歳時記
2025年10月27日(月)
女郎蜘蛛
近くのニュータウンの中をウオーキングをしているとき、路傍の木と木の間を差し渡すように蜘蛛が大きな巣を張っていた。何という蜘蛛なのか分からなかったが、調べてみると女郎蜘蛛だと分かった。女郎蜘蛛は夏から秋にかけて大きな網を張る蜘蛛である。クモ目ジョロウグモ科ジョロウグモ属に属する蜘蛛である。
雄と雌で固体の形質が異なり、成体の体長は雌で17~30mmなのに対して、雄では6~13mmと雌の半分以下である。形はほぼ同じで、腹部は幅の狭い楕円形で歩脚は細長い。成熟した雌の腹部には幅広い黄色と緑青色の横縞模様があるのが特徴で、腹部下面に鮮紅色の紋がある。雄は雌に比べて小さく、色も褐色がかった黄色に濃色の縦じま混じりの複雑な模様がある。歩脚は暗い褐色に黄色の帯が入る。
標掲の飯田蛇笏の俳句。ちょっとイメージし難い句だけれど、私の解釈はこうだ。
夕方、女が浴室で身体を洗っている。すぐ脇の台の上に脱ぎ捨てた襦袢などの衣類が置いてあり、格子窓の外から夕陽が射し込んでいる。その窓のすぐ傍に女郎蜘蛛が巣を張っていて、その影が脱衣の上に映り、ちょうど蜘蛛が脱衣の上を歩いているように見えるのだ。
「夕かげや」がイメージを膨らませるのに役立っている。何とも艶めかしい瞬間を詠んだ句ではないかと思うのだが、さて、皆さんはこの句をどのように理解されるだろうか。
飯田蛇笏(1885年(明治18年)~1962年(昭和37年))は、山梨県出身で、高浜虚子に師事し、山梨の山村で暮らしつつ、格調の高い句を作った。村上鬼城などとともに、大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。1905年(明治38年)早稲田大学英文科に入学し、若山牧水らと親交を深める。代表作の一つに次の句がある。
──たましひの たとえば秋の ホタルかな──
女郎蜘蛛は春に孵化し、雄で7回ほど、雌で8回ほど脱皮を繰り返して成体となる。成熟期は9~10月ごろで、この時期に交尾が行われる。交尾は雌の脱皮直後や食餌中に行われる。これは、交尾時にうっかりすると、雄が雌に食べられてしまう恐れがあるためで、交尾をするのも命懸けというわけだ。10~11月ごろに産卵。樹木や建物等に白色の卵嚢をつくり、卵で冬を越す。幼体は春に孵化し、まどいと呼ばれる集団生活を送った後、糸を使って飛んで行くバルーニングを行う。
造網性のクモで、垂直円網を張るが、その構造は特殊で、通常のそれより複雑になっている。クモは網の中央に常時滞在している。網は全体を張り替えることはあまりせず、通常は壊れたところなど、部分的に張り替える。
視力があまりよくないため、巣にかかった昆虫などの獲物は、主に糸を伝わる振動で察知するが、大型の獲物は巣に近づいて来る段階で、ある程度視覚等により捕獲のタイミングを整え、捕獲している。巣のどこにかかったのか、視覚では判別しづらいため、巣の糸を時々足で振動させて、そのエコー振動により、獲物がどこに引っかかっているのか調べて近づき、捕獲する。捕獲した獲物は、毒などで動けないよう処置したあと、糸で巻いて巣の中央に持って行って吊り下げ、数日間かけて随時捕食する。獲物は多岐にわたり、大型のセミやスズメバチなども捕食する。捕食は頭から食べていることが多い。成体になれば、人間が畜肉や魚肉の小片を与えても食べる。
女郎蜘蛛は、谷崎潤一郎の短編小説「刺青」の中に描かれている。
腕利きの刺青師で元浮世絵師の経歴のある清吉は近隣でも人気が高く、彼に刺青を彫ってもらうには彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みを持つものでなければならなかった。たまたま彫ってもらえることになっても一切の構図と費用を彼の望むがままにし、その上耐え難い針先の苦痛を一と月も二た月も堪えなければならなかった。
彼の年来の宿願は、光輝ある美女の肌を得て、それへ己の魂を刺り込むことであった。
ある日彼は深川の料理屋の前を通りかかったとき、門口に待っている駕籠の簾から真っ白な女の素足がこぼれているのに気が付いた。鋭い彼の眼には、それは年来願っていた女の肌そのものと映った。たちまちに見えなくなってしまったその素足の主を探し続けていたある日、辰巳の芸妓から依頼された羽織を持ってきた小娘を見た途端、この娘こそが例の素足の女であるに違いないと突き止める。清純を装っていた小娘の奥底に潜んでいた魔性を彼は鋭い洞察力で喝破したのであった。彼は女に麻酔剤を嗅がせて意識を失わせ、その見事な背肌に針を刺し込むのであった。
……一点の色を注ぎ込むのも、彼に取っては容易な業ではなかった。さす針、ぬく針の度毎に深い吐息をついて、自分の心が刺されるように感じた。針の痕は次第々々に巨大な女郎蜘蛛の形象を具え始めて、再び夜がしらしらと白み初めた時分には、この不思議な魔性の動物は、八本の肢を伸ばしつつ、背一面に蟠(わだかま)った。……
糸のような呻き声が唇に上ると、女は次第に覚醒していった。
「苦しかろう。体を蜘蛛が抱きしめているのだから」
三沢 充男