定期総会並びに懇親会が6月9日(土)午後3時より、緑濃い上野の森の不忍池を一望に見渡す、お馴染みとなった上野精養軒で開催された。定刻3時、長内幹事長の挨拶で始まり、次いでこの1年残念にも亡くなられた武井幸雄君、小林二一君への黙祷を80名ほどの出席者全員で捧げる。
総 会
総会は今年度商学部担当ということで議長に馬淵輝夫(商)幹事が選出され、2000年度事業報告、決算報告が長内幹事長、阿部臣弥幹事から報告され、田中会計監事から会計が適正である旨報告がなされ、検討の結果第1号議案が了承された。
次いで2001年度事業計画案、予算案が提案された。広報委員会の発足と会報の年3回発行、旅行会、スポーツ応援・見学会、つり大会、江戸川花火大会、大学・学員会主催行事参加など計画案、予算案が審議され、第2号議案も原案通り承認された。第3号議案、役員改選の件、第4号議案、次回定時総会開催の件(来年2002年6月8日(土)開催)も全会一致で承認された。
講演会
さて、講演会は2階藤の間へ会場を移し、3時50分より4時30分まで「42年白門会」と共催で開催された。講師は東京都副知事青山倫氏(42年卒)、テーマは「石原都政での2年間」である。首都圏からの多くの参加者には身近な興味溢れる時宜に適ったテーマで、それも身近な同窓生の、現場トップの講演で40分はあっという間に過ぎてしまう。1年目が外形標準課税とジーゼルの排気ガス対策、ガラリと変化した2年目はITと成熟社会がキーワードであると話され、公共投資の配分が都市と地方の対立ではなく、日本全体の見地から見ての大都市への効率的投資というものが、日本全体を活性化させ、豊かさが実現出来るなど成熟社会の閉塞感を打ち破るための話を、情報、交通、道路問題を引き合いにして具体的に数値も出されて講演された。超多忙の中、時間一杯講演され、長内幹事長のお礼の言葉、花束贈呈も時間厳守、青山氏は次の会場へと移動して行った。初めての試みであった<42会との共催講演会>は大成功のうちに終了した。
懇親会
懇親会は5時過ぎより、41会会員の永岡公・精養軒社長のご好意もあり、梅雨前の明るい不忍池に緑に群生する葦が眺望できる、3階の広々とした大広間に会場を移し、吉野主計(商)幹事の司会で開始された。来賓挨拶は長内了中央大学理事が行ったのであるが、母校理事の顔、41会幹事長の顔、同窓友人の顔と八面六臂、使い分けに忙しいこととお察しした次第である。125周年のプロジェクトのこと、100億円募金のこと、中央大学在職の41会会員の近況や、ご自身の入試・広報センター所長就任など大学の近況と生き残りをかけた将来まで、いくつもの顔を持った長内理事ならではの挨拶と報告がなされた。祝電の披露の後、天童市から参加した井上和夫氏の乾杯で、参加者全員よそ行きの顔で過ごした2時間の静かな緊張が、弾けるような賑やかな普段着の懇親会へと変身した。
インタビュー
途中、島藤傳副幹事長のアドリブの効いたインタビューが30分ほどあった。現在会員数494名と500名の大台を割ったが、新入会員、小松愛孝、出牛克彦、桜井昌身の3氏を島藤氏は招いて壇上で自己紹介の機会を設けてくれたり、皇居500周走破した馬淵輝夫氏に楯を渡すお手伝いやら、判事の大島哲夫氏に近況を聞いたり、団旗再生募金の顛末を角田勝氏に紹介してもらったり会場全体に話題を提供した。その他、今年秋の41会旅行会、安く、楽しく、勉強になる発電所見学PRの田口昭夫氏、ロッジのえのさん榎本隆氏、漬物やさん、おそば屋さん、主婦、学校の先生などなど多士済済の登場をお願いして楽しい時間を島藤氏は演出してくれた。
フィナーレ
和気藹々のうち瞬く間に2時間の懇親会も終了時刻が近づき、応援団OB角田勝副幹事長、高橋駿介幹事のリードで中央大学応援歌、校歌、惜別の歌を、肩組み合い声高らかに昔に戻って歌い上げた。最後に長内幹事長の「来年も今日の参加者が一人も欠けることのないように健康に過ごし、来年の再会を期す」と閉会の挨拶があった。証拠の記念撮影は児玉康孝氏にお願いし、中身の濃い総会・懇親会が定刻通り午後7時終了したのであった。
晴れた6月の空は午後7時といえども未だ十分明るく、別れるには名残惜しく帰宅する人もまばらで、そのまま2次会会場へと多くの人が吸い込まれて行ったことは言うまでもない。
(吉野主計)
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