青梅駅伝に幕!
41会の皆様の長年の応援に感謝
2026.2.15
入 江 昭 雄

写真:柳下敏男
青梅マラソン出場・応援・慰労会


 第58回青梅マラソンで制限タイム内でのゴールが出来ず、今回をもって出場を断念することに致しました。
 
《青梅マラソンの追憶》
 青梅マラソンは1967年(昭和42年)に第1回大会が開催され、中大同期の若松軍蔵さん(箱根駅伝中大6連覇の立役者)が東京五輪銅メダリスト円谷幸吉選手を抑えて優勝(第2回大会宇井光男=中大=優勝)。中大と縁が深い歴史ある大会に、私は昭和62年(第21回大会)から40年近く出場しました。
 白門41会が結成された1993年(平成5年)から3年後に「青梅マラソン出場・応援・慰労会」が41会の事業計画に組み込まれ、以来30年の歴史が刻まれました。
 当初は出場者・応援者を含めて20〜30名が青梅の「かんぽの宿」に宿泊し、激励・前夜祭と称して深夜まで大宴会。翌日はアルコールが残った状態で走ったものでした。青梅駅前のコースには宮田幹事長が「白門四一会」の大きな幟を持ち、当日応援者10数名を加えて大勢の友に大声援を受けて走る醍醐味は格別でした。
 完走後は「かんぽの宿」に戻り、女性会員を含めて30〜40名の大慰労会。飲むほどに酔うほどに仲間の友情に感謝しながら、締め括りは角田勝元応援團長の慰労のエールに感
激。あっという間の楽しい楽しい2〜3時間でした。勢いあまって青梅駅前の蕎麦屋での二次会がいつの間にか恒例になりました。
 青梅マラソンの魅力は、まず好天に恵まれている・豪華ゲストと一緒にスタートの号砲を待つ独特の雰囲気・41会の仲間の応援&慰労会・沿道の大観衆・太鼓・ブラスバンドに励まされます。
 絶対忘れてはならないのが河辺駅近くの中大の大先輩久保田邸での着替え・完走後の入浴・昼食乾杯迄出場者全員がお世話になりました。41会以外でも浅沼軍団の日野市社会福祉協議会の皆様、私の小中高の同期生、46会の鈴木昭男さん、応援団OBの松本利一さん、最後まで一緒に出場してくれた直井誠さん等々決して忘れることはありません。
 思い出されるのが、青梅マラソンに抽選漏れしても何時も復活当選を確実にしてくれた同期の藤本正子さん=人見絹江(大和撫子メダル1号)の再来と言われた東京五輪陸上800メートル出場=。大会役員でもあった藤本さんに、ゴール手前で毎年「確り走りなさい!」と何時も肩を叩かれた往時が懐かしく蘇ります。
 皆様に感謝しても感謝しても感謝しきれません。有難うございました。(入江昭雄)