豊島園の近くにあった馬場と馬房 建物は、陸上(駅伝を含む)、サッカー、ラグビー、馬術の合宿所 私達は昭和37年に入学しそれぞれの大学時代を過したが、おのおの自分の大学時代に立ち返って思いを致すのもいいものだと思い筆を取りました。 私は兵庫豊岡高校の出で、当時の佐川辰夫豊岡市長も法学部出身で弁護士をされていた。大学に入学した当時、中央大学総長升本喜兵衛先生の故郷も旧制豊中だった。偶然乍ら同級生8名が中央大学で過ごし、神田駿河台の″いろは寿司″の2階で何度か升本先生も交えて会を催したことを憶えている。 入学した夏、中央大学吹奏楽部を豊岡に招き、豊岡駅前からメイン通りを大学校歌を演奏しながら、数十名の楽員がパレードをした時の事は晴れがましく印象に残っている。 その後8名は、民放アナウンサー、財務省官僚、そごう社長、上場会社役員とそれぞれ各界で活躍し、東洋テクノ株式会社社長米田和久氏他を除いて一線を引いている。皆懸命に努力すればそれなりに報いられるいい時代を過ごさせていただいたと思える。 私は馬術部で4年間過ごした。当時馬6頭を部員25名程で世話をしていた。365日24時間片時も馬房から離れることなく、ボロ掃除、馬房清掃、馬体の手入、餌やりなど数時間練習を除いて時間を費やし、大学の授業に出れば友人から馬臭いといわれたことも懐かしい。そんな全くの素人であったが、強化合宿で朝5時から徹底的に鍛えられ、飛乗り飛降り左右30回、鐙上げでの騎乗訓練を繰り返す内、その年の暮には障害飛越が出来るようになっていた。 クロスカントリー競技の金メダル 大学3年の時東京オリンピックが開催され、関東学生馬術協会主任幹事をしていたことで、オリンピック組織委員会より委嘱状が届き、馬術競技の役員を務めた。当時20歳だったので恐らく最年少の役員だったと思う。役員には紺に日の丸のエンブレムのついたスーツとグレーのズボンを支給され、軽井沢でのクロスカントリー、代々木メイン会場での大賞典馬術に参加、その直後にあった閉会式にも立ち会え生涯の思い出として残っている。 卒業して50数年が経っても私の体の中に中央意識が根強く、中央大学が卓越して強くなって欲しい、そう願うばかりである。(西岡彦弥) 東京オリンピッククロスカントリー競技(外国人選手)