さんのコーナー



フランス芸術家協会主催により開催される 
   通 称「ル・サロン」に初入選。                         町田譽曽彦

1667年より340年余続く、世界最古の歴史と伝統を持つ公募展、第227回「ル・サロン」に初出品し入選しました。
2016年11月開催の予定でしたが、パリのテロにより会期が2017年2月14日~2月19日に開催されます。
  「ル・サロン」とは、1667年 ルイ14世の提言により創設された世界最古の公募展。マネ、ドラクロワ、ミレー、ルノアール、モネ、セザンヌなども出品して世界に。
 近代絵画の父と呼ばれたセザンヌの場合、22歳でパリに出てから「ル・サロン」への挑戦を続けたものの落選を続け、初入選を果たしたのが43歳の時でした。そして、「ル・サロン」の会場は、1900年パリ万博のメイン会場として建てられた「グラン、パレ」にて作品一堂展示がされます。             いまから、とても楽しみです。

第227回「ル・サロン」入選 忍野八海からの富士山 油彩画 F30 町田譽曽彦

ル・サロンとは
 ルイ14世          ル・サロンとは1667年、ルイ14世の提言により創設された世界最古の公募展。マネ『オランピア』、ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』、アングル『グランド・オダリスク』、ミレー『種をまく人』、ジェリコー『メデューズ号の筏』、ルノワール『シャルパンティエ夫人と子どもたち』、モネ『緑衣の女』、セザンヌ『画家の父』……。これら誰もがどこかで一度は目にしたことのある名作が出展された由緒正しき美術展であり、美術史上に残る多くの巨匠がこの「ル・サロン」によって名を馳せました。“近代絵画の父”と呼ばれるセザンヌの場合、22歳でパリに出てからル・サロンへの挑戦を続けたものの落選を続け、初入選を果たしたのは43歳の時でした。
 現在ル・サロンは毎年秋から冬にかけての約1週間、パリの「グラン・パレ」で行われるアール・アン・キャピタル*として開催。1900年パリ万博のメイン会場として建てられた「グラン・パレ」に作品が展示されることは、世界中のアーティストにとって大きな名誉であり、ル・サロン会員という称号を得ることは、美術界における世界の中心で一流のアーティストとして認められたと言っても過言ではないでしょう。
 *アール・アン・キャピタル:フランス四大歴史的サロン合同美術展(「ル・サロン」の他に「コンパレゾン」「サロン・デ・アンデパンダン」「デッサンと水彩画」が参加しています)

     フランスでの評価が、あなたを世界的アーティストに  


                  第101回二科展に出品しました

さて、本年も第101回二科展に「森の声」油絵 F100号を出品しました。
私は、第55回二科展に初入選以来、入選45回。
今年は、第101回ですので長いあいだ風景画の作品を出品してきましたが新たな気持ちになり、ポエジー(詩情)ある作品「森の声」の絵を出品し ました。
 
 皆様どうぞ、ご高覧いただければ幸いです。

 会場:国立新美術館(東京・六本木)

 期間:平成28年8月31日~9月12日

 主催:公益社団法人「二科会」



                平成28827()   町田譽曽彦


                    第2回うぶすな美術展を開催致しました

                          主催 群馬県在京美術作家協会
                                       会長 町田譽曽彦

群馬県「富岡製糸場」が世界文化遺産に登録され“郷土ぐんま”が世界的に有名になり 今年は、NHK大河ドラマ“素彦と文”のドラマが放映中です。 今年も、群馬県ゆかりのある作家13名(絵画 書 写真 デザイン)作品40点余を池袋画廊に一堂に展示いたしました。
  


                     ことしも二科展出品しました。

小生、24才第55回二科展から今年は44回出品(入選)です。
月日の経つのは、夢のごとき「御爺さんの年に、、、」
夢と希望を持ちつずけ 描いて行きたいと思っています。

  逗子マリーナヨット置き場 F100号 油絵
 第100回記念 二科展
 絵画 彫刻 デザイン 写真
 会場:六本木・国立新美術館
 2015年9月2日~9月14日(9月8日休館日)

 ※ご都合がつきましたら、是非 ご高覧頂ければ
   幸いです。




          2015年8月30日
          白門43会  町田譽曽彦

 

         今年も二科展に、逗子マリーナの風景を出品しました

 皆様お元気ですか。私は、絵を描き元気に毎日を過ごしています。
 さて、今年も二科展には、逗子マリーナの風景を出品しました。
 私は、24才で第55回二科展に初入選し、其の後出品を続け本年は、二科展入選40回目となりました、月日の経つのは、本当に夢のごときです。

第99回二科展 「逗子マリーナ」F100号 油絵

  第99回二科展
  2014年9月3日~9月15日まで
  六本木 国立新美術館にて開催

 ※ご都合がつきましたら、是非 ご高覧頂ければ
   幸いです。

                                                 町田譽曽彦


        
         赤坂でハワイアンハーヴエスト楽しむ

 2008年5月17日(土)、東京・赤坂の一ツ木通りのミュジックラウンジ「ハーバーランド」でハワイアン・ミュージックを楽しませていただきました。
 私の友人で白門43会幹事の高梨明宏さんがハーバーランドのハワイアン・ハーヴェストの第二ステージに出演し、自慢のウクレレを披露してくれました。
 特に、驚いたのは、ウクレレソロであの有名なバッキー白片ジュニアの白片健さんが特別出演で登場したことです。(右の写真、ウクレレと花束を抱えて歌う高梨さんの左後方がジュニア白片健さん)
 私の学生時代には、ハワイアンといえばバッキー白片でした。おもわず、想い出が20才にタイムスリップしてしまいました。また、このステージで人気を集めたのがハワイアンダンスの熱演でした。
 Kさんは、若さを前面に出し、笑顔が演技に加味されてとても好感がもたれました。楽しい演奏と踊りで気がつけば22時となっていました。この夜のことは、きっと一生忘れることの出来ない楽しい想い出になることでしょう。
 そういえば40才頃、よく赤坂の一ツ木通りの「リトルマヌエラ」にジャズとピアノを聞きながらバーボンウイスキーを楽しみに来たのも思い出されます。確かこの頃は、帝国ホテルの犬丸一郎社長が経営していたように聞きましたが…。
 「リトルマヌエラ」には、有名人の吉村真理、黒柳徹子、中尾ミエ、渡辺貞夫、小椋桂さん等もよく来ていたようです。私が小椋桂さんとお話したときは「かんだこうじ」というお名前で、第一勧業銀行勤務だった記憶があります。この店の特長は、お客様自身がピアノやベースなどを演奏できることでした。



「第22回町田譽曽彦油絵個展」が盛会裏に終る

 2007年6月28日から7月4日まで、上尾市民ギャラリーにて「第22回町田譽曽彦油絵個展」を開催しました。今回の個展は、20才代から最近の油絵作品100号13点を中心にして50号20点を含め、総数50点余展示しました。
 1970年代の二科展入選作品「早春の小樽」100号、埼玉県展 特選 東京新聞賞「春の綾瀬川」100号そして、2005年二科展 特選「海の追憶」50号油絵を各コーナの柱にして上尾市民ギャラリーの会場に一堂展覧したものです。

 個展会場の上尾市民ギャラリーで一堂に展示し観てみると20才から30才代の作品は、海景と船をモチーフにして描写力と力強さを感じさせる一方、40才から50才の作品は絵の中に心象を加味させたポエジー作品群、そして、50才の後半から60才代は抽象的な船体フォルムに写実の絵も入れて画面構成している。
 その中で二科展特選の「海の追憶」は、デフォルメした船にカモメとランプなどを確り描きバランスよく構成して描き上げており、絵を描いている人から好評でした。そして、来場者が予想を上回る1000人となり地元上尾での大作展示は、上尾市民の美術文化の向上に寄与することができたと思われます。

 来場者の感想、生の声は、「小樽の風景を多く描いてありますが小樽出身ですか・・・」「個展会場にきて大きな絵が沢山あり驚いた・・・」「大きな作品が沢山あり見ごたえがあった・・・」「大作の展示でインパクトがあった・・・」「今までに、このような個展なかったのでめずらしい・・・」「友達に観に来るよう教えたい・・・」「余りに感動したので又観にきました・・・」「油絵作品のモチーフが上尾風景も多くあり作者の人柄が感じられました・・・」「上尾にもこんな大きな絵を描く人がいるのだと思った・・・」などでした。 (写真上は「早春の小樽」100号、下は「雪の信濃川」100号)

 主な来場者は、上尾市教育委員会岡野栄二教育長、上尾市教育委員会松本貴吉部長、生涯学習課小川課長・職員、上尾商工会議所富永建会頭、畠山県議会議員、上尾市議会永吉勇議長・市議会議員多数、二科会評議員倉橋寛先生、二科会会員藤橋埼玉支部長、二科会会友秋山事務局長、母校首都圏同窓会大和通泰会長他役員13名、埼玉県美術家協会会員、上尾市美術家協会会員、上尾市いけばな協会関根理華会長、(華道家)上尾いけばな協会芳野理鳳副会長、群馬県立伊勢崎高校同窓会、上毛新聞社・東京報道部後藤記者、美術年鑑・新垣企画部長外報道関係、神奈川・千葉・群馬から美術ファンなど1000人余りにのぼりました。(順不同、敬称略)



     油絵が「埼玉自治」の表紙になる

 「埼玉自治」は、県と市町村を結ぶ埼玉の自治体行政総合研修誌ですが、この度私が描いた千倉港の絵が表紙に掲載されました。
 この絵は、私がイタリア取材旅行でカプリ島まで足を伸ばした時の美しい空と海に感動。そんな空気を持つ風景を南房総で探し、制作しました。
 ブルーの海と白い灯台が夢とロマンを掻き立ててくれます。
 (右の画像をクリックすると千倉港の原画が見られます。)

(掲載依頼の7月号は、「埼玉にゆかりの作家」から海の絵を探していたようです。埼玉は海なし県であり、海をモチーフにして描く作家は多くないようです。)

「埼玉自治」は昭和25年9月創刊され、県と市町村の職員、議員、県内企業等で購読されています。
(平成18年7月20日発行) 



     上尾市美術家協会洋画部展を終えて

 平成17年8月10日から17までの8日間、上尾市の丸広百貨店(10日~15日)及び上尾市民ギャラリー(11日~17日)で上尾市美術家協会洋画部展(第25回記念展)を開催いたしました。展示会場にはお蔭様で2,830人の入場者がありました。
 第25回記念展は洋画部会員の制作の励みと次世代に何かを引継ぐ事が出来ればと2年半前から洋画部会会員の中で記念展事業実行委員会のプロジェクトを8人で立ち上げ、実行委員長として計画推進してきたものでした。
 8月11日には、埼玉県美術家協会会長で日展評議員の川村親光先生をはじめ、上尾市教育委員会教育長浅見勲さま、上尾市関係、関係諸団体ならびに広告協賛企業20余名のご来賓を招き、総勢70人の式典・懇親会を「ベルアンジュ上尾」で盛大に挙行いたしました。 また、同日の埼玉新聞には「市美術家協会展 幅広い作風、一堂に 上尾」の取材記事が掲載されました。
 お陰様で、上尾市美術家協会洋画部創立、1/4世紀を祝した第25回記念洋画部の記念事業として、
 (1)洋画部ホームページの立ち上げ
 (2)丸広百貨店と上尾市民ギャラリー(大作品)、2会場で会員53人の作品100余点展示
 (3)第25回記念洋画部画集の刊行(98頁)(図書館、公民館等に寄贈)
を達成することができました。
 小生、定年前で時間にゆとりができましたので、元気なうちに何かをと思っていたところでしたが、皆様のご支援を頂きまして記念事業を無事推進出来ました事を感謝しています。これから又、何かを目標にして行きたいと思っています。

 (ご参考)
 上尾市美術家協会洋画部
 町田譽曽彦ネットギャラリー



     阪神淡路大震災から10年

 月日の経つのは早いもので大震災から10年経ちました。昨年、インド洋沖大津波により死者20数万人以上の被害が出ました。そして、新潟県の中越地震では山古志村を中心に大災害となりました。昨年は世界各地で自然災害が多く発生。大地震は60年から80年のサイクルで起こる確率が高いと言われています。今年は1923年の関東大震災から82年目の年です。備えあれば憂いなし。
 自然災害での被災者は自力で再生して行かなければならないのがとても辛いことです。私が阪神淡路大震災で家が全壊になり、罹災者として見舞金を受けたのは10万円でした。報道によると中越地震では1人当たり60万円のようですが、家が倒壊し家具も壊れた状況では焼け石に水です。
 日本政府はインド洋沖大津波の被害に500億円もの支援資金を出すことが簡単に出来るのに比較して、国内の被災者に対しては大変お粗末な限りだと感じています。しかし、最も大切なのは震災後の心のケアであると感じています。お金は確かに必要ですが、長い年月をかけて再起して行かなければならない為には強靭な精神力と多くの人達からのサポートが欠かせません。
 被災者はどうして生きて行ったらよいか、その対応マニアルをつくり、時間をかけて教えて行く。またボランティア活動等が大切と思っています。今日と言う日は二度とありません。毎日を大切に生きて行きたいものです。最後になりましたが中越地震で被害にあわれた方々の一日も早い復興を心より祈念申し上げます。
(写真は、神戸北野異人館通りと神戸港)



      イタリア取材旅行

 この度、フランスに次いでイタリアへ取材旅行に行って来ました。ミラノ、ヴェネツェア、フィレンツェ、ローマそして、ナポリからカプリ島へ足を伸しました。
 水彩画を中心に風景を写生して来ました。イタリアはとても美しく好きな景色でしたので絵筆がだいぶ運びまた。
 初日、ミラノでは雨に降られましたが美味しい焼栗を歩きながらたべ納得。その後はよい天候に恵まれました。
 10月中旬のイタリアは日本の晩秋を感じさせる風景でヴェネツィアはジャンバーを着ての完全武装での写生となりました。一方、フィレンツェは一転、小春日和の良い天気でジェラートが美味しかったです。
 イタリアは何処に行っても歴史を感じさせる建造物が一杯でその迫力に圧倒されました。
 カプリ島の海と空のコントラストがとても美しく叉、イタリアへ訪れたいとの願いを込めてトレヴィの泉にコインを投げて帰って来ました。


    二科展と日展

 よく、秋の二科展が終るやいなや友達から「町田さんは日展には出品されないのですか!」と聞かれる事がしばしばあります。「はい、私は今まで日展に出品した事も入選した事もありません」といつも答えて来ました。(二科展入選は22回)
 それと言うのは理由があるからです。二科展と日展は異なる公募の美術団体だからです。わかり易く言えば与党と野党ぐらいの違いがあるかも知れません。日展洋画の絵画スタイルはヨーロツパ18世紀印象絵画のアカデミックな写実画が中心であるのに対して、二科はモダンアート的な抽象画が中心を占めているからです。このように公募団体の主義や芸術精神が異なるからです。
 そこで、チョット日本の洋画史をふり返って見ることに致します。
 1889年に日本に最初の洋風美術団体「明治美術会」が創設されました。その7年後の1896年に東京美術学校に洋画科ができました。これが日本の西洋画壇の黎明期であります。
 この時期にフランスに留学した若い芸術家達が西洋画を学び帰国するに従って文部省展覧会の審査上に激しい対立が目立って来ました。新・旧を一科、二科に分けるように政府に要求しましたが時期尚早との事で脚下されたようです。その為に1914年(第一次世界大戦)に新しい美術の確立を標榜し、石井柏亭、田辺至、梅原龍三郎、有島生馬、坂本繁二郎、湯浅一郎の気鋭諸氏が図り、文部省展覧会から分離して、在野の美術団体として二科会が結成されたようです。続いて安井曽太郎、熊谷守一等が二科会に参加されました。
 二科会の精神は、「一流一派式に会の方向を限定する態度はとらず常に新しい価値の創造者は抜擢される、全会員に対する制作上の自由をあくまで擁護する」など。
 公募作品の審査方法においては、日展の洋画は審査員が毎年交代17名ほどで行っている様です。二科会は150余名の会員全員が審査員となり、9月1日の二科展初日に都美術館に展示された作品を見て用紙に賞候補などそれぞれ選び書き投票を行って決めているようです。
 また、二科会から派生した団体は、独立展、一水展(日展支援団体)、行動展 、二紀展、一陽展などがあります。
 少しわかって頂けたかと思います。以上の事を記憶に上野の東京都美術館の公募展を鑑賞されたら一味違う芸術の秋になるかも知れません。今、第34回の日展が11月2日~24日まで上野の都の美術館で開催されています。
 第87回二科展は9月1日~16日で終了しました。日本の公募三大展は第87回院展(日本画)、第87回二科展(洋画、彫塑、写真)、第34回日展(日本画、洋画、彫塑、工芸、書道)と言われているようで、昭和天皇がよく上野公園に見に来られていたようです。院展は、現在の皇太后さまが日本画を出品されていましたので、その関係もあっての事のようです。
 公募展などで入選、入賞(特選)などの選考、審査はスポーツ競技と異なり絶対的な記録の保証はありません。審査員の価値観、嗜好などが受賞の基準に、審査員の感情世界の問題のようです。どうぞ、上野の美術館で鑑賞しながらあなたが「芸術大賞」を選んではいかがですか。意外と一般鑑賞者の方が正しい目をもっているかも知れません。
 私は、長い間企業に勤めながら油絵を描き続けてきました。あと2年で60歳となり、サラリーマンの定年と言う事です。しかし、洋画界では生涯現役であると挨拶のスピーチなどで大先生方はよく言葉にしています。二科会では60歳はやっと成人式を迎える時期のようです。60才代から90才代の先生が二科会の中心で元気に大活躍されています。生涯現役の言葉を聞くたびにとても気持ちが若返ります。
 私にとってこれからが本当の人生のようです。自由になる時間を存分使い、好きなところで好きな絵を描くことが出来るのだと思うと体が熱くなります。すぐに20才代の気持ちにタイムスリップすることが出来ます。会社では人並み程度の出世しか出来ませんでしたが諦めも出来ます。これからの人生を考えると夢とロマンがありとてもいい気分になれます。「これからも健康に気をつけ感謝して、あせらず遅れず十分に空気を吸い、ゆったりとした気持ちで絵を描いて行きたい」と考えています。
 「少年のようにいつも好奇心を持ち描き続けて行きたい」と考えています。楽しい面白い絵が描けたらさらに嬉しいです。
(アト2年で60歳これから成人式を)