青梅市役所で二人(入江、直井)はそそくさと着替えをし、東青梅駅から青梅駅に。
駅近くの懇親会場「中華偕楽」に入ると二人は、待ちかねた応援の方々が沿道で応援してくれた時に使用した華やかに飾られた名前入りの「団扇」を渡され、さらに「襷」を首にかけてもらった。その幅の広い襷には「今日の主役です」と大きく書かれている。まるで選挙戦に使う襷そのものでしたから、笑いながら「参議院選挙に立候補する予定はありません」と。
リレーで襷を繋いだことはあるが、このような白で赤い縁取りをされた派手な襷はみるのも初めて。懇親会場で襷を付けるのは想定外。乾杯をし、次々と運ばれる中華料理に舌鼓を打ち、皆さんと歓談。笑顔で色々と話しているが、私の散らかった脳の片隅の「襷」がどんどん大きくなる。
今回の青梅マラソンは「第57回大会」であるが、雪やコロナ禍で中止もあり第1回から約60年である。その第1回大会の優勝者は我ら四一会の若松軍蔵幹事である。軍蔵さんと言えば我々学生時代の箱根駅伝、特に2年次では10区アンカーを任され、9区の走者から2位で襷を受けトップ日大と2分50秒差・距離にして870m差を、先を行く日大のアンカーに増上寺付近で追いつき追い越し逆転優勝し、6連覇と言う今でも破られて
|
いない大偉業の立役者である。
この青梅マラソンには多くの会員が走り、また応援に毎回駆け付けた。私も出場抽選に外れ走ることが出来ない時は応援に回った。
いつも「かんぽの宿」で前夜の壮行会、走り終わっての懇親会。年度末の忙しいときに当時の長内幹事長をはじめとして沢山の会員が集まった。既に鬼籍に入った方々、走ったり、応援に参加したくても外出できない者、それぞれの顔、顔、仕草までもが次々と思い出される。その方々が眼に見えないが次から次ぎに「襷」を繋いできたのではないか。
私自身のことを言えば昨年、入院手術しジッとしていて筋肉、脂肪もなくなり体重が軽くなった。昨年の大会は、「視覚障害者」の伴走をした。正直に言うと私の担当の前半は一生懸命走った。女性の伴走者に交代してからは歩いてしまった。
私は残念ながらもう来年は走れないであろう。四一会の青梅マラソンは今回が最後、と言う声も聞こえる。どなたかに襷を託すことはできないのであろうか。帰りの電車のなかでも、頭のなかの「襷」は大きくなりウルウル・・・。
最後になりましたが、二人のたどたどしい走りに青梅駅近くの走路で励ましていただきました応援の皆さんに感謝申し上げます。
|