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私の箱根駅伝観戦で思う事
  第九十回東京箱根間往復大学駅伝競走
                  萩野 太郎(理工)
 新年を迎える中で毎年楽しみにしている事の一つに、我が中央大学が途絶えることなく
連続出場している箱根駅伝の観戦で、すがすがしい正月を中大入学以来五十三年間迎え
てきました。同じような思いで直接沿道の観戦や、テレビ観戦する多くの学友や関係者は
数えきれない位いると思われる中、その期待を直接背負う監督、コーチ、選手にはいつも
ぜひ頑張ってほしいと祈りながら今年も応援をしてきました。

 あるコラムで中央大学の駅伝に対する今年のチームプロフィールは「箱根路きっての名門
が不振にあえいでいる、前回は途中棄権。連続シード権獲得も二十九年で途切れた。今年
も全日本大学駅伝予選で十五位と低迷。箱根駅伝予選会も十二位で、例年なら連続出場が
途切れていた。」と記され、評価の五項目で、走力と勝負強さは五点満点で二、新戦力と選手
層は三、経験値は四と記され、不安を感じながらの観戦となりました。新戦力と選手層に期待
し、昨年のリベンジを果たしてもらいたいと思いながら、いつもより重い足取りで往路の箱根路
登り入口で、小田原白門会が応援する集合場所に向かいました。

 今年は例年より応援する旗の置いてある位置の長さが短めで、昨年までは目立たなかった、
法政の黄色い旗がにぎやかにたくさん並びはためいているのに驚きつつ、新年の挨拶をしな
がら選手の通過を待ちました。その中でラジオ放送を聞くと中大走者の状況がなく、やっと小
田原中継点で十七位の報に愕然としつつ、選手達の通過を見送る中、やっと白いユニホーム
に赤地のCマークを迎え応援をし、今年も集まった小田原白門会恒例の新年会で往路ゴール
の結果を待ちつつ、話題は明日の繰り上げスタートはトップと何分遅れなのか、せめて十位く
らいまでいかないか、など今までにない低レベルの話題が往きかっていました。往路は健闘
むなしく十七位という残念な結果となりましたが、明日朝の復路応援で再会を期し家路につき
ました。
 三日は朝小田原の中継点手前で、昨日の皆様と十七位で通過した選手を応援し、四十年会
から案内していただいた内幸町にいつもより重い足取りで向かいました。
 例年の大手町から今年は手前の内幸町に応援場所が変わり、我が母校応援団の前で待ち
つつ、四十年会の皆様と新年の挨拶をしながら他校選手の通過を見送りながら、いつまでも白
地にCマークが現れず、やっと二十分位経過したとき四人集団の中に中大選手が通過したのを
見届け、四十年会佐々木会長の先導のもとに、恒例の激励会会場、常盤橋公園にある渋沢栄
一像前まで、私はとぼとぼと開催に間に合うか心配しながら徒歩で移動しました。

 丁度到着し、しばらくして校歌と応援歌斉唱が始まり、おざなりな理事長、学長の挨拶及び浦
田監督の元気のない十五位で終わった報告と、来年を期する決意があり、出場選手紹介後散
会となりました。
 四十年会恒例の新年会は、佐々木会長に準備していただき、新井前会長や西山幹事長以下
十三名で、東京駅地下街にあるニュートーキョーにて懇親会を行い歓談のひとときを持ちました。
 帰宅後今回のレースデータを確認してみると、優勝した東洋大とは二十五分五十二秒差となり
、十区間で割ると各区間二分三十五秒短縮する必要があり、シードの十位との差は四分となっ
ていました。
 シード権確保には、各区平均二十二キロメーターを約一時間の走破で二十四秒差となります
が、この僅かな差は何だろうと考えると、より強力に素質のあるアスリートを招聘・育成していく
過程で、モチベーション及び個々のコンディションなどと共に選手の起用選定などがあると思わ
れますが、上位校をベンチマークに、その差短縮のための課題解決と学校側の対応、および施
策の大幅な見直しが望まれるところではないかと思われます。
 この大会は、新年の日本中が注目する大イベントでもあり、毎年その注目度が高まっているこ
の機会を通して、校名を上げるチャンスでもあると、大学経営陣は認識していただきたいものだ
と考えます。
 来年は体制見直しの中で、上位確保を期していただきたいものです。またその結果として足取
り軽く応援に駆け付ける事が出来るのを望みたいと思います。
 来年の駅伝では、予選会からの再出発となる中で、上位への返り咲きにより、四十年会の皆
様と再び美酒の祝杯が夢とならないことを祈るばかりです。
                             以上

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