忠臣蔵の足跡を訪ねる

江戸城松の廊下跡(皇居東御苑)〜
本所吉良邸跡〜高輪泉岳寺

2020.10.7
土田 和正
絵巻 近況報告・エッセー一覧

    


赤穂義士と浅野内匠頭が眠る高輪泉岳寺
260余年に亘る江戸時代の歴史で、日本中を騒がせた最大なものは1702(元禄15)年12月に起きた赤穂事件「忠臣蔵」であり、それは300年以上経った今日まで色あせることなくこれからも語り継がれるであろう。

今回はその発端から結末までの旧跡を手短に廻ってみた。まず全てがここから始まったとされるのが江戸城松の廊下である。現在は皇居東御苑の一角に「松之廊下跡」として碑のみを残すだけが公開されている。皇居東地区は旧江戸城本丸、二の丸、三の丸がありその一部は皇居付属庭園として見るべきものは多い。

大手門から石垣に沿って入ればそこは都心の真ん中にいるとは思えない、雑木林、菖蒲田や小堀遠州作の庭を復元したとされる二の丸庭園を回遊し、先般大嘗祭が行われた本丸、大奥、天守台等をフカフカの芝生を踏み分け、浅野内匠頭も通ったとされる平川門を抜けて江戸城を後にした(都心でこんなすばらしい空間を味わえるなんて!)。

電車を乗り継いでいよいよ討ち入りの吉良邸へ、現両国三丁目は旧本所松坂町と称しており2550坪の広大な敷地内に吉良邸はありました。現在この一角を公園にして吉良邸跡としています。ここは昭和9年に地元有志が発起人となり土地を購入し東京市に寄贈し旧跡として維持されてきました。ここにも忠臣蔵に思いをはせる大勢の人々がいました。因みにこの界隈は12月14日「義士祭」が催され同時に100店余りが出店する「元禄市」も開かれ大変な賑わいになります。

吉良邸を後にした我々5人は両国橋を渡って御府内へ向かうのですが、実は赤穂浪士一行は「橋止め」にあって、この両国橋を渡れずやむなく下流の永代橋を渡って雪道を三里ほど歩き高輪泉岳寺へ着いたそうです。今は誰はばかることなく両国橋を渡り電車でアッというまに泉岳寺へ到着、大石内蔵助の銅像に迎えられ境内に入ると凛とした佇まいは今も変わらず300年前にタイムスリップした感がある。早速、浅野内匠頭と義士が眠る墓所へ、そこは内蔵助を筆頭に整然と並んだ四十七士の面々、何を語らっているのか―合掌―ともあれ端折った形ですが忠臣蔵の足跡を訪ねる散策はここで解散、それでも結構な距離を走破しました。皆様お疲れさまでした。2020年10月(土田和正)