好天に恵まれた2月4日、今年も白門41会の同士が青梅路を走り、応援の仲間と健康を祝いあった。
この青梅マラソンは、昭和42年2月(41年度)に「円谷選手と走ろう」をキャッチフレーズに第一回大会が開催され、その第一回大会の優勝者は我が41会の若松軍蔵氏(箱根駅伝で2年生アンカーとして日大をかわし、中大6連覇の偉業達成に貢献)である。そして今回は第41回大会・・・・・・我が支部として記念すべき大会?である。
今年は10kmの部に8名が挑戦・・・遠く熊本から入江氏をはじめ、大島・田中・千村・直井・藤本(50音順)、それに田口と42卒の飯田の各氏である。 青梅駅前交差点では、12名の応援団(浅沼・岸・久保寺・佐藤・高橋・角田・馬渕・水戸・若松と46卒の鈴木の各氏に、紅三点鹿島さんと平山さん、田口の女房)が同期会織旗にCマークの小旗を千切れんばかりに振りながら、折り返してくる仲間を・・・今か今かと目を皿にして大集団の中から見つけ出す。これも大変な作業である。
“青梅路を走る笑顔に沿道の笑顔 寒を飛ばして「シンジラレナ〜イ」暖かさ”
70分の制限タイムに遅れると無料バスに収容されるとあって、見つけられなかった選手が「もしやバスに」と目を凝らしたり、亭主の顔も勇士?も見つけられずひたすら格好いい若いランナーを声援する女房とか・・・・・・様々。
青梅市陸上競技協会会長の久保田氏のご好意に甘えて、ご自宅で着替えをさせていただき、お庭では同氏の奥さんや先輩諸氏の手作り料理の数々に喉を潤し舌鼓・・・・・・・・・・・41会の藤本さんをお手伝いさんに残し、さあ〜「青梅・かんぽの宿」に急げ急げ・・・・・・・。
“心づくしの幸に髪を曳かれ 青梅路を舞い戻らん いざかんぽへ” 元総支配人の入江氏のお骨折りで青梅かんぽの宿が常宿となり、遠方からの同士は前日から仲間とリラックス?、応援で声を嗄らした仲間や、走り終えた仲間が三々五々集合。・・・・・・こんな場所があるのも41会の特色。 ラドン温泉でゆっくり汗を流して、待ちに待った完走・健康祝賀会。入江氏の人柄からか“青梅かんぽ”の女性職員や料理長から、当地の銘酒やふんだんな飲み物の差し入れ、これには毎年のことながら全員感謝感激・・・・・。
“人情に触れ機微に触れ また一つ宝を手にする 青梅の集い” 長野から駆けつけてくれた若松氏の「第一回大会優勝回顧の弁<CODE NUM=00A3>から、平山さんの応援四方山話・・・・・と、名司会役・馬渕氏のリードで宴も絶好調。なんでも若松氏は地元・長野で中学生の指導をしているとか、陸上界の将来が楽しみだね。そして酒が入る程に、「来年はお腹の周りを絞り込んで走る側に回ってみたい」との頼もしい弁から、「ますます精進して7000番台のゼッケンをつけて走りたい」とか、「給水を何回したかのしつこい質問」の裏には「完走(乾燥)したから」のダジャレまで飛び出し、宴もクライマックス。
最後は、41会のイベントに欠かせない元応援団長の角田氏の現役に勝るとも劣らずの声量ある応援歌で締めくくり、毎年のことながら、チーム一丸となった青梅マラソン(特に今年は41会の記念すべき大会)だった。
“健康での再会を 顔で態度で心で交わし 青梅の里を後にする”
来年は是非とも貴方も貴女も・・・・・・・“かんぽの宿・青梅”で待ってるからね。
(担当幹事 田口昭夫)
|