「カフェ花豆」を始めました
有 山  至
元気の源・手作り三昧 近況報告・エッセー一覧
カフェ花豆情報サイト 地図



 一昨年、生まれ育った日野の自宅で妻と一緒に「カフェ花豆」を始めました。もともと食べることが大好き、人を招くのが好き、妻は料理を作ることが好き、と三拍子が揃ってのオープンです。おいしくヘルシーなメニューを用意して、お腹だけでなく心を満たす楽しいカフェを目指してます。無理をせずマイペースで、週末だけの営業ですが、出足は順調です。
 日野は昔、甲州街道の宿場町で「多摩の米どころ」と呼ばれ、多摩川から引いた農業用水が、今も町中を巡る緑と清流のまちです。また、土方歳三が生まれた新選組のふるさととしても知られ、休日には歳三ファンの「歴女」たちが沢山散策に訪れます。

  

 我が家はその用水沿いにあり、欅の大木や竹林に囲まれ、夏は川からの涼風が家の中を吹き抜け、クーラーいらずです。こんな環境を残してくれた御先祖さまに感謝です。
 地元産の新鮮な野菜や、懇意の肉店さんから仕入れる上質の肉を使い、料理は全て妻の手作りです。脂の旨味が口の中でトロける「和牛ほほ肉の赤ワイン煮」、家の前を流れる日野用水路緑に囲まれた我が家料理は全て妻の手作りです野菜たっぷりの「トルティーヤ」、イギリス風味の「羊飼いのパイ」等、ランチプレートは季節によって4,5種類をアレンジします。香り高いコーヒーや珍しい食用ホウズキを使ったデザートも好評です。

 

 ハムとベーコンだけは私が作ります。10日間塩漬けにした豚肉を、桜のチップでじっくりスモークし、添加物は一切無し。肉本来の旨味が凝縮した本物です。接客は専ら私の担当です。自宅に友人を招く気持ちで、お客さんとはよく話をします。会話の中から生まれる新しい出会いは、何よりもの楽しみです。
 話は遡りますが、定年の少し前に八ヶ岳山麓、長野県小海町の松原湖高原に別荘を買いました。5年程して、家のすぐ近くにある美術館のレストランをぜひやってくれないかという依頼が、町から妻のところに来ました。考えた末、春から秋まで週末だけという条件で引き受けることにし、初代「カフェ花豆」をオープンしました。私も嫌いな道ではないので、ホールを手伝いました。別荘や地元の人、旅行者たちの客足が年々増え、雑誌等でも紹介される評判の店になりました。
 10年目を迎えた3年前の春、開店準備をしていたところ、突然町長から「今年は契約しません」との通告がありました。理由は、地元の業者が希望してきた事の他に、「カフェが賑いすぎると美術館がかすんでしまうから」と、当時の教育長が言うのです。法律無視の非常識な申し出に納得がいかず、弁護士を入れて交渉するも、「町の方針だから」の一点張りで平行線のままーーー。結局、不本意ながら撤退することにしました。閉鎖的で他所者には冷たいという、これが日本のムラ社会の現実だということを思い知らさせれました。
 これには背景がありました。これより数年前、町に残る貴重な湿地帯の樹木を伐採し、埋め立てて農地にするという計画が発生しました。これに対し緑の保全を訴え、町に対し何度も反対の申し入れを行いました。しかし、聞き入れられずに「うるさい奴は追い出してしまえ」に結びついたのです。結局、絶滅危惧種にも指定されている「ハンノキ」は、300メートルにわたり切り倒されてしまいました。
 今、私は74歳、妻は70歳になりましたが、まだまだ元気です。1年間のブランクがありましたが、妻と話して「いっそのこと日野でやってみようか」ということになりました。
 「落葉帰根」ということでしょうか。故郷へ戻ってきました。
 旧友や地元の知人は、「もっと早く戻ってくれば良かったのに」「これを待っていたんだヨ」と喜んでくれてます。
 週末だけの営業で、2月と8月はお休みです。「オン」と「オフ」の切替がある暮らしは、生活にリズムを与えてくれます。
 永年番組制作をしてきた日テレではとても楽しい時代を過ごしてきましたが、妻と二人で気ままに働く今が一番楽しいかも知れません。『もいちど また』―――日野でカフェを始めて、とても幸せです。        (有山 至)
                (『白門41会だより』2017.5.10発行より)