2009年9月4日(金)-6目(日)まで、熊本市総合屋内プール(アクアドームくまもと)で行われ、中大は、法政に敗れ2年連続13回目の優勝を逃しました。一方法政は、実に30年振りの王座奪還を果たしました。
本大会は、熊本市制120周年記念事業の一環として、熊本布が日本水泳連盟に熊本開催を要請して実現したものです。本大会が熊本市で行われるということで、九州在住の中大水泳部OBに、後輩の応援と終了後の13回目の優勝祝賀会出席を、大会2ヶ月前に60名近くに案内の葉書(入場券は中大水泳部OB会負担)を出しました。結果、東京(4人)・近畿(2人)を含む、延べ50人近くのOBが応援に駆けつiナてくれました。案内・送迎・ホテルの予約・宴会の設営等々、1人で大変でした。
本大会は、世界選手権50m背泳の金メダリスト古賀淳也(早大)・200m背泳の銀メダリスト入江陵介(近大)他、世界選手権で活躍した原田蘭丸(中大一自由形短距離)・内田 翔(法政一自由形長距離)・立石 諒(慶大一平泳ぎ)・上田春佳(日大一自由形矩距離)・山口美咲(近大一自由形短距離)・金藤理絵(東海大一平泳ぎ)・北川麻美(早大一平泳ぎ)・酒井志穂(九州産業大一背泳)らのスター選手が-堂に会した、かってない名実ともに充実した大学対抗戦でした。
大会2日日の競技終了後(中大は法政に僅差の2位)、熊本市内で祝賀会の前夜祭と和して、近畿から駆けつけてくれた吉田正明氏(43卒・200m平泳ぎ当時世界最高)夫妻を囲んで10数名で懐かしの懇親会を実施しました。九州にいながら数年振りの再会の声がお互いに相次ぎ、これを機会に毎年各県持ち周りで実施するよう話が盛り上がりました。が、多分私がセットすることになるんでしょう?
大会最終日、連覇は叶いませんでしたが、選手(37名)、監督・コーチ・マネージャー(9名)、OB(20名)、選手の父兄(30名)総勢100名近い大宴会で選手を盛大に労ってあげました。
出席者には、中大水泳部会長金子日出澄氏(57卒一東京都)・同幹事長若鳥健二氏(59卒一東京都)・中大学員会副会長一名誉評議員安田征史氏(38卒一熊本市)・応援団の大先輩長田孝弥氏(東京都)・応援団当時リーダー部長鈴木英昭氏(42卒一熊本市)・女子100m平泳ぎ日本記録保持者鈴木聡美(山梨学院大学)選手の育ての親末次学氏(44卒一福岡市)・昭和33年高校平泳ぎ界のスーパースター宮本英氏(38卒一熊本県)・九州水球委員会委員長有馬康一氏(53卒一鹿児島市)等々・・・
白門41会同期の秀島敏雄氏(競泳平泳ぎ-福岡県出身)の参加を期待していたが・・・? 会場は、中大の後輩村川満氏(46卒-八代市)が勤務していた「メルパルク熊本」。宴は、監督からコーチ・マネージャー・選手・選手の父母紹介、そして、それぞれからスピーチ(長すぎる人多し・・・)があり、その時間3時間にも及び辟易(OB全員)しました。
最後に私が締めくくって(1分)お開き。その内容を略記すると、2連覇13回目の優勝は逃したが、11年連続優勝の金字塔は燦然と輝いている。がっかりせずに、堂々と胸を張って歩けばよい。だが、忘れてならないのは、この11連覇を支えた人達がいる。それは、紛れもない中大水球(水球OBから拍手喝采)である。
何故なら、競泳が2部で低迷したり、日大・早大の後塵を拝して万年3位の定位置に甘んじていた時、中大水球は、インカレ優勝(S38-小生2年)・全日本優勝・リーグ戦優勝を果たして競泳を支え続けてきた。だから今があるんです。このことは決して忘れないでください。 それでは、3本締めといきたいところですが、来季のインカレ優勝か2年後の世界選手権出場か3年後のロンドン五輪出場のどれか1つが達成されるまで、1本はお預けにして2本締め(角田勝氏提唱)とし、お開きにしました。 (入江昭雄)
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