随  筆

受け入れざるを得ない“老い”の二文字

田 口 昭 夫


  いよいよ“老人”の領域に入ってきた。この数年は毎年正月に風邪を引いて寝込む。体力が衰えている。一昔前までは成人が人間の完成期で、子供は未熟・老人は衰退との考えから、老人にはなりたくないなんて。長寿は無意味に思われた面もあったが、総じて“秦の始皇帝の不老長寿の薬捜し”のように健康で長生きしたいと願う人が多い。現在では平均寿命は確実に延び、しかも100歳を超える人が増えてきている。
 しかしながら、確かに壮年期と同じように活動することには無理が感じられ、個人差はあるものの老いの現象として、記憶力が鈍り、筋肉や腕・肩・腰等がやたらと痛くなり、果ては成人病に追い討ちをかけられる。その上、風邪を引いても治りにくくなっている。さらに若い時は病気に気をつけていたが、最近ではさらに老化の問題を考えねばならない。つまり病気の予防だけでなく、生活の仕方に工夫が必要となってきた。
 最近騒がれているメタボリックシンドローム・・・・・そう生活習慣病対策であるが、「身近な環境(街や野山)は無料のジムである」と、誰かが言っていた。その通りだと思う。タダでお土産がつく。
 WHOでは、「健康とは、病気でないと言うだけでなく、何事にも前向きな姿勢で取り組めるような精神及び肉体、及び社会的適応状態をいう」と定義されているが、まさに人生観と深い関わりを持つ自らの健康観を持つことと同時に、趣味・仕事・家事なんでもいいから生き甲斐のある生活をすること、即ち、「目的意識を持った生活」、ライフワークを持つことが重要になる。・・・・・・体を動かすこと、仲間と集うことも大きな要素となる。
「寝たきりは作られる」という言葉があるが、安静の取り過ぎは老人を寝たきりにしてしまうとされる。個人差を前提として競技よりも、散歩や体操のような比較的単純な動作を、ゆっくり時間をかけて毎日することが老化を遅らせるコツだとも言われる。それも、「人の振り見て、我が振り・・・・・・」の通り、仲間と集い、意見を交わしながら、「彼(彼女)のような生き方・考え方を参考にしたい」とか、逆に「あ〜はなりたくないなあー」と・・・・・・・。
 我が四一会の仲間の多彩な顔ぶれには、なんと“人生の師・同僚”が多いことか・・・・・。ホームページでも紹介しているが、いろんなイベントがあり、一度どれかに参加してみなはれ、来てみなはれ、実に楽しいよ。“ぼけたらあかん 長生きしなはれ”の歌の一節に・・・・・「わが子に 孫に 世間さま どなたからでも慕われるええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために 頭の洗濯生きがいに 何かひとつの趣味もって せいぜい 長生きしなはれや」・・・・・とは、よく言ったものである。お互いにええ年寄りになりましょうや。
 我々の年代は我武者羅に突っ走ってきたが、チョット振り返る余裕が必要で、今回の風邪のお陰??でその機会が得られた。傍らで女房が粥を作りながら、何気なく言った一言、「賞味期限は過ぎたけど、消費期限はまだ残っているからね」・・・・・・・。そうだ、「老化が進んでも、まだまだ残存機能(旺盛な精神力)を社会のために、心身ともにメンテナンスをしっかりして、仲間と切磋琢磨しながら、前を向いて“老人”の二文字を受け入れて行こう。そんなことを考えているうちに、今年も「箱根」が終わった。