伴走って難しいの?
青梅マラソン絵巻 プログラム
直 井  誠

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 今回の青梅マラソンは50回目の記念大会で、例年以上の41会の仲間に沿道から声援を頂き、完走後の懇親会に出席頂いた。私は視覚障がい者の伴走で走ったが、「かんぽの宿」での懇親会で「伴走って難しいの?」と聞かれた。この質問の回答が極めて難しい。伴走は「難しい」ともいえるし、「簡単」とも応えられる。
 伴走をするにあたって、資格や検定試験というものは特にない。誰でも伴走をすることができる。私にできたのであるから。基本は、相手を「事故なく、安全に走るようにサポートする」ということではないだろうか。
 例えば伴走者は、歌舞伎の黒衣(子)と同じではないか。舞台の上で、役者が大向うの芝居好きを頷かせる最高のパフォーマンスを発揮することができるように早変わりを手伝ったりする。黒衣は当たり前のことを当たり前にしなければならない。それ以上でも、それ以下の行動をとってもいけない。伴走者は相手より前に出てお互いが握っているロープを引っ張ったり、転ばせてはいけない。
 「障がい」と言っても視覚障がいの人もいるし盲聾の人も、また身体障がいでハンドサイクルで走りたいという人も。それぞれの障がいによって伴走のやり方は全く異なってくる。私は毎週土曜日に知的障がい者と一緒に練習を、日曜日には視覚障がい者と走っている。
 視覚障がい者の伴走方法について懇親会で簡単に話した。そこでの説明と重複するが、一般的にいえば1つの輪にしたロープを双方が持ち、二人三脚のように走る。私たちが昔やった二人三脚を思い出してほしい。運動会では鉢巻などで二人の足首を結び、イチニ、イチニと走ったあれである。応援して下さった方にはお分かり頂いたと思うが、伴走では二人の足を結ぶことはない。相手が左足を出すときに伴走者は右足を出す。そうすることによってロープを持つ双方の腕の振りが一致する。双方が右足を出してしまったら、伴走者は速足をしてなおす。運動会で行進をしていて、前の人と足の動きが違ってしまった場合に調整するように。
 相手の歩幅、ピッチに伴走者は合わせる。歩幅、ピッチが同じ人の伴走であればやりやすい。練習でも自分のペースで走るのは楽である。余談だがその走りだけやっていたら速くはならない。自分より速い人について行くとか、逆に遅い人の走りに合わせる。極端だが歩く人を抜かないように走る。そのような練習をすることも重要である。
 パラリンピックに参加するような速い障がい者の伴走は、それなりの選手でないと務めることはできない。初めて一緒に走る場合は、1キロ当たり何分で走るかをまず確認する。
 あとは口頭でコースがどうなるか、さらに周りの状況を話す。「何メートル先から下り坂になる」とか、「30メートル先で9時の方向に曲がる」とか伝える。次いでその直前に「3メートル先を右に曲がります」と。特に今回注意したのは前日に雨が降って路面が濡れ、相手が踏むと思われるマンホールについて「5メートル先にマンホールあり」と伝えた。マンホールやグレイチングは踏むとカタンと音がする場合があるだけでなく段差があったり、思わずスリップすることもあるので。
 普段の練習から注意しているのは水分を取らないようにしている(熱中症の危険はあるが)。大会ではコース途中に「100メートル先に給水所」とか、「トイレあり」、「何キロ地点」などと表示されている。視覚障がい者の伴走をしているときはそれらをすべて相手に伝える。伴走者は「視覚」障がい者の「視覚」を担当するのであるから。
 相手が「給水を取らず進む」といえばそれに従い、「給水する」と言えば給水所に誘導する。私がトイレに行きたい場合でも、相手が行かなければ我慢する。そのため青梅に前泊したが、朝食は水分を控えめにした。(相手が知的障がい者の場合、給水所があれば必ず飲むように誘導している)
 練習会で3時間走、というのがあった。私は途中で伴走を誰かと交代してもらえばよい、と考えたが相手に伝えず走りだした。相手はフルマラソンの練習と考え参加していた。やりましたよ3時間。1回もエイドに寄らず給水を取ることなく私は伴走を続けた。
 昨年、東京・港区主催のお台場で開催された大会で伴走した。ナイトランというもので、当日はあいにくの雨。私は初めてのコース。しかも路面は通常の舗装やインターロッキングではなくタイル状のものが張られている。所々に仮設の照明も用意されていたが薄暗く、要所要所に係りが誘導するが直角に曲がるか、ヘアピンカーブになるかわからない。遠く高層ビル、近くには観覧車、雨に煙る夜景は素晴らしいがその説明をする余裕はなく、転ばせないよう注意して走った。
 ゴール(正式にはフィニッシュ)すると、係員から入賞とのこと。向かいのビルの表彰式の会場に行くようにと告げられた。ほどなく式典が始まり、一般の部に続いて障がい者の部、男子3位。表彰台にエスコート。賞状が授与され、メダルがかけられ、さらに副賞
も。その都度、表彰台の後ろから説明をした。
 私はこれまで多くの市民マラソンの大会に参加してきたが、表彰台に上がったことは一度もない。私が表彰されたものではないが、伴走をした結果として表彰台にエスコートすることができたのは最高の喜びであった。目の肥えた観客から、今日の演技はよかったと歌舞伎役者は褒められるが、黒衣は称賛されることはないと思う。だが役者が褒められれば、黒衣は吾がことと喜ぶのではあるまいか。
 ここまで読んで頂いたあなたと私は同じ歳である。古稀もとうに過ぎた。先日の練習会で視覚障がいの若者と走った。走りながら年齢の話になり私の歳を話すと「青森のばあちゃんと同じ歳だ!」と。毎朝の練習も走るよりハナズオウが咲きはじめた、キンクロハジロが1羽だけまだいる、と理由を付けて歩くことが多くなり、走力は釣瓶落し。一方、若い人達はどんどん力を付け速くなってきている。障がい者から、また親御さんから今度の大会で伴走をしてほしい、伴走者が足りないなどの連絡を受けると、私でよければと伴走
をしてきた。しかし、そろそろ終わりの時がきた。
 最後に、私は長年サラリーマンをやっていたが、その時は「障がい者」に接したり、「障がい」について考えたりすることはなかった。伴走をやることによって「視覚」障がい者から今まで私が見ることがなかったものを見ることができるように教わり、「障がい者」の立場からものを見ることができるようになってきたことも私にとって大きな収穫である。
 私たちの今の「普通」、今の「健康」は「砂上の楼閣」。1年後ではなく、明日に病に罹り障がい者になることもある。歩道を歩いていて後ろからペダルを踏み誤った暴走車が来ることも。
 オリンピック・パラリンピックを控え、「おもてなし」と言う言葉が氾濫しているが、海外からの観光客だけでなく人混みで白杖を持ち迷っている人や、荷物を持って苦労している人を見かけたら「サポートしましょうか?」と声をかけたいですね。(直井 誠)