第4回定時総会講演会
学員会副会長・弁護士 市橋千鶴子氏講演要旨
『中大と今日の私』
1996.6.8
ゆうぽうと五反田
(「白門41会だより」第8号より)
トピックス総目次

 唯今ご紹介をいただきました市橋千鶴子でございます。 本日は白門41会支部総会にお招きをいただき、まことに有難うございました。
 つい10年ぐらい前までは、 各方面のご依頼で、 身近な法律問題などについていろいろお話を申し上げてまいりましたが、 昨今は極力ご辞退いたしておりますので、 果してご期待に副えるお話ができますかどうか、 心許ない思いでいっぱいでございます。
 ことに、 「中大と今日の私」 などと、 総長でも学長でもない一学員の身で大それたテーマを掲げさせていただきましたが、 私は何時でも、 誰方にも申し上げてきたことのひとつに、 今日まで私が曲りなりにも社会のお役に立つと思われる仕事を続けることができたのは、 偏に母校中央大学のお陰であると思っておりますので、 何分突差のことで、 仮題としてこのようなテーマを申し上げてしまったものと思われます。 したがって、 今日皆様にお話申し上げたいことの要点は、 この世における出逢いの不思議さとともに、 折角のこの出逢いを大切にされるようにということを、 お話させていただきたいと思っております。
 私ごとで恐縮でございますが、 今思いますと、 私が中央大学と出逢いましたのは昭和24年のことであり、 しかも極めて偶然の出来ごとが重なってのことでした。 それは疎開先の盛岡で、 双方の恩師の紹介で知り合った夫と結婚して2年目のことでございました。
 子どもの頃から、 生涯を臨床医で過した叔母のような女医になりたいと思っておりましたが、 寿命の短かいことを自ら予知していたのでしょうか、 父はそんなに長い就学期間手離せないと申して、 どうしても賛成してくれないまま、 昭和17年に53才の若さで、 既に始まっていた太平洋戦争の勝利を信じつつ亡くなってしまいました。
 長い戦争が終り、 漸く世のなかに平和が戻って、 ふと気付いてみると私の頭のなかは空っぽになっており、 何か無性に学びたいと、 知識に対する飢餓状態になっている自分を見出して、 まさに愕然とした思いでした。 丁度その頃、 三渕嘉子さんが女性初の裁判官に任官されたという報道に接し、 そうだ!憲法も変った。 これからの社会には女性法曹の途もあったのだと目の覚める思いがいたしました。
 それから程ない頃、 夫が会社から中央大学通信教育学部の願書を持ち帰ってくれました。 聞けば若い社員が自分のために取り寄せたものを借りてきたというのです。 地方にいて法律の大学教育を受けることができるという、 この素晴らしい出逢いを、 私は早速に躊躇なく掴ませていただきました。
 テキストを貪るように読み、 ご飯を炊く間やお菜を刻む間も答案構成を考え、 夜遅くまで起きてレポートを書きましたが、 その頃始めて出逢った 「民法総則」 や 「物権法」 の何と新鮮で面白いことであろうかと、 目を瞠る思いで次々とテキストを読みすすめました。
 ところが、 そこで思いもかけない難題が起きたのです。 というのは、 私は旧制高等女学校卒業なので、 新制高等学校卒業の認定試験に合格しなければ、 新制大学の入学資格に欠けるというのです。 英語は敵国語として十年間離れていましたし、 数学も微分、 積分などは旧制高女では履修しておりません。 物理、 化学も全部やり直しで、 私にとっては司法試験よりも気持ちのうえで辛いハードルでした。
 実は旧制高女卒のとき、 私は国文学に憧れて奈良女高師を受けたのですが英語で失敗し、 失意のさなかに、 担任教師から日本女子大への推薦入学を熱心にお勧めいただいたのです。  父も乗気ではなく、 私自身も折角の先生の、 あなたの成績なら文句なしに入学できるとの有難いお勧めのお言葉なのに、 却ってそのことに反撥し、 また女子大なんて良妻賢母教育の最たるものぐらいに考えて、 固くご辞退をしてしまったのでした。
 もしこの時、 日本女子大との出逢いを大切にしていたのであれば、 幼い長女を寝かせたあと、 炬燵で微分、 積分を教えてくれる俄か教師の夫に、 寝ては駄目じゃないかと頭を小突かれないでも学士入学できたのにと、 このことは本当に大きな後悔の種でした。 出逢いを粗末にした報いの大きさを痛感したのです。
 つぎは、 学研連中桜会研究室との出逢いでした。 通教の学生にとって、 レポートの採点に際しての指導の先生の種々の添え書きは、 大層大きな励ましとなるものです。 なかでも卒業自体を危懼していた私に対して、 この位の答案が書けるのだから、 司法試験を目指すことも考えなさいと、 夢のようなお励ましを下さったのは、 現在弁護士の塚原豊喜先生で、 木川統一郎先生も、 必ず親身のお励ましのお言葉をあたたかく添えて下さったことをいまも鮮明に記憶しております。
 両先生のお勧めで3年生の秋、 通教生として始めて中桜会の入室試験に合格し、 そこで、 ある中桜会の大先輩の方から、 通教生であることも意義はあるが、 将来法曹となったときのことを考えて、 是非この機会に転部試験を受けておきなさいと強いお勧めをいただいたのです。 既に夫の転勤で東京に在住し、 日中お講義を選んで聴講しておりましたので、 私は夫の同意のもとに、 躊躇なく受験してみることにいたしました。
 転部試験は当時でもなかなか難関で、 聞くところによりますと、 300名からの受験生のうち、 希望が叶えられるのはほんの数名とか、 幸いにもその一握りのなかに入ることができ、 法学部一部四年生として晴れがましい気持で研究室に通い始めました。 我妻栄先生の 「民法総則」 も始めて手にし、 一週間後に答案練習に臨むという受験生活もその時始まったのです。
 いわゆる受験のための基本書を読み始めて半年目の在学中の受験では、 流石に学力不足と、 期間中研究室の机上に俯伏せて2時間の睡眠という無茶な受験態勢では、 問題の読み違いという重大なミスも加わって、 ものの見事に失敗しました。 昭和29年卒業の年の受験のときは自宅で充分に睡眠をとり、 問題もよく読み、 時間いっぱい答案を見直して、 幸いにも司法試験筆記試験に合格することができたのです。
 その夜お祝いのお膳の前で、 夫や母そして妹の前に手をつき、 5才になった長女を抱きしめながら泣けて泣けて仕方がありませんでした。 喜びの涙がこのようにあたたかく心地よいものであることを、 私は女学校の卒業の日以来久々に味わっていたのです。 その涙のなかで、 離乳できないまま、 やむを得ず生後11ヶ月目の長女を抱いてスクーリングに出席した折、 部長室をそっくり私に提供して下さった、 ときの通教部長阿部文二郎先生の慈父のようにお優しい笑顔や、 お講義のあと教壇から真直に私の方に歩み寄られて、 大変でしょう。 しっかり勉強して下さい、 と子どもの頭を撫でて下さった安平政吉先生のお声や、 子守りは馴れているからと長女を預かって、 私に憲法の単位試験を受けさせて下さった通教生の高野覚さんの、 泣かれて困り果てた汗みどろの真赤なお顔などが次々と思い出されて、 またしても涙が溢れて来るのでした。
 中央大学は、 本当にあたたかく血の通った素晴らしい大学です。
 三番目にお話したい出逢いは、 白門婦人会との出逢いです。 主婦の友ビルに女性弁護士6名の共同事務所をもっていた昭和40年頃のあの界隈は、 学園紛争の嵐が吹き荒れていました。 デモ学生がガス銃に撃たれて倒れ、 母校の校舎がバリケードで封鎖される傷々しい現状を目にするにつけ、 何とか女性学員の母心をこの学園の荒凌の回復に役立てられないかと考え、 中野愛子さん、 藤本幹子さんと三人の発案で、 昭和43年春、 主婦の友ビルで白門婦人会の設立総会を開催しました。
 ときの中央大学常任理事の本島寛先生、 評議員会議長の荻山虎雄先生、 学員会会長の谷村唯一郎先生という母校の大先輩の方々が、 生みの親、 育ての親と仰言られながら大きなお手で支えて下さり、 会は間もなく支部承認をうけ、 私はこの会の副会長を5年、 会長を15年つとめた後に、 学員会副会長に就任して今日に至っている次第です。
 会員の皆さんも、 この30年近い歳月を、 少しでも母校の発展のためにと懸命に尽してまいりましたし、 大学役員、 教学執行部、 学員会正副会長の皆さまをはじめ、 数え切れないほど多くの大学関係の方々のお力をいただいて、 白門婦人会も学員会にしっかり根付いてまいりました。 この会を文字通り生み育ててきたつもりの私としては、 この会の成長こそ、 私の母校との出逢いの成果の一つであり、 その出逢いを大切にしてきたお陰であると思っております。
 最後にもう一つ、 私には俳句との出逢いがございます。 私はどちらかといえば、 開放的な家庭で育ちました。 父は早稲田の学生の頃覚えたバイオリンや野球に至ってはアンパイヤまで引受け、 早慶戦のときはラジオに噛りついており、 一方母はスキー、 スケート、 ハイキング、 洋画といった具合だったのですが、 何故か私だけは日本の古典に魅かれ、 小学生のときから望んで琴を習いに出掛けたりしておりました。 したがって、 司法修習生のとき、 宝生九郎師の能 「隅田川」 を鑑賞した感動の結果の謡曲、 仕舞の稽古が30年も続いたと思っています。
 墨画もかれこれ10年は続けておりましたが、 その仲間に誘われての吉野の竹林院での句会以来、 いきなり全山の桜に出逢って感動した影響もあったと思いますが俳句の魅力にとり憑かれ、 いまは俳句に集中しております。
 私は俳句と出逢ったお陰で、 母校の大先輩であるとともに、 俳壇の重鎭である石原八束先生のご指導をいただく機会に恵まれ、 先生の母校愛のお陰で、 学員時報に 「中央俳壇」 欄が誕生して既に3年が経過しました。 そのことを記念して、 本年9月刊行を目標に、 全国の学員俳句愛好家を中心とする118名の方々から20句づつの力作をお寄せいただいて、 ただいま 「中央俳壇合同句集」 の編集にいそしんでいるところです。
 ここで皆様にご報告申し上げますが、 この合同句集に、 私どもが日頃より敬愛してやまぬ本学理事であり、 法学部長の長内了先生が、 一方ならぬお忙しさのなかからお作品20句とエッセイをお寄せ下さることになっており、 編集関係者一同首を長くしてお待ちしているところでございます。
 以上長々とささやかな体験をお話申し上げてまいりましたが、 皆様方もどうぞ出逢いを大切にされて、 豊かな人生を過ごされますよう、 そのことを祈念申し上げて終らせていただきます。 御静聴を有難うございました。