吟道入門7年、出会った感動の物語!

馬淵 輝夫

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 縁あって詩吟道に入り早7年、感動の物語に出会った。その吟題は「青の洞門」(松口月城作)と言い以下に紹介する。
  青の洞門の漢詩
  ・・・・・略
           
              
平成30年11月末中津にて

 物語は江戸時代中期(1750年頃)で、場所は九州豊後(現大分県中津市)である。主人公は曹洞宗の僧侶禪海和尚、事績は断崖の難所に洞門(トンネル)を掘り多くの人々を救った物語である。禪海(現新潟県出身)は江戸に出て旗本に仕えるが、誤って主人を切り仇持ちとなった。禪海は主人を殺害した罪を悔い仏道に入り、修行僧として全国を行脚中、耶馬渓から中津に流れる山国川に辿り着いた。そしてその難所で多くの人や牛馬が度々崖から落ち生命を絶った事実を知った。そこで禪海は請願を立て人助けを決意!托鉢で資金を集め、多くの村人と共に鑿と槌で洞門を掘り始めた。しかし工事は難航を極め進まず村人も諦める者が続出した。だが禪海は苦難の内でも工事を続行、遂には中津藩の協力も得て、実に30年もかかって、遂に全長342mの洞門を貫通させたのである。
 一方、その間仇討ちに来た旗本の息子に出会い仇討ち勝負を迫られる。
 しかし、息子は禪海や村人たちからその崇高な理想事業を聞き感動!恩讐を超えて共に鑿と槌を揮い協力!そして数年後遂に洞門が貫通した。この時二人はこの偉業の達成に感動と驚きで胸がいっぱいとなり、感激の手を握り合ったそうです(菊池寛の「恩讐の彼方に」が有名)。
 余談だが、その後青の洞門では通行料を取って資金を回収。「日本最古の有料道路」とも言われる。また禪海は84歳まで生きながらえたとされる。
 私は今まで3回中津・青の洞門を訪れたが、今回は詩吟でその崇高な物語を知り、禪海和尚の記念像の前で感動の「青の洞門」を吟じた。聞いて戴いた多くの観光客からも喝さいを戴いた。最後に中津では12月初めから「禪海祭り」が予定されたが、残念ながら時間がなく断念。信念の僧禪海と惜別した。(2019.8.30)