
戸田温泉『海のホテルいさば』にて |
41 会の旅行会は平成22 年に貸切バスを利用して奥日光の1 泊2 日の旅を企画したのが始まりで、妙高・那須・万座の秘湯を訪ねて来た。毎年、継続ができたことは皆さんの協力のお陰であり、幹事として嬉しい限りである。5
回目の今年は参加者の要望により“山から海へ”と目先を変えて西方向の静岡へ、西伊豆の駿河湾を一望する雄大な景色の入り江の高台に建つ「海のほてる・いさば」にお世話になることになった。
事前に静岡41 会の仲間に連絡をしていたので、天野進吾・藤井嗣也の両君と特別参加の青島氏の3 名が宿泊先のホテルで合流することになり、総人数は40
名の参加である。第1 日目、9 月16 日(水)朝9 時に新宿駅西口を出発。首都高・東名に乗り海老名SA 〜足柄SA で休憩を取りながら三島駅を通過して、三島市の中央に鎮座する三嶋大社に到着した。境内の樹令1200年と伝えられている天然記念物指定の金木犀は日本一の大木であり、運良く薄黄色の小花を全枝につけて開花していた。年に一度の開花であり、グットタイミングである。
芳香を楽しみながら各自は自由に散策している時に突然、携帯が鳴り、天野君と青島氏が三島駅に着いて待っているとの連絡が入った。ホテルで合流する指示をしていたのに、直近で前田君が三島駅での待ち合わせに変更していたらしい。御存知の通り前田君は病気が進行していた為に急拠、不参加であったことが残念だが、今は三島駅まで迎えに行かねばならず、気持ちが焦るものゝ仕方が無い。境内の近くの鰻屋で友景君達数人が蒲焼きを注文して酒盛りの最中でもあり、全員集合して大急ぎで駅まで引き返したが、結果的に二人を1 時間近く待たせてしまった。彼らに平謝りである。バスの中で久し振りの再会を喜び合った。
天野君は静岡市長を務め、県議会議員(9 期)の自民党の重鎮として活躍中である。昼食は道の駅”伊豆のへそ”で済ませ、伊豆中央道を一路、目的地の戸田へ向かった。戸田では1855 年に駿河湾に沈んだロシア船のディアナ号の水兵の墓所である宝泉寺を訪ねる予定であったが、道路幅が狭くて大型バスが通行できず、又、雨が降ってきた為に断念して、早めの3 時にホテルに到着。
海に面した高台のホテルは全ての各部屋から駿河湾を一望する開放感は素晴らしい。宴会開始時間まで各部屋で自由に過してもらった。まだ静岡の藤井君がホテルに着いておらず、少々気掛りであったが開宴直前に駆けつけてくれて間に合った。多忙な彼は静岡県下最大の不動産会社の創業社長であり、地元の名士として、天野君と同様に多方面で地域の為に尽力している。
楽しみの宴会の司会は今回、初参加の島藤君にお願いし、宮田幹事長に開宴の辞に続いて天野・藤井両君2 人に挨拶をしてもらい、高見君の乾杯の音頭で開宴した。食事とお酒で笑顔の会話…岸君が担当していたビンゴゲームは彼が突然の体調不良で不参加になったので、能登君がピンチヒッターで代行する。皆さんの協力で景品が沢山集まり、大いに盛り上がった。宴会時間も予定の2 時間が過ぎて、30 分間の延長となり、カラオケは年相応の演歌が続き、最後に角田君のリードで校歌・応援歌・惜別の歌で締め括った。
それにしても島藤君の名司会ぶりに感心することしきり…、41 会は役者が揃っている。第2 日目の9 月17 日(木)、早朝5 時半に屋上の温泉に入ったが、私1
人である。外の露天風呂は高温で、のんびりと海を眺めていたら、そのうちに仲間が次々と飛び込んで来た。少し遅れて天野君も入ってきたので、彼を囲んで話が弾んで、気が付けば40
分も入っていたことになる。これが本当の裸の付き合いであろう。海と温泉の自然環境の一体感が、時の流れを忘れてしまう。
朝食を済ませて、ホテル横の急な脇道を下りると海岸に出る。湾の砂浜を一周すると、突き出た岬では数人が釣りをしていた。私のような玄界灘育ちは、透明度が良い海を見ると、つい泳ぎたくなる。10
時に静岡の3 人が帰る時間となり、迎えの車が来たのでホテル前で全員で記念写真を撮り、再会を約束して別れを惜しんだ。
12 時にホテルの方々の見送りを受けながら帰路についた。ホテルの対岸の岬を周って“煌めきの丘”で記念写真をパチリ…湾が見下ろせる最高の場所である。バスが山間部を通る頃に雨が降り始めた。向かった先は柿田川の名水「泉の館」。東洋一の湧水があるから美しい蕎があると言われている食事処の“遊水そば”で昼食。柿田川は富士山に降った雨や雪が地下水となり、濾過されて清水が百年余の時を経て湧き出している清流である。
その神秘さと美しさの風景を巡る予定であったが、雨が激しく中止せざるを得なかったのは残念である。沼津インターから東名高速を経て、6 時に新宿駅西口に無事到着。参加者の皆さんの協力に感謝しつゝ、幹事として何とか無事に終えた気持である。今回の旅行は前田君が闘病中でありながらも幹事としての責任感から、最期の最期まで参加の望みを捨てゝなかったことが思い出されて、感謝ばかりである。
又、大学1 年生から同クラスである前田・角田・小笠原の3 人組で旅行会の企画・実施のお手伝いができたことは幸せであった。“前田君、ありがとう。”(小笠原敏雄、旧姓・秀島)