俳優「古谷一行」と会う

学生時代、仕事、息子...を気さくに語る

宮 田 永 生


 
 平成16年1月16日、南麻布のスタジオで俳優の古谷一行氏に会った。古谷氏は41年法卒なので、白門41会があることを知らせたいと思っていたところ、たまたま中大紹介ビデオのナレーションを依頼することになり、録音の立会いの際に話をすることができた。
●髭面、黒いカジュアルウエアで現れる
  監督やスタッフとともにスタジオの録音室前のテーブルで打ち合わせをしていると、マネージャーが顔を出した後、髭面で黒いカジュアルウェアの古谷氏が突然現れ、初対面にもかかわらず、いつものスタッフと仕事をする感じで、早速テーブルの上の台本を手にとって目を通し始めた。 「これじゃ小さくて読めないな」。 スタッフが「拡大したのがこちらです」というと、「これなら大丈夫」。 こんな調子でざっくばらんに、煙草を手にてきぱきと打ち合わせをして録音室に入った。
●入念な仕事、母校を意識?
  録音は、一区切りずつ、読み方、発音をチェックし、テストし、そして本番という具合に念入りに進めた。 普通に読めば20分位のものを2時間半かけて仕上げた。 ソフトで威厳のある声で期待どおりの出来栄えだった。 監督は 「普通は一区切りずつテストはしません。母校のためにという意識があったんじゃないですか」と。 ちなみに監督は36年法卒の東映所属の岡本明久氏。学生時代に青年像建立を推進したことでも知られる。
●「41年卒」で打ち解ける
  休憩時間中、古谷氏に、「41年卒でしょう。白門41会があるんですよ」 と切り出すと、戸惑ったように、「何年卒か意識したことがないけどそうですか。 じゃあ18年か19年生まれですか。 私は19年1月の早生まれですよ。 皆駿河台校舎だったんですよね」 といって、急に打ち解けてきた。 「白門41会で何か話して貰えるといいんですが」というと、「とんでもない。台本がないとだめなんですよ」と謙遜していた。 長内幹事長のことを話すと、「へぇー教授になった人がいるんですか。 弁護士が多いのは知っているけど」 と、妙に感心していた。
●学生時代から演劇に傾注
  学生時代については、「演劇部に入っていて駿河台の講堂でもやりましたよ。 在学中に俳優座に入ったので、3、4年生の頃はほとんど授業に出られず、ノートを見せてもらったり、友人の助けで卒業することができました。 友人は体育シーズンコースのスキーやボートで一緒だった連中で、今でも15人と付き合っていますよ」。
●若いときは寝る間もないくらい頑張った
  「忙しいんでしょう」というと、「30代40代は次から次へと仕事をこなして、寝る間もないくらい頑張った。でも辛いと思ったことはありませんね。 最近は仕事も好き嫌いをいいながらやっていますから穏やかです。 もう還暦ですから、若い頃のようなことをしていたら死んじゃいますからね。 おかげさまで健康には恵まれています。 酒も飲みすぎるようなことはないし」と、結構健全な生活だ。
●息子さんも芸能界で活躍
  「今や国民的俳優の古谷一行を知らない人はいませんね」というと、「最近の若い人は知らないんですよ。 音楽をやっている息子(降谷健志氏/Dragon Ash)の方が知られていて、『古谷一行』ではなく、『降谷健志のおとうさん』といわれる」と、 息子自慢の親父でもあった。
●アベカンは中大かあ
  今芸能界で人気の阿部寛については、「アベカンは中大かあ。暮れにも会ったけど、中大卒だとは思わなかった。 前はモデル上がりで苦労していたようだったけど、今は活躍している。今度会ったときは声をかけてやろう」と。
  気さくな人柄。 まだまだ還暦には見えない。 これからもなお一層の活躍を見せてくれるに違いない。 いずれ41会にも顔を出してくれるだろう。 写真は録音終了直後に撮ったものである。(完)