2月19日、前日の雪模様とはうって変わり絶好の好天気に恵まれ第46回青梅マラソンが開催された。
我が41会の選手は熊本から入江、藤沢から植田、墨田から田中、そして奥様に引率された田口の4名である。そしてこのメンバーの応援に24名の応援団がそろった。
41会の応援は実に17年にもなる。最初は3名。多いときには10数名が走った。中にはドクターストップがかかっている人も走ったり、その選手の伴走を名乗り出た仲間もいる。
思い起こせば青梅マラソンは46年前我々が中大を巣立った翌年に第一回が開催され、先の東京オリンピック・マラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉選手と一緒に走ろうと謳われて開催されたのであった。田谷選手は自衛隊体育学校の登録であったが中大2部の学生でもあり箱根駅伝に出場目指して入学していたのであった。その田谷選手を破ってこの記念すべき第一回に優勝したのは箱根駅伝6連覇アンカーの我らがヒーロー若松軍蔵君であった。
そして、第2回優勝者も中大生宇井光男君であり、青梅マラソンの歴史は中大との強烈な縁で始ったと言っていい。
青梅駅頭に9時過ぎに集合、前日から泊り込みのメンバーにより既に白門41会の幟が立てられていた。今年は異常なほど寒さを感じる。歳をとったせいかも。日向を選んで選手を待つことにする。
9時40分過ぎ頃から市民ランナーが通過してゆく。大勢の塊の中から41の選手を見つけるのは大変。目が回るようだ。選手のほうから声をかけられ、ガンバレ!ガンバレ!と声を限りに応援する。道路の向かい側では通り過ぎる選手のゼッケンや高校の名を呼んで声援するフアンもいて市民に支えられての大会の歴史を感ずる。復路の選手を見届けて”かんぽの宿青梅’’へ向かう。大浴場へ一目散、冷え切った体を癒し、大宴会が始まる。飲むほどに酔うほどに近況報告なども飛び出し、あっという間に2時間が過ぎる。
青梅駅前のそば屋で2次会。41の仲間ってなんて良い奴ばっかりなんだろうね。
”駆け終えし友と交わせる盃に四十六年の歳月を見る’’ (文・角田 勝)
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