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フランス芸術家協会主催により開催される 通 称「ル・サロン」に初入選。 町田譽曽彦 1667年より340年余続く、世界最古の歴史と伝統を持つ公募展、第227回「ル・サロン」に初出品し入選しました。 フランスでの評価が、あなたを世界的アーティストに |
第101回二科展に出品しました さて、本年も第101回二科展に「森の声」油絵 F100号を出品しました。
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第2回うぶすな美術展を開催致 主催 群馬県在京美術作家協会 群馬県「富岡製糸場」が世界文化遺産に登録され“郷土ぐんま”が世界的に有名になり 今年は、NHK大河ドラマ“素彦と文”のドラマが放映中です。
今年も、群馬県ゆかりのある作家13名(絵画 書 写真 デザイン)作品40点余を池袋画廊に一堂に展示いたしました。 |
ことしも二科展出品しました。 小生、24才第55回二科展から今年は44回出品(入選)です。 月日の経つのは、夢のごとき「御爺さんの年に、、、」 夢と希望を持ちつずけ 描いて行きたいと思っています。 逗子マリーナヨット置き場 F100号 油絵 ![]() 絵画 彫刻 デザイン 写真 会場:六本木・国立新美術館 2015年9月2日~9月14日(9月8日休館日) ※ご都合がつきましたら、是非 ご高覧頂ければ 幸いです。 2015年8月30日 白門43会 町田譽曽彦 |
今年も二科展に、逗子マリーナの風景を出品しました 皆様お元気ですか。私は、絵を描き元気に毎日を過ごしています。 第99回二科展 ※ご都合がつきましたら、是非 ご高覧頂ければ 町田譽曽彦 |
赤坂でハワイアンハーヴエスト楽しむ ![]() 私の友人で白門43会幹事の高梨明宏さんがハーバーランドのハワイアン・ハーヴェストの第二ステージに出演し、自慢のウクレレを披露してくれました。 特に、驚いたのは、ウクレレソロであの有名なバッキー白片ジュニアの白片健さんが特別出演で登場したことです。(右の写真、ウクレレと花束を抱えて歌う高梨さんの左後方がジュニア白片健さん) 私の学生時代には、ハワイアンといえばバッキー白片でした。おもわず、想い出が20才にタイムスリップしてしまいました。また、このステージで人気を集めたのがハワイアンダンスの熱演でした。 ![]() そういえば40才頃、よく赤坂の一ツ木通りの「リトルマヌエラ」にジャズとピアノを聞きながらバーボンウイスキーを楽しみに来たのも思い出されます。確かこの頃は、帝国ホテルの犬丸一郎社長が経営していたように聞きましたが…。 「リトルマヌエラ」には、有名人の吉村真理、黒柳徹子、中尾ミエ、渡辺貞夫、小椋桂さん等もよく来ていたようです。私が小椋桂さんとお話したときは「かんだこうじ」というお名前で、第一勧業銀行勤務だった記憶があります。この店の特長は、お客様自身がピアノやベースなどを演奏できることでした。 |
「第22回町田譽曽彦油絵個展」が盛会裏に終る |
上尾市美術家協会洋画部展を終えて 平成17年8月10日から17までの8日間、上尾市の丸広百貨店(10日~15日)及び上尾市民ギャラリー(11日~17日)で上尾市美術家協会洋画部展(第25回記念展)を開催いたしました。展示会場にはお蔭様で2,830人の入場者がありました。 第25回記念展は洋画部会員の制作の励みと次世代に何かを引継ぐ事が出来ればと2年半前から洋画部会会員の中で記念展事業実行委員会のプロジェクトを8人で立ち上げ、実行委員長として計画推進してきたものでした。 8月11日には、埼玉県美術家協会会長で日展評議員の川村親光先生をはじめ、上尾市教育委員会教育長浅見勲さま、上尾市関係、関係諸団体ならびに広告協賛企業20余名のご来賓を招き、総勢70人の式典・懇親会を「ベルアンジュ上尾」で盛大に挙行いたしました。 また、同日の埼玉新聞には「市美術家協会展 幅広い作風、一堂に 上尾」の取材記事が掲載されました。 お陰様で、上尾市美術家協会洋画部創立、1/4世紀を祝した第25回記念洋画部の記念事業として、 (1)洋画部ホームページの立ち上げ (2)丸広百貨店と上尾市民ギャラリー(大作品)、2会場で会員53人の作品100余点展示 (3)第25回記念洋画部画集の刊行(98頁)(図書館、公民館等に寄贈) を達成することができました。 小生、定年前で時間にゆとりができましたので、元気なうちに何かをと思っていたところでしたが、皆様のご支援を頂きまして記念事業を無事推進出来ました事を感謝しています。これから又、何かを目標にして行きたいと思っています。 (ご参考) 上尾市美術家協会洋画部 町田譽曽彦ネットギャラリー |
阪神淡路大震災から10年 ![]() 自然災害での被災者は自力で再生して行かなければならないのがとても辛いことです。私が阪神淡路大震災で家が全壊になり、罹災者として見舞金を受けたのは10万円でした。報道によると中越地震では1人当たり60万円のようですが、家が倒壊し家具も壊れた状況では焼け石に水です。 日本政府はインド洋沖大津波の被害に500億円もの ![]() 被災者はどうして生きて行ったらよいか、その対応マニアルをつくり、時間をかけて教えて行く。またボランティア活動等が大切と思っています。今日と言う日は二度とありません。毎日を大切に生きて行きたいものです。最後になりましたが中越地震で被害にあわれた方々の一日も早い復興を心より祈念申し上げます。 (写真は、神戸北野異人館通りと神戸港) |
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二科展と日展 よく、秋の二科展が終るやいなや友達から「町田さんは日展には出品されないのですか!」と聞かれる事がしばしばあります。「はい、私は今まで日展に出品した事も入選した事もありません」といつも答えて来ました。(二科展入選は22回) それと言うのは理由があるからです。二科展と日展は異なる公募の美術団体だからです。わかり易く言えば与党と野党ぐらいの違いがあるかも知れません。日展洋画の絵画スタイルはヨーロツパ18世紀印象絵画のアカデミックな写実画が中心であるのに対して、二科はモダンアート的な抽象画が中心を占めているからです。このように公募団体の主義や芸術精神が異なるからです。 そこで、チョット日本の洋画史をふり返って見ることに致します。 1889年に日本に最初の洋風美術団体「明治美術会」が創設されました。その7年後の1896年に東京美術学校に洋画科ができました。これが日本の西洋画壇の黎明期であります。 この時期にフランスに留学した若い芸術家達が西洋画を学び帰国するに従って文部省展覧会の審査上に激しい対立が目立って来ました。新・旧を一科、二科に分けるように政府に要求しましたが時期尚早との事で脚下されたようです。その為に1914年(第一次世界大戦)に新しい美術の確立を標榜し、石井柏亭、田辺至、梅原龍三郎、有島生馬、坂本繁二郎、湯浅一郎の気鋭諸氏が図り、文部省展覧会から分離して、在野の美術団体として二科会が結成されたようです。続いて安井曽太郎、熊谷守一等が二科会に参加されました。 二科会の精神は、「一流一派式に会の方向を限定する態度はとらず常に新しい価値の創造者は抜擢される、全会員に対する制作上の自由をあくまで擁護する」など。 公募作品の審査方法においては、日展の洋画は審査員が毎年交代17名ほどで行っている様です。二科会は150余名の会員全員が審査員となり、9月1日の二科展初日に都美術館に展示された作品を見て用紙に賞候補などそれぞれ選び書き投票を行って決めているようです。 また、二科会から派生した団体は、独立展、一水展(日展支援団体)、行動展 、二紀展、一陽展などがあります。 少しわかって頂けたかと思います。以上の事を記憶に上野の東京都美術館の公募展を鑑賞されたら一味違う芸術の秋になるかも知れません。今、第34回の日展が11月2日~24日まで上野の都の美術館で開催されています。 ![]() 公募展などで入選、入賞(特選)などの選考、審査はスポーツ競技と異なり絶対的な記録の保証はありません。審査員の価値観、嗜好などが受賞の基準に、審査員の感情世界の問題のようです。どうぞ、上野の美術館で鑑賞しながらあなたが「芸術大賞」を選んではいかがですか。意外と一般鑑賞者の方が正しい目をもっているかも知れません。 私は、長い間企業に勤めながら油絵を描き続けてきました。あと2年で60歳となり、サラリーマンの定年と言う事です。しかし、洋画界では生涯現役であると挨拶のスピーチなどで大先生方はよく言葉にしています。二科会では60歳はやっと成人式を迎える時期のようです。60才代から90才代の先生が二科会の中心で元気に大活躍されています。生涯現役の言葉を聞くたびにとても気持ちが若返ります。 私にとってこれからが本当の人生のようです。自由になる時間を存分使い、好きなところで好きな絵を描くことが出来るのだと思うと体が熱くなります。すぐに20才代の気持ちにタイムスリップすることが出来ます。会社では人並み程度の出世しか出来ませんでしたが諦めも出来ます。これからの人生を考えると夢とロマンがありとてもいい気分になれます。「これからも健康に気をつけ感謝して、あせらず遅れず十分に空気を吸い、ゆったりとした気持ちで絵を描いて行きたい」と考えています。 「少年のようにいつも好奇心を持ち描き続けて行きたい」と考えています。楽しい面白い絵が描けたらさらに嬉しいです。 (アト2年で60歳これから成人式を) |