中大が1979年春以来
51季ぶりの優勝の栄冠に輝く



白門41会各位へ
 
常日頃より中大野球部の動向に注目して戴きまして、野球部OBの一人として感謝しております。さて、今秋野球部は51シーズン25年振りに優勝することが出来ました。思い起こせば41会発足当時二部リーグに低迷して居り、神宮第二球場又は世田谷の農大グランドに応援来てもらって以来、一部リーグに上がっても神宮球場に足を運んで戴きまして本当にありがとうございました。
 白門41会きっての体育会ファンである水戸君に駒大との優勝観戦記を依頼したところ快諾してもらいました。以下水戸君の観戦記です。(石井博之)


 
        東都大学野球秋季リーグ戦観戦記
                 
水戸敏男

 11月4日午前10時頃、平山さんからの電話で「本日ナイターで中大と駒大との試合があるので、見にこない」との誘いがあり、日頃はスポーツにも野球にもあんまり興味がなく、たまにはテレビで好きな番組がないとき野球を見るくらいの私が野球の応援というのもサマにならないが、一人でも多く母校の応援をすることは意味があることと思い、初めての神宮球場に出かけた。

中大―駒大の2回戦
 1回戦はいつ行われたか判らないが駒大が勝利。2回戦は雨のためか?順延になっていた。
 家を午後6時頃出かけた。1時間位遅れでの7時頃、神宮球場に着いた。中大の応援席は1塁側のスタンドで、41会メンバーは中段で応援していた。何しろ神宮球場は初めてなので、最初は球場の雰囲気に呑まれ、どっちが攻撃しているのかすらもすぐには分からなかったが、だんだんと落ち着き、目が慣れてきた。スコアボードを見たら5回まで終了し、成績は1対1の同点であった。中大の1点はエースの亀井のホームランにより同点にしたとのこと。追加点は6回の攻撃で、駒大の(3塁−本塁)間挟殺ミスプレーで1点を入れ勝点。一方守備は、会田投手が素晴らしいピッチングで完投をして1点を死守した。中大にラッキーだったのは、駒大が守備面で優勝を意識しての緊張の余りか、凡ミスが目立った。対戦成績は1勝1敗になり、優勝決定戦を行うことになった。

 試合終了後は千駄ヶ谷駅の近く「みろく庵」に場所を移し、野球部の石井OBの挨拶・乾杯で美味しい料理に舌づつみを打ちながら、母校の選手達の話題と我らが学生時代の優勝時の話を肴にして宴が盛り上がった。時間の経過は早く、10時になったので、石井OBが本日の応援の御礼と第3戦の優勝決定戦の応援依頼のお話で散会した。

中大―駒大3回戦(優勝決定戦)
 11月5日はデイゲームで午後1時プレーボール開始のところ、家を遅く出たので2時頃神宮球場に入場した。既に6回が終わっており、スコアボードを見たら4回に1点を先制し、1対0で中大が勝っていた。これはひょっとして、イケル(優勝)かなと思った。というのも、中大の政木投手が好投していたからだ。ところが、7回裏、清水監督は好投していた政木投手のスタミナ切れからか?中沢投手に交代させた。中沢投手は優勝を背負ってか、プレッシャーのあまり駒大の初打者にフォアボールを与え、次の打者にデッドボールを与えてしまった。ノーアウト1、2塁でその後2、3塁と塁進させてしまった。正直いって駒大に逆転されるのではないか、もはやザ・エンドかとも脳裏を掠めた。中大の応援団、チアガール、吹奏団、学生・OBは必死になって応援した。応援が通じたのか、清水監督が出てきて投手交代を告げ、会田投手に命じた。球場に会田コールがこだました。会田は期待に応え、7回の最悪のピンチを抑え、以降を乗り切った。更には、8回・9回も完璧なピッチングで相手打線に得点を与えなかった。一方打撃面は、駒大の服部投手の好投で中大打線も4回以降鳴りを潜め8回まで打てず無得点。9回も抑えられていたが、駒大のエラーで出塁、9回二死、バッターは期待の4番打者亀井主将。亀井、亀井のコールが起こった。期待に応えてくれるだろう、そう信じて私も亀井コールを一緒に連呼した。一発打ってくれと神に祈っている自分がいた。期待どおり、亀井は相手投手の得意とするスライダーをすくいあげ、右翼席中段に飛び込む2ラン、3戦連発の本塁打を放った。101安打目であった。その裏、会田の好投で駒大打線を封じた、その瞬間、優勝が決定した。

 祝福の紙テープがグランドに舞いあがり、選手の全員がグランドのピッチャーズマウンド辺りに向かって駈け寄り、監督を1回、2回、3回と胴上げした。選手の歓喜がグランドに満ち溢れ、応援席は応援団、チアガール、吹奏団、学生・OBが歓喜で祝福していた。クライマックスに達した。応援団によるエール交換が粛々と行われたあと、続いて東都六大学野球連盟実行委員による表彰式が挙行された。母校中大に優勝旗と盾、個人賞では亀井選手に最高殊勲選手賞、会田投手に最優秀投手賞が贈られた。次に、東都六大学連盟理事長の挨拶があり、「戦国東都を制した中大はこれから明治神宮大会を勝ち抜いて、日本一になって欲しい」と述べ、大会を締め括くった。

 終了後は、41会のメンバーで「みろく庵」に場所を移動し、祝勝会を開催した。石井OBのもと、「優勝おめでとう」と生ビールで乾杯した。最高の味。我等の時代、万年2部という長い時代、今年の優勝の近年の野球部の話等を肴に歓談した。時間もあっという間に経過し、中大野球部の発展を祈念して、散会した。(水戸敏雄)