料と昼食代3,200円を徴収してスタート。まずはあじさいの名所「明月院」へ。小雨の降るなかにしっとりとあじさいの可憐な花が我々を待ち受けてくれた。枯山水庭園、丸窓から望むいまや盛りの花菖蒲。今の季節だけではなく1年中、花が楽しめる国指定の史跡である。
 次に「浄智寺」。鎌倉五山の第4位に位するこの寺は円覚寺派。仏殿にまします本尊の三世仏、阿弥陀、釈迦、弥勒を拝謁し、数多くの文化財をみたあとに布袋樣の腹をそっとなでて御利益を祈った。

 ほぼ数分で緣切り寺として名高い「東慶寺」へ。松岡山(しょうこうざん)とよばれ、女性の開基したお寺。明治のはじめまでは尼寺であり、離婚をしたい女性がここへ駆け込み、修行をすると願いが叶うといわれ、多くの女性が駆け込んだといわれる。今は「花の寺」、花の寺の多い鎌倉でも美しい花が多く、「はなごよみ」なるパンフレットも配られている。花菖蒲は見事であり、軽いハイキングのあとの疲れを心ゆくまで癒してくれた。
 締めくくりは「円覚寺」。今日廻った4寺はすべて臨済宗、そしてここは円覚寺派の大本山、その名を「瑞鹿山大円覚興聖禅寺」という。この正式寺名は記念写真をとった山門に掲げられている。本尊のおかれる仏殿を拝観、その後裏山につらなる数々のお堂や池などをゆっくりと味わった。
 電車で鎌倉へ。昼食は八幡宮門前の「峰本」。数多くの支店をもつ懐石料亭。刺身、てんぷら、蕎麦などすばらしい味に舌つづみを打った。ささやかな懇親会が開かれ、今回の小旅行の幕を閉じた。 (写真は、上右…浄智寺、上左…東慶寺、下右…明月院、下左…円覚寺) (清水正:記)


● 秋の旅行会で会津の紅葉を楽しむ(名湯・芦ノ巻温泉を満喫)

平成23年11月14日(月)~15日(火)に白門43会の有志17人が福島県・会津に1泊のバス旅行を楽しんだ。「震災復興支援ツアー」として東北地方に少しでも協力ができることを願って企画されたもの。たまたま南甲倶楽部会員の芦ノ牧温泉社長と縁があって名湯・大川荘を利用することになった。
 ベテランバスガイドの案内で福島県へ。奇岩怪石の「塔のへつり」を見物、大内宿の見物前に三澤屋の高遠そばを賞味、太い長ネギを添えた大盛りの蕎麦のおいしさは旅の疲れを癒してくれた。会津高田町の「流紋焼」の工房を見物。
 早い夕方には社長自らお出迎えの「大川荘」へ入る。社長渡邉忠栄さんは中大45年卒業。ここ大川荘と県南の「母畑温泉・八幡屋」を経営する、福島県復興の影の立役者である。入湯後の宴会では歓迎のご挨拶に来席された。おいしい食事の宴会後はカラオケで喉をいやす。
 紅葉の見事な山に囲まれ、爽やかな朝食のあとは鶴ヶ城、飯森山を訪ねる。城は赤瓦に変身、山は見事な紅葉につつまれていた。昼食は田楽。満田屋は古風なたてものにお客がいっぱい。6種類の中身の味はまずここ会津でしか食べられないもの。漆器店を見たあとは猪苗代湖畔の「天鏡閣」。皇族の別荘というだけあって見事な建築。野口英世記念館、ガラス館をみたあとの帰途はサロンバス内でのお酒、カラオケで懇親会が盛り上がった。
                                      (清水 正:記)


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩と寄席の会」(第5回)を楽しむ

 平成23年6月15日(水)、原健作さんの呼びかけで行われた「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩と寄席の会」(第5回)に参加した43会員は11名(永谷商事主催の「歴史と文化の散歩ラリー」へ43会として合流)。今回は「明治神宮菖蒲園から日本のシャンデリゼ通り・表参道へ」でした。
 原宿駅に集合後、まずは明治神宮へ。今日の案内役講釈師は神田あおいさん。前座時代にはあやめさんと称していたとのこと。今日の花菖蒲見物にはうってつけである。明治天皇をまつる神宮は全国の木々17万本を寄せ集めた巨大かつ涼しげな緑の森。梅雨をたっぷりと吸い込んだ6月の森は実に豊かでさわやか。玉砂利をすすみ一角の「明治神宮御苑」を訪ねる。ここは元は加藤家、井伊家の下屋敷。いまは1600本の「花菖蒲」が見頃、多くの団体客に混じって菖蒲畑を散策する(写真右)。本殿寄りにはパワースポットの「清正井(きよまさのいど)」がありここは混雑もよう。
 ケヤキ並木の表参道を歩けば「表参道ヒルズ」。ここには元同潤会のアパートがあったところで、南東端には一部その一角が保存利用されている。都内に数多くあった同潤会アパートも次々に改築され、いまは台東区に「上野下アパート」が残るだけとなってしまった。ヒルズの中をちょっとのぞくと、吹き抜けの様式。それを廻る通路は緩やかな傾斜をもつ。これは表の道路を合わせた角度で建築されたそうである。
 参道は長い。周りの空間、建物、道、人をかかえて都心の一等地を占める。天皇をまつるものがこれだけの規模をもち、生活にかかわっていることを考えれば、東京は本当に「帝都」であると思う。
 根津美術館前を右にまわればやがて住宅街に「岡本太郎記念館」(写真左)。氏の住居、アトリエをそのまま美術館として数多くの作品を展示する。以前43会のミニトリップで川崎市の岡本太郎美術館を見物したことを思いだす。最近では土曜ドラマとして「芸術は爆発だ!!」のもとに「TAROの塔」が放映されあの万博の太陽の塔がとりあげられたのを思い、渋谷駅の大壁画とともに岡本太郎が今の時代になお生きているとの印象を力強く感じた。
 骨董通りを散策、地下鉄にて上野広小路亭へ。今日の出し物は14こま。漫才、落語、漫談、マジックなど多彩の出し物を美味しいお寿司をいただきながら、スチール椅子で姿勢正しく鑑賞するもの、座椅子でゆったりと見聴きするものといろいろの方法で楽しんだ。このなかで今回11代目の桂文治を襲名することが決まった桂平治師が高座を披露したのが目をひいた。  (清水正:記)


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ぷらす寄席」(第4回)を楽しむ

 原幹事長の紹介で続けられている標記の催しは第29回目を数え、われわれ43会有志が参加するようになってからもすでに4回目となる。今回平成22年11月9日(火)は「異国情緒に浸れる街 東京新名所六本木~広尾コース」とお江戸日本橋亭での寄席観賞を楽しんだ。
 今回の案内役はおなじみの神田陽司さん、神田紅さんのお弟子さんである。講釈師も近代武装、粋な着物姿は変わらないが説明用のミニスピーカーやIPADを使い判りやすく、聞きやすい説明により、そろそろ紅葉の始まった六本木周辺の散策を楽しんだ。
 集合地の東京ミッドタウンとその東に広がる檜町公園、今日は休館日の新国立美術館は人の姿が見えないため建物のすばらしさを目に焼き付けることが出来た。その前の政策研究大学院大学や出雲大社東京分祀などをみて、六本木ヒルズへ。その中心に立つ森タワーは高さ270メートルの展望台をもつ。その下にひろがる商店街や施設、さまざまなモニュメントが目を楽しませてくれる。もと毛利家の屋敷跡の毛利庭園は歩いたあとの体にやすらぎをもらうようだ。
 専称寺には沖田総司の墓。かわいい屋根をのせた幕末の英雄の墓の背後には超高層のビルやマンションが林立する。中国大使館の前は時節柄、警備はきわめて厳しい。超モダンだがややこの土地にそぐわないサウナが大使館の正面を覆う。
 有栖川宮記念公園は都心にひろがるオアシス。山、谷、川、池をうまく配置した泉林式庭園。落ち葉の厚く重なった道を踏みしめながら、季節の変わり具合を身にしみて感じる。ここでは新聞少年の像を見ることが出来た。
 午後はお江日本橋亭での寄席観賞。今日もいっぱいのお客様。落語が四つ、ハーモニカ漫談、そしてラリーの案内役の神田陽司さんの講談。高い舞台の感じではなく、同じ目の位置での対話のような感覚でしばしの時間をくつろいだ。
 一時は風がやや強かったものの平年より5度近く高い気候で、気持ちよく散策を楽しんだ一日であった。 


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩そして寄席」(第3回)を楽しむ

 平成22年7月22日(木)、気温が35度を超える酷暑の中、第3回目の「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩そして寄席」の会が開催されました。午前10時、集合場所の上野公園・西郷隆盛像の前に集まった会員・家族は男性14名、女性4名の合計18名でした(うち夫妻での参加は3組6名)。その他白門43会以外の参加者が10名くらいいましたので、全体では30名近い参加者となりました。
 今回の案内人は、茶紗の着物を粋に着流した講談師の神田陽司師匠でした(下の写真)。熱中症を怖れて、水分補給するように何度も促し、説明はなるべく日陰で行うといった気の使いようでした。
 最初に事前の知識として、上野の山が維新前夜に激しい戦いの場になったことから始めて、現在NHKで放映されている大河ドラマ「龍馬伝」の話を糸口に、尊王攘夷、勤皇左幕の込み入った政治勢力の関係について、朝廷方と幕府方を老舗菓子屋の本支店間の諍いに例えて分かりやすく説明してくれました。西郷隆盛像の前では西郷が官軍の参謀だったのに刀や銃を手にしなかったのは、彼が少年時代に左手の腱を切ってしまい腕が上げられなかったからだということや、後にこの銅像が建てられて除幕式に参列した西郷の妻が実物と似ていないことに憤慨しその後二度と訪れなかったことなどの逸話を話されました。
 西郷象のすぐ後方にある「彰義隊戦死之墓」の前では、上野山の戦いで官軍総司令官の大村益次郎は、戦を仕掛けるタイミングを遅らせたり、東北方面への退路をわざと開けておくなどの心理作戦をとって戦いを1日で終らせることに成功したことなどの話をされました。
 次に東叡山寛永寺の清水観音堂を拝観しました。本尊は千手観音坐像で、天海僧正が京都の清水寺を模して創建したのだそうです。それから石の階段を下り、不忍池に突き出た参道を通って、中之島の弁天堂に向かいました。池の中は蓮の花が見事に咲き匂っていました。池全体が琵琶湖を模して造られているそうで、中之島は竹生島に相当するとのことでした。カップルで訪れる時に相手女性のことを褒め過ぎると弁天様がやきもちを焼くので気をつけなければならないそうです。
 池を迂回して公園と反対側の不忍通りへ出るとすぐに横山大観記念館がありました。横山大観が明治42年より生活し、数々の名作を生みだしたゆかりの場所だそうです。静子夫人没後の昭和51年(1976)9月、遺族から大観の作品や習作、遺品、画稿、スケッチ帳などの寄贈をうけて、財団法人横山大観記念館が設立され、一般公開されたとのことで、現在の館長は大観のお孫さんだそうです。建物は余り大きいとはいえませんが、日本庭園が眺められる客間(鉦鼓洞)や画室として使われた第二客間など、心の安らぎを感じられる造りになっており、当時が偲ばれました。「漁夫」「無我」「海松」「青富士」「或る日の太平洋」などの有名な作品や、本の表紙絵や挿絵なども展示されていました。
 最後は旧岩崎邸庭園でした。岩崎家の迎賓館として造られたもので、広大な敷地は三菱財閥初代の岩崎弥太郎が購入し、建物は第3代の岩崎久弥(弥太郎の子)によって建てられ、メインの洋館の他、和室、撞球場がありました。洋館は木造2階建てで地下室もあり、イギリス17世紀の建築様式にルネッサンスやイスラムの様式も取り入れられているとか。権威の程を偲ばせる正面の大階段が目に付き、各部屋の凝った壁の装飾や、2階のバルコニー、水洗トイレなど当時の最先端の洋館に相応しい造りでした。庭に面した洋館をバックに、神田陽司師匠にも入っていただき、43会参加者の全員写真を撮りました。
 歴史散歩のラリーはこれで終り、歩いて御徒町の上野広小路亭に行きました。お江戸日本橋亭とは異なり、ここは5階建てのビルで、4階の室で鮨弁当を食べた後、いま行われている出し物(漫才)の終るのを待ってから、3階の寄席の席に付きました。12:00から既に寄席は始まっており、私たちは4番目の落語から聴講しました
 落語、バイオリン漫談、落語と続いて仲入りとなり、その後は講談、落語、ハーモニカ漫談、落語と聞きましたが、この日は残念ながら神田陽司師匠の講談はありませんでした。それなりに楽しめましたが、お江戸日本橋亭よりも少し狭く、聴きながらビールを飲むことも憚られる状態だったのがやや不満といえば不満でした。

(その他の写真)


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩そして寄席」(第2回)を楽しむ

 平成21年11月24日(火)、「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩そして寄席」の第2回目が開催されました。田辺一凛さんに案内していただいた前回の催しが好評だったため、原幹事長が第2回目を企画してくれたものです。午前10時、集合場所の地下鉄日比谷線三ノ輪駅の階段を上がった昭和通りの歩道橋下に集まった白門43会員(家族等を含む。)は22名、その他の一般参加者を加えると30数名になりました。
 今回の案内人は黒地に花模様の艶やかな羽織をまとった女性講釈師の神田阿久鯉さんでした。まず最初に訪れたのは一葉記念館です。この辺りに「たけくらべ」や「にごりえ」で有名な明治の作家樋口一葉が住んでいたのだそうで、僅か24歳で亡くなった彼女の命日が11月23日だったことから21日から24日まで無料公開されていて、グッドタイミングでした。生い立ちや友人関係に関する資料、作品の原稿などの他、特別展として彼女が師とも兄とも慕った半井桃水(なからい とうすい)との往復書簡などが展示されていました。一葉の作品については文庫本などで読んで多少は知っていましたが、世に出たほとんどの作品が明治27年の暮れから29年1月までの僅か14箇月の間に執筆されたということに驚かされました。それから書簡などに記された文字の美しさにも驚かされました。なお、「たけくらべ」は新吉原の遊郭に住む14歳の少女美登利が主人公ですが、その新吉原はここから300メートル程の至近距離にあったのです。
 次に訪れたのは飛不動尊でした。正しくは龍光山正寶院というのだそうですが、飛不動と呼ばれるのは、創建間もない頃この寺の住職が本尊の不動様を背負ってはるばる大峯山へ修行に出たところ、江戸にある留守の寺に人々が集まって祈っていたので、お不動様が一夜のうちに大峯山から空を飛び戻り願を叶えてくださったとの由縁によるとのことでした。寺では飛不動尊の由来から、空の交通安全と道中安泰を祈願した飛行護(まもり)を授与しているとのことで、また航空安全はすなわち「落ちない」ということで、受験合格の祈願でお参りされる人もいるそうです。
 その次は、今回の散歩ラリーのハイライトの鷲(おおとり)神社です。この日は二の酉の日で、付近の道路の両側にはたこ焼き、おでん、ヤキトリなどを商っている露店がずらり建ち並び、境内には縁起物の熊手を売っているお店が何十と出ていました。参道は参詣客で一杯で拝殿まで進むのが大変でした。大小の熊手は見上げるような高さまで飾ってあり、大きな熊手が売れるたびにシャンシャンという景気の良い手拍子が聞こえました。酉の市はこれまでも何度か行ったことがありますが、これほど大規模なのは初めてで、阿久鯉さんの解説によれば、最初は小さな熊手を買っておき、次の年は前の年に買ったのを納めてより大きなのを買い、その次はさらに大きなのをというようにして、福が大きくなるように次第に大きなのに買い替えていくのがよいのだそうです。
 最後は朝顔祭りで有名な入谷の鬼子母神(眞源寺)です。阿久鯉さんのお話では鬼子母神はインド仏教上の女神の一人であり性質が凶暴で子供を奪い取っては食べてしまう悪心であったが、お釈迦さまが鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させて、改心させたという。それ以後鬼子母神は小児を守る善神となり、安産・子育ての守護神として信仰されるようになったということです。入谷の鬼子母神では、子育ての善神になったという由来から角のない「鬼」の字を使っています(この記事では、そういう活字がないので「鬼」を使っています)。江戸言葉の語呂合わせで「恐れ入谷の鬼子母神」というのがありますが、これには続きがあって「恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の高徳寺、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、うそを築地の御門跡」というらしい。
 この後一行は地下鉄入谷駅から日比谷線で小伝馬町まで行き、そこから徒歩5分、寄席の行われるお江戸日本橋亭に到着しました。時間は丁度午後1時、海苔巻きなどの入った鮨弁当を受取り、入場前に近くのコンビニで買った缶ビールをお供に昼食を摂り、開演を待ちました。
 出し物は、春風亭昇吉(落語)、立川吉幸(落語)、神田阿久鯉(講談)、立川ぜん馬(落語)、中入り後は、青空たのし(ハーモニカ漫談)、三遊亭幸楽(落語)でした。道案内をしてくれた阿久鯉さんの講談は赤穂義士の中の「赤垣源蔵・徳利の別れ」、今年78歳になるという青空たのしさんは往時の話を交えながら、懐かしの昭和歌謡を見事なハーモニカ演奏で楽しませてくれました。
 お開きの後、一同は日本橋亭の前で写真を撮り、解散となりました。自分の知らない歴史・文化がたくさん詰っている旧跡を、美しい講釈師の道案内で訪ね歩くことができてとても有意義な一日でした。                            <管理人 三沢充男:記>


● ミニトリップ 「筑波山へ登る」

平成21年9月26日(土)、まだ夏の暑さが残るこの日、有志13人は茨城県・筑波山のハイキングを楽しんだ。往復の利用交通は開業後4年と2日経った「つくばエクスプレス」(正式名は首都圏新都市鉄道)。都心秋葉原からわずか45分でつくばの研究学園都市に到着する。ここでで迎えてくれたのは茨城県在住の会員・井出勝正さん。普段なかなか会の催しに参加できないのでちょうど今日は良い機会であったとのこと。
 バス乗車約40分で筑波山神社に到着。筑波山は神の山であり、麓から山頂まですべてが神のやどるところ。そして神社入り口では「蝦蟇の膏」の口上、保存会のみなさんが交代で演ずる。今回は「筑波山ガマ口上保存会」の「筑波松風」さんが扇や刀を手に、表情も所作も豊かに蝦蟇の膏売り口上を演じ拍手喝采であった。松風さんのお顔がなんとなく蝦蟇に見えたと思ったのは私だけだったろうか。
 ケーブルカーとロープウェイを利用して男体山、女体山に登る。神の山だけに無数の巨岩怪石が道を阻み、流れる汗をふきつつ、それぞれお宮のある頂上までたどりついた。その名のとおり男体山は険しく、女体山はなだらかな道であった。ロープウェーを降りたつつじヶ丘で昼食。待ってましたとばかりビールをのどに流し込む。
 バスで筑波山神社へ移動。ここから日本の道百選のひとつ「つくば道」を歩く。細い石段の道を下れば、「六丁目の鳥居」。このあたりには曼殊沙華やコスモスが咲き乱れ疲れを癒してくれる。道を西に入りやがてお目当ての「稲葉酒造場」。「男女の川」や新ブランドの「すてら」の醸造元である。今は六代目の元OLの杜氏・稲葉伸子さんがご主人・芳貴さんとともに美味しい日本・筑波の味を守り続けている。
 屋外では大奥様が静かな空気のなかでこの地域のお話をしてくださった。何よりも水がきれいなことがこのお酒をやっていける要因だそうだ。何気ない「ここは静かでしょ」といった言葉に、この地域、人々の暮らしがいかにゆったりと進んでいるかを感じた。
 帰路、バス乗り場への道は夕陽を正面にみて歩く。右手には今日訪れた筑波嶺が堂々とその巨体を横たえる。今日も静かで幸せであったことを喜びつつ帰途についた。 (清水 正:記)         


● 「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩・寄席」を楽しむ

 その日(6月12日)は、入梅宣言があってまもなくの頃で、雨の合間をぬって天候に恵まれたのは、ラッキーでした。「講釈師と歩く歴史と文化の散歩&寄席」と聞き、寄席を生で見た事がなかった私は興味を持ちました。文京区の白山近辺のお寺や神社を講釈師に案内されながら、その歴史や文化に触れることができ、その後、「お江戸日本橋亭で寄席を見よう」というユニークな企画でした。
 三田線の白山駅に集合してみると、43会(18人位)の面々と見知らぬ人も何名かいましたが、そこにたたずんでいた着物姿の沖縄美人とも思えるような目鼻立ちのハッキリした若い女性が目を引きました。その方が案内役の田辺一凛さんで、講釈師を男性とばかり一人合点していた私はまず驚かされました。
 講釈師・田辺さんの案内で「八百屋お七」にまつわるお寺―ほうろく地蔵のある曹洞宗「大円寺」と八百屋お七のお墓のある「円乗寺」を訪れました。
 「大円寺」のほうろく地蔵は、放火の大罪を犯し、火あぶりの刑を受けたお七を供養するために建立されたにぎやかな飾りのあるお地蔵様です。また、そのお寺には、延命地蔵があったり、幕末の砲術家・高島秋帆や「油地獄」や「かくれんぼ」で文壇に名を成した斎藤緑雨のお墓が有りました。
 「円乗寺」のお七の墓は並んで3つありましたが、1つは歌舞伎の岩井半四郎が、1つはお寺が、もう一つは地域の方が建立されたそうです。
 16歳になったばかりの八百屋の一人娘お七が恋人会いたさ一念の放火で火あぶりの刑になったという。なんとも悲しく哀れな恋物語です。
 次は、徳川将軍家から信仰されたという「白山神社」へ。ちょうどアジサイ祭りが行われていました。境内も広く、色とりどりのアジサイが咲き乱れていました。太鼓の音につられて行ってみると、お猿の演芸(猿まわし)が女性の指導者(猿まわし師)の下に行われていて、お休み所もあり、茶菓が振舞われていました。 静かで緑も多い道をアップダウンしながら到着したのが、東京大学大学院理学系研究科 附属植物園の小石川植物園。そこはかなり広く4000種の植物が栽培されているという。
 サツマイモの栽培発祥の地の立て看板
 貧困者のための小石川療生所(赤ひげ先生)跡地
 素敵な日本庭園と建物のある旧東京医学校
などがありました。
  昼前に電車で三越前まで行き、午後はお江戸日本橋亭寄席を見ました。プログラムは、落語4席と講談(案内人の講釈師田辺一凛)、ハーモニカ漫談などでした。真打昇進した落語家(三遊亭好楽、土橋亭里う馬)の話しぶりには話題に吸い込まれるようなうまさがあって聞き終わってもその楽しさと充実感が残りました。
 「笑う門には福来る」と言いますが、「笑い」は脳の活性化を促すことが証明されているそうです。
 八百屋お七の恋の一途さに幼さを感じつつも同情したり、きれいなアジサイの花のお寺では花と散歩を楽しみ、小石川植物園では、大木も多く、樹木の年輪を感じながら自然を満喫でき、最後に寄席で笑えたことで「心身の活性化ができたかしら?」と思えた一日でした。
 (企画をされた幹事の原健作さん、楽しいひと時を有難うございました。)   <宮本常子:記>


● 春節にあわせ横浜を散策

 今日は夕方からの新年会開会とあってひさびさの横浜を楽しもうと有志22名は横浜駅に11時に集合。シーバスに乗り、山下公園へ。季節はずれのぽかぽか陽気に波もなく、おだやかなミニクルーズを楽しんだ。
 海面に浮かぶレンガ倉庫やみなとみらいの眺めは素晴しい。今にも出帆しそうな巨大な「氷川丸」をながめ大桟橋へ。途中で赤い靴の像をみたり、氷川丸をバックに記念写真をとったり。巨大旅客船の着岸はないものの、大桟橋はみごとに模様替え。波の形に板を配置、航海の気分を味わう。日本大通りを散策のあとは開港記念会館隣の「味処・楽市楽座」で昼食。
 ここはわれらが43会員の吉岡徹さんのお店。立地条件最高の場所でおいしい料理をいただいた。ここに開業して16年がたつという。横浜とあって魚が美味しく、しばし散策の疲れをいやした。「昔ながらの居酒屋」と銘うち、メニューにはおむれつや串焼など食欲と酒欲のそそるものがいっぱい。
 ふたたび山下公園脇を歩き、「横浜人形の家」へ。世界140ヶ国の人形や全国の郷土人形などをみごとに配置、初老のわれわれにも大変興味深く見物することが出来た。
 中華街では「春節」のまっただなか。近くの店には採青(獅子舞)が賑やかに踊り、ときおり耳をつんざくような爆竹の音。新年会場の「ローズホテル横浜」のロビーにも顔出し。新年会にすばらしいプレゼントとなった。   (記事・写真: 清水正)



 組織拡充委員会ゴルフ同好会

 ご愛顧いただいていましたゴルフ同好会は、今般「白門43会組織拡充委員会ゴルフ同好会」として新体制の下に実施することとなりました。引き続きよろしくお願いいたします。
 
                                  組織拡充委員長 : 富田 秀雄
                                  ゴルフ同好会会長: 原田 六生
                                  ゴルフ同好会会計: 金子 典雄
[連絡先] 原田六生
     rokusei@jcom.home.ne.jp
     090-5518-5758

             ●卒業50周年記念 第40回白門43会ゴルフ大会の結果報告

  標記ゴルフ大会が平成30年5月22日(火)に恒例になりました千葉県袖ケ浦市のカメリアヒルズカントリークラブで開催されました。
 当日は絶好のゴルフ日和に恵まれて、遠方より山形県鶴岡市から小田治一さん、新潟市から神林俊昭さん、愛知県岡崎市から合津五郎さんの3名が参加され過去最高の6組・22名の参加者で盛大な記念大会になりました。
 大多数の20名はJR浜松町駅北口に7:10に集合して、ゴルフ場の送迎車でアクアラインを通るルートを利用しゴルフ場に向かいました。車中で会費等の徴収及び金子会計幹事から昨年までの会計報告等が行われ約1時間でゴルフ場に到着しました。別途自家用車でゴルフ場に来られた2名と合流し全員揃った所で記念写真を撮り終え、アウトコース・インコースに3組ずつ分かれて9:03に同時スタートしました。
 昼食はゴルフ場のご厚意により、卒業50周年記念プレート付き特別メニュー表を用意して頂き、数種類の料理から皆さんの好みの料理を満喫しました。
 午後も天候に恵まれ水分補給に気を付けながら、無事に競技を終えることが出来ました。皆さん70歳を超える年齢の為、自分の思うようなプレー・スコアーは望めませんでしたが、全員故障者もなく楽しくプレーできた事に対し主催者として大変うれしく感謝しております。
 入浴後はパーテー会場で金子名幹事の司会により成績発表・賞品授与等が進められました。今回のゴルフ大会の主な成績・受賞者は以下の通りです。

 優 勝   金子典雄
 準優勝  原田六生
  3 位   金井快夫
 ベスグロ 光國宏志・光國万理子ご夫妻が同時受賞(グロス82)

以下各賞の詳細は省略させていただきますが、今回は卒業50周年記念の大会の為、これまでの同好会の運営資金残高からの可能な予算内で、出席者全員に特別賞として「卒業50周年のロゴマーク付のゴルフボール3個」を進呈しました。
 ゴルフ場でのパーテー終了後は自家用車で来場の2人と一旦解散し、ゴルフ場の送迎車利用者組はゴルフ場を17:00に出発しでJR浜松町駅に向かいました。到着後有志18名で浜松町駅周辺の「居酒屋魚八」で2次会・反省会を開催し、新鮮な海鮮料理で疲れを癒し、親睦を深め大いに楽しんで話が盛り上がった所で、新潟から来られた神林さんの締めの挨拶で散開しました。
 次回は10月中旬から11月初旬にかけて開催する予定です、多数のご参加を宜しくお願いし「第40回白門43会ゴルフ大会」の報告を終わります。 原田六生     


               ● 第37回白門43会ゴルフ大会の結果報告

 12月14日水曜日、第37回白門43会ゴルフ大会が千葉県袖ケ浦市のカメリアヒルズカントリークラブで行われました。このゴルフ場は過去の首相や安倍首相もプレーする有名なコースです。
JR浜松町駅から迎えのクラブバスで7時30分少し前に出発、総勢16名は アクアライン経由でおよそ50分後にはゴルフ場に到着しました。現地で布施さんが合流して17名5組でスタート。
 午前中は小雨が残りましたが、午後からは曇りながら薄日が差す穏やかなコンディションの中、皆余力を振り絞って健闘しました。
 結果は優勝 緑川 勉さん、準優勝 島田恭輔さん、3位 富田秀雄さんでした。特に緑川さんは前回(6月)に続き2連覇。スコアーはグロス84(アウト42・イン42)と見事なものでした。やはり中大剣道部で鳴らした剣の技がゴルフの切れ味にも通じるようです。
 ゴルフの後の楽しみはやはり居酒屋で飲みながらの反省や自慢話。龍門会長おすすめの浜松町の店で大いに盛り上がりました。
 幹事役の富田さん、金子さんお疲れ様でした! (原田さんは今回不参加)  矢崎  勝(経産)


                 ●第36回白門43会ゴルフ大会の結果報告

 標記ゴルフ大会が平成16年6月8日(水)に前回と同じく千葉県の名門カメリアヒルズCCで開催されました。週初めに関東地方の梅雨入りが宣言され天候が心配されましたが、スタートする頃には晴れ間も覗き絶好のゴルフ日和に恵まれ、5組(17名)の参加で開催されました。
 当日は直接ゴルフ場に直行された3名を除き残り14名がJR浜松町駅に7:20に集合し、ゴルフ場の送迎バスを利用しアクアラインを通るルートでゴルフ場に向かいました。    
 バスの中で会費の徴収と前回の会計報告及び今回の開催要領の概略説明を終わらせ、約1時間でゴルフ場に到着しました。
 直接ゴルフ場に来場された3名と合流し、全員揃ったところで記念写真撮影を終え、9:17に第1組から順にスタートしました。
 当ゴルフ場は名門で今月の23日~26日にLPGAレギュラーツアートーナメント(アース・モンダミンカップ)が開催されることになっており、コースもよく整備されており最高のコンデイションでした。トーナメント開催時にはテレビ中継もされる予定で、特に後半の3ホールは景色を頭に残しておくようキャデイさんからのアドバイスがありましたがいかがでしたでしょうか?
 参加者全員が70歳を超えゴルフクラブを振る気持ちと身体の動きのアンバランスを実感され、現状のご自分の年齢を感じた方が多かったように思われます。
 午後からも天候に恵まれ全員支障なくプレーを終え入浴後、打ち上げパーテイの会場に移り、美味しい料理と風呂上がりの一杯を楽しみました。
 表彰式は金子さんの司会で行われ、各賞の発表と賞品の授与と受賞者の挨拶が行われ楽しく会を終えることが出来ました。
  以下に新ペリア方式による上位入賞者の名前を列記します。
    優勝   緑川 勉
    準優勝 金井快夫
    3位   原田六生
 当ゴルフ場は出席者からの評判がとてもよく、パーテイの席でも数名の方から今後も1年に一回はこのゴルフ場でプレーしたいとの要望がありましたので、参考にしながら今後の43会ゴルフコンペの企画をしたいと思います。ゴルフ場との予約交渉していただいた矢崎さんには大変感謝しておりますが、今後とも引き続きよろしくお願いします。
 打ち上げパーテイは17:00に終了し一旦解散しましたが、送迎バス利用者の勇士は当日所要でゴルフ大会に参加できなかった龍門会長を交え13名で浜松町駅周辺の居酒屋で二次会を開き、大いに盛り上がりゴルフ同好会の皆さんとの親睦を深め楽しい一日を終了しました。
 次回は10月~11月頃開催予定で、学員会主催の中大OB会の開催との日程調整を図り計画しますので、両大会とも多数の参加をよろしくお願いします                     原田六生


                  ● 第35回白門43会ゴルフコンペの結果報告

 標記のゴルフ大会が2016年12月15日(火)に千葉県の名門カメリアヒルズCCで開催しました。今回のゴルフ大会には遠路はるばる前日に愛知県岡崎市から上京され出席していただいた合津さんを始め総勢16名の参加で開催されました。
 当日は直接ゴルフ場に直行された2名を除き14名はJR浜松町駅に7:00に集合し、ゴルフ場の送迎バスを利用しゴルフ場に向かいました。
 ゴルフ場で全員揃ったところで記念写真撮影を終え8:41第1組からスタートしましたが、天候も午前中はやや曇っていましたが12月にしては温かく良いコンデイションで行うことができました。
 そして昼食はバイキングで皆さんの評判がよく美味しくいただきました。さらに名門コースらしくいろいろな有名人の方と顔を合わせることができ、特に女子プロゴルファーの渡辺彩香さんを間近でみて43会の面々のテーブルでは彼女の容姿・体型などの批評の話題で盛り上がっていました
 午後からは天候もますます良くなり青空のもとで存分にゴルフを満喫しました。しかしながら皆さんスコアーは思う様にはならず、大部分の方が70歳を超えて頭で考えることと体が一致せず苦労されていたと思います。これから年を重ねるごとに増々体が動かなくなる事が予想されますので、今後の43会ゴルフコンペは健康維持と皆さんとの触れ合いを大切にスコアーには拘らずに楽しいゴルフ大会を目指したいと思います。
 そんなこんなで皆さん支障なくプレーを終え入浴後3時過ぎから打ち上げパーテイ会場に移り、美味しい料理と風呂上がりの一杯を楽しみました。
 表彰式は金子さんの司会で行われ、各賞の発表及び商品の授与が行われました。
 以下に新ペリア方式による上位入賞者の名前を列記します。
        優勝    星野則昭
        準優勝  緑川勉
        3位    島田恭輔
 帰りは16:00に送迎バスで出発し浜松町駅に向かいましたが、ここでまたサプライズに巡り合う事が出来ました。丁度バスがアクアラインを通過中に、夕日が東京湾に沈む時間帯で素晴らしい絶景を見る幸運に恵まれました。
 報告は以上ですが、これからは健康で元気にゴルフが出来ることに感謝しながら、ゴルフ同好会の皆さんが少しでも長くゴルフコンペに参加出来る様願っております。
次回は来年5月頃の開催を考えておりますので、今回欠席された方も次回は是非ともご参加をよろしくお願いします。                        (ゴルフ幹事 原田六生)


                 第26回白門ゴルフ大会の結果報告

中央大学学員会主催の標記ゴルフ大会が平成27年11月9日に藤ヶ谷カントリークラブで開催され、我が白門43会ゴルフ同好会からも2チームを結成し団体戦と個人戦に挑みました。
 当日は前日からの雨天予想が見事に外れ、強風はあったものの好天に恵まれ11月にしては温かい絶好のゴルフ日和となりました。
 白門43会の面々もそれぞれに昔のスコアーは望むべくもなく、改めて年齢を思い知らされた次第です。競技はダブルペリア方式でハンデイが決められたため運、不運が大きく、またコースが長くノータッチだった為散々のスコアーとなりましたが、参加された他のチームの皆さんも同様にお年寄りが多く、似たり寄ったりの結果になりました。
 そんな中で43会の面々は頑張った方で、以下の成績となりましたのでご報告します。(個人の名誉のためグロススコアーは秘密です)

(団体戦の結果)出場した33チームの中で

第5位  白門43会Aチーム(小塚・金子・星野・原田)

第8位  白門43会Bチーム(龍門・花井・小田・矢崎)

*出場した全33チームの中での上記の成績なので誇れると思います。

(個人戦の結果)出場者122名の内上位入賞者

 7位 原田、 15位 花井、 28位 金子、 30位 龍門

以上が今回の結果報告ですが、優勝したチームとのスコアーの差はわずかです。来年も白門43会チームを結成して団体戦の優勝を目指して挑戦しますので我こそはと思われている方は是非とも参加をよろしくお願いします。

                              (白門43会ゴルフ幹事 原田六生)


               白門43会創立20周年記念43会ゴルフコンペの結果

11月11日、白門43会創立20周年記念の一環として行われました北陸旅行(11月10日~12日)でゴルフ組8名で43会ゴルフコンペを行いました。
 石川県能登半島の入口にある「能登カントリークラブ」は距離のあるシーサイドコース。
 この季節としてはめずらしく暖かい晴天のもと、腕を競いました。
参加者は8名結果は次の通りでした。
優 勝 金子典雄
準優勝 原田六生
3 位  合津五郎

                       (写真 矢崎 勝さん提供)


  第33回白門43会ゴルフコンペの結果
 白門43会第32回ゴルフコンペは、平成26年5月22日(木)高根カントリー倶楽部(埼玉県)で行われました。
参加者は12名、成績は次の通りでした。
優 勝  金井快夫
準優勝 龍門海行
3 位  光國宏志

                      (写真 中村喜子さん提供


  第32回白門43会ゴルフコンペの結果

白門43会第32回ゴルフコンペは、平成25年10月23日(水)高根カントリー倶楽部(埼玉県)で行われました。
参加者は、18名。
競技は新ペリア方式で行われ、成績は次の通りでした。
◎優 勝 : 山田雅道  
◎準優勝 :  岡田文夫 
◎3 位  : 富田秀雄 
尚、幸運の飛び賞(10位)は玉澤宏さん。
そして嬉しい事に、中村嘉市さんが初参加、山形県から小田治一さんが参加してくれました。

                      (写真は後澤正昭さん提供)



 第31回白門43会ゴルフコンペの結果

 第31回白門43会ゴルフコンペは、平成25年4月26日(金)、高麗川カントリークラブで行われました。
参加者は14名で、成績は次のとおりでした。

  優  勝: 若井三四六
  準優勝: 永井一利
  3   位: 小塚正人

(写真は矢崎勝さん提供)


 第30回白門43会ゴルフコンペの結果

 第30回白門43会ゴルフコンペは、箱根仙石ゴルフコースで一泊しながら楽しみました。ここは大正6年の開設当時、東宮殿下(後の昭和天皇)がコースに行啓されたこともある由緒あるところです。
 参加者は15名(4組)で、結果は次のとおりでした。

  優  勝: 金井快夫   NET   73.0
  準優勝: 石川進平    〃   73.4
  3   位: 合津五郎    〃   73.6

(写真は矢崎勝さん提供)


 第29回白門43会ゴルフコンペの結果

 白門43会の第29回ゴルフコンペは、平成24年3月9日(金)、大分お馴染みとなった飯能ゴルフクラブにおいて開催されました。この日は生憎の雨で、気温は8度というコンディションの良くない中でのスタートとなりました。
 参加者は14名で、成績は次のとおりでした。

  優  勝: 岡田文夫   NET   72.4
 準優勝: 玉澤  宏    〃   75.2
 3   位: 正野建樹    〃   76.4

 [優勝者のことば]
 この度は名幹事、梅津さんの気遣いもあり、シングルの若井さんとの一騎打ちがセットされ、白門43会の名誉をかけて戦った結果、やっとの思いで勝つことができました。その上、新ぺリアでたくさんのハンデも頂け優勝といいことずくめの一日でした。
 アウトは48と両者同スコアで折り返し後半での決戦。勝ちを意識するとゴルフはとたんに難しくなる。特にアプローチとパッテイングにそれが出る。自分のゴルフにはまだまだ課題が多い。一流になれるのはいつの日のことやら・・・。       


 第28回白門43会ゴルフコンペの結果

 平成23年11月4日(金)、第28回白門43会ゴルフコンペは飯能ゴルフクラブで24名が参加して行われました。結果は次のとおりでした。

優  勝: 原田六生   NET   68.8
準優勝: 光國宏志    〃   70.2
3   位: 太田尚明    〃   71.6

(写真は中村喜子さん提供


 第27回白門43会ゴルフコンペの結果

 平成23年5月27日(金)、27回白門43会ゴルフコンペは飯能ゴルフクラブで16名が参加して行われました。結果は次のとおりでした。

優  勝: 岡田文夫   Gross  86
準優勝: 若井三四六   〃   82
3   位: 中村武照     〃  101


 第21回白門ゴルフ大会の結果

 学員会主催(学員体育会支部共催、ゴルフ部OB会等運営協力)の第21回白門ゴルフ大会は、平成22年11月15日(金)、茨城県の江戸崎カントリー倶楽部で開催されました。参加総数は31チーム、123名で我が白門43会からは3チーム、9名が出場し、Aチームが団体戦で準優勝を果たしました。
 優勝は一打差で学員体育会Bチームでした。(体育会系にはかないません。こちとらは勉強系なのでと、ちょっと負け惜しみ・・・)。
 終ってみればいつものことで、あの時のあのショットさえなければ優勝だったのにと悔やむが、それは相手も同様のこと。最後まで集中力を抜けないゴルフというゲームの面白さを感じる。負けたから学ぶこと多しか・・・。来年は中村君が隠しホールを探し当て、そのホールでスコアを調整するという案も出ているが、さて皆さんどうする?
 いつまでもゴルフができるように健康に留意しましょう。        (岡田文夫:記)    
                             


 第26回白門43会ゴルフコンペの結果

 第26回白門43会ゴルフコンペは、「北海道の集い」に合せて平成22年9月27日(月)、札幌ゴルフ倶楽部「輪厚コース」で実施されました。
 成績は次のとおりでした。なお、今回参加したお二人から「北海道の集い(ゴルフ組)に参加して」と題した感想をいただいているので、ご紹介します。

  優 勝  加藤正彦 Gross  91
  準優勝  原田六生   〃   91
  3 位  合津五郎    〃 105

【神林俊晄(商会)
北の大地での「北海道の集い」に参加の目的は、
① 北海道会員との交流
② 札幌ゴルフ倶楽部輪厚コース
③ すすきの
と順位をつけたが全て一番である。輪厚コースは十数年前にプレーしたが、機会があればまた行きたいゴルフ場だった。
 9月27日(月)6時00分起床、ホテルの窓からの天気は晴れ(因みに東京は雨です。と言うと周りの人は嬉しそうにうなずく)。朝食後、富田さん運転のレンタカーで参加者14名を乗せ出発。車内では赤ら顔の梅津幹事は会費の徴収や大会の準備で忙しい。
 ホテルから1時間、ゴルフアー憧れの名門中の名門といわれている(社)札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースに到着。クラブハウスは開場52年の歴史を感じる。現地合流の加藤さんを加えて全員で記念写真。(プレーの前はいつでも元気で明るい)先週は気温が下がり寒かったが、今日は絶好のゴルフ日和で半そで姿の人も多かった。(当日の最高気温21℃)
 アウトスタートはプロも含め同じティグランドで気分は最高。参加者15名はリタイアする人もなく全員がホールアウト。優勝は加藤さん(Net 71.8)準優勝原田さん(Net73.0)第3位合津さん(Net76.2)。
 その後のこぼれ話を。
 天気に恵まれたので、言い訳はトーナメント直後の高速グリーン。
 紅一点の中里さんは元気印で場を盛上げていた。(ゴルフ場・車内で)
 梅津幹事は名物ホールでパーだったと自慢していたが、それ以外はノーコメント。(ANAオープンでもギャンブルホールとして紹介される No17 パー5 石川遼も左の林越えを狙って2オンする )
 帰りの車中は歩き疲れた猛打賞の人達は全員が爆睡(すすきの夜を楽しむために充電中)。正野会長始め清水プロデューサー、相澤ディレクター、そして梅津・富田ゴルフアドバイザーに感謝、感謝・・・でした。
 そこで一句 「ゴルファーは ナイスショットで 明日がある」 越後の旅人

小田治一(理機)
 私はサッカー学部卒業と挨拶等で自己紹介しております、鶴岡市(山形県)からの参加です。
 自宅から程近い庄内空港から出発、羽田で合流し新千歳空港、電車で札幌市内のホテルに到着。遅い昼食を済ませた後、中島公園を探索散歩し、夕食会会場へ向かい、43会参加者と地元白門会会員との交流懇談会は、和やかで時間を忘れる程の楽しいものでした。
 翌日はゴルフ組と観光組の別行動での一日。
 私はゴルフ組へ参加。何と言っても今回一番の楽しみが名門「輪厚コース」でした。
 前週ANAオープンが行われたコースでプレー出来る喜びに久しぶりの胸の高まりを感じていました。一週間前からの天気予報は曇り又は雨とのこと。とにかく天候を気にしながらの参加でした。
 ところが当日の北の大地は心まで清々しくなる素晴らしい秋晴れでした。ホテルからレンタカー(名ドライバー富田氏)での移動は、心も身体も皆楽しさで充満しており、そんな車中で一番喜んでいたのはコースを手配して頂いたクラブメンバーの中村さんでした。日頃の行いの良さに皆で万歳をし、長袖・半袖の服装談義など賑やかな会話が弾んでいる内に、待望の「札幌ゴルフ倶楽部・輪厚」に到着しました。早速着替えて記念の撮影後、各パーテ毎にスタート。前週のテレビ放映は14番~18番ホールでしたが、録画したDVDを思い出しながら、イメージトレーニングし、最高のコンディションでの1番ホールからのティーショット。気分は爽快でしたが、ショット、パッと共に中々で悪戦苦闘。ラフ、グリーンは大会直後の影響で大変難しいとのメンバーの話でした。成績はともかくメンバー(中村、西村、富田)とのプレーの合間の雑談は最高で、本当に楽しくラウンドが出来たことに感謝しております。特に名物ホール17番は印象深く(残念ながら我パーテはカットでの2オンはなし)個人的には最終18番がパーで終了出来たことに感激しました。
 やはりゴルフは「天候と仲間」に恵まれてこそ、最高に楽しいスポーツなのだと改めて実感しました。
 帰宅後には家内と再度ANAオープンのDVD観賞をしながら、皆との楽しかった日々やゴルフの話をし、それが一番の土産になりました。今振り返っても楽しく、懇親会・二次会・見学等、本当に充実した三日間を過ごすことが出来ました。
 最後に、大変思い出に残る、有意義な親睦を深めることが出来た研修旅行に参加できたことに心から感謝しております。
 今回の集いに参加の皆様、幹事の方々にも大変お世話になりました。これからも宜しくお願いします。

(写真は中村喜子さん提供


 第25回白門43会ゴルフコンペの結果

 第25回白門43会ゴルフコンペは、天気に恵まれた平成22年7月27日(火)、前回と同様「飯能ゴルフクラブ」で実施されました。
 成績は、次のとおりでした。

  優 勝  若井三四六 Gross  80
  準優勝  光國宏志    〃   88
  3 位   光國真理子   〃  89


 第24回白門43会ゴルフコンペの結果

 第24回白門43会ゴルフコンペは、白門杉並支部との合同コンペとして、平成22年3月24日(水)に開催されました。場所は前回に引き続き、中村武照会員のメンバーコースである名門「飯能ゴルフクラブ」で開催されました。43会と杉並白門会の両会に所属している会員が少なくないことから、これまでも折々に合同コンペが開催されました。
 今回は8組で43会からは23名、杉並白門から7名の合計30名が参加しました。当日は朝から春雨の生憎の天気ではありましたが、同じ白門同士で、先輩・後輩、相集いて楽しいゴルフを満喫した一日でした。43会には、宇佐美保男さん、佐藤重和さん、藤長晃興さんら新しいメンバーも加わっていただき、華を添えていただきました。成績は次のとおりでした。

  優勝   原田六生 Net 72
  準優勝  藤野 守  〃  74
  3 位   小塚正人  〃  77             

(写真は中村喜子さん提供) (その他の写真)


 第20回白門ゴルフ大会の結果

 学員会主催(学員体育会支部共催、ゴルフ部OB会等運営協力)の第20回白門ゴルフ大会は、平成21年11月16日(月)、多摩キャンパスに近い桜ケ丘カントリークラブで開催されました。
 参加者総数は143名で、白門43会からは22名が参加しました。今回の特筆すべきことは、会員の光國宏志(法政)さんの奥様の光國真理子さんが女性の部でベスグロ賞に輝いたことでした。
 結果は、次のとおりです。

個人の部  4位 岡山文夫 Net 71.6
       14位 島田恭輔 Net 73.0
       20位 永井康博 Net 73.4
女性の部 ベスグロ賞(89) 光國真理子
団体の部  5位 Aチーム  Net 220.80 (岡山文夫、永井康博、石川進平、宇佐美保男)      


(学員会の大会写真は、ここをクリックしてください)


 第23回白門43会ゴルフコンペの結果

 第23回白門43会ゴルフ・コンペは、平成21年3月24日、飯能ゴルフクラブで開催されました。
 圏央道、中央自動車道の狭山日高ICから2キロ、西武線飯能駅から送迎自動車で15分のところにあり、この近くには名門ゴルフコースが多数あります。飯能ゴルフクラブもその一つで、広くて距離も十分あり、ゆったりと楽しめる林間コースでした。
 天気は曇りでしたが、参加者は総勢15名でした。
 成績は次のとおりです。

 優  勝  永井康博   Net 72
 準優勝  小塚正人   Net 74
 3  位  中村武照   Net 78


(写真は中村喜子さん提供)



  これまでの実施状況

   実施日 場  所 参加者 優勝者 スコア
第24回 22. 3.24(水) 飯能ゴルフクラブ(埼玉・飯能市)
白門杉並支部との合同開催
43会23名
杉並 7名
原田六生 N 72

21.11.16(月) 桜ケ丘カントリー倶楽部(学員会等主
催の「第20回白門ゴルフ大会」に参加
22名

23 21.3.24(火) 飯能ゴルフクラブ(埼玉・飯能市) 15名 永井康博 N 72

20.11.17(月) 狭山ゴルフクラブ(学員会等主催の
「第19回白門ゴルフ大会」に参加)
2組8名

22 20.10.14/15 クレストヒルズ・ゴルフ倶楽部
(スーパーリゾートハワイアンズ・
(常磐)ハワイアンセンターに宿泊
し、2日間にわたり実施)
3組12名 第1日
 星野則昭
第2日
 星野則昭

21 20.6.6(金) 日本カントリークラブ(埼玉・越生町) 20名 星野則昭 N 67

19.11.19(月) 鎌ヶ谷カントリークラブ(学員会等
主催の「第18回白門ゴルフ大会」に
参加)
3組9名

20 19.4.10(火) 武蔵カントリークラブ(笹井コース)
(41会、42年会、44会及び杉並
支部と合同)
43会22名 野本晃也
(44会)
N 71.2

18.11. 7(火) 武蔵カントリークラブ(笹井コース)
(学員会等主催の「第17回白門
ゴルフ大会」に参加)
3組11名

19 18.10.16(月) 武蔵カントリークラブ豊岡コース 22名 山田雅道 N 67
18 17.11.10(木) 相模原ゴルフクラブ 6組24名 近藤 勲 N 64

17.10.24(月) 茨城ゴルフクラブ(学員会等主催
の「第16回白門ゴルフ大会」に参加)
3組12名

17 17.4. 7(木) 武蔵カントリークラブ(豊岡コース)
(41会と合同)
27名 原田六生 N 73.6
16 16.11.27(土) 伊東パークゴルフ場 3組11名 伊藤正敏 N 69

16.11. 8(月) 飯能ゴルフクラブ(学員会等主催の
「第15回白門ゴルフ大会」に参加)
3組12名 原田六生
(個人の部)

N 71
15 16. 6. 8(火) 武蔵カントリークラブ(豊岡コース) 5組17名 中村喜子 N 69

15.10.27(月) 飯能ゴルフクラブ(学員会等主催の
「第14回白門ゴルフ大会」に参加)
3組12名

14 15.10. 8(水) 武蔵カントリークラブ(豊岡コース) 5組20名 島田恭介 N 66
13 15. 6.18(水) 飯能ゴルフクラブ 6組22名 光國宏志 N 72

14.11.22(金) 中山カントリークラブ(学員会等主催の
「第13回白門ゴルフ大会」に参加)
2組8名    
 
  
12 14. 5.25(土) 伊豆スカイラインカントリークラブ倶楽部 5組19名 石川進平 N 67
11 13.11.11(日) 東松山カントリークラブ 5組20名 鴇田 将

N 69

10 13. 5.23(水) 東松山カントリークラブ 4組15名 玉澤 宏

G 94

12.11. 8(水) 高根カントリー倶楽部 4組15名 正野建樹 G 103
12. 6. 4(日) ザ・カントリークラブ・グレンモア 6組21名 伊藤正敏 G 87
11.11.17(水) 岡部チサンカントリークラブ 3組12名 光國宏志 G 89
11. 7. 6(火) 玉川スプリングスカントリー倶楽部 5組17名 島田恭輔 G 83
10.10. 6(火) 相模原ゴルフクラブ 5組18名 中村武照 G 96
10. 6. 4(木) 東急セブンハンドレッドクラブ 5組20名 原田六生 G 72
9.10. 7(火) 飯能ゴルフクラブ 5組20名 玉澤 宏 G 106
9. 5.13(火) 武蔵カントリークラブ 6組23名 伊藤正敏 G 98
8.10.24(木) 季美の森ゴルフ倶楽部 4組14名 龍門海行 G 87