
小笠原長秀こと秀島敏雄君が逝った。41会のために尽くすだけ尽くして。
特にここ数回の旅行会では下見、旅館との交渉、バスの手配等全て任せておけば滞りなく参加者への気配りは抜群でおかげで楽しい旅行会が出来た。
福岡東筑高校出身。同窓には、高倉健・オリックス仰木監督がいて自慢の種だった。
中央大学水泳部では平泳ぎで活躍。水球の入江君とは同級生で試験時には協力し合ったものだ。敏雄はしかし、少林寺拳法、政界との繋がり等卒業してからの活躍が華々しい。
そんな彼が去年の夏前だったか、「どうも貧血気味だ」の一声から病気との戦いが始まった。9月の41会旅行では顔色悪く皆が心配するほどだったが役目を果たした。11月11日の新宿御苑の菊を観る会では必死に参加という状態であった。
そして12月10日遂に病名がわかる。即、小針病院に入院。ステージ4。しかし、「誰にも知らせるな」と病室から電話あり。亡くなる三日前の夜中12時に電話が入る。今年の41会の旅行を心配し、一言喋ると息がハアハア・・・もう長くはないと思い入江君に連絡した。熊本から駆けつけてくれたが羽田に到着は1月29日の午後7時。我々の願いも空しくその5時間後に遂に力尽きた。君は最後まで男の、侍の姿勢を崩さず立派に旅立った。
鎮魂のエールを贈る。学歌惜別の歌
1.遠き別れに耐えかねてこの高殿に登るかな
悲しむなかれわが友よ旅の衣を整えよ
4.君の行くべき山川はおつる涙に見え分かず
袖の時雨の冬の日に君に贈らん花もがな
6.君が優しき慰めも君が楽しき歌声も
君が心の琴の音もまたいつか聞かむこの別れ
(角田 勝)
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