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☆わが町散策 《石垣山一夜城と小田原城周辺の散策》
平成25年4月14日(日) 参加者:18名
(下記は行事案内から転用しています)
天正18年(1590年)豊臣秀吉が天下統一の最後の合戦となった小田原攻め本営とした山城の跡地と、
江戸時代の姿に復元された小田原城周辺を散策します。桜の花が散った後となり、花びらのじゅうた
んを散策することが期待できます。石垣山一夜城と小田原城周辺を歴史と文化について、萩野太郎
副会長のお世話で、「NPO小田原ガイド協会」の栢沼(かやぬま)千代美様に案内していただきます。
◎ 開 催 日 平成25年4月14日(日)
◎ 集 合 小田原駅小田急改札前 10:05
◎ 費 用 周遊バス代、ガイドへのお礼など500円、昼食代、
小田原城入館料400円は除く
◎ コ ー ス(約5時間)
小田原駅(周遊バス10:30)⇒10:50石垣山一夜城(約1時間)⇒
(徒歩で下山約1時間)⇒13:00堀秀正の墓⇒13:30早川漁港で
遅い昼食⇒西海子(さいかち)小路⇒小田原文学館庭園
⇒小田原城址公園と小田原城17:00⇒山安(ひもの直売所)
◎ 懇親会 小田原駅の近く「ビュッフェレストラン菩提樹」、
会費2,500円(飲み放題付)(17:30〜19:30)
小さい写真をクリックすると拡大します。 下の写真以外容量低減のため削除しました。(2015/05/19)
☆白門40年会わが町散策小田原―「石垣山一夜城と小田原城周辺の散策」(H26/02/07)
経済学部卒 大須眞治
4月14日(日)午前10時、小田原駅集合で出かけてみると萩野さん待っていてくれた。
しばらく待つうちに参加予定の人がみな集まり、いよいよ出発。小田原宿観光回遊バス
に乗る。小半時で最初の訪問地一夜城へ到着。一夜城は、豊臣秀吉が小田原北条氏
を15万で包囲し攻撃するのに築城したもので、総石垣の長期戦に備えた本格的な総構
えであったとガイドさんから説明された。さて、この石積みの仕方を何といいますかと、聞
かれて、「野面(のづら)積み(づみ)」と答えられた人が居て、“さすがよく勉強されています
”と褒められた。
一夜城は戦いのために短期間でつくられた城ではあるが、三の丸、二の丸、天守そし
て天守台を備えた本格的なつくりになっている。秀吉はここに淀君や千利休などを呼び、
茶会なども開いたとのことであった。利休に関連して、秀吉に斬り殺された利休の弟子、
山上宗二の話などもして城跡を降りる。その後は、一夜城のある石垣山を背に、早川の
小田原漁港まで相模灘を眺めながら歩いて下ると実におおらかな気持ちになる。坂の
途中の直売店に立ち寄ったりしながら下り、小田原漁港へと向かった。
そこで昼飯である。日曜日の昼時で、どこの店も混んでいるわれわれの予約しところ
も先客が食事中であった。待つ間も周囲の店から魚やら貝やらを焼く匂いがして、空腹
を刺激する。ようやくわれわれの順番になって食事。なんと言っても魚の煮付けがうまい。
昼食後は、早川港から小田原城を目指すことになるが、途中小田原が自慢にする西
海子(さいかち)通りを抜ける。この通りに沿って小田原文学館がある。われわれは中に
は入らず、庭に回った。というのは庭から見るこの建物が実に見事だからである。
最後に天守閣に登るかどうか?入場締め切り間際になってしまった。結局、登る人と
待機する人に分かれた。私は待機組で、天守閣下の茶屋で甘酒を飲みながら待つ。こ
こも閉店間際で甘酒はなんとかセーフであった。
この日のピックニックは山あり、海ありでそれに歴史のある2つの城も一緒に見て、戦
国の武将の思いをたどりながら、海の幸も堪能するという内容豊かな散策であった。こ
れも地元を熟知した萩野さんのおもてなしの心があればこそ、充実した1日を過ごせて
くれた萩野のお心遣いに感謝、感謝である。
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