私と中央大学・近況

2022.8.17
細 井 幸 子
近況報告・エッセー一覧
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           自宅の道場にて(前列左端が本人、中央は主人)

 4人姉弟の長女であった私は、高校3年の冬に母を癌で亡くし、受験した大学も不合格、止むなく司法書士をしていた父の事務所を手伝うことにし2年勤めましたが、何か飽き足らず退職しました。
 止めてはみたものの目標のないまま取り敢えず洋裁、和裁、料理、茶道、当時はやりの花嫁修業的なことをしながら、同時に好きだった山登り、スキーに明け暮れていました。
 そうこうしているうちに、このままで良いのかと遅蒔きながら自立心も芽生えてきました。高校卒業から4、5年経っていました。
 思いあぐね相談に行った高校時代の先生からは、そんなことより嫁に行くことを考えたらどうかと(当時女性は25歳くらいまでに結婚するのが普通でした)。その言葉に気落ちした私でしたが、その折、目にしたのが通信でも大学に行けるという道でした。大学への道をあきらめていた私にとってはまさに暁光でした。
 自立して生きるには何か資格をと父の仕事の関係もあって司法書士を目指すこととし、選んだのが中央大学通信教育課程(法学部)でした。この決断は私を大きく飛躍させてくれたと今でも思っています。
 通信教育課程ですから普段は自学、レポート提出、夏のスクーリング出席という4年間ですが、東京在住の私は一般学生に混じってよく講義にも出席、多くは司法試験受験生で一杯の古い図書館も利用させてもらいました。そこで司法試験に挑戦していた夫と出会い結婚、お陰様で目標であった司法書士の資格も卒業した年に得ることができました。
 けれどもせっかく手にした資格でしたが、訟務検事、後に判事を勤めた夫の転勤が多く、実際、司法書士の仕事はほとんどしないまま現在に至っております。
 数年前に他界した夫は無類の武道(剣道、槍術、薙刀)好き、転勤の先々でも稽古を欠かさず、武道中心の生活を送った人でした。私も結婚当初よりその世界に巻き込まれ、気がついたら50数年(私の場合は薙刀ですが)が経っていました。
 今では退官後に夫のために作った小さな道場で細々と後輩の指導をしながら、稽古を楽しんでおります。今年84歳になります。         (東京・世田谷区 細井幸子)


     (本人は左から2人目)               (本人は左端)
               山形での指導風景