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台風10号が残した西部多摩湖線の脱線事故も15日間の復旧作業を経て、やっと昨日6日に運転再開となった。・・・脱線当日は自宅近くだけに、事故の影響で2時間も車内や駅で足止めを喰らった。
さあ、今日は楽しい旅行・・・ところが生憎の雨である。これも台風13号の影響である。でも、小雨。時間になっても1人不明?、電話で確認!、“何!、自宅!”・・・日にちを間違えたとのこと。「“今日は人の身、明日は我が身”お互いに気をつけようね」と言いながら、バスは時間通りに出発。
久しぶりに元気な顔を合わせ、アチコチで話が弾む。後部座席では早速「恒例の宴会」も始った。
日野で1人ゲット・・・は9時40分である。
談合坂SAで15分の休憩の後、ひたすら中央自動車道を走り、途中「勝沼のブドウ樽」を右目に八ケ岳PAで、諏訪バイパスへ・・・ここで、12時11分早いね〜。昼食は、和中華“燦(さん)”で済ませ、諏訪大社参りである。
諏訪大社と言えば、「御柱」である。諏訪大社は上宮(前宮・本宮)と下宮(春宮・秋宮)の二社四宮からなる神社で、我々はこのうち本宮にご参拝である。
本宮と前宮は約1.5kmの距離にあるが、秋宮までは約15.0kmで、その約1.2km脇に春宮がある。まさに諏訪湖を挟んで上宮はJR茅野駅側、下宮はJR下諏訪駅側となる。
本宮でまず目にするのが、御柱(一之御柱でモミの木とか?);まあ立派の一言、そして地元出身力士である“雷電為右衛門の像”を左に見ながら、本宮への階段を上がると左手に“勅願殿”が・・・。私事の祈祥を行う場所らしい。神霊が宿るとされる守屋山(八ヶ岳方向)に向かって祈願するために設けられた建物である。諏訪大社は創建は古く、古事記の時代にさかのぼり、日本最古の神社の一つとされている。
美味しい空気を満喫した歴史探索の後は、蓼科高原チーズ工房である。試食だけしたのは誰?試食ゼリーは何種類あった?どら焼きのお土産もカマンベールチーズもおいしかったね。(笑)
そして、バスはお宿を目指して、八ケ岳ビーナスラインを快走。社内では久し振りの再開におしゃべりも元気ですよ。15時18分 “蓼科温泉ホテル親湯”に到着。
早速、露天風呂へ・・・川のせせらぎを聴きながら、のんびりと・・・いいね。(旅の良さを満喫!)風呂上りは、待ってましたとばかりの宴会である。話に花が咲いて、折角の料理長ご自慢の“和洋折衷の創作料理”をあわただしく口にし、さあビンゴだ!、カラオケだ!・・・いつもの光景である。
あわただしく通り過ぎた創作料理の一部を記録にとどめておくと、メインデッシュは「蓼科牛」、お口始めは「メカジキと生ハムサラダ仕立て」、前菜は「信州サーモン西京焼」、「甘鯛とソフトシュリンプきのこ添え」、お口直しに「柚子のソルベ」・・・ご馳走さまでした!。
翌朝、まだ薄暗い中、近くの山道に入ってみたが、静かで空気もおいしいが、静けさの中からクマが現れそうで、やはり怖くなって引き返し、蓼科“親湯”ゆかりの文人たちの恋物語を追いながら、ゆっくり朝風呂を楽しんだ。その一部を紹介しましょう。
@太宰治の新婚旅行・・・30歳で再婚の美知子と訪れた。39歳には若い愛人と玉川上水で自殺?
A瀬戸内寂聴が取材で・・・『ここ過ぎて』の取材で訪れた。夫に履物を隠されても恋人に会いたくて・・・。
B斉藤茂吉最後の女・・・53歳の時、24歳のふさ子と・・・二人とも生き甲斐だった人生・・・。(涙)
12時にホテルを出発し、「そば庄・蓼科高原店」で腹ごしらえ、店主の「食べさせてやるんだ?」の態度にはビックリ・・・挙句に、2人分未払いとのクレームに幹事さんも大変・・・テーブルごと支払いの領収書を見せて、「店側のミスと判明」〜いろいろありますね。(笑)
“蓼科自由農園”に立ち寄ってから、双葉SA〜談合坂SA(いつもの緊急駐車;笑)で16時15分。バス車内では、静かな寝息もチラホラ・・・“きみまろ劇場”で頬を弛め、笑いすぎて涙する者も・・・。そうこうするうちに、新宿到着。17時15分。リゾート気分を大いに満喫できた旅行でした。
いつもプロデユースして頂いている小笠原君ありがとう!!。そして、参加されたみなさんありがとう! 次回の旅行には、白門41会メンバーである貴方も貴女も是非参加を!。お待ちしていますよ〜。
(理工・電気) 田口 昭夫 記
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