これまでの人生を振り返って

私の原点は、あえて清貧に甘んじ、
誇り高く生きた父・辰二の生き様、
父亡き後一家を支えた母、そして 
私を育んでくれたふるさとの山畑。

2022.2.2
高 橋 伸 二
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バンカーショット 今は月1ゴルファー□□□
 私のふるさとは、群馬県富岡市の岩染という山深い集落です。世界遺産・国宝の「富岡製糸場」からおよそ6.5キロ南にあります。私は、この山村で昭和16年2月25日に農家の二男として生まれました。父・辰二は農業の傍ら詩作や文学活動に没頭し、農民詩人・県議会議員として名を成しました。
 私は5人兄弟の二男でありましたが、3人の弟たちをたばねて高校卒業まで農業・コンニャク栽培に精を出していました。高校卒業を機に上京して鉄工所勤務やプロボクサーなどを経験しましたが、進歩のない生活をしていた自身を叱咤激励。一念発起して昭和37年に中央大学法学部夜間部に進学しました。翌年、第一法学部法律学科に転部して、法律家を目指しました。大学4年の時に鉄工所を退職して司法試験を目指し、寝食を惜しんで1日20時間の猛勉強を自身に課しました。その甲斐あってか、昭和41年卒業の年の秋に司法試験に一発合格できました。
 私の原点は、あえて清貧に甘んじ、誇り高く生きた父・辰二の生き様であり、父亡き後一家を支えた母であり、そして私を育んでくれたふるさとの山畑であると思っています。司法試験に合格し、「お金持ちからお金をいただいて弱い人を助けたい。」と弁護士になる決意を父親に話した時「そうか、強きをくじき弱きを助けることはいいことだ。」と嬉しそうに何度も言われたことがきのうのことのように思い出されます。その父は、私が司法研修所に入所する直前の昭和42年3月に脳出血で急死しました。


         父辰二の詩碑の前にて □□         
 私が司法試験に合格し、2年の司法研修終了後の昭和44年4月に弁護士事務所を開設しました。弟2人(勝男・勉)も私の後を追って、司法試験に合格しましたので、高橋三兄弟法律事務所の所長として、弁護士7人で今も元気に多忙な日々を送っています。
 私は、弁護士活動を始めて52年になりますが、弁護士業務の傍ら芸術・文化活動にも積極的に関わってきました。今や国際的な地位を確立している草津アカデミーの評議員や群馬交響楽団の理事などを務め、音楽文化を応援しています。また、「富岡製糸場を愛する会」の理事長として、30年以上にわたり富岡製糸場を全面的に支援して、その文化価値を伝える活動に取り組んでいます。そして、製糸場の工女物語をつづったNHKの映画「赤い襷」の無料上映会を昨年から群馬県全域で行っています。
 さらに、昭和24年に当時の民選知事の応援団として群馬県内の有力者が結集して創立した「上毛倶楽部」の理事長を最近引き受けて、郷土群馬のために微力を尽くしています。また、一昨年9月には、群馬県公安委員会委員を拝命し、弁護士経験を生かして、公正かつ適切な県警察業務の執行を見守っています。
 私は、昨年傘寿を迎えました。これまでの人生を振り返りつつ、三兄弟と事務所の弁護士、スタッフとともに「自他の自由を守る」ため弁護士を続けていますが、寄る年波でパワー不足により50年余り楽しんできた週1ゴルフが、月1ゴルファーになってしまいました。時間と身体が許す限り、これからもご同輩とのゴルフ談議を楽しみたいと願っています。
              (群馬・高崎市 高橋三兄弟法律事務所所長 弁護士 高橋伸二)