“フレーフレーおさない“ 定時総会の席から、旅行の部屋から、みんなで君の回復を願っていたよ。
まだ、1年半しかたっていない。1年半よくがんばったね。君を亡くしたのは痛恨の極みというしかない。四一会を引っ張り20年、応援団の後ろ楯となって35年。「まさる、もういっぱいつきあえよ」、四谷の忘年会、新宿の忘年会、高田馬場の魚の店。なにより出会ったばかりの時、自宅に四一のメンバーを呼んで自ら創作したコース料理をふるまってくれたあの味は忘れられない。中央大学の中枢を担ってきた君が唯一裸で付き合う場が四一会であったろう。それだけに悔しい。しかし、「俺が選んだ道だよ。後悔してないよ」というだろうね。
自分の息子を中央大学に推薦しない。どうして?と聞いたときがあった。君は「それが中央の目指すところだよ」と言った。125周年事業を遂行するとき家庭内は一番大変だったはず。そんなことはおくびにも出さず背中を伸ばし正に大学を引っ張っていたんだね。太くまっすぐ生きた高潔の士。
毎年の箱根駅伝バスの中で年賀状をしたためる君。
“まんまるに月凍えたり箱根山”
君の作った俳句だよ。君の“男の美学”ずっと感じていたよ。去年の正月箱根で、応援団史上初の女性団長になる府木君をずっと見ていたね。寒風吹きすさぶ中ずっと見守って、彼女に自分の外套をかけてやった。彼女もそれを戴いて自分の任務を成し遂げた。君は寒いの一言も発せず毅然として彼女を見守り続けた。寒いの姿勢を見せずに・・・・・男の背中。
東京女子医大、埼玉医大、日立病院、救世軍清瀬病院、美智子さんの支えでよくがんばったね。筆談の字さえよくわからなくなって、それでも最期にくれた「心友」、大事にするよ。
短歌三首
”親友にがん見つかりぬ見舞ってもガンバレとしか言えぬ悔しさ”
”入院のベッドで握る友の手と強き眼差しズシンと響く”
”親友の遺してくれし二文字はようやく書けた筆談の「心友」”
また一緒に飲もう、黄泉で待て。 合掌