私の世界観 ー 大陸・海外雄飛の勧め

商学部昭和41年卒 井 口 富 夫
来し方行く末を思う(故阿部昇会員)
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 東京は浅草区の柳橋に生まれ蔵前で青春を迎えた。高校時代父の友人に「君は大陸雄飛に向いている」と突然言われたことを今でも覚えている。地の利を得て徒歩でも行ける御茶ノ水の中央大学を選んだのは自然の選択であった。学部は雄飛への必須科目・商学部貿易学科、クラブ活動は迷わず英語学会、異文化に馴染むため基督教会通い、クラシカル音楽に熱中し、当時限られた海外事情を物色するため小田実、加藤周一等は敬愛する作家達、更に幸いなことに大学3年時(昭和39年)中大英語学会会長に國弘正雄が就任された、12年間米国で学び新鋭35歳の文化人類学者、同時通訳の神様、将に博覧強記で海外雄飛の第一人者に直接指導を受けたことは願ってもない好機であった。
 

     恩師の国弘正雄先生(左)□□□□


パラオ共和国大統領□□□□□
     環境問題アドバイザー
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  ベルリン世界コンテナ会議基調講演
 (本人)
 早速指導を仰ぎ半年後、関東大学生英語ディベート大会(演題:国連常備軍の是非)で我ら5人制チームが見事三位入選は生涯誇り得る思い出、卒業後の進路は1留学、2移民で国内の就職希望は一切なかった。國弘先生等から推薦状を頂き東京基督教大学で試験を受け念願のカナダBritish Colombia大学院に留学、そこで教鞭をとる加藤周一先生等にも面談出来た、それは将に夢に見た大陸・海外雄飛人生への入り口であった。

 雄飛は地球を狭める、当時先端の物流コンテナ革命と言われた輸送方式が米国で始まり北半球を凌駕した。物流産業のすそ野は広く、地球を隈なく走る基幹産業へと発展し、その末端に船社に代わりコンテナを保有しリースする業種が生まれた、資金を募り世界のコンテナ需要に合わせて供給を担い、世界に分散するコンテナを保守管理する大変移動幅が広い事業、コンテナ需給の動静を追う毎日である。こんな生業に30年も係ると万事広く世界情勢への関心が募る。
 現役中、駐在
した都市は7か所、勤務地は40%東京、30%外地勤務、そして30%が国の内外へ出張、以来杖を曳いた地域は121ケ国を数える、地球の海面は広く地面は狭い、人類の移動は動物と同様自由であるべきと思った。
雄飛は旅する人生、それは異国にいて故郷を想う、男はつらい寅さんの世界である。人との出逢いが幅広く想い出豊かな人生であった。今日の日本では大陸・海外雄飛はもはや死語、現代人の多くが国内に安住し居場所を海外に求める要が無いのか?雄飛とは戦前の言葉、大陸を越え海を渡る新天地での移住を意味した、そこには今の若人に無縁の希望と夢があった。未知の世界観に出逢う雄飛の復活を勧めたい。

 そこで自分の世界観とは何かを考える。自己紹介をする時半分冗談で半分正直に、「江戸は下町、浅草生まれの東アジア人」、多くの外国人は笑みをもって、半面日本人は「お前そこまで言うか」が多い。何故か生来狭い島国から雄飛志向が強く、日本の雑種文化の特殊性を好み、単一純粋民族、万世不易、皇国史観等の難しい言葉には辟易する、“おもてなし”と慇懃だが外国人の移住を受け入れない無礼さ、それはヘイトスピーチが横行する異常な性格を持った世界である。

 では何故“東アジア”なのか?そこに位置する大陸、半島、列島の三地域は生まれながらの三人兄弟の運命に在り、儒教仏教・漢字・稲作等、が共通基盤に支えられている。東アジア三兄弟の歴史を改めて振り返ると、古代?中世までの長期に亘り大陸文明文化が一方的に半島・列島に受け継がれた、中世から近世は偶然にも三兄弟は鎖国中で自由な交流が途絶えた、そして19世紀に入り三男が突然に長男と次男を侵略し植民地化した。三兄弟の口論は21世紀に至っても未だに止まらないのは周知の事実だ。三兄弟が寄って文殊の智慧を生かし・・・・、こんな当然のことが近世の歴史に起こりえなかったのは信じられない奇跡だ。その為には三兄弟の統一された国家像が必要、互いが互いの問題解決を図り合う、「東アジア共同体」かも知れない。
 現在の日本はイスラエルに似ている、近況諸国と友人が居らず唯一仮の頼りは米国、その首都と2万キロ以上離れている、将に“近攻遠交”の構図である。

 卒業50周年を機に余生をどう生きるかを考える、遅からず未知の彼岸へ向かって雄飛する・・・そこは地球の一部か外か、それも不安であり楽しみでもある、その前に多少寄り道の自由時間が欲しいが、私にはその潮時を知る縁は無い。 <完>