卒業後、日本橋本町の製薬会社に就職。いきなり担当地が長野県と告げられた。歩いて通える本町通勤のつもりが…、梯子が外されたようだった。

伊那谷の風景

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中央の南北(上下)に走る筋は「中央構造線」
(長野県観光マップより) |
高速道のない時代、甲州街道を延々と富士見高原から諏訪へ入るか、中仙道ならばひたすら関東平野を抜け碓氷の峠を越えた。中央アルプスと南アルプスの谷あい、天竜川流域の伊那谷にかかると隔世の感を覚えた。初めて飯田に入った時は、涙が出るほど心細く切なかった。余りにも遥かな道のりに、最果てを感じたからだろう。
数年前、浜松から秋葉神社に詣でた折、ふと思いたって伊那谷の東側の端を南北に連なる径に挑んでみた。中央構造線のラインであろうか。かねてから気がかりな真っ直ぐな径であった。昔取った杵柄に触発されたかもしれない。
秋葉神社下社からは、いきなり崖地に削り付けた小径に入ったような感じになる。森の中のせせらぎ径を延々と辿り、青崩れ峠を越えた。青崩れはもろく崩れ易い地層の意味であるらしい。空がぽっかり開いたような遠山郷を抜け大鹿村へ向かう。同じような渓流沿いを走り、峠越えの意識のないまま地蔵峠を越えていた。
その先の大鹿村には、村営の診療所と大西山があって親しみがあった。その大西山の崩落した山肌が左手に見えた時は少々混乱した。そう、これが中央構造線の現れなのだ。真っ直ぐな路を南から来ていたようだ。気付かず逆から来たことに、半世紀振りの記憶をリセットさせられたようだ。
リニア新幹線は大西山の南側をクロスする形でトンネルを抜け、飯田駅でひょっこり顔を出すらしい。東京から1時間ほどで伊那谷を望めるとは隔世の感である。 (大野
雅久)
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