明石君(白門四一会幹事、上掲写真右)が2026年8月15日に亡くなりました。彼とは大学時代社会心理研究会で出会い、以来60年来の親友、心友でした。
身体が太めの彼は心も大きくスケールの大きな聡明な男でした。「坂の上の雲」にも出てくる明石元二郎は彼の大叔父に当たります。日本のスパイの元祖で日露戦争を勝利にもたらし、後の台湾総督になった人物です。その血を引いた彼は日本経済新聞社に就職、後に専務にまで上り詰めました。
私は日本テレビに入りましたが同じマスコミ同士で気が合い、月に一度は会って食事をしたりよく喋りました。高崎出身の彼は学生時代、高崎から駿河台の校舎まで通ってました。日野の我が家にもよく来て家族ぐるみの付き合いでした。その昔結婚式の司会も彼に頼みました。我が女房とも仲良しで3人で旅行にも行きました。去年秋の岡山3泊旅行は今となっては良き思い出になってしまいました。
人付き合いがよく、日経や高校、ゴルフの仲間とも幅広い付き合いをして誰からも愛されてました。面倒見が良く人から誘われると断わる事ができず、会社を辞めた後も一日中家に居たことはあまり無かったようです。最近では住まいのある柏市の仲間と俳句の会もやってました。
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彼や仲間とよく旅行もしました。学生時代は大阪、九州、東北の調査旅行、最近では佐渡や小田原への美味いもの巡りの旅などこれからも色々計画していたものを、、、、
そんな明石くんが7月13日に長野の我が家の別荘に一人で来て泊まっていきました。腰が痛いといってましたがいつもと変わらず元気で良く食べビールも美味しそうに飲んでました。それから半月後奥さんの弘子さんから連絡があり明石君が3日前に入院したとの事。しかも容体はかなり深刻で肝臓癌のステージ4で手術も出来ないという。大切な親友の突然の報に涙が出ました。
彼は自分の人生を冷静に達観して抗がん剤治療はやらず、緩和ケアの道を選びました。「達観」とは状況をよく理解した上で良い意味で諦めるさまの事だそうです。何も食べれなくなった彼をお見舞いに行った時、声を振り絞って「俺の人生は運が良く幸せだった」「有山、奥さんを大事に感謝しろよ」と言うのが最後の言葉でした。それから10日後、彼は亡くなりました。健康には自信があったのか、病院嫌いで検査もあまりして無かったようです。それが悔やまれます。
「明石くんよ! 君の人生は立派だった。最後まで。俺も見習いたいよ。でも痩せもせず、苦しまずに覚悟して逝ってよかったね」
合掌
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