豊竹靖大夫さんのこと
平成21年度芝居を観る会報告
太田澄子
(「白門41会だより」第40号より)
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 41会に入会して長いのに最近になって、沢山の同好会があってそれぞれ幹事の方々が、とても熱心に活動をしているということがやっと判ってきました。なにしろ職場、家の往復ともろもろの雑事、プラス41会の会計と、忙しく右往左往していて何も気が付きませんでしたから。
 定年の2ヶ月前こ、芝居を観る会の小森さんから文楽のお誘いを受けました。それまでも総会の受付で配布するちらしを見ることはありましたけど、特別の興味を持つということにはなりませんでした。文楽歴は大学時代に見た1回のみで感想は、居眠り。
 ところが、そのお誘いにふっと出かけて、「丸窓」の長兵衛の母を操っている吉田文雀さんという人形遣いを何気なく眺めていて、そのままハマッテシマイマシタ!
 退職以後は、東京公演ごとに国立劇場に通いました。地方公演の府中とか橋本にも。
 「仮名手本忠臣蔵」の通しでは丸一日座り続け、終演後腰が伸びなくなってしまったなんてこともありましたね。そして2年も観続けていると人間欲深くなるもので、舞台を見ながら、太夫、三味線、人形の一人でいいから知り人がいたらもっと楽しいはず、なんて考えてしまう。これ人情でしょう? でもそんなに都合よくいるはずありませんよね。それがいたんです!
 ある時国文学研究室で室員の吉田さんと世間話をしてたら、耳を疑うような言葉が出たんです。「うちの卒業生が太夫さんにいるんですよ」。「えっ〇、本当の話?・・・!!」。
 それが豊竹靖大夫(とよたけやすたゆう)さんでした。文楽歴40年の小森さんにご注進、驚いてらっしゃいましたね。そして、「今晩は!吉田さんからご紹介に預かった豊竹靖大夫と申ぉしますぅ(これ関西弁の語尾です)。」と電話がかかってきたときは正直いって舞い上がってしまって、「うっそ-!夢ではないか?」(これは心の中で)、「え-ご本人ですか?」、そのあと感動して無言で失礼をしてしまいました。
 この時のお誘いで素浄瑠璃の会を初めて聞きに行き、ご縁ができました。当時、豊竹靖大夫さんは26歳、本学国文専攻を卒業して国立劇場・文楽協会文楽養成第21期研修生を2年、平成16年に文楽界の重鎮豊竹嶋大夫さんに入門して今に至っているという、門下で下から2番目という若い太夫さんでした。
 41会の芝居を観る会との初対面は2008年9月の文楽東京公演でした。楽屋ロなんて今まで縁のなかったところですが、12,3名でご挨拶に伺いました。師匠(嶋大夫さんのお世話も仕事の一つです)のお許しが出たのでということで、お守りしている師匠のあ財布でおなかの前が膨らんだ楽屋着の浴衣姿の靖大夫さんに、楽屋、舞台と案内していただきました。後で聞いたら靖大夫さんも緊張していたそうです。
 技芸員の方々や大道具さんなどでごった返す舞台裏で、小森さん先頭に皆で記念撮影をしたり、人形に感嘆したりと大騒ぎしましたが、楽しかったですね。観劇した演目は全く覚えていません。
 外に出てから、折り目正しい好青年だね、という人と、質実剛健の中大タイプじゃない?という感想が聞かれましたが・・・。先輩としての共通の感想は、彼が一人前になる迄私たちは応援していられるだろうか、ということ。文楽の世界では50歳になっても一人前になれるかどうか、だそうです。
 今年の2月の公演でもお目にかかり、相変わらず大騒ぎの記念撮影をしました。靖大夫さんも掛Iナ合いで並んで斉唱?だったのが、自分の役を語ったりするようになり、少しずつ進んでいるのが頼もしい限りです。
 身贔屓のできる観劇って幸せですね。
 昨年の今頃はなにもなかったのに、ご縁の不思議さよ、です。
 41会の皆様、第二の青春のなかに文楽応援も入れましょうよ!
 *入門したての頃の靖大夫さんは、インターネットのアドレス
 http://osaka.∨Omlurl.C○.」P/bunraku/koten/lndex.htm/その34で知ることができます。
                              (太田澄子)