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☆わが町散策 「行田(ぎょうだ)」 平成25年6月2日(日) 参加;17名

  ―忍城(おしじょう)と埼玉(さきたま)古墳群めぐり― 

     (下記は行事案内から転用しています)
 行田のわが町散策の目玉は、
@ 「のぼうの城」映画化でご存知の、石田三成による忍城水攻めにも、城は落ちなかった
   (結局1590年小田原城が豊臣軍の攻撃により陥落し、北条方に組していた忍城も開城となる)
A 埼玉県の県名発祥の地「さきたま」
B 6世紀頃からの古墳が保存されている
C 「足袋の行田」 最盛期には全国生産の80%を占めていた
   なお、行田は、我が中央大学の大恩人であり、司法三冠(司法大臣・大審院長・検事総長)を
   歴任した林頼三郎先生の生まれ育った地で、先生は名誉市民でもある。
   今回は半田富男会員に案内していただきます。 

◎ 開 催 日  平成25年6月2日(日)
◎ 集  合  JR高崎線 行田駅改札口前 10:15
◎ 交通機関

         
・JR湘南新宿ライン 横浜8:14 ― 新宿8:50 ― 行田10:00着
         
・JR高崎線     上野9:08 ― 大宮9:34 ― 行田10:07着 
◎ コ ー ス   観光案内ガイドつき(行田観光ボランティア会;鈴木孝佳さん)
        
 JR行田駅発10:40(観光循環バス)  水城公園着10:50…水城公園(林頼三郎顕彰碑)散策(15分)
         
……忍城・郷土博物館(30分)……「忠次郎蔵」で昼食(12:20〜13:00)
         
……足袋のくらし博物館(30分)・土産や「十万石」(30分)14:00発
         
……埼玉古墳群15:00着・古墳群散策と県立さきたま史跡の博物館見学(90分)16:30発
         
……懇親会場「采帆久亭」(17:00〜19:00)―JR行田駅
◎ 懇 親 会  3,000円
◎ 費  用  バス、入館料(郷土博物館・足袋とくらしの博物館)、昼食代

下記は当日の写真です。クリックすると拡大します。容量低減のため下の写真以外削除しました。(2015/05/19)

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撮影;新井孚
 

「わが町散策・行田」 寄稿文 桐原一成(理工・精密) 14/02/23

 平成二十五年六月二日(日)同じ学部 学科の半田さんの企画ということもあり、
40年会の行事 わが町散策、今回は「埼玉県名発祥の地 行田市」に初めて参加しました。
JR高崎線行田駅 午前十時十五分 集合 参加者17名

 天気は前日までの予報と違って、散策には絶好の日和となりました。久保田さんの協力も得て、
循環バスで、今回案内をして頂く行田観光ボランティア会の鈴木さん(白門の先輩)が待つ水城公園
へ行き、ここから案内、散策の始まりです。水城公園内にある元中央大学総長 林頼三郎顕彰碑を
仰ぎ、園内を通って郷土博物館に向かう。博物館はかっての忍城本丸跡に建設された忍城御三階
櫓のなかにあり、行田市の歴史 文化を紹介しています。

・忍城(おしじょう)について
 野村萬斎主演で映画化された和田竜作のベストセラー小説「のぼうの城」として話題の忍城。
のぼうとは、でくのぼうの意で城代成田長親は近隣農民等と親しく手伝い等して交流を図ろうとする
が、不器用なこともあって、上手くいかず、逆に迷惑がられる始末、そんな頼りないが気のいい城代
を農民は親しみを込めて、「のぼう様」と呼んだ。

 戦国時代末期天下統一を目指す豊臣秀吉が北条氏の勢力を主とする関東の武力平定に乗り出し、
石田三成に命じ,北条氏に従う忍城を攻めることになる。この地域は利根川と荒川が最接近する湿
地帯で、忍城はこの中にあり(浮城と言われる)これが天然の要害となっていたが、逆にこの地形を
利用して三成(実は秀吉の意向のようだが)は忍城の水攻めを決める。

 この時水を堰き止めるため、城を囲むように造られた全長14kmとも28kmとも言う堤が所どころ、石
田堤と呼ばれ今も残っている。しかしこの水攻めは忍城より河川下流の、後で行く埼玉古墳群の中
のひとつ丸墓山古墳に陣をとる、寄せて側に水が溜まり、ついには堤が決壊して失敗となる。しかし
小田原で北条氏が降伏したため、これ以上抗戦する理由がなくなり、忍城開城となりますが、関東
の他の支城が全滅する中、三成2万余の軍勢に対し、兵士 農民ら3千人で城を守りきった「のぼう
様」は大いに面目を施すという痛快な歴史物語になりました。

 午前の行程が終わり談笑しながら昼食処 忠次郎蔵に向かう国道125号線 本町通りは電線が
地中化されていて、通りがすっきりしている。代わりに異なった姿(39体)の童子人形が飾られたBox
が10m位の間隔で置いてあり、ここから変圧して各家に電気を引き込んでいる。忠次郎蔵は昔繁栄
した足袋問屋の蔵を使用したもので、美味しい手打ちソバを頂いた。デザートにゼリーともフライとも
関係のない別の食べ物だが、ネーミングがゼリーフライという小判形の野菜まんじゅうで、クレープ
のようにふわりとした食感でおやつ感覚の行田名物を味わった。

 お腹も満たされ、ほとんど起伏のない道を古墳公園へ向かう。青空も見え日差しも射すほど天気
は良くなり、わずかに吹く北寄り風も気持ち良い。途中,足袋博物館 土産物店(十万石)に寄る。
足袋と言えば行田、最盛期は足袋の町としてあまりにも有名。大正時代半蔵造りの店蔵を博物館
として開館、足袋の歴史 文化 技術の説明を受ける。ここで西山君が途中帰京されました。

・県立さきたま史跡の博物館
 東日本最大の巨大古墳群を公園にした古墳公園の入り口にあり、そばに「埼玉県名発祥の地之
碑」が建っている。その由来は古墳群の一つ浅間塚古墳の真上に千数百年の歴史を持つ「前玉
(さきたま)神社」が鎮座する。県名の由来の始まりはここからのようで、平安時代に「埼玉・佐伊
太末」の表記が見えやがて「さいたま」群となっていった。

 博物館に入ると古墳群のひとつ稲荷山古墳から出土した、国宝「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけ
ん)」が四方をガラス張りのケースに納められて国宝展示室の中央に陳列されている。表と裏に115
文字からなる銘文が刻まれていて我が国五世紀末の古代国家の謎を解く貴重な資料である。

古墳群に最初に出現した稲荷山古墳 崩れかけてしまった将軍山古墳以外は、未だ埋葬施設の発
掘調査が、発掘後の保存方法が確立していないということで許可されていない。これから環境が整
備されて発掘が進むことが期待される。

 博物館を出て9基の大型古墳(推定六世紀頃築造)が群集している古墳散策に移る。先の忍城
水攻めで石田三成の拠点となった円形の丸墓山古墳(日本最大の円墳)と前方後円墳の稲荷山
古墳に登る。古希も過ぎた御老体には少々きついように思えたがほぼ全員が歩き通した。他に将
軍山古墳内部の石室(複製)の見学も予定されていたようですが、時間も押してきたので「次の機
会に」という案内鈴木さんの声かけに「次の時は古墳に入ったまま出てこないかも」という声が飛ん
で皆大笑い。ここで、ご一緒してきた小林ご夫妻とお別れし懇親会場の「采帆久亭」に向かう。会場
では今日の疲れを癒しながら、前会長新井さんのねぎらいの挨拶で始まり,楽しい団らんのひと時
を過ごした。今回は天気にも恵まれ、東京近郊にこのような大規模な古墳群がある事にまず驚か
され,参加者との交流にも触れられ、また参加したいと思うさわやかな散策になりました。企画され
た半田さん初め久保田さん 沖田さん有難うございました。

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