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東京1964オリンピックと
東京2020オリンピック・パラリンピック
2回のオリンピックに携われて

追原篤男


 私の青春時代、昭和39年に開催された東京オリンピック大会には、特別な熱い思い出があります。昭和38年に中央大学に入学、夏休みに自動車の運転免許を取得、友人の父が新宿で経営する運送会社でダイハツミゼット360に乗り、運転手のアルバイトをしていました。
 高校時代は柔道部だったので力があり、結構楽しい仕事でした。昭和39年10月に東京オリンピックが始まりましたので、大会事務局に派遣されて各種資材の運送をしていました。
 最終日の10月21日、大会役員が血相を変えて運転手控室に飛んできて、『大変だ、あの荷物を運んでいなかった!』と叫び『すぐにあの荷物をトラックに積んで甲州街道を調布まで走れ』と怒鳴りました。控室には私しかいなかったので、慌てて資材置き場に行き直径1.5メートル高さ2メートルほどの円錐形の荷物をトラックに積み込んでいると、パトカーと白バイがサイレンを鳴らしながら近づいてきました。パトカーに乗り込んだ大会役員が、「トラックで後ろに付いてこい」と怒鳴り、白バイが先導して走り出しました。しばらく走り赤信号で停車すると、白バイが戻ってきて『止まるな、直進しろ』と又、怒鳴られました。それからはパトカー先導で信号無視で突っ走りました。甲州街道に入ると街道の両側には警察官が20~30メートル間隔に立ち、交通規制が始まっていました。



 その中を全速力で20km先の目的地に向かい、無事目的地の調布に到着、指定の場所にその荷物を設置しました。その荷物とは『マラソンの折り返し標識』だったのです。
 東京オリンピックの最後を飾るマラソンのスタートが始まろうとしていたのに、大会事務局の手違いで、まだ折り返し標識が設置されていなかったのです。
 関係者は大慌てだったでしょうね。私が運良く運転手控室にいて標識を運んだからこそ、すべてのマラソンランナーが調布で折り返せたのです。
 もし、私がその場に待機しておらず、折り返し地点の標識設置が間に合わなければ、「はだしのアベベ」や「円谷」選手が折り返す事ができずに、まだ甲州街道を走っていて、東京オリンピックが終了していなかったかもしれませんね。今では、調布の味の素スタジアム横に、私の功績を讃えるような、折り返し地点の記念碑が建てられています。(笑)



東京2020オリンピック・パラリンピック
 コロナ禍の為無観客開催でしたが、多くのアスリート達の活躍に心躍り、特にパラリンピックでの車いすラグビーや、バスケットボール、ボッチャなどから、大きな感動と勇気をもらいました。
 2004年関連会社のNDI保険サービスに在籍していた時、取引先の社長に口説かれ、世界最大のボランティア団体であるライオンズクラブ国際協会の、日本で最初に設立された東京ライオンズに個人で入会しました。
 皆様の中にも、支社長や支店長時代に社命でライオンズクラブや、ロータリークラブに入会された方も多いと思います。我々保険会社で育ったお行儀のよい紳士集団(そうではない超個性派も結構いましたが?)と違ってライオンズクラブメンバーは中小企業の経営者が多く、個性豊かな集団です。その中で同和火災の組織人としての育ちの良さ?が重宝され、クラブ会長、リジョンチエアマン等を歴任、4年前からオリンピック・パラリンピック支援委員長に就任しました。全国のライオンズクラブメンバー10万人から5年間に渡り、約5億円の支援金を募り、「We Serve」をモットーに、素晴らしい仲間と共に下記5件の支援事業を行いました。



1,東京2020パラリンピック出場を目指している次世代選手への支援事業
 NF(国内競技連盟)日本代表選手以外の、その一歩手前のパラ選手に対する財政的支援を行い、2年間で延べ334人に約2億円の活動支援を行いました。その内60名が日本代表入りを果たし、9名の選手が10個 のメダルを獲得してくれ、大きな成果と感謝を頂きました。

2,新国立競技場付近にライオンズモニュメント設置
 東京2020のエンプレムをデザインされた野老朝雄氏の設計によるモニュメント(直径1,2m高さ約8m)を東京体育館敷地内に設置



3,樹齢1000年のオリーブの樹(スペイン産)を植樹
 古代オリンピアに因みオリーブの木を新国立競技場前セキュリティエリア内に2020年3月植樹済



4,パラリンピックメダリストへの報奨金の贈呈
 パラリンピック競技大会でメダリストを輩出した14の障害者スポーツ団体に対し、引き続き障がい者スポーツ全体の発展に寄与することを目的とする、活動助成報奨金を贈呈しました。

5,障がいを持った子供達1500名をパラリンピック競技会場へ招待
 コロナ禍のため無観客開催となり、子どもたちの健康を鑑み中止としましたが、選手たちの勇気と感動を共有してもらう為、参加予定だった子ども達や保護者へ、特別報道写真集の贈呈をしました。



 図らずも、日本で開催された2回のオリンピックに携さわれて 幸せです。