内藤征吉君を偲ぶ

平成29年4月12日逝去

宮田永生
 白門41会結成時から幹事・事務局として会の運営に尽力された内藤征吉君が4月12日に亡くなった。在職中を含め51年にわたり一緒に活動し支えてくれた同期の仲間を失い本当に悲しい。
 奥様によれば、亡くなる2年前に肺がんが見つかったが、進行が遅く普通の生活を送っていた。この4月に入り違和感を感じて相模原市内の自宅近くの病院に入院し、一旦自宅に戻り翌日病院へ向かう途中で喀血し亡くなったという。
 思えば、内藤君と私はともに元中大職員で
公私にわたりいろいろ関わりがあった。職員組合では内藤君が組合長、私は副組合長として労使交渉の先頭に立ったこともある。内藤君は組合の山岳部長も務めお陰さまで私も登山に親しむことができた。同じ部署に勤務したのは母校創立125周年の頃でともに記念事業と募金に取り組んだ。飲みながら職場や人生の悩みも語り合った。
 41会では結成当初から長内幹事長のもとで学内同期が事務局となって運営を支えた。内藤君もこれに加わり、幹事会・総会はもとよりカラオケ同好会や旅行会などの行事にもよく参加した。9年前の「知床の旅」のとき、宴会後に風呂場で転倒し朦朧としていた私を内藤君が親身に介抱してくれたことは今も忘れない。
 学生時代以来の交友関係も幅広く、「僕には女性ファンもいるんだ」と言っていたほど。昨年のホームカミングデーでは卒業後50年学員対象特別企画で来場したその仲間達を集めて懇親会を開き旧交を温めたという。その交友関係は職場でも41会でも大いに活かされた。世話好きでひょうきんで思いやりのある性格が多くの友を引き寄せたのだろう。
 登山は内藤君の一番の趣味であり生き甲斐だった。日本中の山を踏破したいと言っていたが、奥様によれば百名山は完登まであと2か所だったという。そのタフな山男がこんなに早く亡くなるとはとても信じられない。奥様をはじめご遺族の悲しみはいかばかりかと思う。
 内藤君いろいろな思い出をありがとう。心からご冥福を祈ります。合掌。(宮田)