歳時記
2025年4月21日(月)
薔薇(バラ)

きらめく陽光を一身に受けて、誇り高く咲く薔薇(バラ)。歓喜の季節にいかにもふさわしいピンクのバラの花──神からの贈り物。愛の女神ヴィーナスと共に、泡立つ波の中から生まれたとも言い伝えられるこの花を、紀元前6世紀、ギリシャの女流詩人サッフォーは「花々の女王」とたたえ、その香りを「恋の吐息」と歌った。
しかし15世紀半ばに起きたイギリスの王位継承をめぐる争いでは、バラは一転して悲劇の花となった。「バラ戦争」──30年も続いたこの内戦は、イギリス国民を悲劇のどん底に陥れる。白バラを紋章とするヨーク家と赤バラを紋章とするランカスター家の激しい対立。しかし、それも両家の婚姻をもって再び統一された。王家の紋章も赤と白のバラを組み合わせた「チューダーローズ」を用いることになったのである。そして100年後、シェークスピアはこの内戦を題材に「リチャード3世」「ヘンリー6世」の歴史劇を残し、さらに「ロミオとジュリエット」の恋愛悲劇を生んだ。
一方、18世紀半ばのフランス、貴婦人のごとく優美に咲くピンクのバラはロココ様式のシンボルであり、ヴェルサイユ宮殿の貴婦人と共に、その華麗さを競った。
この頃、ルイ16世の寵愛を受けたポンパドゥール夫人は、ドレスの裾をお気に入りの薄紅(うすくれない)のバラで飾り、ルイ16世の王妃マリー・アントワネット(左写真)は、ヴェルサイユ宮殿の寝室用にと、ピンクのバラのブーケを一面に織りだした絹地を注文したという。
そしてフランス革命後、新時代を迎えたフランスに登場した新しい貴婦人、ナポレオン・ボナパルトの妻ジョゼフィーヌ。彼女は権力を手中にした夫の財力を後ろ盾に、パリ郊外に建つマルメゾンの館に壮大なバラ園を造った。
そして世界各地に人を派遣して、ヨーロッパはもとより東洋からも珍しい品種のバラを収集し、庭園には3万本にも及ぶバラが植えられたと伝えられる。そしてお抱えの園芸家により世界で初めての人工交配が試みられ、ここにバラは「近代」を迎えることになる。
バラは、バラ科、バラ属の常緑または落葉低木で、直立またはつる性の植物である。この名前は、とげのある低木の相称でもある茨(いばら)に由来する。薔薇(しょうび、そうび)。英名のroseは、ギリシャ語で赤を意味するロードから名付けられた。
バラの原種は、一重である5枚の花弁を持ち、主に花は小型。一般的な園芸品種の特徴は、枝にはトゲがあり、枝先に花を一個または房状に付けること。大きさは花径約2cmの小輪から約15cmの大輪まで各種あり、花弁の数も5枚から100枚を超えるものまである。花の咲き方も多彩で、一重咲き、半八重咲き、八重咲き、ボタンのように多数の花弁を付ける千重咲きなどがある。雄しべは多数。花色はピンク、赤、白、黄のほか色変わりするものや2色からなる花もある。甘く上品な香りを持つ。日当たりと水はけが良く、保水力のある土地ならばどこでもよく育つ。花弁は香水やポプリ、ローズ・ティーなどに利用される。
山野に咲き競う野のバラは初夏の訪れを告げる喜びの花。野茨(のいばら)、木香薔薇(もっこうばら)、高嶺茨(たかねいばら)、山椒薔薇(さんしょうばら)、浜梨(はまなし)、照葉野茨(てりはのいばら)などがある。
バラの園芸品種は現在約3000種と言われるが、それらはすべて、ノイバラ、コウシンバラ、ロサ・アルバ、ロサ・ケンティカ、ロサ・ダマスケナ、ロサ・フェティダ、テリハノイバラの八つの基本種を元に交配が重ねられたものらしい。
そういえば今から65年前、紅顔の美少年(?)だった私が勤めていた国立の研究所で、日本で初めて人工衛星の観測に成功したことで有名になった研究室長が、自分の研究室の前の広い庭でバラを栽培し、何種類もの美しいバラの花を咲かせていた。研究所の人々は皆この人を「バラ博士」と呼んでいたことを思い出す。
三沢 充男