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2026年8月24日(月)
 蚊遣香

 清寂な気の流れる中で、蚊遣を焚いた。一筋立ちのぼる煙に、暫く目を遊ばせていると、白く細い煙の先端が、ゆらゆらとかすかに揺れた。その一瞬に、はっきりとさやかな秋風を見とめたという句で、立秋頃の微妙な季節感をふとした身辺の動きから鋭敏に捉えている。作者ならではの繊細な感覚が、独特の冴えを見せた代表作の一つ。
 渡邊 水巴(わたなべ すいは)(1882年(明治15年)6月16日 - 1946年(昭和21年)8月13日)は、東京出身の俳人。本名は渡辺義(よし)。
 1906年、高浜虚子に師事。村上鬼城や飯田蛇笏などとともに大正初期の「ホトトギス」中興を支えた俳人の一人で、江戸趣味を湛えつつ繊細で唯美的な作風であった。代表句に  白日はわが霊なりし落葉かな
 てのひらに落花とまらぬ月夜かな
 などがある。1913年の「ホトトギス」誌で主観の尊重を説く文章を発表。虚子は「進むべき俳句の道」で「無情のものを有情にみる」ことを水巴の特徴として挙げたが、その後さらに人間的な陰影と厚みが加わったという。

 ところで、蚊遣香というのは、蚊を追い払うために煙を立てる香で、古くはヨモギやカヤの木、杉や松の葉などを燃やして蚊を防ぐ方法として用いられましたが、いまでは 蚊取り線香のことをいいます。
 この蚊取り線香は、主に蚊を駆除する目的で、線香に除虫菊の有効成分(ピレトリン)などを練り込んだ燻煙式渦巻き型の殺虫剤である。
 原料は粕粉(除虫菊の地上部分を半年間乾燥させたもの)、タブノキの粉、でんぷん、ピレスロイド、染料など。粉末状、棒状、渦巻状などに成形される。色は緑色がほとんど。7時間ほど燃焼するものが多い。

(開発の歴史と形状)
 和歌山県の上山英一郎(大日本除虫菊株式会社の創業者)は、1886年に福沢諭吉より紹介されたH・Eアモアより除虫菊の種子を譲り受ける。上山は、平安時代から日本に残る伝統的な風習「蚊遣り火」のように粉末状にした除虫菊におがくずを混ぜて燃やす方法を考えたが、夏に季節はずれの火鉢が必要であったために普及には至らなかった。
 そこで上山は、今度は線香に除虫菊を練り込むことを考案、1890年に世界初の棒状蚊取り線香「金鳥香」が誕生した。 当初は棒状のものが製造されていたが、棒状のものは立てて使うために線香が倒れ火災が発生することも少なくなかった。最大の欠点は、線香の形状から長時間の燃焼が難しかったことで、約20cmの長さで約40分が限界だった。
 現在、日本で普及している渦巻き形の蚊取り線香のデザインは、1895年からのものであり、上山の妻・ゆきの発案とされる(倉の中でとぐろを巻く蛇を見て驚き、夫の元に駆けつけ告げたのが発想の元になったという)。このデザインにすると、燃焼時間が長くなり、かつ嵩張らない。例えば、大日本除虫菊の製品では渦巻きを解きほぐすと、全長は75cmに達し、一度の点火で7時間使用できる。この7時間とは、睡眠時間に合わせものである。また、寝かせた状態で使うので、従来の形状よりも安全に取り扱えるようになった。
 なお、考案されてから長きにわたり、人の手によって渦巻き状に成形してから、乾燥させて固める生産方式を採っていたが、1955年ころから自動化により、現在の渦巻き型の型抜き機械による成形に移行したのである。

 私が子供のころは、夏は蚊帳を吊って寝ていた(上図参照)。蚊帳の中に入ると異世界に入ったような気がして、子供同士でふざけたり、あるいは思春期になると、胸をはだけて隣で寝ている従姉の胸の膨らみを触ってみたりしたものだが、それも今では懐かしい思い出になった。

三沢 充男


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