ホームカミングデー

2005年10月23日

 10月23日(日)は新潟県中越地震から丁度1年で京都競馬場で菊花賞も行われた日でしたが、われ等中央大学のホームカミングデーが行われました。
 当日は前日の小雨交じりの曇天から打って変わった晴天に恵まれ、多摩キャンパスは絶好の散策日和となりました。
 司会は当然49白門の葛西聖司NHKアナウンサーであり、またイベントも「トークショー」のほか、恒例の「中央大学スイング部演奏」「白門グリークラブ合唱」「中央大学応援団演技」に加え「翔駒会による武蔵国府太鼓実演」があり会を盛り上げていました。
 われら49年白門会は「同窓の広場」の中で5号館の4階5402教室に菓子つまみ飲み物を用意し49白門の入場を待っていましたが、前年より少ない19名の同期生が入れ替わりに教室を訪れ、往時の話題に花を咲かせました。
 3時からはお楽しみの福引抽選会のため教室を閉めメインステージに集合しましたが、残念ながら49白門からの当選はありませんでした。もっともその前に三角籤で「生帆立貝3Kg」や「ディズニーランドペア1日券」を当てたメンバーもおり49白門会が全くつきに見放されたわけではありません。
 最後には中央大学茶道会によるお茶をみんなで楽しみましたが、お茶席の会場である「虚白庵」は学員の寄付によりキャンパス内に平成8年に完成し、その命名はやはり学員である表千家当代家元千宗左宗匠とのことです。
 お茶を最後に日の傾いたキャンパスを後に解散しましたが楽しい一日でした。

石川 晶雄

2005年総会

2005年7月23日

例年は7月に入ってすぐの土曜日が定例になっていた総会も、今年は梅雨明けの7月23日(土)に行いました。梅雨明けとはいえ、カッと照りつける太陽もなく、過ごしやすい午後でした。総会会場の中大理工学部校舎の5号館3階の教室には、午後3時には予定していた24名が集まりました。景気が上向いてきたのか、はたまた責任ある地位に付く人が多いのか、仕事があるので出席できない、という返事を多くいただき、日にちを変更して参加しやすいかなともくろんだ幹事会の考えが外れてしまいました。
 今年は設立5周年。10周年に向けて大いに会を盛り上げていこう、という山崎会長の力強い挨拶があり、議事の進行に入りました。議長には原伸正さんがなり4つの議案の審議が行われました。2004年度活動報告を中嶋幹事長が、2004年度の収支報告を後藤会計部長が行い、その監査を木村会計監事が報告、2005年度事業計画案を増田事業部長が行い、2005年度の予算案を再び後藤会計部長が行いました。4つの議案とも全員の拍手で承認されました。
 会員からの、会費をいつまで支払ったか分からないのでどうしたらいいのか、という質問に対して、12月の会報を出す時に未納の会員の方には振替用紙を同封している、という説明がありました。
 30分で総会は終わり、引き続き講演会が行われました。設立5周年ということもあり、副会長で弁護士の山崎司平さんに「犯罪被害者支援について」と題して30分間お話をしていただきました。
 桶川ストーカー女子大生殺害事件、池田小児童殺害事件における加熱取材(メディアストーム)、性犯罪被害者における裁判など、犯罪被害者の理不尽な境遇を具体的事例をもとに説明し、犯罪被害者支援の実態を聞くことができました。「ガンバレ」という言葉は、犯罪被害者を傷つける言動です、という説明には虚を衝かれました。優しさは同情ではない、「何とかしてやるよ、ガンバレよ」という上から下を見るような言動はだめで、同じ目線で共感できる言動が大事だと山崎さんは強調しました。犯罪被害者への真の支援は「被害者が、望むなら、望む時に、望む支援を」だということです。
 30分という短い時間でしたが身近に存在するかもしれない犯罪被害者に対する認識を新たにした講演会でした。
 恒例の記念撮影をして会場を地下1階の食堂に移し、懇親会が4時過ぎから始まりました。予定していた司会者が急遽欠席になり、再び原さんが司会者になり会が始まりました。大竹広報部長が乾杯の音頭をとり、歓談に入りました。ビール、ワイン、日本酒とお酒も回り、ほろ酔い気分になっていた頃、正確には4時35分にお寿司をつまもうと箸を伸ばした瞬間,寿司桶が逃げ出しました。酔ったのか、眩暈なのか、あるいは年のせいかと周りを見たら、みんなも動きが止まっていました。すぐ地震だと気付いたのですが、地下でこの衝撃ならかなり大きいのではないかと不安でした。
 その後、東京が震度5でJRや地下鉄が止まっているという情報が入りました。大きな被害はないみたいなので、会はそのまま進み、全員の挨拶が終わり、恒例の校歌・応援歌を歌い、これまた恒例になりつつある小澤さんのエールでお開きになりました。
 地上に出ると6時を過ぎているがまだまだ明るい夏の夕方でした。一斉に携帯電話を操作するが地震のために掛からず、諦めて二次会会場の水道橋駅そばの「藩」にゾロゾロ歩いていきました。途中の後楽園駅や水道橋駅は電車がストップしているため大混雑。二次会から参加予定の富山県から来る浜手さんは新幹線が遅れている、という連絡があり、同じく浜手さんが誘った同級の5人も常磐線に2人、地下鉄に3人閉じ込められている模様。
 16人でスタートしてから30分後に浜手さんが富山の実家で採れた枝豆をお土産に、タクシーで駆けつけてくれました。それから20分後、女性3人が到着。新宿で待ち合わせて会場に向かうときに地震でJRがストップしたが、大江戸線が動いたので来れたとのこと。まだ会員にはなっていないというので、是非入会するように説得。改めて全員の自己紹介が始まり、9時過ぎまで歓談が続いた。結局常磐線の二人は二次会は断念、残念!!
 外に出ると、中央線の赤い電車が走っているのが見え、運転再開を確認。ダイヤは乱れているが何とか帰宅できそうな状況になっていた。皆さん無事に帰れました?

広報部

春の散策

2005年4月9日

葉桜を心配していたのですが、我々の春の散策にタイミングを合わせたように 桜の花は満開で、絶好のお花見日和でした。 14時30分には飛び入りの葛西さんを含め14名が昭和館入口に集合し、館内 見学からスタートです。この昭和館は戦中・戦後のくらしを後世に伝える目的で 建てられたそうで、九段会館のそばにあります。

次に千鳥ヶ渕の桜を見ながら山種美術館へのんびり歩く予定でしたが、昭和館か ら千鳥ヶ渕への歩道は満員電車状態でお花見どころでは有りません。 「何で日本人はこんなに桜が好きなのかね~」とブツブツ言いながら通常5~6 分の道のりを30分も掛けて、それも千鳥ヶ渕まで行けず回り道をして歩いてし まいました。

山種美術館は日本画専門の美術館で、当日は桜をテーマにした日本画が展示され ており、普段美術品と縁が無い生活をしているだけにとても新鮮でした。 こんな素晴らしい機会と招待券をいただき、小澤さんに感謝です。 記念撮影後、靖国神社に向かいます。千鳥ヶ淵ほどでは無いものの混雑はさすが に桜の名所と言った感じです。ここでも記念にパチリ。 靖国神社から市ヶ谷駅に向かう途中は桜吹雪です。もう場所によっては散り始め ているのですね。

市ヶ谷駅の手前で内濠公園方面に右折。 ここは千鳥ヶ淵と違いそれほど混んで無く、お濠を挟んだ反対側の土手の桜が見 事でお勧めスポットですね。 桜のトンネルを歩いていると東京とは思えないほど自然の中にいると言った感じ でした。

予定通り17時に飯田橋駅の前に到着。夕方から仕事が入っている葛西さんと別 れ13名全員居酒屋へ直行しました。 お酒が入るとさっき迄の疲れた顔が活き活きしてくるのが不思議です。 半ば貸し切り状態の居酒屋で大いに盛り上がり、最後に残った全員で記念写真を 1枚。

人混みに疲れた半日でしたが、参加者の皆さんお疲れ様でした。

事業部 橋本
中央大学 同期会
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2005年新年会開催

2005年1月29日

 今年は酉年、「幸せをトリ込む」とか、「夜明けを知らせる一番鶏」とか、何となく明るい年になりそうな予感を抱き、49年白門会の新年会会場に向かった。2005年1月29日、銀座Sun・mi高松には毎年のことであるが、会費では賄いきれないと思われる程に贅沢な料理が並び、勿論、酒の種類も量も十分に用意されていた。

 今年は新年会ニューフェイスの長澤さんと羽深さんを加え、総勢34名が参加した。新たに参加された方の堅苦しさが、和やかさに変化していく時間が年々短くなっていくようである。
 今年の集いは会長のさりげないオープニングで開宴となった。お馴染みの抽選会もいつものことではあっても、籤を引く順番を待ちながら、まだかまだかと人集りになるのも毎年のことである。
 今年はそれぞれのテーブルで会話が盛り上がった新年会だったが、お開きの時間が気になりだす頃には、「八王子の小林さん」が「みのもんた」顔負けの司会者に変身して矢庭に一人ずつ指名をしていく。指名された人達のそれぞれの思いや身の回りの話に、思わず頷き、時には笑いありであっという間にお開きの時間となってしまった。
 いつも通りに校歌・応援歌・締めと続き最後はいつも通りに集合写真をもう一枚。

 さて、二次会は歩いて5分程のライオン入母屋まで24名が流れた。新年会に比べると店の雰囲気を含め、盛り上がりは今ひとつであったが、それでも旧交を温めながら静かに時間は過ぎていった。
 いつも思うのはきっと元気の分け合いがみんなをより元気にしてくれるのではないかということ。自分にない元気をもらい、人には知らずの内に元気をあげて、結局みんなが元気になれるのではないだろうか。

 次回の企画「春の散策」は4月9日(土)を候補に事業部で検討中とのこと。桜を観ながら散歩して、適当な場所があれば花見の宴となるのか、或いはレストラン等で食事会となるのか、お楽しみである。元気の素を収穫するためにも是非「春の散策」にもご出席下さい。

原 伸正

中央大学 同期会
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隅田川七福神と食べ歩き

2004年10月16日(土)

秋の長雨で心配された天気もやや回復し、曇り空で肌寒さは感じましたが歩 くには丁度良いくらいの気温でした。

14時過ぎまでには松平さん、益田さん、大谷さん、石川さんご夫妻、中島 さん、後藤さん、増田さん、そして山崎会長の9名が全員揃い、幹事を含め て合計10名でいよいよ食べ歩きのスタートです。

隅田川にかかる言問橋を渡ると向島で、最初に訪れたのは大黒天と恵比寿神 がまつられている三囲(みめぐり)神社です。創建は弘法大師とされ、これを 再建する時に白狐が現れて地中から出てきた神像の周りを三回廻った事から 「みめぐり」の名が付けられたと言い伝えられております。本殿は安政時代 の建築と伝えられ無事に震災・戦災を免れたそうで、その前で最初の集合写 真をパチリ。

次にめざすのは布袋尊がまつられている弘福寺。現在の建物は関東大震災後 に建てられたそうですが中国風の禅寺らしい雰囲気を漂わせていました。

すぐ隣が桜餅で有名な長命寺で、弁財天がまつられています。三代将軍家光 が鷹狩の途中の腹痛を境内の井戸水で薬を服用し快癒した事から長命水の名 をいただき、寺号も長命寺としたそうです。
但し、境内に幼稚園が併設され本堂もコンクリート造りで、弘福寺を見た後 だけにやや期待外れでした。
その為か写真も撮らずに裏手の桜餅屋に直行しました。 ここの桜餅は桜の葉三枚で巻かれており、餡の甘さと葉の塩辛さの微妙なバ ランスが楽しめるのですが、三枚とも取ってしまう方、一枚だけ取って食べ る方と食べ方はまちまちで赤い毛氈の上に腰掛けながら結構楽しんでいたよ うです。

次に道路を挟んで向かい側の「言問い団子」の店を訪れましたが、さすがに 桜餅を食べた後なので、全員パスしました。

福禄寿がまつられている向島百花園への途中に行列の出来る草餅屋さん「志 満ん草餅」(じまんくさもち)が有ります。餡なしの草餅にきな粉と蜜をつ けて食べると絶品だそうで、数名の方がお土産に買われたようです。

向島百花園の余りにも小さな福禄寿のお堂と、花が散った後の萩のトンネル に少しガッカリしながらすぐ近くにある白鬚神社に向かいました。
七福神を設定する時、白い鬚の神ということから選ばれたので一般的な寿老 人では無く「寿老神」としたそうです。

ここで記念写真を撮った時刻が15時30分。最後の多聞寺までは30分以 上かかるので、六福神で諦めて、メインの「駒形どぜう」目指し桜橋経由で 浅草駅方面に引き返しました。結果的にはこれが正解で、「駒形どぜう」で は待つこと無く座れ、どぜう鍋と日本酒の熱燗で大いに盛り上がりました。

二次会予定の「松風」は人数が多いという理由で断られたので(雰囲気を大 切にする店)、雷門で二次会から合流する的場さんを待ち、11名全員で神 谷バーへ繰り出しました。
ここでも「デンキブラン」と「じゃがいも焼酎」で勝手に盛り上がってしま い、仕事でお疲れの的場さんに気配りもせず申し訳ないことをしてしまいま した。m(_ _)m

最後に、増田事業部長の「東京にはまだまだいい所が有るはず。探してまた 企画しよう」という言葉の後、記念撮影で解散。
参加された皆さん、お疲れ様でした。

事業部 橋本

中央大学 同期会
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2004年屋形船の集い

2004年8月7日

 今年の屋形船、天候に恵まれ波も穏やかでした。出席は12家族16名、遠方からの出席は、九州から中学生のお子さんとともに黒木さんご夫婦、広島から黒石さん、名古屋から加納さんご夫婦。山崎司平さんもご夫婦でのご出席です。

 黒木さんから熊本の焼酎と饅頭の差し入れ、中島さんからお酒の差し入れがあり、一気に宴会になりました。昨年は川べりに建っている会員の会社など外の景色を見ていましたが、今年は皆お互いの話に夢中でゆっくりとした時間はありませんでした。それだけ皆さんの気心が知れてきたことだと思います。途中船が停泊したところで「抽選会」、商品は中大グッズです、外では絶対手に入らない商品大事に使ってください。宴たけなわそろそろカラオケに移ろうと思った矢先、船着場まであと10分、2時間半の周遊でしたがあっという間に終わってしまいました。単身就任中の松平さん下船後すぐに新潟のご実家へお帰りとの事、お疲れ様でした。

屋形船は2年続きましたのでしばらく休みます、次回は皆さんの近くで「灯台下暗し」の経験、例えば「はとバスツアー」など企画したいと思います。ぜひご参加ください。

 これからの予定は10月16日(土)浅草散策・グルメの会、10月24日(日)ホームカミングデー、11月13日(土)映画鑑賞会、1月29日(土)新年会等ありますご都合のつく方はぜひご参加ください。

山﨑 厚太

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2004年総会

2004年7月3日

 例年だと梅雨の真っ最中で蒸し暑い日が総会日と決まっていたのだが、今年の総会日は真夏日だった。真夏の太陽が照り付け、会場の理工学部校舎に行く途中の公園では、セミが声を振り絞って太陽に向って鳴いていた。
 6月下旬は株主総会で忙しいから出席できない、という声があったため、今年の総会は7月に入った最初の土曜日の3日に開いた.。ところが開いてみると21名と、これまでにない少ない参加者だった。株主総会が終わり、出張やら残っていた仕事の後始末で出席できない人がかなりいたみたいだった。常連の会員の欠席も目立ったが、定刻通り午後3時から理工学部の校舎で第5回目の総会が始まった。

 初めに、現在の中央大学を紹介するビデオが上映された。23分間のビデオだが、30年前に我々が学んだキャンパスとは似ても似つかぬ綺麗でのびのびした羨ましい環境のキャンパスに、卒業して30年経ったという時の流れの残酷な現実を感じてしまった。
 山崎会長の挨拶に、今年は卒業して30周年、来年は49年白門会の5周年という節目の言葉が出てきた。同期会が出来てもう4年が経ったのか、いや、まだ4年なのかと時間の観念が頭の中でクルクル回ってしまう
 議長に木村真氏を選出し、第1号議案から第5号議案までの審議が続いた。活動報告は幹事長の中島氏が報告、納涼屋形船や川越散策の報告や、会報が年2回着実に発行されているという報告がなされた。決算と予算案は、会計部長の後藤氏から報告があった。適正に運用されているという監査報告もあり、拍手で承認された。今年度の事業計画案は橋本氏から、実施予定日まで付け加えて浅草散策、新年会などの説明があった。年々少しずつ新しい行事が作られていくことは、事業部の努力の成果だと思う。
 今年は役員の改選時期であったが、事前に立候補者がなく、山崎会長以下全員が再任された。次回には新しい人が役員になって、この会を盛り上げていくことを期待したい。

 全ての議案が拍手で承認され、総会は滞りなく終了した。終了後は恒例の記念写真撮影となり、中島・橋本カメラマンにより会報用とホームページ用の撮影が行われた。
 舞台を同じ館の地下にある「スエヒロ食堂」に移し、懇親パーティーが4時過ぎから始まった。21名全員が集まり、村岡氏の司会の下、和やかな雰囲気でスタートした。21名という少人数で、しかも大部分の人が顔見知りということもあり、あちらこちらで歓談の輪が出来上がった。
 改まった挨拶はなかったのだが、なんと司会の村岡氏が、現在の会社を辞め行政書士として独立する、という発表を行ったので、全員祝福の拍手で門出を祝った。

 40人ぐらいで盛大にやる懇親会も良いが、今回のように小ぢんまりとした懇親会も良いなと感じた2時間だった。  お開きはこれまた恒例の校歌斉唱から応援歌で終了、と思いきや、突然小沢氏が「フレー、フレー、49会」とエールを発声、全員それに応じて無事お開きになった。因みに小沢氏は応援団とは無関係だとのことです。
 外に出ると夕方の6時前であったが、まだまだ夏の暑さは治まらず、喋りつかれて喉が渇いたせいもあって、17名が水道橋駅前の居酒屋での2次会に参集した。この会場でも話が途絶える瞬間が無く、酒量に比例してボルテージも上がっていった。

(広報部)

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2004年留学生の集い

2004年6月20日

「第16回中央大学に学ぶ留学生と学員との国際交流の集い」参加報告

 平成16年6月20日、日曜日、山崎会長をはじめ、大谷氏、橋本氏、村岡氏そして私の5名が京王プラザホテル、コンコード・ボール・ルームで行われた「留学生との集い」に参加した。この会は母校中央大学で勉学に励んでいる各国からの留学生との交流を深めようという趣旨で毎年開催され、今年が16年目になる。今回の正幹事は白門40年会、副幹事が白門四一会である。全体で約5百名規模のパーティとなり幹事の段取りと手際の良さが試されるようでもある。
 「留学生との集い」は学員会年次支部が順番で幹事を務めることになっていて、来年は41年卒が主幹事、42年卒が副幹事となる。つまり49年卒の我々は8年後の平成24年(2012年)に副幹事が回ってくる。そして翌年は正幹事となる。まだまだ先の話ではあるが、はっきりしていることは、我々が幹事になる時には60~61歳前後になっていることである。リタイアしている人も居れば、現役の人も居られるだろう。連携を取りながら準備を進めなければならない。
 規模の大きさから考えると実際に経験しておくこともポイントであろう。毎年5人ずつ参加していけば副幹事の前年までには40名が経験できる。そして、我が年次が幹事の時は最高の企画となるようにみんなで大いに知恵を絞りたいと考えている。

16:30(開場)
 当日の会場は、留学生220名、日本人在学生50名、教職員50名、学員150名、総勢470名が集う壮大なものであった。広い会場には50卓程の円テーブルがならび各々番号札が立っている。各支部毎に指定された席に着いて暫くすると留学生たちが入場してくる。最初はどのような段取りで進めるのかも分からないまま、大谷氏、橋本氏と「日本語で話せるのかな?」などど緊張する場面もあったが、席に着いた留学生たちからは「こんばんは」の挨拶。最初は日本人在学生かと思った程、流暢な日本語に感心した。その後の会話も勿論日本語で違和感なく進んだ。
 私たちのテーブルに着いた留学生達は中国から女性4名、韓国から男性2名、そして日本の在校生女性が1名、私たち学員が3名の10名でテーブルを囲む。となりのテーブルは山崎、村岡両氏が同様に対応している。

17:00(開会)
 白門40年会は約50名の体制で持ち場を守りながら準備を進め、受付のピークも順調にこなしたようである。副幹事は15名程での対応に見える。午後5時の開会と共に、白門40年会の女性が司会を始める。堂々とした立派な司会振りである(我が年次は誰にするか?)。この後は主催者や来賓やらの挨拶が延々と続くのかと思いきや、主催の40年会・新井会長に続き、学員会会長の中山正暉氏も「挨拶は2分以内と云われ、、、」と程良いテンポで進行していった。続く挨拶は阿部理事長、角田学長と進んだが「挨拶2分間制限」のせいか、いつもは長い挨拶が得意な人でも、短く出来るということを証明したようである。中には制限時間を堂々とオーバーする人もいたが、最後に言い訳しながら挨拶を終えていた。挨拶が終わると、応援団、チアガールによる歓迎デモンストレーション。応援歌が会場に鳴り響き、乾杯・懇親へと舞台を移した。

17:40(第一部 交流タイム)
 予定の午後5時半を少し過ぎた頃、国際交流センター小林所長による乾杯となった。留学生らとビールやジュースを注ぎあい「カンパ~イッ」と交流タイムとなったが、先ずは腹ごしらえである。「最初に料理を運んで来てテーブルに並べてからゆっくり話をしましょう」という作戦が大当たり。途中で不足気味となった料理や飲物の影響は少なくすんだようである。
 ホテル側の会場設営の問題だろうが、料理を取りに並ぶ列が両端から始まり途中でぶつかり行き場がなくなる混乱もあり、なかなか料理が手に入らない状態が続いた。そして、落ち着いた頃には料理、飲物共に不足する状態になってしまったようである。近くにはボーイがいたが何もしないままボーっと立っているだけである。たぶんアルバイトの人集めなのだろう。(予算を睨みながら需給バランスを取るのが難しく悩ましい問題である)。
 交流タイムも最初の頃は遠慮もあり、ぎこちなかった会話も飲みながらそして食べながら次第に弾んでくる。留学生には大学生もいれば大学院生もおり、中には留学中に結婚し子供をもうけて家族で参加された方もいた。とにかくみなさんの猛勉強している姿に驚くと共に感動した。ある大学院生は日本で中国との橋渡し的な事業を始めたいとのことで準備を始めており、その構想も実現が近いようである。

18:00(第二部 日本の祭り)
 交流タイムは約30分と短く、せっかく盛り上がった会話が中断され、第二部となり日本の祭りを紹介する映像が大音響と共に流れ始めた。(交流タイムとメイン企画をどう配置するか、コンセプトが重要な鍵になりそうである)。  第二部では映像と実演で日本の祭を紹介する企画である。映像の時はさほどでもなかった彼等も祭の実演が始まるとさすがに舞台へと目を注ぐ。  「秩父夜祭り」の実演では大勢の留学生が舞台に上がり、実技指導を受けながら祭り太鼓の連打を共演したし、阿波踊りの列が入場してくると一斉に立ち上がり、踊り方のポイントを教わるとすぐに彼等も一緒になって腰を落として「踊る阿呆に見る阿呆、、、」と長い踊りの列が続いた。メインの企画だけあって会場全体で盛り上がった時間であった。
 踊り疲れて席に戻ると抽選会が始まり、学員や関係者からの寄付による品々の当選番号が読み上げられていく。留学生達は期待を抱きながら自分の番号を見つめ、ため息をつく。特に商品券、食事券、ディズニーランドのチケットの当選番号には大きな歓声が上がった。

19:15(第三部 自己紹介)
 第三部は留学生の自己紹介である。一人一人が舞台に出て、1時間程かけて全員の自己紹介が進む。最初の頃は大きかった拍手も最後の方はまばらになっていく。こういう時は先にやる方が勝ちのようである(果たして1時間かけて全員の自己紹介が必要なのだろうか、同じ自己紹介でも、もう少しやり方を考えた方が良いのでは)。

20:15(閉会)
 最後は応援団、チアガールと校歌を歌ってから、来年度の幹事の紹介と引継が行われ、お開きとなった。

20:30
 会場から出る留学生にお土産が配られ、フロアは満杯で混乱状況である。一方で誰も乗っていないエレベータが2台あり、会場での動線の把握と流し方が重要だと改めて感じた。そして、時間が長かった。こういう企画は少し物足りない程度が良いと思うのだが。

 以上感じたことを勝手に書かせて頂いたが、「予算」、「関係者の日程調整」、「会場の確保、しかも500名規模の会場」、これらをいつまでにやらなければならないのか、具体的な役割分担を明確にした実行部隊の設置が必要だと感じた次第である。
 当日参加された山崎会長・大谷氏、橋本氏・村岡氏からもご意見を頂き、更には来年以降も出来るだけ多くのメンバーに参加頂き、みなさんの意見から答を導き出すことになるのだろう。

以上
原 伸正

中央大学 同期会
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2004年新年会

2004年1月31日

 正月気分の余韻がわずかながら残る1月30日、49年白門会代4回目の新年会が、銀 座「高松」で、行われた。

 司会は、葛西氏が欠席のため、懇親会では、二回目の司会となる八王子市役所に お勤めの小林氏に受けて頂いた。小林氏は、場慣れをしておられ、軽妙な口調と タイミング良い進行をされ、、場の盛り上げでは、プロ級ではないかと思われる 程であり、参加された皆さんより絶大なる拍手を受けておられた。 参加者は40余名、理工学部出身の初参加者が、4名おられ、会の拡がりを感じさせ るものがあった。

 「高松」での新年会は、三回目となるが、前回まで地下の個室で行われていたの が、今回は、七階で行われ、新春の陽射しがふりそそぐ会場であった。 昼間のアルコールは、程よく効き、各自饒舌になったところで、参加された皆さ んの近況報告、あるいはこれからの抱負等が語られた。 そして、事務局より豪華なお土産が当たる福引が行われた(空クジなし)。 一喜一憂される人もいて、和やかな雰囲気であった。

 会も終焉になった時、副会長の山崎司平氏が駆けつけ、〆のスピーチを行ない 、校歌を斉唱してお開きとなった。 遠方から来られた村田さん(大阪)日高さん(宇都宮)お疲れさまでした。

 二次会は、銀座「ライオン」で20名弱の参加者があり、一次会の延長で話が 弾んだ。筆者、日本酒を少々飲み過ぎたこともあり、二次会での記憶が定かで ないので、この辺で割愛させて頂きたいと思います。

村岡 潤

中央大学 同期会

川越散策記

2003年11月15日(土)

 埼玉県川越市、西武新宿線本川越駅に10時30分参集した49白門会会員の面々は、会員の奥様を含む9名でした。今回の案内役は、所沢市にお住まいの井 美知子さんでした。井さんは、前回、鎌倉の散策にも参加されましたが、山道は不得意とのことで、バテ気味だったとのことですが、今回は、坂道のない街中の歩きで、最初から最後まで元気一杯、おしゃべり一杯で、現地に不案内な会員を案内していただきました。
 当日は、天気予報によれば、雨とのことでしたが、参加者の中に晴れ男(あるいは、晴れ女)がいたようで曇りがちながらそれほど寒くもならないほど良い天気に恵まれての散策を楽しむことができました。
川越は、ご存知のとおり、関東地方の都市では、街のたたずまいと賑わいから小江戸と称されています。小江戸には、他にも千葉県の佐原市、栃木県の栃木市があり、いずれも蔵の街として良く知られています。そのなかでも、川越は、徳川将軍家第三代の徳川家光の誕生した江戸城内の建物が、喜多院に移築され現在も現存するなど小江戸の代表格となっています。
 会員一行は、9名のこじんまりした団体ながら、川越市内は、道が狭いため、三々五々分かれての町中ハイキングとなりました。順路としては、観光ガイドブックにも載っている標準的なコースで、
本川越駅→中院→喜多院→川越城本丸御殿→時の鐘→駄菓子屋横丁→本川越駅
と川越市内の中心部を小さく一周しました。本年度の総会から、すでに五ケ月余りを経過しており、会員同士近況の確め合いながら話しに花を咲かせていました。
 喜多院では、徳川三代将軍家光公のご誕生の間を拝観したり、庭園の色づいた紅葉を楽しみました。折から、七五三の時期でもあり、境内では、綺麗な七五三の衣装をまとった親子連れが多く、子育ての終了した我々会員一同の目を和ませました。
 喜多院では、五百羅漢も有名で、たくさんに並んでいる表情の豊かな羅漢様を見ていると一日飽きずに眺めていられるような気がしました。
 この喜多院の境内の一角で、それぞれ持ち寄ったお弁当や売られているお団子を食べて昼食にしましたが、昼食の最中も、井さんを中心として、話題は、あちこちと飛びながらもお話の種は尽きずに和やかに一時を過ごしました。
 今回の川越散策の特徴は、買い物が多かったことです。歩き始めは、手ぶらの状態だった会員も終点の川越駅に近づくにつれ、手には、買い物の袋がぶら下がるようになりました。買い物の中身は、川越の特産味噌、漬物、名産のさつまいものお菓子、駄菓子などです。なかでも、川越いものお菓子を買うと無料で本物の川越特産のさつましも6個進呈というお店があり、多くの会員が買い求めていました。リポーターの私も買い求めましたが、お菓子もおいしかったですが、ふかしたさつまいもの方がよりおいしかったように思われます。ちなみに、無料進呈のさつまいもは、小ぶりで細く普通では売り物になるような品物ではありませんしたが、味は、非常によかったです。このさつまいもだけを買うこともでき、その場合は、袋に詰め放題で、200円でしたので、むしろ、こちらにした方が賢かったかもしれません。傑作だったのは、我らが会長の山崎さんが、菓子屋横丁で150円で買った長いガムです。このガムは、井さんの行きつけのお店で、菓子屋横丁の先のおじいさんとおばあさんの店でいつも120円で買っているもので、今回も、井さんは買っていました。そのガムがなんと、近くの「99円ショップ」で売っていると子供に言われたそうです。
 会員が集まると、大抵の場合は、飲み会が主で、会員はただただ酔っ払っていい気持ちになってご帰宅にあいなるということが多いと思いますので、留守家庭へのお土産一杯の川越散策は、歓迎されたのではないでしょうか。
 それほど長い行程ではなかったと思いますが、会員一同、足が重くなってきたころ、到着地点の本川越駅が近づいてきました。時は、午後3時半頃で、半日の街中ハイキングは終わりとなり、駅で解散となり、それぞれ、手にお土産を下げての帰宅となりました。
 川越散策は、なんといっても、井さんの活躍ぶりが目だっておりました。明るい笑い声をともなっての川越買い物案内ありがとうございました。 レポーターは、文学部の渡邊でした。

渡邊 秀和

中央大学 同期会中央大学 同期会
中央大学 同期会中央大学 同期会
中央大学 同期会中央大学 同期会

ホームカミングデー

2003年9月28日

 今日はじめてホームカミンデーに参加したが人出は春の観桜会よりも多く家族連れよりOBの人達が多かった。懇親会に出席したが春の懇親会同様アルコール類の品切れが開宴一時間余りで起こり手持ちぶさたになった。
 49白門会での新年会や総会後の懇親会では常に余りあるのに八王子でやる懇親会は小生が知る限りいつも途中でそれも一時間位で料理もしくはアルコール類がショートとなる。幹事のちがいかなー。
 しかし有志OBの拠出品による福引抽選会は景品が豪華でまたその前に行われる応援団のデモンストレーションは迫力があった。
 時間がある方一度見に来ては。

経済 村岡

大川端屋形舟情緒

2003年9月20日

 「49年白門会で屋形舟に乗ろう」という催しが8月9日に計画されたが、季節外れの台風10号の直撃で中止になってしまい、再度の企画となったのが9月20日。折しも台風15号が関東地方を窺っている時、柳橋「小松屋」周辺は今にも降出しそうな曇天に覆われていた。誰ともなく「確か設立総会の時は雷雨だったし、集まる時は結構雨が多いね」との言葉に頷くと、細かな雨が頬にあたりはじめた。「あっ落ちてきた」、「残念ね~」。でも柳橋はこの一角だけが昔の刻から切り貼りされたような趣きで、小糠雨が良く似合いそうな町である。川には色とりどりの屋形舟が揺れている。

 参加者18名が神田川に浮かぶ真っ赤に塗られた「第八小松丸」に乗り込み、定刻通り正午の出舟となった。外観に違わず船内も広くゆったりしているが、動き始めると思ったより揺れが大きい。風が強まり川面に細波が立ってきた。初めて乗る人も多く、不安そうな顔も見えるが、山崎会長の発声で「かんぱ~い」ビールがグビッ、グビッとみんなの喉を通り、プハーっとくれば不安もどこかに飛んで行ってしまう。

 今日一番の遠出は富山から駆け付けた浜手基親さん。富山の香りに地酒や蒲鉾等の土産を包んで参加された。一方、奥方を伴っての参加は山崎司平さんである。  神田川から柳橋を過ぎると其処は隅田川、多くの橋を潜り雨に煙る街並を遠目に進む。佃島、浜離宮を過ぎレインボーブリッジを見上げながら台場辺りに近づくとアンカーを降し暫く停泊となる。外にはウミネコが餌を求めて舟に寄り添うように鳴きながら飛んで来る。テーブルには天麩羅をはじめ種々料理が並びお酒も飲み放題となれば当然会話も弾む。

 だいぶお酒も進み舟の揺れも気にならなくなってきた頃、誰が歌い始めたか、カラオケ大会となっていた。「怪傑ハリマオ」「これが青春だ」等の懐かしい歌に続いて演歌、そして少し今風の歌も出る。
 歌声が一段落した頃、再び柳橋をめざして舟のエンジンがうなり、小刻みな振動が水上に居る事を改めて教えてくれる。
 いつも通りにお開きは校歌・応援歌。そうこうするうちに「こ~こは御江戸か~」と口遊むのを聞くと「神田~の街なら大学は中央~」とみんなで追いつき大合唱になる。

 遠くの岸辺に傘を差しながら、のんびり行き交う人々が見える。周囲の風景は変わっても大川端情緒と呼ばれた隅田川の風情はまだ残っているようで何となくほっとする。
 鮮やかな竿さばきに「第八小松丸」が着桟したのは二時間半後、篠突く雨が叩きつける桟橋で慌てて傘を開き「小松屋」まで走る。 
 雨足が更に強まる中を名残惜しくも柳橋を後にした雨男雨女の土曜日の午後であった。

原 伸正

中央大学 同期会

2003年総会

2003年6月28日

総会は新校舎10階からの眺望と共に

 平成15年6月28日午後、49年白門会総会が後楽園キャンパスに新築された3号館10階31008号室に於いて開催された。

 早めに到着したので、雨のキャンパスをぶらぶらしていると、理工学部出身の肥沼・石見両氏と出会う。二人は既に懐かしの校内見学を済ませた様であったが、改めて彼女たちの案内でキャンパス内を巡り、聳え立つ14階建タワーを見上げながら3号館ロビーに到着した。広々としたロビーで寛いでいると見馴れた顔が一人又ひとりと集まって来る。もう四回目の総会になるのかと、時の早さに感慨深げな顔がある。

 新校舎での総会には30名が出席、山崎会長の挨拶に続き石川晶雄氏が議長に選出された。議事録署名人には井美知子氏と小泉純子氏の紅二点を選出、中島章夫氏から活動実績が報告された後、後藤徳彌氏による明快な決算報告と木村真氏からの会計監査報告に異議なしの承認の拍手が響く。続いて事業計画案、予算案も承認された。事業部の増田勝美氏は今年も多彩な企画を暖めている様子である。寄付の件、留学生支援、関西支部設立等、今後の課題は多いがみんなで一つひとつを着実に解決して行くのが49会の強みでもある。

 懇親会は二年前と同じ5号館の食堂で名古屋から参加の加納幹郎氏の乾杯で始まった。小林隆宣氏の軽妙な司会につい乗せられてしまった人達の語り口に笑い声が響く、早過ぎる時間の経過を惜しみつつも校歌・応援歌と場面は進み、二次会に出られない方々を代表して再び加納氏の三本締めでお開きとなった。  二次会は近くの丸八に二十余名が参加、ここから葛西氏が加わり宴は再び盛り上がった。酒瓶が次々と空になりつつも、富坂辺りに夜の帳が下りる頃、長く続いた宴も散会となった。各々の三十余年前を通り過ぎた風の香りを想い出しながら三々五々家路についた。

原 伸正

中央大学 同期会

2003年新年会に寄せて

2003年1月25日

 この冬は当初、暖冬と予想されていたが元旦から3日連続の雪が舞う平成15年、新年の幕開けとなった。今年は例年の寒さとは大分違うようだ。それはまさに、先行きの見えない長いトンネルに入り込んでしまったわが国の厳しい経済状況を気候が感じ取ったのかもしれない。

 今年もわが母校の先輩のご好意によって、銀座San-mi高松で新年会が開催された。 今年も見慣れた顔が有楽町駅の方面からやってきた。皆変わりはなさそうだ。元気そうに見える。  新年会の準備にと多くの会員が早めに集合してくれた。会場の設営を待つ間にロビーは49年白門会で埋まってしまった。すでに新年会は始まっている。そんな雰囲気が溢れていた。
 「恒例となった」とは、かなり長い時間が持てた会の言葉かもしれないが、3回目の新年会とはいえ49年白門会は、まさに恒例に従い葛西さんの味わい深いやさしい語り口によって新年会の幕が開けられた。

 今年は昨年に比べても、43人と参加者が多く新しく参加してくれた仲間も5人と女性の参加も多く賑やかな集りとなった。山崎厚太会長の挨拶に続き、参加者を代表して石川さんの乾杯で再会の喜びを噛みしめ、会食に入った。  各テーブルには食べ物や飲み物とともに昔話の山盛りがあって、零れ落ちてしまうのではないかと思うほどだ。
 初めて参加した仲間の自己紹介での一言一言は、頷かずには居られない説得力と迫力があって心を熱くもした。また、遠方から参加しくれた3人のその熱意に頭が下がり、49年白門会を支えることの意味を改めて考えることが出来た気がする。
 ある友は言った。「マンネリ・・・」と毎年繰り返しされる事になるだろうテーブルから零れ落ちるほどの山盛りの昔話はまさに「大いなるマンネリ」かもしれない。 365日分の1日を心から楽しむために、今日もビンゴゲームが待っていた。多くの参加者から景品の寄付があった。まだまだ冷めてはいない遊び心と闘争心を1枚のカードに託し、お酒の量と時間が加算され、名残の時間は酒量とは反対に次第に少なくなってきた。
やっと打ち解けてきたころ、母校の校歌が参加者ひとり一人を包み始めた。草の緑が目に浮かんだ。

 外に出ると冬の冷たさが数奇屋通りに吹き溜まっていた。さて、二次会は何処でしたな。懐かしい友とともに飲む今宵の美酒は、時の歩みを止めさせてでも酌み交わしたいものだ。
また、来年も元気で皆に会いたい。新年おめでとう。

 平成15年1月27日
小林隆宣

晩秋の古部を歩く

 国宝探訪とハイキングを兼ねて晩秋の古都・鎌倉へ11月9日(土)に行ってきました。事業部長の増田氏をリーダーに、美女2名を含む総勢10名で、北鎌倉駅から鎌倉駅までの約10㎞のお寺巡りとハイキングで心地好い汗をかいた1日でした。

 紅葉はまだ三分といったところの円覚寺が最初の訪問地。
 「教科書に載ってたよね」「北条時宗が建立した寺だったっけ?」等、気分は修学旅行。東慶寺では文学者のお墓や、尼寺の風情をかもす境内に佇んでいると、時間がゆっくりと過ぎていきました。
 天気も小春日和の穏やかな日で、陽が出ていると汗ばむ陽気。思ったより人出が多く、行く先々は我々の世代より少し上のグループで賑わっていました。

 東慶寺を後にして向かったお寺は建長寺。「禅」のお寺として有名で、当時新しく伝わった禅を学ぶため、各地から憎が集まり日本仏教の流れを大きく動かした、という増田氏の説明は、含蓄のある語り口で、女性陣の尊敬のまなざしを集めていました。境内では法堂の天井画「雲龍図」が特別公開されていました。畳80畳の広さの天井に描かれた龍は、下から見ると、見る角度によって全く違って見え、龍の眼光の迫力に圧倒

 建長寺の奥から天園ハイキングコースが始まっています。スタートは平坦で竹林等があり、京都の嵯峨野を思わせる感じで、大した事はないと、内心思っていました。しかし、ものの5分としないうちに勾配がきつくなり、展望台手前では急勾配の石段が続き、日頃運動不足の小生にとっては、息は切れるは、足はつりそうになるはの大苦戦。
 相模湾を見下ろす展望台で昼食をとりました。休憩後、頂上を目指して出発したが、幹事長の中島氏が持参一してくれたワインをたらふく飲んだせいか、急勾配の石段や坂道の連続で、10人の列がいつのまにか長くなってきた。賑やかな女性陣の声も、いつしか聞かれなくなり、ひたすら足元を見つめての前進のみ。
 頂上からは起伏のある尾根伝いを歩き、時々見え隠れする晩秋の陽に照らされた相模湾や、風の音、鳥の声を楽しむ余裕が出てきた。しかし、下りは下りでかなりきついところもあり、滑って転んだり、道を聞遅えたりしてやっとの思いでハイキングコースの終着地・瑞泉寺にたどり着きました。3時間半のハイキングでした。

 鎌倉宮と鶴岡八幡宮は七五三のお祝いの親子連れが目に付きました。大混雑の小町通りを散策し、午後4時前に鎌倉駅前で解散。5人はそのまま駅前の居酒屋に直行し、反省会を兼ねて次回のハイキングの計画について話し合いました。

中央大学 同期会中央大学 同期会

村岡 潤

2002年ホームカミングデー

明け方まで降っていた雨も上がり、初秋の太陽が覗いてきた9月29日(日)第13回中央大学ホームカミングデーが行われました。

 いつもは多摩校舎の木も紅葉が始まって、秋らしい装いの中でのホームカミングデーなのですが、今年は学長選挙のため半月早めての開催で、木々はまだまだ青々としていました。少し蒸し暑い気候の中、多摩キャンパスには続々と卒業生が集まってきました。今年は例年と違い懇親会の参加費が無料という事で、昨年よりは参加者が多いようでした。会場のレイアウトもいつもと少し違っていて、すっきりした感じでした。

 懇親会は午後1時から始まりましたが、午前中に開かれた開会式では記念すべき事がありました。我が49年白門会の会長である、山崎厚太氏が親子三代卒業生として表彰されました。父・敏也氏(法学部)、本人・厚太氏(経済学部)、娘・厚子さん(商学部)の三代が中央大学卒業生(厚子さんは在学中です)として、今回1組だけ表彰されたのです。

 懇親会の会場には、山崎会長の奥様と息子さんも加わり、一家全員が参加されました。例年通り1卓を陣取り、49年会の幟を掲げたテーブルに15名の会員が集まりました。会場は外と同様、少し蒸し暑く、上着を脱いでの懇親会になりました。料理も酒も十分あり、お互いの近況報告に話が盛り上がりました。 恒例の抽選会は、今年も昨年同様、同期からは当選者が出ませんでしたが、そんな事は気にならず、司会の葛西聖司さんを囲んでの記念撮影をしてお開きになりました。  会場の外は、陽射しは暑かったが風は秋の香りがしていました。

広報部

2002年総会

49年白門会平成14年総会開催

 6月29日午後2時半、まだ開会まで30分もあるというのに、駿河台記念館3階フロアには学生に混じって見慣れた五十路の顔、顔、顔。
 49年白門会総会の日である。設立総会を1回目と数えると、今回は3回目の総会となる。即ち、段取りは早いし、テンポも軽く、流れるように準備は進んだのである。

 設立総会は途中からの凄まじい雷雨の中で、それぞれが緊張した面持ちでぎこちなく進行していたのを想い出す。2回目は雨が降ったり止んだりの理工学部校舎での総会だった。そして今日は曇天ではあるが、雨は何とかもちそうだ。周囲を見ると皆の目は既に学生時代に戻っている。出席総数40名、本日から事業部所属となった梅田真人氏の司会で定刻の開会となった。
 議長には安藤正幸氏が選出され議長席に着いた。議案の前に、石見望、肥沼敏子両氏が議事録署名人に選任され、議事に入る。

 議題は例年通り、①平成13年度事業報告および決算、②平成14年度事業計画および予算案、③役員改選である。安藤議長の指示により各担当役員が議案説明を行い、大きな拍手で承認されていく。役員改選は今回が初めてでもあり全員が再任となった。

 山﨑厚太会長からは、一人でも多くのメンバーに参加してもらい、全員でこの会を運営していきたいとの抱負が語られた。また各部には数名ずつ幹事が増員された。次期改選期にはこの中から何人かが役員になるのであろう。最終議題の「その他」では、母校125周年記念事業への寄付について質疑応答があり、「10年の年賦払いとする方針」と「金額については別途協議すること」を確認した。総会終了後は懇親会に出席されずに帰る方もおられる為、全員で記念撮影となった。

 懇親会は総会と同じ部屋の為、暫し外に出て待機。準備が整い、司会は大阪に転勤になった葛西聖司氏が久しぶりに登場。開会挨拶は荒木康裕氏。そして理工学部の山田正教授からの「縮み傾向の日本に喝を入れる」憂国の心情を熱く語る口調に、一同思わず聞き入る。同教授の乾杯の発声で開宴となり、早速仲間同士がテーブル間を行ったり来たりと時が過ぎていった。
 今回初参加の加納、三溝、増澤、高木の4氏の紹介が行われ「笑驚感羨」。お開きも近づき、板倉英行氏が前へ出ると待ってましたとばかりに校歌斉唱。そして応援歌と続き、最後は対馬から東京勤務に戻られた渡邉秀和氏の言葉でお開きとなった。

 後ろ髪を引かれる24名は二次会へ繰り出した。心地よい酔いに身を預けた面々だったが、翌日に余韻を残した方も居られたのではないだろうか。さあ、次の催しにも是非みんなで集まり、揃って昔に帰りましょう。

経済学部 原 伸 正
中央大学 同期会

H14年観桜会

 雲が重く、たれ込めていた午前中と打って変わって、午 後は一変して晴れ間が広がる今年の観桜会でした。 肝心の桜は、3月の異常高温の影響でほとんど散り、葉桜 の緑が眩しく映え、むしろ「新緑を楽しむ会」と言った ほうが、合っているように思えました。

中央大学 同期会

懇親会は、今回会場を一号館の会議室から、ヒルトップ 4F「スエヒロ」に移して行われました。料理、アルコール の内容は、前回、前々回に比べ、質、量ともに充実した感 がしました。
 49年白門会は、山崎会長をはじめ11名の参加 があり、なかでも遠方(名古屋)から今回初めて49年白門会 の行事に出席された加納さん、ご子息とお見えの井さん また当日午前4時過ぎ迄事務引継ぎのお仕事をされ、仮眠 後に駆けつけてくれた佐藤さん他遠方、多忙、万障繰り 合わせて参加された方々の「49年白門会」に対する思い入 れを感じぜずにいられませんでした。
常連の増田さん、原さん、後藤さんのお顔を拝見出来なか ったが少々寂しく思えました。

経済学部 村岡 潤

H14年新年会

2002年1月26日(土)

 今にも冷たい雨が降りそうな冬の土曜日、銀座の街を新年会会場の「Sun-mi高松」に向かった。途中のお店のドアーにも「白門○年会」の文字があり、各支部の活動状況が分かる。会場の「Sun-mi高松」にも、白門34年会が同時刻に新年会を開いていた。この店の社長が中央大学出身で、中大関係者に便宜を図ってくれてるからだという。

 昨年は大雪だったが、今年は銀座という華やかな場所で、40名近くの会員が参加した。中に、どうも同期とは一回りも年齢の違う人が二人混じって開会を待っていました。通信制の同期かと思いつつ、ひょっとしたら上の階でやってる34年会かと思い、幹事がやんわり尋ねたところ、やはり34年会の人だった、という一幕もありました。反対に、我々同期の人も、34年会の会場に行った人も数人いました。勿論すぐ気が付いて、49年会の会場にきましたけど…。

 午後3時過ぎから司会をいつもの葛西聖司さんにお願いし、会が始まりました。昨年の新年会に香川県の善通寺市から参加された高嶋重利さんが、5月に亡くなられたので、会の最初に黙祷を捧げました。山崎会長の挨拶と乾杯が済んで、歓談に入りました。初めての参加の人も多く、最初こそぎこちない様子でしたが、5分もたたないうちにすっかりなじんでいきました。恒例のビンゴゲームで盛り上がり、校歌を歌って6時前にお開きになりました。

 今日は土曜日、明日は休日、場所は銀座とくれば、このまま帰るわけにはいきません。近くのビアホールのライオンに20人で予約を入れていましたが、24人が2次会に参加。かなり狭い部屋での飲み会になったが、それはそれでかえって話し易く、大いに盛り上がった銀座の夜でした。

 お店を出ると、やはり外は冷たい雨が降り始めていました。でも、お酒と心地好い興奮で心も体も暖かく、別れを惜しみながら家路に就きました。

大竹力三

ホームカミングディ

2001年10月28日(日)

 前日の秋晴れから一転、冷たい秋雨の降る午後、第12回中央大学ホームカミングデーが多摩校舎で行われた。

 悪天候のためか昨年よりも会場には人が少なく、昨年はすぐになくなった料理や飲み物も余るほどだった。

 わが「49年白門会」は一つのテーブルを陣取り、幟を立てて同期の結集を目論んだ。その結果入会者が1名、今まで総会や新年会に参加したことがなかった会員が6名も集まり、総勢18名の大軍団になった。

 樽酒の日本酒やワインを片手に、近況報告や学生時代の話で、2時間が過ぎていった。残念ながら今年は、恒例の福引きでは同期からは一人も当選者が出なかった。

大竹力三

グルメの会(設立準備行)

蕎麦と饅頭は神田に限る!

8月4日土曜日の午後、御茶の水聖橋のたもとに、女性二人を含む49 会の有志12名が集った。今後の事業企画の試みとして、グルメ巡りを計画したのである。

ラフな格好で集合したが、お互い年は隠せない。葛西聖司氏を案内人に、ぶらぶらと炎天下の神川の町並みを歩き始めた。洋食『松栄亭』を過ぎ『かんだ藪蕎麦』の気取った店内を窓越しに眺めながら、目的の『神田まつや』へ向かう。

土曜日の午後なのに店は満員。空 いた席からパラバラに卓に着く。「取りあえずビール」がとにかく旨い。気がつくと昼間だというのに冷酒の徳利が並び始めた。つまみは葛西案内人お勧めの「棒鰊」「焼き鳥」等々。

中央大学 同期会

いつの問にか背中合わせの2卓に12名が揃っている。こうなると、酒量もドンドン進む。葛西案内人から「つまみも美味しいから蕎麦は最後。次の店があるからたくさん食べちゃダメ」と言われていたが、我慢できずに橋本氏とこっそり「ごま蕎麦」と「もり」を頼む。すると、瞬く問に全員が蕎麦を注文し始めた。水切れの良い蕎麦をズズズっと畷る音が響き渡り、酔いも手伝いなんとも言えない優雅な至福の時間であった。

『まつや』を出て、ほろ酔い気分 のまま、あんこう鍋『いせ源』の向かい『竹むら』で口直し。揚げ饅頭、あんみつ、汁粉と食欲旺盛、口数多しの同期たちであった。

この数時間で学生時代に戻ったように、話題は尽きなかったが夕刻になり、次回「グルメの会」の構相を抱きながら散会した。

原 伸正

2001年度総会

2001年6月30日(土)

 「49年白門会」が発足して1年。21世紀最初の総会が後楽園の理工学部校舎で開催された。当日は、時々サッと雨が降ったかと思うと、カーッと陽が射したりする蒸し暑い梅雨空でした。
 5月の学員総会で授与された「49年白門会」の支部旗を壇上の黒板に掲げ、午後3時から35名の会員の出席のもと総会が始まった。

 来賓の学員会事務局長の佐藤信昭氏より「設立して1年間、順調に運営されていることに敬意を表する。また継続することが重要である」という言葉をいただいた。予定された議案は全て拍手で可決された。
 大阪から参加された村田章さんから、関西方面で分会を作りたいという提案があった。

 引き続き会場を食堂に移し、懇親パーティーが開かれた。40名が出席し、一人ずつ全員が近況を述べながら自己紹介を行った。恒例のビンゴゲームもあり、最後は校歌を高らかに歌いお開きになった。

大竹力三

観桜会

2001年4月8日(日)

 春うららかな快晴の下、中央大学多摩キャンパスにおいて、毎年恒例の観桜会が行われた。山崎会長を始め18名が参加しました。

 今年は、例年より桜の開花が早く、当日は満開のピークは過ぎていました。散り始めた花吹雪の中、淡いピンクの花びらの絨毯を踏み締めながらの観桜会になりました。

 午後3時より1号館で懇親会が開かれました。気温、湿度共に冷えたビールにはもってこいで、五臓六腑に染み渡りました。 新年会以来の再会で、近況を報告しあったり、雪の新年会の話題で1時間半は瞬く間に過ぎていきました。

大竹力三

新年会

2001年1月27日(土)

 当日、関東地方は朝から雪だった。既に都心では積雪が8センチ。午後からは風が強まるという天気予報だった。

 定刻の午後4時に会場の中央大学市ヶ谷キャンパスに集まったのは、参加予定者36名の内24名。長靴姿がピッタリはまった姿に50歳という年齢を感じた。 30人目の同期が到着したところで新年会がスタートした。話題はもっぱら今日の雪。結局、雪で参加できないと連絡があったのは3名で、33名が出席した。

 新規に加入された会員の方もおられ歓談の輪が咲いた。おでんや熱燗等暖かい物が好まれ、どの顔も紅顔。長靴姿で飲み交わす光景は学生時代のバンカラスタイルそのもので懐かしいものがあった。  最後は輪になって肩を組み「惜別の歌」を歌ってお開きになった。

大竹力三

ホームカミングディ

2000年10月8日(日)

 秋晴れの日曜日、多摩キャンパスで「第11回中央大学ホームカミングデー」が行われた。昨年は私達49年卒がメインゲストとして招待され、同期会の会員を132名集めたものでした。

 午後1時からの懇親パーティーには、7月の設立総会後、初めての同期との再会に、山崎会長を始め14名の会員が集合しました。  会場には設立総会で使った看板を持ち出し、テーブルの上に置き、支部の設立をアピールしました。パーティーの司会は、同期のNHKアナウンサーの葛西聖司さんだったので、49年白門会の宣伝をしていただきました。

大竹力三

設立総会

2000年7月2日(日)

 今夏の猛暑を予感させる梅雨の晴れ間の暑い午後、御茶の水にある中央大学駿河台記念館に、昭和49年卒業の同期が26年振りの再会に期待と興奮の面持ちで続々と集まった。その数60余名。  定刻の午後3時を前に、会場の受付では様々な再会のドラマが始まった。懐かしさの余り絶句する人、26年の空白を一瞬にして埋めてしまう人、人、人。

 総会の議事は、緊張の中で厳かに進行した。予定された議案は全て“異議なし”の声が出て拍手で可決された。選任された初代会長の山崎厚太さんが壇上に立ち、49年白門会の設立が宣言された。

 引き続き、会場を別室に移し懇親パーティーが始まった。司会をNHKのアナウンサーとして活躍している葛西聖司さんが引受けてくれ、洒脱で軽妙な進行で会場は26年前の学生時代にタイムスリップした感があった。テーブルを囲んでの歓談は食べることも忘れ、2時間がアッという間に過ぎてしまった。最後は応援部にいた松村さんに締めとしてエールをやっていただきお開きになった。

大竹力三