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 カラオケ部会

2017年4月24日
 第3回カラオケ同好会 開催報告

 去る4月24日(月)第3回カラオケ同好会が秋葉原駅近くの「パセラ秋葉原館」にて開催されました。当日は晴天に恵まれた初夏を感じさせるような暖かい中、11名の会員が参加して会を盛り上げてくれました。カラオケ館での開催は初めての事で少々心配でしたが、当初の予定より若干少ない人数にもかかわらず、お店の厚意により広い部屋を用意して頂きました。また、食事のメニューはサラダ・鶏肉のから揚げ・新玉葱のリング揚げ・パスタ・名物のハニートーストにドリンクは飲み放題と充実した内容で、味も良かったと思います。更にハニートーストのデコレーションには43会の名前を飾り付けてくれたり、集合写真を一人一人にプレゼントしてくれたりと、嬉しいサービスも受けました。3時間の限られた中、歌ったり踊ったり飲んで食べたりと楽しい一時を満喫された事と思います。

 会員の方々にはご多忙の中ご参加頂きまして有難うございました。ラジオの収録が控えているにも拘らず、時間を調整して参加して下さった玉澤さん、箱根から早朝の電車に飛び乗って来てくれた岡田さん、夕方から別の会合があるという金井さん・永井さんと皆さん夫々予定を縫ってのご協力に、心より感謝致します。

【芝木 雅基】
【相澤 一代】

過去の情報はこちらのページをご覧ください。


 トリップ部会

2023年11月27日
 川越の散策会を開く【雨の小江戸は粋な町】

 毎日好天が続いていたのになぜかこの日を狙っていたかのように朝からの冷たい雨。夕方には雨も止むとの期待をもって、11月17日(金)川越の街散策の会が開かれ、43会員の有志18人が参加した。
 案内役は市の観光協会のガイド・鈴木さん。自己紹介でわかったことだがなんと中央大学の50年卒業生。同窓とのことでなごやかに約1時間半、蔵の街を中心にご案内いただいた。

 川越は米、茶、葱など農作物の産地として発展、江戸時代には川越藩の統治のもとで町を形成、織物や箪笥などの産地、新河岸川の舟運で発展をとげた町として知られる。
 名高い「時の鐘」は1893年の大火で焼失、再建にあたっては渋沢栄一が高額な寄付をしたとのこと。高い建物の建設が禁止されている街をガイド・鈴木さんはよくとおる大きな声で案内をいただいた。川越のもうひとつのシンボル、1918年建築の「埼玉りそな銀行」は登録有形文化財として再建中、シートで覆われ、なかの様子はうかがえないが、すかさず鈴木さんは手持ちのファイルで完成後の素晴らしい写真をみせてくださった。まつり会館で巨大な山車2基をみたあとは楽しみの昼食会。

 川越といったら鰻、ということで老舗の「傳米」へ。なんとずばり「蔵の店」、川越の蔵の特徴である倉庫ではない「店蔵」蔵の2階が客室になっている店で美味しい鰻重をいただいた。
 食後には老舗菓子店・亀屋の五代目主人の隠居所として建てられた国の重要文化財「旧山崎家別邸」を見物、また川越大師として名高い「喜多院」を訪ね、今真っ盛りの紅葉を堪能した1日であった。すべてが徒歩の散策であったが、老雄健在であった。
 43会は99年に川越の散策会をやっている、24年ぶりの43会川越訪問であった。

【白門43会 会長 清水 正】

2022年11月7日
 寅さんに会いたくて(柴又の散策で懇親会)

 11月も暖かい1日、会員の有志は葛飾・柴又の散策を楽しんだ。映画の連作「男はつらいよ」であまりにも名高くなったこの寺町・柴又はだれもが親しみをもてる町ということで、コロナ感染がやや落ち着いたこの日、星野則昭さんのご案内で開催することになった。
 まずは映画の第二の舞台でもあるお寺・日蓮宗経栄山題経寺へ。「御前様」の帝釈天は創建が1629年、なんと寛永6年。東照宮の陽明門を模したともいわれ、柴又の象徴でもある二天門をくぐり帝釈堂でおまいり。この寺の最大の誇りである「彫刻ギャラリー」を見る。法華経の説話をモチーフにしたきめ細かく、力強い彫刻は見る人の目を奪うほど。
 次に廻った邃渓園は都の指定名勝になっている素晴らしく手入れの行き届いた庭園。
 懇親会の楽しみはランチ会。今日は柴又の老舗である1778年(安永7年)創業の川千家へ。メインの名物・うなぎはもちろん刺身、てんぷらはじめ数多くの味で舌をうるおした。
 一味いただいたあとは、誰がとも言うことなく参加者が近況報告をはじめた。遠く神奈川からの参加者、近くは地元葛飾区からの参加者、入り混じって土地の話、大学時代の話など。そのうちに各自の体調報告になり、手術をした、食べられなくなったなど年齢を感じさせる話題で盛り上がり、会場は笑いと感嘆の声にうずまいた。
 山本亭、寅さん記念館などを見物。最後は名物「草だんご」をいただき懇親の一日の幕を閉じた。

【清水 正】

2019年11月18日
 散策と寄席を楽しむ会

 10月10日(木)、久しぶりの43会の「散策と寄席を楽しむ会」・・・厳密には永谷商事という会社の企画に我々が一般の参加者と一緒に参加するもの・・・が開催され、参加者は12時15分に豊洲の水上バス乗船場に集合しました。台風19号が接近中でしたが、天気は快晴から曇で、気温も秋らしい気持ちのよいものでした。但し、地下鉄有楽町線で豊洲駅に降りたものの、乗船場がどこにあるか皆目わからず、案内状にも「豊洲駅から徒歩5分」と書かれているだけで、駅の掲示板の地図を見てもそれらしいものが見当たりません。止む無く駅員に尋ねると「そこのららぽーとの中です」と素気ない答えです。恐る恐る“ららぽーと"方向に進むと、龍門・古賀・原田さんが見えたのでほっとしました。それでも、何の案内表示もない中を「おそらくこっちだろう」などと言いながら歩くうちにビルに囲まれた大きな広場に辿り着き、乗船場らしきものもありました。でもそこにも「乗船場」といった看板などは一切なく、とても不親切だと思いました。

船が出るのは12時45分で、昼食時間が3時半頃ということだったので軽く食事をしておこうと思い、近くの“スタバ”で軽く腹ごしらえをし、その後乗船場に行き、43会のメンバー(富田、龍門、清水、金井、中里、原さん)と合流しました。この散策会には、これまで何度も参加していますが、今回は内容がいつもと大きく違っていました。いつもなら、10時頃に集合して2時間ほど散策、12時半頃寄席に到着してお弁当を食べ、4時半頃に解散でしたが、今回は“午後の新コース”ということですべて時間が遅くなっていました。でも乗船場で永谷商事の人から乗る船が“ヒミコ号"と聞いて胸が高鳴りました。私の家は浅草の近くなので、水上バスはよく見かけますが、大抵は300人~500人乗りの大きな観光船です。160人の乗りの“ヒミコ号”は外観がまるで宇宙船のような斬新なもので、とても恰好がいいのです。数年前に1度「南甲クラブ」の主催パーティーで乗船したことがありましたが、外観だけでなく中もゴージャスなのです。とにかく、普通の水上バスとは全く違う作りになっている理由は、この船の設計は「銀河鉄道999」などの作者として有名な松本零士氏で、そのせいか、この船は彼の作品に出てくる宇宙船のような感じなのです。参加者一同も感激して盛んに写真撮影していました。“ヒミコ号"は豊洲を出て永代橋から隅田川に入り、両国橋など9本の橋を潜り抜けて約40分で浅草に到着しました。

 この日の案内人は講釈師の神田すずさんでした。彼女には以前何度も案内してもらっていましたが、颯爽とした着物姿や話し方の歯切れのよさはいかにも下町の姐さんです。この日は他に「永谷商事」の旗を持った人とカメラマンの若い男性の二人がいました。浅草はいつものように混雑しており、すずさんの話では迷子になってしまうことが多いので、自分は折り畳み傘を伸ばして掲げて先頭に立ち、最後尾は旗を掲げた男性がいるので、参加者はこの間にいて欲しいとのことでした。最初は浅草寺の見学で、雷門から始まって仲見世を抜けて本堂でお詣りをした後に、隣の浅草神社に行きました。更に奥に回って、幕末の侠客の新門辰五郎(勝海舟や徳川慶喜などと親交があった)が妻の病気治療のため京都の伏見稲荷から分祀したとされる神社も見学しました。近場に住む私も知らない神社でした。新門辰五郎の子孫(7代目)は現在も“三社祭”の総責任者を務めており、自宅は私の家から数分の所にあるのです。
 それから、境内の“奥山”と呼ばれる場所を見学しましたが、そこには徳川夢声など昔の“弁士”の石碑や、芸能人の石碑などが沢山ありました。その後、地方物産館で休憩と買い物をしました。私は越後ビールや金沢ビールを発見したので早速数本調達しました。
 次に行ったのは“かっぱ橋道具街”(調理器具や食器その他開店に必要なものが全部買える)で、丁度バーゲンをやっていて大賑わいでした。ここで20分の自由時間となったので、サンプル商品を買いたいという龍門さんを案内してその店に行きました。サンプル商品というのは、蝋などで精巧に作られた食べ物の見本で、寿司や天ぷら、うどんやそば、ハンバーガーやドーナツなどどれも本物と間違うほどの出来映えです。ところが値段も寿司1個で2,300円とかで子供のお土産としては高すぎるのです。陽気でジョークが大好きな金持ちのアメリカ人には人気があるようですが、我々にはちょっと手が出ませんでした。でも、その後集合地に向かう途中で“新門辰五郎”の家が見えたので、龍門さんとその近くに行ったところ、縁台に老夫婦が座っているのが見え、それが現在の新門辰五郎さんだったので驚きました。早速すず姐さんに報告しておきました。
 浅草観光を終えた一行は、もう3時を過ぎていましたが、近くの地下鉄銀座線「田原町」駅に行き、そこから3駅乗って「上野広小路」駅で降り、寄席会場の「広小路亭」に入りました。その道中、私は一般の参加者の女性とも仲良くなり話ながら歩いていると、古賀さんが「この人は今年の総会で演奏してくれた“オッターバ"のメンバーだよ」と教えてくれました。「広小路亭」で矢崎幹事長が合流しました。靴をロッカーに入れ、弁当を受け取って会場に入り慌ただしく弁当を食べ、持参したビールを飲みました。時間は4時半近くになっていました。そうこうしているうちに寄席が始まりました。「南太郎」という前座の落語“タヌキの恩返し”から始まり次は「桂伸べえ」の落語“知ったかぶり”そして白鳥夫妻のコミックソング、そして立川談志の弟子だった立川キウイの落語が続きました。立川キウイが師匠の談志の逸話をいくつか披露したのでそれを披露すると、ある時、談志が石原都知事を訪問するというのでお供で、都庁ビルの最上階の都知事室にエレベーターで昇っていた時、途中でドアが開き、若い男性がいきなり「上ですか下ですか」と聞いてきたのに対して談志の答えが「横に行く訳がないだろう」だったそうです。また、珍しく談志に高級寿司屋に連れて行かれた時のエピソードとして、談志がキウイに「今日はお前に二人前を頼んでやろう」と言うので、これは弟子を首になる前の“最後の晩餐”かと覚悟したところ、談志が店の大将に「こいつに二人前握ってやってくれ、但しネタ抜きで」と言ったのです。店の大将も言われたとおりにワサビの付いたシャリを二人前キウイの前に並べたので、キウイとしては苦労してそれを食べたとのことです。そして食べ終わった時の談志の一言が「ところでキウイ、どれが一番おいしかったかい」だったそうです。また、そば・うどんの恰好いい食べ方は「うどん3本、そば6本」と教えてくれたとのことで、そばが好きな私も参考になりました。次が神田すず姐さんの講談で、大泥棒3人の出会いとその後の大仕事という講談としては珍しいものでした。

 この後まだ2つが残っていたのですが、こちらの飲み会の時間の都合もあって、ここで寄席を抜け出て近くの打ち上げ会場である「上野市場」に向かいました。打ち上げには、原さん、古賀さんを除く8名が参加して、8時くらいまで大いに盛り上がりました。この日はかなり歩いた後に、寄席で大いに笑い、最後に楽しい打ち上げということで、実に楽しい一日でした。参加者一同の寿命もこれでかなり伸びたのではないでしょうか。この文を読んだ会員の皆様も次回参加されては如何ですか。

【八束 一郎】

2016年12月2日
 歴史と文化の散歩ラリー(両国界隈)

 この日、「赤穂浪士~吉良邸討ち入りコース(両国)」という散歩ラリーに10名の43会会員(龍門、富田、矢崎、浅葉、清家、古賀、相沢、中村、長谷川、八束)とともに参加してきました。
 天気は快晴で気温も15℃くらいと歩くには絶好でした。この会は、以前から原さんが提案してきたもので、永谷商事が企画したものの中から43会に相応しいものを選択して、寄席に出ている芸人(講釈師が多い)が2時間ほど歴史的な場所を案内し、その後昼食を交えて日本橋亭という寄席で2時間ほど笑わせてくれるという極めて健康的な企画なのです。倍太寿司の昼食も含めて3千円という料金で、歩いて、ヘルシーな弁当を食べ、2時間にわたって笑わせてくれるのは、我々の年代にピッタリの行事と言えます。但し、最近原さんが体調を崩したり多忙だったりで年2~3回開催されていたのが年1~2回に減ってしまったのは残念なことでした。今回も原さんは参加できず、代わって富田さんが骨を折ってまとめてくれ、実現に至ったようです。

 集合地点は、地下鉄大江戸線の「両国」駅のA1出口前でしたが、集まる人数がいつもと違ってかなり多く、スタッフの人の話では100名くらいに達したので急遽2班に分けることになったとのことでした。暮れの「忠臣蔵関係コース」ということで人気が高くなったものと思われました。そして、我々10名は講釈師の神田山緑さんが引率するグループに配属されました。くしくもその人数は忠臣蔵に相応しい47名でしたが、それでもいつもの倍以上の人数でした。
 10時に一行は出発し、まずは近くの関東大震災と東京大空襲の犠牲者の慰霊堂などがある「横網町公園」に行きました。私も同じ台東区の住民なので1~1度は行ったことがありましたが、今回は清家さんが我々43会員にだけ詳しい説明をしてくれたので、かなりよく理解できた上に、目立たない場所にある日本庭園なども見ることができました。
 次は永谷商事の経営する 「両国亭」という寄席で、永谷商事のPRといったところでしたが、神田山緑さんの説明で、寄席芸人の序列(下から前座、二つ目、真打)とか、寄席に芸人の名前は「寄席文字」という特殊な職人が書くとか興味深いものがあり、それなりに面白いと思いました。
 次は「吉良邸」です。わずか20坪ほどの塀の中に、吉良上野介の像や松の廊下での刃傷以下の経過を描いた絵画などが展示されており、更に首洗い井戸などもありました。映画や芝居で演じられているものの多くは作り話で、講釈師は更にそれを面白おかしく語ったというのが神田山緑さんの説明でした。 例えば、映画や芝居では義士は揃いの服装をしているが、実際には各人がバラバラな服装をしていたとか、当日の天気は雪に設定されているが、実際には雨だったとかです。私はここには以前に3回ほど行ったことがあるので、現場の様子より神田山緑さんの説明の方が興味ありました。
 次は、私も初めての「江島杉山神社」です。ここは、杉山和一という幼い時に失明した女性が努力の結果「鍼」の世界で奥義を極め、最高位の検校にまで上がってここに屋敷等を構えたということでした。
 小さな他の先に洞窟のようなものがあり、中に参拝する所があったのでとりあえずは拝んできました。
 最後は「回向院」です。ここも何回も来たことがあるので、博打の運が付くという「鼠小僧次郎吉」の墓を撫ぜ、そろそろ買おうと思っている「年末ジャンボ宝くじ」の大当たりを願いました。
 その後は、JR両国駅から秋葉原経由で神田に向かい、あとは徒歩で「日本橋亭」に入り、目印に配布された黄色いリボンと引き換えに弁当を受け取って会場に入りました。
 会場に入って驚いたのは、いっもは最前列から4段目あたりから椅子席になっていたのが、この日は最後列と会場右側1列だけが椅子席で、あとは座布団の席だけなのです。会場の収容能力からしてそのようにしないと100名以上とされるこの日の参加者が座れないのです。私は所要があって3時の中入り(休憩)で抜ける予定だったので最後列の椅子席の前を選びました。会場が立錐の地なしの状態になっても最後列の椅子席との間にはトイレに行くための通路があるので、楽に出られると考えられたからです。実際、足がしびれて途中で退席した客が何人かいました。
 時半から寄席が始まり、1番は「桂伸力」という前座の若い人が「寿限無」をやりました。やはり前座ということで、声に張りがなく技術的には劣ったものでしたが、一生懸命に演じている初々しさというものが感じられそれなりによかったと思いました。
 2番手は「昔昔亭桃之助」という二つ目で、前座に比べると流石にうまいものがありました。自分の芸名に合わせて着物の紋を桃にしたところ「バーミヤン」と冷やかされたとか、二つ目と言うところを相撲の序二段と言われたなど冗談を飛ばすあたりはうまいと思いました。但し、出し物が「便器」に関するものだったので心から笑うことができませんでした。
 3番手は「神田すず」の忠臣蔵に因んだ「堀部安兵衛」でしたが、どうしたことか言葉を間違えたり、言葉に詰まったりで安心して聞くことができませんでした。「神田すず」の講談は以前にも聞いたことがあり、その時はそんなことが無かったと記憶しているだけに残念に思いました。
 中入り前の最後は、「桶屋竹蔵」という芸人のものでしたが、この人もかなりベテランの芸人なのですが、何か言葉がもつれるようで、やや心配な面がありました。この人も以前聞いたことのある人で、その時同様に最後に「カッポレ」を踊ってくれましたが、締りの方は落ち着いていました。思うに、神田すずさんや橘屋竹蔵さんも久しぶりの超満員で興奮して普段の実力が出なかったのではないでしょうか。
 私はここで抜けてしまったので、最後の真打「三遊亭鳳楽」の話を聞くことができませんでしたが、真打ともなれば落ち着いて演技ができたと思います。聞けなかったのがいかにも残念でした。
 もう一つの残念は、終了後の打ち上げです。日本橋亭の前にある中華料理屋でいつもなら飲んで食べて大いに色々話し合うのですが、この日はどうだったのでしょうか。  いずれにしても、晴天の中を一人の脱落者もなく50間弱が歩き回り、日本橋亭にたどり着いたのですから、そのことだけでも快挙と言わざるを得ません。その中で、43会専属の説明者として活躍していただいた清家さんに感謝です。また、酒の無い寄席の中で自腹で缶ビールやおつまみを提供してくれた龍門会長にも感謝です。最後に、この日の楽しい行事をセットしてくれた富田さんにも感謝です。大変なこととは思いますが、これからもこうした行事を企画していただければ43会員として有難いと思います。       

【八束 一郎】

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