忘年会

 2010年12月4日(土)

小春日和の12月4日・土曜日、表参道のとあるビルの地下1階で49年白門会の忘年会が開かれました。

 この日は午前10時から役員9人が御茶ノ水記念会館に集まり、会報の発送のために集まりました。1時間の作業後新年会などのことを話し合い、6名が地下鉄の千代田線に乗って表参道に向かいました。
 地上に出ると師走とは思えない穏やかな日で、行きかう人もさすが「表参道!」という感じの人達ばかり。青山通りを渋谷に向かって約3分、青山学院の前の「青山オーバルビル」地下1階に目指す「ろくまる五元豚青山店」がありました。実はこのお店、カメラマンの高橋和幸さんの二男が店長をやっているお店。1時から開始の会だったが、12時半には着いてしまった6人は、別会計で役員会の打ち上げと称してビールと2,3点のおつまみで先ず一杯。
開始時刻の1時には予定の一人を除いて15名が集合で乾杯。遅れた方も15分後にはやってきて2回目の乾杯。山崎会長の挨拶で忘年会は始まった。高橋さんのおかげでメニューに有る全てのお酒が飲み放題。ビール、ワイン、ウイスキー、焼酎、日本酒と追加追加でアルバイトの学生さんは大忙し。いつの間にか店内にはお客はいなくなり我ら16名だけ。ランチタイムは2時半までなのに我らは4時近くまで大宴会。
 会報の配布日で、その会報を見て話は盛り上がった。「会員からのエッセー」に寄稿した長瀬さん夫妻も参加していたため、その内容(会報で確かめてください)で30分以上の大論争。熱々夫婦に当てられ飲み過ぎで料理は入らないと言いつつ、野菜と一緒に食べる豚シャブが美味しかった。最後のデザートまできれいに食べて5千円とは、店長相当無理したみたい。高橋さん感謝です。
  予定時間を1時間近くもオーバーしてお開きになった。最後の締めは高橋カメラマンによる記念写真で決まった。新年会での再会を約し一本締め。
外に出ればまだまだ明るい。地下鉄の駅に歩いて行くうちに「新潟からやってきた松平さんのためにちょっと一杯行こう」という高橋さんの提案で6人が表参道の方へ行く。まだ4時なのでお店が開いてない。脇道にそれてもうこの先に店はないだろうと思ったところに1軒、らしきお店を発見。満席だったのでお店の前のテーブルでチーズとワッフルでワインを1本空ける。パリのカフェテラスみたいな雰囲気だったが、アラカンの男6人がワインを飲んでいる図は異常。そこは有名店みたいで(店名不明)若い女性が、必ず我々を一瞥して次々と入っていく。店内を見ると女性ばっかし! 通りにも5時前からイルミネーションがともりますます雰囲気はシャンゼリゼ!
5時過ぎに席を離れ表参道に出るとそこは光の海! これがうわさに聞く表参道のイルミネーション。表参道の両脇の街路樹を鮮やかに無数の光が飾っていた。道路も歩道も車と人で満杯。携帯で写真を撮る人にぶつかりながら、原宿までアラカン6人衆が千鳥足で歩く。通り沿いのカフェは若いカップルや女性達で満席。こうして2010年も暮れていく。

広報部
忘年

浅草寺参拝と大菊花展散策

2010年10月16日(土)

 正に秋晴れの好天に恵まれ半袖が良かったという1日でした。
遠方からは名古屋から加納さん、新潟から松平さん、いつもご夫婦で参加の山﨑司平 ご夫妻、初参加のアテネフランセで勉学中の平田さん、等総勢18名のお上りさんご一行です。
予定外で事業部長の小澤さんが中大附属高校の同級生で「花やしき」の中の全飲食店をプロデュースしている宮下さんから「花やしき」の入園券+乗物券3枚1,900円相当の招待券を頂きましたので、これが大受けでした。

浅草駅12:00集合、年配者の集まりはさすが予定より早く集まります。
そこから東京スカイツリーを右手に見ながら浅草寺参拝と大菊花展と行く予定が菊は咲いていませんでした。ガッカリ。 しかしながら菊はなくとも浅草寺の仲店通りは人人人で大賑わい、両脇の店も珍しいものばかりで目移りがしてしまいます。仲店通りだけ回っても飽きずに時間はつぶせます。 途中浅草寺の改築現場を覗きながらいよいよ「花やしき」です。
最初に宮下さんの店でビールの乾杯。周りは幼稚園ぐらいの子供連れの家族ばかり その中で60前後の年寄り17名が集団で昼間からビールを飲んでいる。一斉に冷たい視線が向いてきました。
さすがにいづらくなってすぐに乗物へ。先ずBeeタワー、これはワイヤーでつるされた5~6人乗りの箱形の乗物が回りながら上へ上がっていき、あたりが一望に出来ます。
次はスリラーカー、お化け屋敷の中を2人乗りの車がレールの上を走ります。 真っ暗な中で思わずキャー。最後はローラーコースター、ジェットコースターです。 井さんがどうしても乗りたいといって譲りませんでした。 狭いトンネルの中に突っ込んでいくので迫力満点です。 大変楽しかったです。
宮下さんこの場を借りて御礼申し上げます。

降りたところで懇親会場「大黒家」へいく時間が迫ってきました。 ここは天ぷらの老舗、白門46会の丸山さん経営です。 ここで後藤さんと合流18名がそろいました。 話がはずむ中、山﨑司平さんご夫婦のなれそめの話が出ました。一同そうだったのかと納得。 最後に元海上保安庁の石川さんから、自分も尖閣諸島で中国、台湾漁船と対峙したとの話もあり、あっとゆうまの2時間でした。 集合写真は高橋プロさすがに被写体が良く写っています、 大変立派な部屋でゆったりと過ごせました。丸山会長ありがとうございました。

童心に返った一日でした。

山﨑 厚太
浅草寺参拝と大菊花展散策

ビアパーティー

2010年7月31日(土)

 今年も夏恒例のビアパーティーの季節がやってきた。
 七月三十一日の土曜日正午、銀座中央通りから一本入ったところにある隠れ家的なレストラン「ライオン銀座二丁目店」に三々五々メンバーが集まってくる。その時一名から電話が入った。近くまで来たというので迎えに出るが中々会えず、しばらく探したあげく、ついに遠くに姿を見つけ無事到着。でも、依然として参加予定者十四名の内二名が来ていない。
 定刻十五分遅れのスタートとなり、山﨑会長の乾杯の発声でビールを飲み干す。イベント初参加の会員も古くからの会員もアラカンとは思えぬ勢いで料理を口に運んでいく。ライオン伝統の「チキン唐揚げ」はやはり絶品だ。こうして飲み放題付きのパーティーはアッという間に二時間の制限時間を迎えたのであった。
 後日談だが、二人の内一人は完全なる失念で、もう一人はキャンセルのメールを入れたそうだが届いていなかった・・・ということらしい。なんでも当日は神輿を担いでいたとか。

小澤 秀敏
ビアパーティー

2010年総会

 2010年7月3日(土)

 7月3日の総会とそれに続く懇親会は10年ぶりに駿河台記念館で開催されました。
 この10年間総会は主として後楽園校舎や市ヶ谷の専門職大学院校舎を活用してきましたが、やはり駿河台が集まりやすいだろうと言うことで、今回は久しぶりに回帰したものです。
10年立ちますと当初お見えになっていた方で残念ながらお亡くなりになった方がおられる一方、新しくご参加される方も増えてきました。特に昨年度は10周年記念総会も行われた結果、11名の方が新たに会員となられました。写真は駿河台記念館の1階レストランプリオールでの懇親会の模様です。当日参加されなかった皆さん、どなたかお知り合いの方はいらっしゃるでしょうか。
 49年会の行事はこれからも続きます。次回はご都合がつけば是非ご参加下さい。

会長 山﨑 厚太
中央大学 同期会

明治神宮菖蒲園散策

 2010年5月22日(土)

 初夏を思わせるような日差しの中、若者で賑わう原宿駅に場違いなおじさん達十一人が集合。ところが予定の十二時を過ぎても、一人連絡なし。本人宅に参加の意思確認、奥方より余裕を持って家を出たとのこと。勘違いによる三十分遅れで改札口へダッシュ。全員そろい、いざ目的地へ。

 ところが、今年は寒さで菖蒲は全くなし。中にはせっかち菖蒲がありきと思ったが、人間と違い、そのような菖蒲はなし。仕方なく菖蒲園を後にし、本殿にて参拝。その時、珍しき光景に遭遇、挙式を挙げた晴れやかな若いカップル一行の境内を練り歩く姿に、一同しばし足を止め見とれる。そして、明治神宮を後にし、懇親会場の代々木駅前の居酒屋「土風炉」に向かう。約一時間の散策により、しみ込むようにアルコールがほされ、華やいだ談笑に包まれる。予定の三時間が、あっという間に過ぎ、一同、心地よい余韻を残し、代々木をあとにした。

中島 章夫
明治神宮菖蒲園散策

湯島聖堂、神田明神、湯島天神梅祭り

 2010年3月6日(土)

あいにくの雨にもかかわらず、今回は19名が参加しました。
お茶の水駅聖橋口に12時に集合、今回初めて参加した人もいるという事で自己紹介の後、聖橋を渡り近くの湯島聖堂へ歩いて行きました。

 元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟で、日本の学校教育発祥の地の湯島聖堂を見学、たまたま筑波大学の彫刻の展示会が行われていたので、同時に見学しました。

 小雨の中傘をさし、各自色々な事を話しながら次の神田明神迄歩いて行きました。久しぶりに会った同期の人達と会話しているとあっと言う間に目的地に到着。

 神田明神では、展示場で昔からの祭りに関する風景の写真や錦絵を見たり、神輿や山車の展示物を見たりしました。神田明神は浅草の三社祭、赤坂の山王まつりと共に東京の三大祭の一つで、勇壮な神輿が神田の街へ繰り出す事で有名ですが、写真や錦絵に描かれた情景を見ていると京都の葵祭等に似た祭が行われている様にも思えました。

 最後の目的地の湯島天神では、私達と同様境内の梅鑑賞のために来た人と受験の絵馬を求める人や合格の報告に来た人で賑わっていました。前日は晴天でしたので一日ずれてくれたら、さらに梅の花や香りが楽しめたのではと多少残念でした。

 昼食を兼ねた飲み会は、御徒町の吉池デパート内の食堂で行い、学生時代の思い出、仕事の関連や各自の状況等を話し合い楽しい一日を過ごしました。

理工精密 柴田 明
湯島聖堂、神田明神、湯島天神梅祭り

2010年新年会

2010年1月30日(土)

 毎年1月最後の土曜日に開催される恒例の新年会。今年は穏やかな陽気の昼下がりに、銀座sun-mi高松にて午後3時から開催されました。
 開会前から、話の輪があちこちで出来る和やかな雰囲気が既に出来上がり、定刻の3時少し過ぎに、中島幹事長の発声で開会しました。
 まず山﨑厚太会長が挨拶に立ち、「昨年は、我が49会の10周年記念総会を挙行しましたが、これを機会に会員拡大を目指して、封筒を色つきの大型にしたり、携帯電話のメール配信を始めたりという努力のおかげで、会員が増えると同時に、連絡もつきやすくなり、今日の参加者は少なめの33名ですが、85名の方々から出欠のご返事をいただきました。」との報告がありました。
 今回初参加の会員は6名でしたが、ご夫婦で参加された長瀬さんにお話しを伺いました。奥様は文学部、ご主人は商学部のご出身ですが、在学中に校門で出会ってからお付き合いが始まり、卒業直後に結婚されたという、遠い昔の馴れ初めを話してくださいました。
 大竹幹事の乾杯で始まった懇談に続いて、オークションの始まりです。
 本学125周年の寄付金を集めるために始めたオークションも今年で4年目となり、自作の陶器やマフラーの出品があったり、遠く富山県氷見市在住の浜手会員が地元の物産(目録)を提供してくれたりと、多彩な出品に大いに財布のひもが緩んだところで、最後に高橋会員の出品した公式卓球ラケットと四元選手らの色紙のセットが人気を博し、どんどん競り上がって、15000円という最高価格で落札されました。
 今回のオークションの収益は88500円となり、全額大学に寄付されます。
 中締めは、山﨑司平副会長の1本で締めて、暫時散会となりました。その後は、話の尽きない面々は二次会へと銀座の街に繰り出しました。

益田 耕二

2010年新年会

石神井公園野鳥観察の会

2009年11月28日(土)

 11月28日(土)11時に西武池袋線の石神井公園駅に初参加の会員も含めて14名が集合した。「石神井公園野鳥観察の会」という49会の事業部企画だ。
 今回の散策のガイド役は日本野鳥の会の会員でもある我等49年白門会同期の茂木氏にお願いした。師走に近い11月下旬だったが、小春日和の穏やかな天候にも恵まれ、早速茂木氏を先頭に石神井公園を目指して出発した。
 ゆっくり歩いても10分もかからずに到着し、まず入り口で公園の概要を茂木氏から説明を受けてから散策のスタート。都心の池袋から急行で10分の駅から、ほど近い公園内は緑が多く都区内とは思えない自然があった。
    公園内は水辺が多くまずカモ類が目に入った。茂木氏の説明で皆一斉に持参の双眼鏡を向けたが、やはり一番活躍したのは茂木氏が持参した三脚に固定した高倍率の観察用スコープだ。皆で代わる代わる覗いたが、一見同じように見えるカモ類も、マガモ・オナガガモ・ハシヒロガモ・コガモなど色々な種類があり、雌雄で色だけでなく大きさもずいぶん違うことを確認できた。
 途中遅れて参加となった1名も無事合流できて総勢15名になって、一行は更に公園の奥の三宝寺池に向かった。そこではアオサギやゴイサギも視認でき、その長い首を伸ばした姿だけでなく首を縮めて休んでいるところも観察できた。またゴイサギの名のいわれも説明を受けて、やはりガイドがいると心強いと一同感じた次第。水辺から林の方へ移動すると木々の間からツグミなども鳴き声とともに姿も観察できた。いつもは何の鳴き声か分からずじまいだったのだが、鳴き声と鳥の名前を確認できたのは、大きな収穫だった。茂木氏は毎週のように石神井公園で観察を続けていて、今日は野鳥が少ないと言っていたが、我々はずいぶんたくさんの野鳥を観察できて大いに満足。
 公園を後に駅方面に戻り、駅そばの中華料理店で遅い昼食を兼ねた懇親会になった。山﨑会長の乾杯発声で流し込んだビールは、3時間で8千歩の散策を終えた喉には爽快で、料理も瞬く間にたいらげることができて、予定通りの3時には解散となりました。

石川 晶雄(経)
石神井公園野鳥観察の会

ホームカミングデー報告

2009年10月25日(日)

入会して初めてホームカミングデーの報告を書くことになった。
こういう報告は、一番に多摩キャンパスに行かなければ書けないはずなのに、午前11時前にやっと到着、記者がこんなことで申し訳ない!

 前日から少し天気が下降曲線に入っていたが、当日朝起きると、昨年同様あいにくの冷たい雨、これは参加者が少なくなるかなあ!と心配しながら多摩キャンパスへ。予想通り何となく参加者が少なく感じられる。
 こんな悪天候の中、我が「49年白門会」の突撃隊石川さん、宮川さん、渡邊さんが赤い目をこすりながら、午前8時開門と同時にメインステージ前の一番良い場所に49会の旗を掲げ、テーブル3、椅子10数個確保、おかげさまで続々集まる会員も、座って食べたり飲んだりしながら盛り上がることができる。

 いつの間にか気がつくと雨があがっている。今年は、当日新たに入会された方や今まで総会や新年会に参加したことのなかった会員4名が49会の旗の下に集まってくれ、会員だけでも総勢24名、こうして初めての方が参加してくれることはとてもうれしいことだ。
 その新しい会員も一緒になって盛り上がる。今年もはるばる新潟から息子さんと一緒に参加した松平さんが、一升瓶の「立山」を差し入れながら盛り上がりに火をつけてくれる。

午後からは、我が49会のマドンナ井さんが昨年も参加してくれた友人の女性と二人で参加、ますます盛り上がる。いよいよ座るところがいっぱいになってきたので、私は座をはずし多摩キャンパス探検に出かけ、キャンパス内の山の上にある真言密教の金住稲荷に詣でてから皆のところに戻った。スウィング・クリスタル・オーケストラの演奏がちょうど終わり、応援部が校歌や応援歌を指導してくれているが、私は性格が素直なので、ついついリーダー部の後ろの可愛いチアリーディング部の方ばかり目が行ってしまう。

 三時頃からメインステージで福引抽選会が始まった。皆いつの間にか立ち上がって、当落に関係なく歓声を上げている。今年は特別賞がスズキ「アルト」だ!皆が狙っている。飲んでしまったので、運転して帰れないよ、などといらぬ心配をしながら、当たることをひそかに期待していたが、結局49会は三角くじが当たった会員がいただけで、抽選会は誰も当たらない。それぞれ三角くじのはずれでもらったお菓子や飲みかけの焼酎などをかばんに入れて4時解散となる。

藤本真也(法)

ホームカミングデー報告

 当日は雨で出足は悪かったのですが、会員より金一封を頂くとともにお酒の差し入れもあり午後になって盛況になりました。出席者は本人24名+奥様1名+お子様1名+50年卒2名+54年卒1名+佐藤学員会副会長=30名又、当日新たに会員になった方が1名おられました。
 新潟から来られた松平さんいつもありがとうございます。久しぶりの参加者も多くおられましたので楽しい1日でした。新年会でも多数の皆さんのご参加を宜しくお願いします。

49年白門会  会長 山﨑厚太

納涼ビアパーティー

東京では梅雨明け後も曇り空や雨の日が続き、西日本ではいまだに梅雨も明けない8月1日(土)に、49年白門会の今期最初の行事が行われました。
恵比寿駅そばにある、「恵比寿ガーデンプレイス」で「納涼ビアパーティー」です。7月に行われた10周年記念総会から約1ヶ月後の行事でしたが、新入会員の方も1名参加され、合計12名の会員が正午に恵比寿ガーデンプレイスに集合しました。

まずは「東京都写真美術館」で開催されている「世界報道写真展」「ジョルジュ・ビゴー展」「収蔵展=異郷へ」の入場招待券を小沢さんが人数分用意していただいたので、 全員が3枚の入場券を手に美術館に入り、約1時間鑑賞しました。「世界写真報道展」は目を背けたくなるような自然災害、部族・民族紛争など世界の現実の瞬間を切り取った写真に圧倒されました。

 美術館鑑賞後は隣接する「恵比寿ビアステーション」へ移動してビアパーティー。ホールへ入場前に恒例の記念写真は、総会でも大活躍の高橋カメラマンの適確な指示で構図を決め撮影。
 予約した個室は2階にあり、山崎会長の乾杯で待ちに待ったビアパーティーがスタート。ビールは勿論ご当地「エビス生ビール」です。蒸し暑く、1時間以上歩き回った喉にはまさに干天の慈雨。貸しきり個室なので他の雑音も無く、全員での会話も大いに盛り上がり、ビールはピッチャーで数回お代わりし、焼酎、ウイスキーと酒量もハイピッチ。飲み放題の2時間は瞬く間に過ぎてしまいました。

まだ明るい3時過ぎには散会となり、花火大会に行く人や再度美術館に戻る人など、それぞれ次の目的地へ向けて別れていきました。

石川 晶雄

2009年総会

2009年7月4日(土)

49年白門会2009年総会・懇親会レポート

 7月の第一土曜日の4日、平日は証券マンや金融関係者で賑わう「兜町」の一角にある「鉄鋼会館」で49年白門会の総会・懇親会が開かれた。今回は中央大学卒業35周年、支部設立10周年という記念総会なので、1年近く前から役員が企画を出し合い今日のために準備をしてきた。

 梅雨の晴れ間で蒸し暑くもないなか、役員たちは12時に集合。7階の2つの部屋を使い、総会と懇親会を取り行った。  今回は10周年ということもあり、東京近県の会員以外の卒業生1000人にも案内状を春から3回出して参加を促してきた結果、創立時と同じ60人近くが参加する総会となった。午後1時からはじまり、議長に大竹広報部長を選出し、3つの議案は全員の拍手で承認された。総会は10分くらいで終わり、記念総会の目玉企画「浅香光代vs葛西聖司トークショー」が始まった。

約3分間の浅香光代さんの紹介ビデオが終了すると、浅香さんがさっそうと手を振りながら登場。手作りだという白いフリルのついたシャツに白いパンタロン。用意された椅子には座らず、演壇の前でしゃべりだす浅香さん。着席を促す葛西さんに「私は何時も立っているの。2時間くらい平気よ」と一度は着席するが、途中何度も立ちあがって話をするパワーに我ら同期はタジタジ。「私は光代(34)だから34歳」という浅香さん。実は現在81歳というサバを読んでいる年齢と78歳という本当の年齢があるという。これは14歳で座長になったため歳を多くして活動したためという。でも78歳には全然見えない。「アラカン世代」の我々よりも若く見えるし、演劇で鍛えた張りのあるよく通る声でマイク不要だった。

演劇という観客の入りをいつも気にする座長の立場で、前進し続けてこられたお話をしていただいた。「チラリズム」は鶴見の劇場で明日から来なくていい、といわれて必死の思いでやったら観客がどよめき、それ以後出演依頼が続いたという。浅香さんだからジョークを交えて言える芸能界のいじめや、天皇陛下を呼びとめた話、大学で教えている学生にバッサリ苦言を呈する話、1千万円のダイヤの話など予定の1時間半はあっという間に過ぎてしまった。最後に「瞼の母」と「一本刀土俵入り」の最後のきめのセリフを演じていただいた。会場からは「浅香!」の掛け声も飛ぶ盛況。終了後、浅香さんにも入っていただき記念写真を撮る。60人を4段で並んでもらいプロのカメラマンが激写。

3時から懇親会。ご夫人同伴も4組、今日から会員になった人が6名、会員だったが今回が初参加という人が2名とフレッシュな顔ぶれとなった。司会は葛西さんで山崎会長の挨拶の後、盛岡から出席された吉江さん(商)の乾杯の発声で懇親会がスタート。浅香さんも参加され10名に色紙のプレゼントがあった。色紙にブロマイド写真が張り付けてあり、日付とサイン、当選者の名前と言葉が添えられていた。因みに最後の当選者になった人の色紙には「花は赤いうち 心は熱いうち」という言葉が記されていた。 宮崎から出席された黒木さん(商)が幻の焼酎「百年の孤独」と「金霧島」を差し入れていただいたが、瞬く間に飲み干されてしまった

30分で浅香さんが退席され、今回の目玉企画第2弾「学生時代の思い出の事件・歌のベストテン」が葛西さんとカメラマンの高橋さん(法)の息の合った司会と映像で進行した。これは第1回目の案内状を出した時にアンケートを取り、その結果を集計したもの。その発表に先立ち、学生時代の大学の建物も映し出されると、懐かしいという声が出ていました。

さて事件のベストテンは、「70年安保」「札幌オリンピック」「日中国交回復」に始まり3位「よど号ハイジャック」、2位「浅間山荘事件」と続き1位は「三島由紀夫割腹自殺」という結果でした。それぞれの写真が映し出されるとあちこちであの時の思い出の声が飛び交っていました。そして歌のベストテンは、青い三角定規の「太陽がくれた季節」、ちあきなおみの「喝采」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、由紀さおり「手紙」と続き3位に加藤登紀子「知床旅情」、2位にガロ「学生街の喫茶店」、1位が南こうせつとかぐや姫の「神田川」という結果が発表された。曲を流すとマイクを取って歌いだす人もいて、会場はほとんどの曲に口ずさんでいる人が多かった。その後、6名の会員の学生時代の写真が映し出され、会場は現在の姿とのギャップに驚きと笑いに包まれた。

この記念総会には、カメラマンの高橋さんの事務所からプロのカメラマンに来ていただき、受付から総会、トークショー、懇親会と5時間にわたり撮影をしていただいた。300 カット以上撮った中からセレクトして、ベストテンや大学の建物、校歌なども取りこんだCDを作り2000円で販売し、売上金は実費を除いて全額125周年基金に49年白門会の名で寄付することになっている。購入希望者を募ったら殆どの人に希望していただいた。

 お開きの5時近くに恒例の校歌と応援歌を小澤さん(経済)のリードで歌い、声量たっぷりのエール交換でお開きとなった。懇親会のお土産は「49年白門会」の会報を1号から18号までそろえて製本したものが出席者に配られた。10年間の歴史がよくわかる素晴らしいものだった。  梅雨の晴れ間で太陽が出ていてまだまだ明るい5時過ぎ。通りは閑散としているが2次会の希望者18名が開いてる居酒屋を求めて界隈をさまよい「紅とん」という居酒屋にたどり着き7時過ぎまで友好を温め合った。それでもまだ明るい夏の土曜日でした。

(広報部・大竹力三)
総会・懇親会

2009年7月

49年白門会会員の皆様へ

7月4日(土)49年白門会の10周年記念総会が盛大に開催されました。
1年前に計画したときはどのようなものになるかと全く検討がつかず、1月の新年会では一端行事を振出しに戻そうとも考えましたが、会員の底力というものがそこから発揮され記念総会まで活発な意見と活動が見られ大いに盛り上がりました。 土曜日の案内状発送作業も普段慣れない封筒貼りがありましたが返って役員相互の 親密感が深まりました。
当日の参加人員はご夫人も入れて60名、47年会、48年会とも50名内外の出席者数と聞いておりますので大成功と思います。トークショウ開催に当たっては葛西さんが1年前より当日の予定を空け、浅香さんの出演に当たっても一方ならぬご尽力をしてくれました。思いでの写真投影の発案は会計部長の渡邊さん。当日の思いでの写真の投影や 撮影はプロのカメラマンの高橋さんによるもの。色々な場面で各自の持ち味を発揮して作り上げた10周年記念総会でした。
第1回の案内状発送から当日までに入会した新入会員は9名に及び既存会員のメールアドレスも新たに30名判明しました。今回、東京、埼玉、千葉、神奈川の学員会費納入の約1000名の非会員に案内状を発送しましたが、アンケートの回答返信葉書は予想 以上に160通あり内63通にはメールアドレスの記入がありました。49年白門会に対する関心は大きなものがあると思います。これにより49年白門会の情報発信は飛躍的に向上します。
今後、非会員向けの情報発信には今回「10周年記念総会用に開設したホームページ」を活用しようと思います。
49年卒業の同期は7000名以上います。更に1人でも多くの同期が会に参加するよう 広報を行おうと思います。会員の皆様も引続きの同期への声掛け勧誘をお願いします。

以上御礼とご報告まで。

49年白門会  会長 山﨑厚太

2009年新年会

 2009年1月31日

1月の最終土曜日といえば「49年白門会」の新年会です。今年も銀座の「Sum-mi高松」に 32名の会員が集まって行われました。
今年の新年会は、吹雪の盛岡からきた方、長期の中国赴任を終えてきた方、体調を回復された方など 4、5年ぶりに参加された懐かしい顔が揃い、楽しい会になりました。

午後3時からの会に先立ち、創設10周年を迎えるにあたり、記念事業の予算を承認していただく臨時総会 が、短時間でしたが開かれました。

新年会の司会は石川事業部長が行い、山埼会長の挨拶と乾杯の発声で 久しぶりに参加した人を中心に歓談の輪が広がりました。宴もたけなわの頃、新年会では恒例になった「オ ークション」が始まり、副会長の宮川名オークショナーのもと、会員が持ち寄った品物が次々と競り落とさ れていきました。
手編みのマフラー、プロ仕様の卓球ラケット、自作のビアカップ、こしひかり、ホテル無料 招待券等が競り落とされ、売上金の64700円全額を125周年募金へ49年会の名で寄付されました。

「アラカン(アラウンド還暦)世代の我々はまだまだ元気に頑張ろう」という中締めの挨拶に続き、恒例の 校歌と応援歌を歌い、小澤さんのエール交換で2時間の会もお開きになりました。
7月の10周年記念総会で の再会を約束し、夕闇迫る銀座で散会。
10人の会員が、近くのライオンビアホールでの二次会に参加し、時間の許す限り親交を深めた。

(広報部)
2009年新年会

2008年ボウリング大会

2008年12月6日

昨年好評だったボウリング大会を、 今年も東京・新宿歌舞伎町の新宿ミ ラノボウルで行いました。昨年の参 加者は13名でしたが、今年は7名と 少々寂しい人数でしたが、新潟から 松平守さん、栃木から堀井信行さん が参加されました。
午後3時過ぎから、2レーンを使 って4人と3人の組で2ゲームの勝 負を争いました。ボウリングは再ブ ームで、場内は親子連れや若者でい っぱい。あちこちで歓声と拍手が沸 き起こっていました。

さて、49年会の白熱したゲーム展 開は、1ゲーム目にいきなり181 点というハイスコアを出した山根信 正さんが、2ゲーム目も138点と 安定したスコアで堂々の優勝を飾り ました。昨年2位だった岩城和裕さ んは、2ゲーム目で山根さんを猛然 と追いかけるもわずか8点差で、ま たしても2位という結果になりまし た。
昨年よりも、最高得点も総得点も アップしたレベルの高い大会になり ました。
全身に心地よい疲れを感じながら 新宿駅の近くの居酒屋で、山会長 も加わり懇親会を開きました。運動 後のビールは格別にうまく、ジョッ キを次々と空にしながら、ボウリン グ談義に始まり仕事や学生時代のこ となど話は尽きず、2時間楽しい師 走の夜を過ごしました。

来年はもっと多くの人が参加して 49年会の忘年会も兼ねた「忘リング ....大会」にしたいものです。

(広報部)
2008年ボウリング大会

2008年納涼ビアパーティ

 2008年8月2日

朝から猛暑の土曜日に「納涼ビアパーティー」を行いました。白門 49会の行事は、例年ですと散策、見学、ボウリングなどをしてから懇親会を 行ってきましたが、今回は、夏の暑い盛りに歩き回って熱中症になるよ り、初めからビアホールに集合して飲もう! という企画でした。新年会の二次会で毎年利用する銀 座ライオン七丁目店に会員8名が集合、11時の開店と同時に入場して、 ホール中央に陣取り早速ビールの大ジョッキを注文。山﨑会長の乾杯の 発声でスタートしました。このビアホールは昭和9年に建設 されたままの建物で、内装も当時のまま。高い天井の空間、ステンドグ ラスや古めかしい絵模様タイル張りの支柱の中で、味わうビールの味は 格別でした。

色々な話題で盛り上がり、瞬く間に時間が経過して、気がつけば、店 内は満席状態。真昼間からの納涼パーティーも奇異だが、これほど昼間 からビールを飲んでいる人がいることにもびっくり。真夏の土曜日は朝 からビアタイムなんですね。
記念写真を撮り、まだまだ陽の高いうちに顔を赤くして、銀座の街で 解散しました。

このような楽しい行事が年に何回か企画されていますので、ご都合の 付く方は是非ご参加ください。来年は「49年白門会」にとっては、結成 10周年になり、事業部では記念行事を計画しております。場所や内容は 未定ですが、総会の時に行います。
来年の総会は7月4日(土)ですので、スケジュールは今からあけてお いてください。

 
石川晶雄(経)

2007年ボウリング大会

2007年12月8日

ストライーックでスッキリ!

 小春日和の12月8日(土)、49年白門会の会員が、新宿歌舞伎町のど真ん中・新宿ミラノボウルに集合。高校・大学時代に流行したボウリングをやろうというわけだ。同期会の結成8年目にしての、初めてのスポーツイベント。果たして何人集まるか不安だったが、奥さん同伴者もいて13名が集まった。
 年齢は56歳から58歳。4レーンを90分貸切で2ゲームの勝負を争った。周りのレーンは20台のヤング集団で、1投ごとに歓声と拍手が起こる状態。3時スタートの我らも、1投ごとに歓声が沸きあがる。
 「15年前にやって以来だよ」「明日腰が痛くなりそう」「女房に負けそうだ」「あと10センチ右だーッ」とかぼやきながらも、ストライクやスペアを取った時のガッツポーズ、ガターになった時の「オーマイゴッ」のポーズなど、30年前の童心に戻った90分だった。
 採点、投球順番など全部機械がやってくれるし、球速まで掲示される。周りのヤング集団は球速が40キロとか出てピンが倒れる衝撃音も大きいが、我々はせいぜい30キロ。20キロでのストライクなど、ボールが当たってから数秒間、ピンがよろよろっとして音も無く倒れる有様。それでもスコアを見ると、ヤング集団は100点前後が大半。我ら50台後半組みは1ゲーム目こそ2桁だった人も2,3名いたが、2ゲーム目は全員100点以上。優勝者は平均153点という高得点。30数年前に取った杵柄の片鱗を見せたイベントでした。ボウリング、やってみると意外にはまりそうです。
 外に出ればまだ4時半。歌舞伎町に向ってくる集団に逆らいながら、新宿駅近くの居酒屋で、懇親会のみ参加の3名も加わり2時間の楽しいひと時を過ごしました。

  
(広報部・大竹力三)
2007年ボウリング大会

2007年ホームカミングデー

 2007年10月28日

第18回ホームカミングデー

台風20号が足早に過ぎ去って多摩のキャンパスは秋晴れの青空が広がる好天気となった。昨日までは、天気の具合を心配していたのが嘘のようだ。昨年の反省から、今年は現地メーン会場の場所取りのため8時集合厳守を言い渡された役員は、午前4時又は5時起床で郊外から駆けつけた者もいた。おかげで一番乗りを果たし、スピ-カーの音量が大きく会話にも支障がでるほどの特等席を確保できた。イベント開始の10時から到着の会員も増え久闊を叙する会話が弾んだ。遠くは加納さんが奥様とともに名古屋から、新潟からは松平さんが加わってにぎやかさを増した。午後からは、女性会員も参加し華やかさが増す。50歳半ば過ぎのおじさんばかりでは味気ない。途中では、イベントに出場された黒部進氏を伴って同期生の葛西アナが我々49会の席に廻って来られた。黒部氏は、初代ウルトラマン・ハヤタ隊員である。氏が席を去られてから皆で記念写真を撮っておけばよかったと気がついたが後の祭りである。 フィナーレは、例によって抽選会で盛り上がった。残念ながら49会員からは高額商品をゲットできたのは皆無であった。1番違いもあったりで当たらないにもかかわらず絶えず49会生周辺からは歓声が上がり、会場で目立つ存在だった。今回集った会員は家族、49年卒業生を含め総勢22名であった。昨年より少なかったのはちょっと寂しい気がするが、ホームカミングデーに49会の旗を掲げて誰でもが気軽に参加できる機会を継続することが大事だと思う。我々50台半ば過ぎは老齢の両親、手と金のかかる子供を抱えて経済的にも精神的にも苦境にあると思うがだからこそたまには顔を合わせて情報・知識を交換して元気にこれからを乗り切るために助け合っていきたいと念願している。

渡邊 秀和
2007年ホームカミングデー

2007年総会・懇親会

 2007年7月7日

2007年総会・懇親会レポート

 7月最初の土曜日が「49年白門会」の総会、というのが恒例になった7月7日、午後3時から総会が始まった。ちょうど七夕の日に、1年ぶりに出会う同期もいて26名が出席した。  山崎会長の挨拶では、来年は役員の改選期でもあり、そろそろ交代の時期であることを強調された。役員のする仕事の分担がはっきりしていれば、誰が役員になっても引き継ぐことができるので、2ヶ月に1回実施している幹事会の議事録はメールで全員に送り、各行事の会計もその都度お知らせしていくつもりであるので、是非来年の改選時には立候補をお願いしたい、という挨拶があった。

 議長に宮川さんを選出し議案の審議が始まった。06年度事業活動報告を中島幹事長、06年度会計監査報告を木村会計監事、06年度収支決算報告を後藤会計部長、07年度事業計画案を増田事業部長、07年度予算案を後藤会計部長が説明し、それぞれ全員の拍手で承認されました。  その他として、中島幹事長から、5月12日に行われた学員総会で、山崎会長が支部長を6年間勤続したことで表彰された報告がありました。また協議員の改選で、新任に5名、再任に8名が選ばれたことの報告がありました。任期は07年7月1日から3年間です。  山崎会長から「年次支部協議会」の説明がありました。年会費が1万円で、「留学生の集い」に毎年5万円を支払っていますが、協議会としてはほとんど活動はなく「留学生の集い」がメインで、6年後には49年会が幹事となって運営しなければいけないそうです。ただ、50年以降の支部はほとんどこの協議会に入っていないというので運営費を49年会の会費から出さなければいけない事態が分かってきました。この「年次支部協議会」とどう付き合っていくのか、あるいは脱退するのかを今年中に決めたいので、メールなどでご意見をお寄せください、という説明でした。なかなか分かりにくい案件ですが、メールで説明がなされると思います。その時にはご意見などをお寄せください。

 4時からは日通商事(株)法務コンプライアンス部長の木村真さんの「中国の常識」という題で講演がありました。  木村さんはこの3年間で20数回中国を主に東アジアを出張で飛び回っていたそうです。中国での日本とはちょっと違う「常識」についてお話を伺いました。サラリーマンの出張では必須の「領収書」。まずこの言葉「発票」を覚えることが第一条件。中国では1元、5元、10元などの宝くじつきの領収書が国から店に発行されているそうです。中国は92%が漢民族で残りの8%が55の少数民族から成り立っていて、1党独裁ではなく多党有るが共産党が強い、ということです。13億人の人口のうち1割が金持ちで、その1割がスーパーリッチだとか・・・。中国の法律は時効がなく遡及されるのですごくリスキーであること。中国人の考え方は合理的で、死刑判決の翌日に刑が執行されるそうです。いつ執行されるか分からず不安な日をすごすより、一晩飲み食いして翌日執行されたほうが良い、という考えだということです。死刑執行方法は、頭部を銃撃していわゆる脳死状態にし、内臓を摘出し移植に用いるという合理的な考えが有るそうです。大学入試試験でも地方と都会では合格点が地方のほうが低いこと。そのため地方から中央の都市に来た学生は着いていけず自殺者が多いという。女性関係では、ホテルでの売春行為は厳しくチェックされ、もし見つかるとパスポートに朱印で「淫」の字が押印されます。帰国してから「パスポート紛失届け」を出す日本人が多数いるとのことです。等等、日本の常識とは違った中国のお話を30分に渡り披露していただきました。(木村さん、間違ったことが書いてありましたら、肥沼さんにお知らせください)  場所を地下の食堂に移して4時半から懇親会が始まりました。山崎司平副会長の挨拶でスタート。中大の常任理事になられた会員の辰馬氏から中大の現状と展望が披露された。その後歓談となってあちらこちらで話の輪が広がった。

 多忙で出席できなかったNHKの葛西さんから「今日の健康」と「京都祇園の舞妓さんのウチワ」がプレゼントされた。新年会で大好評だったオークションで、という希望が添えられていたので、宮川さんの司会でオークションがスタート。ウチワ6本と雑誌5冊で8300円の落札金が入り、49年会の名で125周年に寄付をしました。今後、オークションというイベントが増えそうな雰囲気になってきました。  6時前に校歌、応援歌を斉唱して、今回も新潟県から参加していただいた松平さんの「来年も元気な顔でお会いしましょう」という挨拶でお開きになりました。
 13名が2次会の居酒屋に集まり時間の許す限り、歓談しました。

 
(広報部)
2007年総会・懇親会

学員会総会

 2007年5月12日

中央大学協議員会・学員会総会に出席しました。
5月12日(土)御茶ノ水駿河台記念館で協議員会と学員会の総会が開催されました。この日は、学員会総会終了後に支部長永年表彰があり、山﨑会長が受賞するため、49年白門会からも有志(宮川、大谷、肥沼、原)が出席し会長の表彰を祝いました。 当日の会議は質疑が多く予定の時間をだいぶ超過しましたが、大要は以下の通りです。
13:30 
中央大学法科大学院の福原紀彦教授が法科大学院の現状と今後の展望について講演を行いました。
14:30 
協議員会総会では、事業報告・決算報告や新年度の事業計画や予算案が付議されました。決算報告では収支実績の期末残高が予算の期首残高と異なるなど、数字の誤謬等について会員から指摘がありました。 資産残高433百万円もの規模の組織としては信頼性に欠けるルーズな印象が残り、今後大きな問題を引き起こさないか心配です。(注1)
(注1)上記の「決算報告では・・・予算の期首残高と異なるなど・・・」の表記について中島幹事長から訂正の要請がありました。その主旨は「予算は以前に推定残高を用いて計算しているのだから、繰越高が決算実績と合わないのは当然である。」とのことです。しかし、ある時期に既に予算の承認を得ておいて、今回決算実績の承認を得る場合はそれで良いのかもしれませんが、決算と予算の同時承認を得る場合は、少なくとも決算実績の次期繰越高と予算の前期繰越高を一致させるべきだと思います。
中島幹事長からは、「従来通りの方法で実施しているもので、学員会としては繰越高の相違は正しい処理として会員の承認を得た」との説明でした。その上で、「しかし、会計士とも相談して今後の対応を検討する」とのことでした。従って、上記の表記については私の個人的な印象を記載したもので、学員会としては正しい処理で承認されたことを申し添えます。

また、協議員の選任方法について質疑が出され、一時間ほど議論が交わされました。 その他の議案では、来年から「協議員会と学員会をまとめて一括審議する案」が出されましたが、執行部から「支部長会議も一緒にしたらどうか」との意見が突然出され、足並みが揃わない執行部のドタバタ劇を見ているようでした。
17:05
16時過ぎに始まる予定の学員会総会が始まったのは17時を過ぎた頃でした。協議員会では満員だった会場も空席が目立ちはじめ、協議員会と重複する議題が多いこともあり30分くらいで議案を承認して終了しました。

 総会終了後、新たに設立した支部に支部旗の贈呈がありました。2001年5月に49年白門会もここで支部旗を頂いた記憶がよみがえりました。
 続いては、支部長表彰です。支部長として永年の貢献の表彰を受けた山崎会長は中山学員会会長と記念撮影、写真撮影は中島幹事長でした。上手に写っているといいですね。

約一時間オーバーで会議は終了、49会の有志は御茶ノ水駅前で山﨑会長の受賞に名を借りてささやかながら祝杯をあげ、心地良い酔いの中解散しました。                 

(原 伸正)

2007春の散策

 2007年3月10日

皇居東御苑の春を愛でる

 49会メンバーに木村真君,山崎司平君の奥さんが加わり9名で東御苑を散策した。ほとんどの方が東御苑を訪れるのは初めてとのことで,北詰橋門を入ったところから感嘆の声頻りであった。総じて,御苑は手入れの行きとどいた広い敷地のところに,入苑者も発券制限があり,人まばらで,心落ち着く空間であった。

 さて話を振り出しに戻して,竹橋駅に集合した参加者は,配られた明治16年測量の地図と最近の地図を持ち,今と昔を重ね合わせながら北詰橋門へ向う。途中既に紅梅が咲き,春の花を眺めながら門を入ると直ぐ天守閣跡天守台があり,登る。明治の地図には天守台が測候所と記入あり。また時の変化か最近の地図では皇居には吹上御所、宮中三殿等こと細かに記入されているが,明治の地図は白紙。天守台を下りて本丸大奥跡を歩き,石室,松之大廊下跡(本丸表跡),富士見櫓,白鳥濠脇展望台を過ぎ,本日の目的のひとつ「三の丸尚蔵館」を訪ね“寿(ことほ)ぎの美”を鑑賞した。よく目にする「旭日双鶴図」などの展示があり,「百福之図」は五百羅漢を彷彿させるおもしろい構図であった。小休止後目的その2,皇居正門にあるふたつの橋,正門石橋,正門鉄橋に到着し記念撮影となる。二重橋とは正門鉄橋を言うとのこと。しかし,二重に橋が見えるから二重橋と言うほうが自然のように思う。ここまで2時間。予定外の赤レンガ建物の法務省を見,本日の目的その3「ちゃんちゃんこ」へ。風邪を引いてしまった中島章夫君もここから合流。店を経営する先輩のご配慮で山盛りの美味しいちゃんこ鍋を頂いた。そのため,2時間の散策で燃焼したカロリーを,2時間掛けて補充してしまうという落ちが付いたが,楽しく美味しい初春の午後のひと時であった。

 次回は,はとバスツアーとの声多く,その方向で計画立案を。
 乞うご期待。

        
(事業部)
2007春の散策

2007新年会

 2007年1月27日

 2007年1月最後の土曜日、27日午後3時からの「銀座Sum-mi高松」は、恒例となった49年白門会の新年会会場です。今年は暖冬で、穏やかな午後になりました。
 設立以来7回目の新年会は、新潟、名古屋からも駆けつけてくれた34名が集まり、NHKアナウンサーの葛西聖司さんの名調子の司会で、スタートから盛り上がりました。
この新年会ですが、飲食をしながらの歓談もいいのですが、少々マンネリ化してきたので、なんとか変えようという試みが話し合われてきました。半年前から幹事団が演出を考えてきたのは「オークション」! 125周年記念の寄付金を会員が抵抗なく、いかにして出せるのかのアイデアがこれでした。
どんなものが集まるのか、不安の受付けでしたが、半数以上の参加者が持ち寄ったお宝は、自作の徳利と猪口セット、公式卓球ラケット、オリジナルテレカ、バカラのグラス、著作本からコシヒカリ、イチゴ、川越銘菓など31種類61点。なかには勲章なんてのも出品されました。
葛西さんの商品案内とオークションの司会・宮川保さんの名コンビで1点1点がオークションに掛けられました。
 数人が千円から5千円までせりあって落札されたものから、バナナの叩き売りのごとく値が下がっていくものまであり、それでも定価の3~5割の値段で落札されていきました。
 1番高値で落札されたのは、自作の徳利と猪口セットの6千円、1番安かったのがワインクーラーの3百円。持ち込まれたお宝はおかげさまで全て落札され、合計が91500円。翌週に125周年寄付金として49年白門会の名で全額寄付いたしました。
 1時間近くのオークションも無事終わり、恒例の校歌、応援歌を歌い、これまた恒例になった小澤さんのエール交換でお開きになりました。  2次会は歩いて3,4分の「銀座ライオン」の「入母屋」に13名が参集しました。途中から増田さんが駆けつけ、14名がひとつのテーブルを囲み2時間近く歓談しました。
 今回の新年会には、2名が初参加。お一人は、梅田さんが連れてきてくださいました。もうお一人は、転勤生活が終わり、やっと東京に住めるようになった方です。働き続けてきた会社人間も、目先を会社から他のところに向けることができてくるようになって来ました。55,56歳が中心の我々も、徐々に会社から同窓会へ関心がシフトしてくる年代になってきました。皆様の周りで未入会の方がおりましたら、是非一声掛けて会に一緒に来てください。一人が一人を連れてくれば大きな会になります。楽しい未来が待ってますよ。

(広報部)
2007新年会

第17回ホームカミングデーに参加して

2006年10月22日

 10月22日日曜日、天気はうす曇りながらも時々日が射す行楽日和に恵まれました。昨年のホームカミングデーでは我々49白門会は教室に飲み物・おつまみ・軽食を準備して白門同期生の来訪を待ち受けていましたが、あまり目立たないし、事前の買い物準備も手間との反省から、今年は屋外のメイン会場の入り口あたりのイス・テーブルを確保して49会の旗を立てて同期生の来訪を待ち受けました。同じ事を考える人は多いもので、朝一に場所取りのため会場を先遣隊が訪れた時はすでにかなりの各白門支部が思い思いの場所に陣地を確保していましたが我々49白門会もなんとか45年白門会と41年白門会の間で入り口近くの好位置を確保できました。入り口の好位置が幸して向かい側は出店売店が並び飲み物つまみに不自由はなく、先遣場所取り隊は皆が来るまで楽しく歓談に興じる事ができました。そうこうしているうちに徐徐に仲間が集まってきましたが、そのたびにビールや酒つまみを買いに走りますが、向かい側の出店テントには我々が新年会で例年使うSun-mi高松も出ており、そこから小澤さんが出前の交渉をし携帯で依頼してつまみの出前をしてもらうこともできました。また別のところでは南極の氷を無料で配っていて渡邊さんが何回も並びかなりの南極氷を確保しておいしいチュウハイを飲む事もできました。両隣の年次支部からも49会はずいぶん盛り上がっているねとうらやましがられもしました。今年はSun-mi高松の出前だけでなく、ワゴンで中大ワインの販売もありました。メインステージのトークショーが終わると葛西聖司アナウンサーもわれらの席につき抽選会の間までの間盛り上がりました。抽選会は今年も我々の中からは当選者は出ませんでした。最後は恒例の応援団による応援歌・校歌でしたが、我々が現役のころは応援団は男ばかりの3~40名の集団だった記憶がありますが、今年の応援団は旗手と太鼓の各1名を含め計4名であとは女性のチアリーダー6名と約同数の男女混合の吹奏楽隊という構成です。状況により応援団長が時に太鼓をたたいたり一人二役で大変そうでした。本日の49会の参加者は山根さんの紹介で本日新入会された菱倉義成さんや、宮崎県から来られた田村さん、新潟県長岡市から来られた松平さんなど合計21名になり周りの各年次支部や地域支部にもおおいに49会の存在を示せたと思います。

石川 晶雄

2006年総会

 2006年7月8日

 台風3号が沖縄方面を進行中で、梅雨空のうえに蒸し暑い7月8日土曜日。1月の新年会以来の同期の顔が集まった。後楽園にある中大理工学部の5号館3階の教室で午後3時から28名の参加のもとで総会が始まった。会長の山崎さんは頸椎椎間板ヘルニアとかで首をカラーで固定した痛々しい姿で登場。「加齢によることもありますので、皆さんも気をつけてください」と、健康問題を取り上げての挨拶がありました。
 議長に広報部の大竹を選出し議案の審議が開始。2005年度の活動報告、決算報告は、中島幹事長、後藤会計部長から報告され拍手で承認され、2006年度の事業計画案、予算案は、増田事業部長、後藤会計部長より提案され、これも全員の拍手で承認されました。
 今年度は役員の改選期であり、6月に配布した会報に掲載したように立候補者を募集しました。その結果を選挙管理委員長の宮川さんから「立候補の届け出はありませんでした」という報告があり、今年度の役員は前期の方が全員再任され、新しく事務局次長に石川晶雄さんが加わるという体制になりました。
 その他の議案として3点提案がありました。
* 「49年白門会」会則の改正案で、第15条(2)の但し書きの規定の「30000円以上を前納した場合は終身会員とする」を廃止、ただし従前の規定の会員については平成22年7月1日までとする。
* 会則第6条(5)の会計監事は3名とするとの規約に関して、今期は5名の会計監事を選任しており、次期より規約上の3名に正すこととする。 * 「会報」の公告掲載料を1号あたり5000円と規定していたが第12号よりこれを1000円とする。
以上の3点が提案されいずれも承認された。その結果、今期の会計監事は木村真、中山和實、小澤秀敏氏が再任された。
 約30分で2006年度の総会も無事終わり、引き続き作新学院大学教授の日高定昭さんの「フランスと日本―経済・経営的および文化・社会的視点から―」と題した講演会がありました。  自分の娘さんの意に反してのフランス留学の話しから始まり、経営・経済に関してはカルロス・ゴーンからフランスの大学制度についてまで幅広く話されました。フランスには約80の大学がありすべて国立であるが、産業革命には関わらない分野である。それに対して「土木学校」「パリ鉱山学校」という何の変哲もない学校が、エリート校だという。ゴーン氏も「パリ鉱山学校」の出身であり、この両校の排出した学生がフランスの産業発展に極めて重要な役割を果たしたということです。
 文化・社会に関しては、フランスは論理を重視するので、大学入学資格試験でも、日本のセンター試験のように択一試験ではなく「法は時代と場所によって異なる。普遍的な正義=法という考え方を放棄すべきか」という設問が哲学の試験だそうである。論理的な論述を必要とする姿勢が伺える。結婚に関しても同棲が多いし、地下鉄ではお洒落した女性が運転手だったり、社内では人形劇をやっていたり、失業者が演説をやったりと日本とはだいぶ異なる。
 約40分の講演が終わり、幾つかの質問が出て盛り上がったが、時間の関係で質問は懇親会の場で、ということで終了。集合写真を撮って会場を1号館の会議室に移し、懇親会が始まった。  司会は御馴染みの葛西さん。乾杯の発声は名古屋から今回も駆け付けてくれた加納さん。実は翌日息子さんの結婚式があるので上京したとのこと。その息子さんの相手が相当年上だということもお話してくれました。何時の間に我々同期も、子供の結婚とか孫とかの話題が出てくる歳になったんですね。日高さんを取り囲みフランス談義に花が咲いたり、広報部員が次号の会報の原稿をチャンスとばかり依頼したり、歓談の輪が広がりました。
 日はまだ明るい夕方の5時過ぎ、ビール、ワイン、日本酒、焼酎、ウィスキーと散々飲み食いした頃、先程の加納さんが、名古屋名物「八丁味噌」12個のプレゼントを申し出てくれました。名古屋から6キロの味噌をこの懇親会のために持参してくれたことに感激しながら、じゃんけん大会が始まり12名に味噌がプレゼントされました。残念がる負け組みに対して、さすが葛西さん、「ミソを付けない」演出。やにわに団扇を5本出し、「これは京都祇園の舞子さんの団扇で、表には置き屋の名前と舞子本人の名前、裏には置き屋の紋が描かれた、見る人が見れば凄い価値のある団扇」と「うちわ話し」を披露し、じゃんけんに負けた人が再度じゃんけん大会。勝った5名にプレゼントされました。
 お開きは恒例の校歌と応援歌の斉唱。リードは小澤さんで、応援歌が終わると凄い声量でエールの交歓をしてくれました。
 6時過ぎ、後楽園校舎から水道橋の二次会のお店に行く我ら同期も、地下鉄後楽園駅やJR水道橋駅で解散する人もおり、結局十数名が二次会に参加した。 (レポーターは二次会に参加しませんでしたので、報告は以上です)

春の散策

 平成18年4月22日

東京国立博物館(最澄と天台の国宝)→アメ横→懇親会

1年ぶりの散策です。当日は天候にも恵まれ、しかも上野ということで、大変な人出でした。
博物館に入る前は余り混んでいないようでしたが、中は見学者で身動きが取れないほどでした。見学者の多くは我々より少し上の年代が大半で、若い人はいかにも文学部史学科の学生という感じでした。多くの仏像彫刻、絵画、巻物の書がありましたが、あの当時でこれだけの文化があるということは、天台宗が世の中に与えた影響が如何に強いものだったかと思いました。1時間チョッとの見学の後アメ横に向かいました。途中には西洋美術館や、西郷さんの銅像がありましたが、上野というのは意外に広いものです。アメ横というのは値段があってないようなところです。4,700円のマグロが1,000円とか、我々もチョコレート類を袋一杯1,000で買いました。店員が無造作に袋が一杯になるまでチョコレートを詰めるのです。酒のつまみの乾き物はそこら中で売っていました。3時過ぎにアメ横の見学をおわり、さて懇親会には少し早いかと思っていたところ懇親会より参加する日高さんが、専修大学での授業の後、今上野にいるとの電話。これ幸いとアメ横の入口で待合わせをしたところ、なかなか現れない、そこで電話すると、待合わせ場所にいるとの返事、周りの風景を話すと確かに待合わせ場所にいる様子。そのうち何気なく後ろを見ると、2メートルくらい離れたところで、向こうを向いて話している人物がいる。お互いが反対を向いて話していたようだ。
懇親会の場所は、上野駅前「聚楽」、中の様子は、学生時代にお茶の水界隈でコンパをやった飲み屋という感じ、満員だったが料理は早かった。途中で北陸出張から戻った木村さんが参加、大いに盛り上がりました。
本日は、新潟より松平さんがわざわざ新幹線で参加、石川さんが博物館の割引券をゲットしてきてくれるなど、散策が大いに盛り上がりました。紅一点の井さん、おかげさまで会が和やかでした。 尚、日高さんが、7月8日総会(後楽園校舎になると思います)のときに、経営学の講演(15:30頃~)を行ってくれることになりました。楽しみにしてください。

山崎 厚太
春の散策

49年白門会新年会レポート

 2006年1月28日

 1週間前に降った雪が、連日の寒さのため日陰の路地に凍ったまま残っている銀座7丁目。1月最終土曜日が定例となった新年会が1月28日午後3時から開かれた。例年「三味高松本店」が会場だったのですが、お店の都合で急遽「銀座7丁目店」に会場を変更。1週間前にはメールと手紙で参加者に連絡したが少々不安。でも、定刻には予定の31名が集合し杞憂に終わった。
 山崎厚太会長の挨拶と乾杯に続き歓談となった。椅子とテーブルが用意されていたので、4,5人ずつが輪になって話が弾んだ。定年、年金,子供の進路など、そういう年代になったことを改めて認識せざるを得ない話題ばっかりになってしまった。
 今回は、大阪から村田さん、名古屋から加納さんが遠路はるばる駆けつけてくれた。また、法学部出身の山根信正さんが新入会員として参加された。じわじわと会員が増えていくのが実感される。4,5年後の定年を迎える年になったらドッと増える予感もしてきた。山崎会長も挨拶で、役員を今年で6年やっているのでそろそろ違う人がやって欲しいと言っていたが、、今年は役員の改選期ですので是非力になって欲しいものです。
 恒例の福引があり、タオル、バッグ、饅頭などの中大グッズが全員にプレゼントされた。また、小澤さんの好意で「山種美術館」のカレンダーが全員に配られた
 山崎司平副会長の中締めの挨拶でお開きになり、恒例の校歌、応援歌の斉唱になった。歌詞カードが例年と違い拡大コピーになっており、老眼鏡の世話になってる殆どの人から好評(?)だった。応援歌が終わると同時に、これまた恒例の小澤さんが力強くエールを交換した。体にエネルギーをもらい、よし、ガンバルゾ!という気になってきた。

 記念写真を撮り、5時半頃会場を出ると、外は既に暗くなっている。16名が近くのビヤホール「ライオン」に行き2次会が始まった。2次会から益田さんが加わり8時過ぎまで酒も話も尽きず夜は過ぎていった。

新年会