戻るトップページへ戻る

財田翔梧 アーティストステートメント

 世の中に存在する多くの人やモノの接する境界に自分は存在する。普段何気なく過ごしていると個々独
立しているように感じているがどうしようもなく他と関わりを持っているのが人である。大きな流れの中
に含まれる様々なものの交差点の一つを私たちは自己と呼んでいる。

 人はだれかと共に過ごすことで自己を確立し、人となっていく。人を人たらしめる要因は人との交流の
時間であると私は強く感じる。その中でも家族や恋人、親しい友人と過ごすことで人は「なにか」生見出
し、育み、共有する。

 その「なにか」は時として、我々を煩わしく感じさせることもあるだろう。うまく受け入れることが出
来ず傷つくこともあるかもぢれない。それでもなお人はその「なにか」を必要とし、求め続けている。

 その「なにか」とは愛や幸せである。

 私は以前、童話や物語を題材に作品制作を行っていた。題材に選んだ理由としては子どもの頃に親に読
み聞かせてもらっていた絵本、特にその挿絵が好きで自分のルーツはこれだ、と思って制作していた。

 だが、制作を進めることで自分が本当に好きだったことや幸せに思っていたことは絵本自体ではなく、
絵本を通して両親や兄弟と様々な感情を共有する時間だった。そこには幸福があふれていたということに
気がついた。それからは自分の身近な人と共有する時間や事柄が作品作りの元となっている。

 子供の時の幸福な感情は現在を生きる私自身にはリアルな感情ではない。それに年を追うごとに大切な
人やモノと共有する時間や内容は変化し続けるている。自分自身の中でも時や場所に影響を受け、幸福の
形は変化する。ましてや、他者が個々に持つ幸福の形と私のもつには大きな隔たりがあることは否めない。
しかしながら、その様々な影響下でも変わらないものは自分と他のものが関係性を持ち、反応が生まれる
交差点が存在することである。それがなければ決して幸福な時間は生まれない。

 身近な人やモノと関わりを持ち、そこに生まれる感動や驚きを共有することは何物にも代えがたい。

 しかしながら、仕事に追われ、情報に流される、そんなせわしない現代社会で生活する我々はその時間
を見失いがちである。そんな、時間を顧みる機会として私の作品は存在したい。

                                        財田翔梧


戻るトップページへ戻る