かんぽの宿「磯部」
藤本事務局長から電話をもらった時は雑用に追われていたが、 僕は嬉しかった。 思わず参加したい旨を返事してしまった。 大学時代の友人達といっても正直なところ、
学生時代余りまじめな学生ではなく、 学校をサボってはバイトに精を出していたので知人は少なかった。 スケジュールを見、 文化祭が重なっていることに気がついたが、再会したかった。
PTA会長がいなくてもうまくやってくれるだろうと思い、 学校へ出掛けて校長始め教頭先生に事情を説明して強引? に許しを乞い、 はれて参加することとあいなった。
出席して最高に楽しかった。
それは仕事や社会的地位に関係なく学生時代の昔にかえり誰彼となく話し合い、 酒を酌み交わし一夜の酒宴を満喫したからに他ならない。
僕は新潟からの現地参加ではあったが、 すぐに東京の連中と打ち解けた。 それはこの四一会が幹事長を始めとして、 幹事達一人一人の気配りと、
人垣の輪を大切にするあらわれであろうか、 と思えてならない。 この度は世話役の入江さんの並々ならぬ気配りと、 幹事の人達の努力で、
こんなに楽しい和気あいあいとした場をすごせたのも、 僕にとって思い出の一ページとなるだろう。 また、 宴会の席で長内幹事長の提案として、
小生のテレホンカードが留学生を励ます会への寄贈品と知った時の喜びと感動の後、 宣伝用のテレカをもっとカバンの中へ入れてくればよかった、 と思った。
宴たけなわとなり、 校旗や支部旗のもと、 参加者全員が起立して校歌をうたい、 惜別の歌をうたった。 万感、 去来するものを感じた。
特に角田さんや鴻池さんによる中大応援歌のエールは素晴らしかった。 この一瞬、 34名の参加者全員が心を一つにして、
流れゆく今宵の演出に酔いしれたのは僕だけだったのだろうか、 いや全員が酔いしれた。 本当に最高の夜であった。 だから、 来てよかった、 参加してよかった。
タイムスリップした過去と現在に思いを馳せながらそう思う。 これから支部旗のもとに僕等の人垣が益々集結し、
(まだ不明である仲間や学員会入りを躊躇している皆さん遠慮することはない。 皆原形は多少、 くずれてはいても昔の友であり、 学友だ)
輪を広げて末永く活動するよう皆で盛り立ててゆこう。
さて、 話かわって現在、 僕は石打の地でスキーの宿をやっているが、
独断で喋らせてもらえれば41会の名簿から新潟県在住者をリストアップしたところ8名の仲間が在住していることが判明した。 そこで更なる輪を広げるため、
その方々に連絡をとり41会を側面より支えてゆけるよう働きかけていきたいと思っている。
まだ、 参加されていない同期の桜、 いや、 41年卒業の皆さん、 一度は必ず顔を見せて欲しい。僕などとうに原形が崩れて昔の紅顔の美少年の面影はみじんもないが、
それでもこれから参加したいと思っている。 再会したらよろしく。 (榎本)