長内先生を偲ぶ
宮田永生

 昨年7月に清瀬の病院にお見舞いしたときには、血色も良く、話には頭を動かして応え、帰り掛けにはがっしりした手で握手をしてくれました。その手の温もりがまだ残っているようです。

 四一会は長内先生が世話人代表となって同期生に呼び掛け、平成5年に創立されました。しかし、大学で要職を歴任している上、全国の学員から人気があり、交流範囲は広く、四一会のための時間をつくるのは容易ではなかったと思います。とにかく長内先生は学内外を問わず非常に人気がありました。
 
 その理由は、穏やかな人柄に加え、一つには母校の発展を真剣に考えていたため、母校を愛する人々の心配や提案を人一倍理解し共感できたからではないでしょうか。母校や学生のためなら労苦もいといませんでした。四一会創立当時の会報にも「私たちがこのような組織を結成するに至ったのは、単なる懐旧のためではなく、母校の明日をますます豊かなものとするための一助たらんと志したからにほかなりません」と先生の志が綴られております。

 その志のもと、四一会では、多忙な時間を割いて、自ら好んで使った「同期の仲間」を合言葉に、よく飲みよく語り合いました。学界の重鎮ながらも気さくに付き合ってくれました。ときには奥様や招聘中の外国人研究者を交えて交流の輪を広げました。そのような長内先生に会いたいがために顔を出すという会員も多かったのです。このため四一会は和気あいあいとしてまとまり、125周年募金では予想をはるかに上回る寄付金を集め、母校を支援することができました。

 とびっきりの愛妻家で、家事を手伝い、海外活動などにもよく同伴されました。ご家族にはもとより、学生、友人に対しても、誠意をもって対応し、裏表なく教育者を実践した人でもあったと思います。

 四一会としては貴重な精神的支柱を失いました。20年にわたる功労に感謝するとともに、長内先生の思いを無駄にしないよう早く立ち直らなければなりません。長内先生には、またみんなで会って乾杯ができるまで、しばらく見守っていただきたいと思います。心からご冥福をお祈りいたします。