卒業してもうすぐ30年、年齢も50歳を越し、何の気兼ねもなく話せる仲 間。それが同期です。4年間同じ空気を吸っていた同期との交流に違う 人生が見えてくるはず…。そんな思いを込めて『49年白門会』ができ ました。具体的に、以下のような活動をしていきます。
 *会員相互の親睦・交流を図るため、親睦会、懇親会等の開催と、各 種同好会活動を実施する。
 *中央大学学員会他支部との交流を持ち、より幅広く交流を深める。
 *会報の発行、ホームページの開設で会員間の交流を促進する。

49年白門会 サイト開設 2002年3月25日

会長挨拶

同時代を共にした集まり! !

山﨑厚太 山﨑厚太(経済)

 「49年白門会」は本年7月2日(日)多数のご来賓、同期会結成に賛同さ れた皆様にご出席頂き、無事設立総会を終了、中央大学学員会の年次支 部として結成されました。 思えば我々が中央大学を卒業以来26年が経過しております。駿河台の校 舎は多摩へ移転し、大学も大きく変わりました。駿河台校舎は、確かに 緑も無く手狭で、生協の食堂も現在の多摩校舎に比べれば貧弱でしたが 、御茶ノ水は伝統的な全国区の「学生街」として中大生の実感がありま した。今となれば、ロックアウトや3年の学年末試験がレポートに切り 替わったことも懐かしい思い出となっております。フォークソングやグ ループサウンズが全盛を極め、皆様が青春のエネルギーを大いに燃焼さ せていたと思います。

咋年4月、準備会の初めての集まりの時、お互い皆知らない者同士の集 まりでした。しかしながら、生協や地下に有った床屋の事、近くの溜ま り場の喫茶店の話などに、正に同時代に中央大学で過ごした者にしか分 からない共通点が沢山有り、結成準備も順調に進みました。 学員会には、各地区に地域・職域支部が有りますが、年次支部は、同時 代を一緒に過ごした者同士の集まりとなり、特に共通した喜び、感動、 悩みを持っていると思いますし、堅苦しさも有りません。私たちの同期 は6千人強の方達がおり、今回の同期会結成に御賛同いただいた方も、 北海道から九州まで各地にいらっしゃいます。毎年のホームカミングデ ーや観桜会には会合を開き、皆様が集まり易くしようと思っています。 支部は今出来たばかりですが、同期一同協力し、母校中央大学の発展と 、皆様方のより一層強い絆を広げていきたいと思います。皆様の絶大な るご支援ご協力をお願い致します。

49年白門会会報 創刊号(2000.9.19 発行)よ り

準備委員会だより



準備委員会

不安から自信へ!

中島章夫(経済)

99年4月の繁忙期、ある日突然、学員会から昭和49年同期会設立の案 内が送られてきた。中央大学の看板を背負って杜会に出て四半世紀が経 った今、果たしてこのボランティアともいえる同期会作りに何人が賛同 してくれるのだろうか。当然ながら大学に残った私には、何らかのお鉢 が回ってくる事は覚悟はしていた。

 4月27日、第1回準備会。我々大学職員3名を含め7名が出席した。当日 までの準備会委員は職員6名を含めて11名。一瞬不安が過った。学員会 事務局長から同期会の趣旨等の説明を聞き、自己紹介をし、次回の日程 を決めた。場所を居酒屋に移し、今までの重苦しい雰囲気が徐々に和や かになり、今後、準備会委員を増やす事を約して別れた。

 第2回準備会は、会の代表と役割分担がメインであった。頭を垂れ た静粛の中、山崎厚太さんが代表に名乗りを上げ、即座に決定。この瞬 間から49年卒業生同期会結成に向け動き始めた。
 活動の最大の目標を会員を増やす事に置き、その第1目標を10月24日 の「ホームカミングデー」とした。準備会委員は当初より数名しか増え なかったが、出席率は良くなってきた。「ホームカミングデー」で最低 100人を見込んだ。結果は132名。我々は大いに盛り上がった。これで 2000年6月の設立総会に向けて弾みがついた。

 12月の忘年会で懇親を深め、1月、東京近郊在住の2800名へ同期 加入の案内を発送した。大変な労力を要したが、結果は会員数230名、 準備会委員47名。いよいよ総会の準備に入った。
 設立総会日が7月2日、会の正式名称も「49年白門会」と決定し、4月 の「観桜会」で初めて名乗りを上げた。会則・役員・設立総会・パーテ ィーの役割等々、順調に決まっていった。

 7月2日、緊張の総会だったが、出席者60名の盛大な拍手で「49年 白門会」は産声をあげたのである。
これからが大変と想われるが、設立にかかわった者全員が自信を得た瞬 間だった。

49年白門会会報 創刊号(2000.9.19 発行)よ り