焼津旅行会に参加して
かんぽの宿「焼津」
1996(平成8)年10月29-30日
亘 明 彦
(「白門41会だより」第9号より)



               かんぽの宿「焼津」
  平成8年12月7日、 初めてしかし 「やっと」 本会の行事に参加することができた。
 というのは、 数年前から東京での毎年の総会に参加予定だったが、 仕事の都合で出席不可能となり、 今回はまさしく 「やっと」 の思いで馳せ参じた次第だった。 宿舎の簡保焼津保養センターは、 近くのホテルにひけを取らない立派な高層ホテルの施設であり、 8階の展望風呂からの眺めは素晴しく、 焼津付近の夜景を満喫できるものだった。 宴会では、 41会のメンバーの前静岡市長の天野氏をはじめ、 地元の41会の方から地酒等の差し入れのもてなしを頂き、 感謝の拍手が会場から湧き起こった。
 食物では、 漁港焼津の地の利を活かし、 最近のグルメ志向にピッタリの酒の肴が供され、 生きのいい刺身で一杯の舟造りは圧巻であった。
 大学の現況については、 白門41会幹事長長内了中央大学法学部長より説明を受け、 我々が卒業後、 多摩校地へ移転した新生中央大学への思いを一層強くした。 一次会の次には、 藤本義幸氏の部屋に一同再集合し、 お互いの旧交をさらに温めることができた。 特に当時の東京オリンピックに出場された方々などのつきあい話がはずんでいた。 同部屋の中に中央大学職員の宮田永生氏がおられ、 氏からも中央大学の近況についてさらに多くの話を聞くことができた。 学生時代からの様々な体験についても話がはずみ、 同窓生という気安さからも同部屋の4人は時間を忘れる程だった。 2日目は、 観光バスで焼津付近の観光巡りとなり、 出発時には再度地元41会の方から差入を頂いた。 焼津のさかなセンターでの記念写真撮影時に、 偶然さかなセンターの職員の方が白門43会の方であることがわかり、 狭い世の中を実感した。
 帰宅後の感想は、 俗世間を離れた浦島太郎のそのものの思いだった。 今回の旅行では長内氏、 鴻池氏、 藤本氏等多くの方にお世話になり、 厚く御礼申し上げ、 深く感謝している。  (文・亘)