会員の動向
このページでは会員に関する事柄で皆さんが関心を
持たれるようなことを紹介してゆきます。
会員の中で特技を持っておられるような人のこともご案内します。
このページへの登載を推薦される方はE-MAILをお願いします。
ただし、このホームページの性質上、営業の宣伝になるような
事柄は除外させていただきます。登載の可否及び記述内容につい
ては管理人(三沢)の独断と偏見で対処させていただきますので、
あらかじめご理解をお願いします。
なお、住所、勤務先等に変更があった場合は、
白門43会事務局までご連絡下さい。
★ トピックス
霊山恐山菩提寺ロマン 高橋良洋
下北の石橋さんには、お世話になり、地酒の関の井酒造の「寒立馬」(寒さに耐える下北の馬)を頂きました。酩酊して話が弾み、会場むつグランドホテルで、「居酒屋トリオ」が誕生し、秋には、東京の居酒屋名店巡りをすることになり、大きな旅の収穫でした。一度は、吉備の国にお招きして、地酒の銘酒、金賞受賞の山田錦「極聖」を汲み交し、岡山一の老舗の名店「一扇」で、薄造りの瀬戸内の魚で舌鼓みを打ち乍ら、酒談議が弾む日を楽しみにしています。参加したい方は、早目に一報を下さい、桃太郎・吉備団子の国から、下北の旅の一コマを綴らせていただきました。 |
● 43会青森旅行に初参加して 平成28年7月20日から2泊3日の青森旅行「津軽・下北のロマンを訪ねて」に参加した。初参加であり、43会員全体でも交遊ある知人は10名程度なので、参加者の交遊に溶け込めないことを懸念していた。集合場所は東京駅の銀の広場。集合時間少し前に広場に行き、自分と同年配の方たちの集まりに近づいてみた。誰かが気付いてくれた。椅子席はほとんど埋まっていたので立って待つより仕方がないなと思った瞬間に、少し離れたところに座っていたご婦人が私に気づき、席を空けるた
2日目は青森港から船で下北半島の西端を進み、奇岩が連続する仏が浦を眺めながら北上し佐井港に行き下船、そこから観光バスで移動、大間町の北端岬で函館山を遠望。東に向かい半島東岸の最北端尻屋岬見物。むつ市にお住まいの43会弁護士石橋さんの支援がこの旅実現のきっかけとか。きれいな津軽海峡のまっ青な空と白い漁船、そして海岸の緑。石橋さんは漁船を所有し尻屋岬のすぐ近くでヒラメ釣りもされるとか、羨ましかったです。次いで恐山参拝、 さらに海上自衛隊基地の自衛艦接岸を目撃し、日露戦争当時の資料もある記念館を見学、楽しく、美味しく、印象深い旅でした。次回も参加したいです。 |
● 43会 津軽・下北旅行 2016年7月20日(水)〜22日(金)の2泊3日で、43会の津軽・下北旅行が開催されました。この企画は、青森県むつ市に住む43会会員の石橋さんから熱心なお勧めがあり、昨年龍門会長等が下見を行った上で実現したものでした。余りなじみのない場所なので参加者が少ないのではとの心配がありましたが、いつもの旅行会同様の31名の応募者がありました。 参加者は、指定された7時15分までに東京駅地下の「銀の鈴」に遅れることなく集合しましたが、集合時間が早かったので岡山からの高橋(良)さんや、桐生からの大下さんなどは東京に住む家族の家に前泊したようでした。 一行は、幹事長の先導で新幹線のプラットフォームに向かい、途中の改札口で某副会長が乗車券と特急券を入れる差し込み口にスイカカードを入れて機械を故障させたというトラブルがあっただけで、全員が無事に7時36分発の東北新幹線「はやぶさ3号」に乗り込み、新青森駅に向かって出発しました。 途中の大宮や宇都宮から何人かが乗車し、11時に新青森駅に到着した時には現地案内人となる石橋さんと、どういう訳か練馬区在住のはずの中里さんの2名が加わり31名全員が揃いました。 まずは新青森駅の食堂で各自昼食をとることになり、ある者はラーメン屋、ある者は焼きそば屋というように分かれました。私は高橋(艮)さん、飯島さん、峰岸さんと「田」という和食屋に入り、大間のマグロ・はたて・ウニの海鮮井を食べました。多少値段は高かったのですが、味はそれに見合ったもので一同は幸先がいいと大満足しました。また、青森の地酒も試そうということで「田酒」をコップ一杯だけ飲みました。 腹ごしらえができたところで、待機していた観光バスで最初の観光地「三内丸山遺跡」に行きました。 ![]() 次に向かったのは太宰治の生家「斜陽館」でした。大きく立派な建物で、室内の建具や襖なども素晴らしいものでした。太宰治は貴族院議員の津島源右衛門の六男として明治42年に生まれ、兄も青森県知事や衆議院議員を務めた名門の家柄だったようです。 この日最後の観光地は、五所川原の有名な「立佞武多」を製作している「立佞武多の館」でした。高さが20メートル以上もある「立佞武多」のために建てた6階建ての巨大な建物で、8月中旬の出番を控えて9割ほど完成している3基をくまなく見学できましたが、その大きさ、彩色の見事さに一同は感激しました。高さは22メートルで内部には電飾のための発電機も備えているため、重さは17トンにもなるとのことでした。これが練り歩く道路は全ての電柱が撤去されて電線などは地下に埋設されているとのことで、五所川原市がいかに力を入れているかが窺えました。 午後5時に青森駅近くにあるこの日の宿泊地「ホテルサンルート」に到着しました。夜の宴会は徒歩で10分ほどの「三ヅ石」という料亭で開催されました。会長の挨拶、石橋さんの地元紹介の後に岡山の高橋(良)さんの乾杯の音頭で宴会が始まり、日中かなり歩いて空腹になっていた一行は、ホタテなどの魚介類を中心とした料理を満喫し、また「田酒」「亀吉」「じょんがら」といった地酒を大いに楽しみました。私もビールの他に全部の地酒を飲んだので、9時にお開きになったあとどうやって自分の部屋に戻ったのか覚えていないほどでした。でも何人かは更に二次会に行ったようで、その人たちには脱帽です。
今回の旅行はこのように、楽しく、思い出深いものとなり、大成功だったと思います。何よりも、3日間の天候に恵まれたことで、その間東京は雨が続いていたようですが、下北は曇りと適度な晴れが続き、気温も丁度よい絶好の旅行日よりでした。また、現地の石橋さんのおかげはもちろんですが、旅行の企画・募集そして引率を一手に引き受けた清水幹事長に負うところも大きいと思います。今回のような楽しい康行を経験したなら、次回もまた大勢の参加者が集まることと思います。次回に期待したいと思います。 以 上 |
●「全日本柔道形競技大会」43会の清家(8段)さんが出場 準優勝!
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● 白門43会北陸旅行記 〔第三日目〕11/12
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●5月6日初日に“古稀記念”町田譽曽彦個展に行ってきました。 梅津久光 古稀(70才)・・・人生の感慨ある通過点だと思った。 今まで町田画伯の作品に触れる機会があったが、転勤で過ごした場所の風景がその事をものがたっている。自分も転勤してきて思うことは、町田氏は絵画を通じてその時々のストレスを発散させたのだろうと、私なりに思ったものである。 町田氏は現在、地元密着で活躍していると聞いていたが、その証拠に初日に多くの地元の人が駆けつけていた。オープニングパーティでの出席者の挨拶でもその事が良く解った。 なにしろ昔から思っていたのだが、町田氏のパワーのすごさを今日も感じたのである。 |
● 経営トップのリーダーシップ10か条について このところの企業不祥事が続発している。例えば、カネボウ化粧品の白斑問題、JR北海道のレール異常放置、みずほ銀行の暴力団員融資問題、阪急阪神ホテルズ等の食材偽装問題、ヤマト運輸の荷物の温度管理問題、食品への農薬混入問題等、さまざまな業種で消費者や利用者の信頼を切る事例がみられる。 |
● 南富山の旅
![]() ![]() コスモスに囲まれる合掌家屋 菅沼合掌集落の家並み |
● 町田譽曽彦さんの作品が第98回ニ科展に入選しました
平成25年9月4日(水)〜9月16(月)までの間、東京・六本木の国立新美術館で開催された第98回二科展で町田譽曽彦さんの作品が入選しました。町田さんは1970年に24歳で第55回二科展に初入選以後毎年出品、それ以来30数回目の入選となりました。 管理人は9月13日(金)に拝見させていただきに行きました。二科展は新美術館の1階から3階までを使った全館の大展示で、絵画、彫刻、デザイン、写真といろいろな分野にわたっており、最大の絵画部門は1000点を越える展示がされていました。どれも100号規模の大きなものばかりで、観る方はその迫力に圧倒されました。町田さんの作品が展示されているコーナーに行くと、名前を見なくても一目で「これが町田さんの作品だ」と分かりました。 町田さんの作品は100号の大きな油絵で、題は「逗子アリーナ」でした。町田さんの作品は船や海岸の絵が比較的多いと思っていましたが、今回は以前の入選作のような抽象的な詩情を込めた作品ではなく、写実的な絵でした。管理人のような素人にはこの方が分かりやすくて好感が持てました。もっとも写実的とはいっても写真のような平面的なものではなく、油絵が持つ重厚感、マチエールが遺憾なく発揮されて、その迫力が直接伝わってくるような感じがしました。 ★第1回二科展は、1914年(大正3年)文展洋画部より分離して、上野竹之台陣列館で開催された。この時は石井伯亭、梅原龍三郎、有島生馬などが出品した。 |
● 町田譽曽彦さんが絵画を学員会に寄贈されました
洋画家の町田譽曽彦さん(このページの下方参照)が、この程ご自身の作品「コスモス」2点(油絵と水彩画各1点)を中央大学学員会(駿河台記念館)に寄贈されました。 寄贈された作品は、次のとおりです。駿河台記念館に掲示されていると思いますので、お出でになられたときは是非ご覧になってみてください。 |
● 鹽野惠子さんの個展が開催されました
趣味の油絵で文部科学大臣賞、外務大臣賞、衆議院議長賞など数々の賞を受賞され、プロ並みの実力を発揮されている鹽野惠子さん(法法)が、平成25年7月1日(月)〜7月7日(日)の間、東京・京橋のGALLERY KUBOTAで個展を開催されました。 なお、鹽野さんの作品「秘めたる闘志」が、平成25年5月29日(水)〜6月10日(月)まで、国立新美術館で開催された「第27回日洋展」で、多くの入選作品の中から見事「会友賞」を受賞されました。
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● 東日本大震災被災地体感ツアー報告
● 「日洋展」で鹽野さんの作品が展示されました
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● 亘理町にて被災地支援ボランティア(生活支援物資の配布)
以前にもこのHPの“会員の動向”欄でお知らせしましたが、今回は4人の白門43会員が宮城県亘理町における被災地支援ボランティアに参加しました。八王子から参加したKさんは最初から参加しているベテランでこの活動の統括責任者として以前より活動しています。自分を含め他の3人はKさんの呼びかけに呼応して活動に参加し始め、私は今回が3度目。そして他の2人はそれぞれ2回目、初回となりました。我々は家もお互いに10分もかからないところに住んでおりましたので今回はSさんの大型4輪駆動の三菱パジェロ車に同乗させてもらうことにしました。![]() 3.11の東日本大震災の後、多くの方々が日本人としての同朋意識から何かしてあげたい……と考えていてもその方法を探しあぐねているようです。3人目のKさんにご自宅前で同乗していただき、われわれ3人の初老ボランテアを乗せたパジェロは真夜中の京葉道路、首都高、そして東北高速道をひたすら北に向かい走り続けました。 途中何度かSAでトイレ休憩、そして朝食休憩などをとってまた走り、同時走行している他の車のメンバーとも携帯で連絡を取り合いながら一路“亘理町”に進路を取りました。吾妻PAから国見SAに向かうころになると夜も次第に明けてきて、辺りは明るくなりかけてきました。そして高速を降りる白石ICに着くころには前面に白く雪をいただいた蔵王連峰の清らかな姿が我々を迎えてくれました。 ![]() 物資分配場の体育館前にはもう既に20人くらいの被災者の方々が寒い中をお待ちでした。今回からは寒さの中を長い行列を作り待つことは健康上からも人道的にも好ましくと言うことで“先着順”を廃止し、“抽選形式”に変更したのですが、情報が完全に周知されてはいないようでした。お集まりの方々に8時より整理券を発行し9時より10人ずつのくくりで抽選します……と説明してもなかなか解ってもらえませんでした。 この方法ならば整理券受け取り後は帰宅しても車の中で暖を取られてもかまわないからです。5回目にして最初の試みなので多少混乱はありましたが600枚近くの整理券をお配りし、9時より抽選を開始いたしました。その頃にはバザー会場抽選場の前には人、人、人の溢れんばかりの状況でしたが皆さん整然と抽選作業に協力してくださいました。 ![]() 我々の前に来られたお客さん(?=被災者の方)に少しでも品物が選び易いように並べ変えたり、希望の品を探したり、あるいは既定の数量以上の物資を袋に入れないように注意するのが我々の大きな仕事でした。我々の胸に付けているIDカードを見て“あれえ千葉県からこんなとこまで来てるのけ?”と驚き、日帰りと聞いて更に驚き、“ありがとね!助かるわ!”とお礼を述べてくださる方もたくさんおられました。 今回は新しい試みの“抽選方式”を取り入れた為に完売(?=販売完了)はいつもよりだいぶ遅くなりましたが、それでも午後3時ごろには一部品物(衣類、瀬戸物、本 等)を残して終了しました。バザー会場で全員集まり、このバザー(さざんか市)の発起人の女性より閉場の挨拶があり、散会しました。 ![]() 買い物の後、この亘理町の中でも一番被害のすさまじかった海岸地区に向かいました。1,000人以上が犠牲になられたという中浜地区、荒浜地区はもう暗闇につつまれてほとんどあたりの情景は可視出来ませんでした。あたりは漆黒の闇の平原で我々の乗ってきた数台の車のヘッドライトの明かりだけが場違いに浮き出ておりました。 3.11の前夜までこのあたりはたくさんの住宅がならび、多くの商店やコンビニが並んで賑わいを見せていたのでしょう。街路には様々な明かりがつき、多くの人々が行きかっていた町がここにあったのがまるで夢のようです。我々は声もなくあたりを見つめていましたが、遠くに不気味に光るあのかっての“魔の海”は今は何事もなかったように静けさを保っていました。 われわれは心の奥深く思い物を宿しながら暗い海抜1メーターたらずのその悲しみと犠牲者の怨念の漂うかの地を離れ、それぞれの家路に向かいました。ときどき復旧工事用と思われるトラックがすれちがい、闇の中へ消えてゆきました。 千葉の各々の自宅に到着したのは夜の9時頃でした。Sさんのパジェロの距離計はなんと一日走行850キロを超えていました。 (佐藤勝:記) |
● 「東京いのちの電話」TV放映のお知らせ
中村武照(法法)です。「東京いのちの電話」の後援会に関わって5年あまりとなります。その間、白門43会でも、チャリティ映画会、コンサートはじめ寄付などにご協力いただいた方達がいらして下さり、同期の力を有難く思い、活動への大きな励みとなっています。 11月5日には、「東京いのちの電話」設立40周年記念式典が、皇后さまをお迎えして、とり行われました。各メディアが取り上げてくれましたので、皆様のお目にとまったこともあったと思います。なにゆえにも、地味な活動の為、あまねく知られていないのが残念なのですが、この度、「いのちの電話」に関するドキュメンタリー番組がTV放映されることになりました。お時間が許すようでしたら、是非ご覧いただきたいと思います。 1 日 時: 平成23年12月18日(日) 午後2時より約1時間 2 放送局: フジテレビ(8チャンネル) 3 内 容: 「いのちの電話」に関するドキュメンタリー |
● 八王子の蕎麦打ちパーティー
11月1日付けの古賀さんからの手紙で、「蕎麦打ちパーティー」に誘われました。かねてから蕎麦打ちを修行していた芝木さんと佐藤さんかが“免許皆伝”となったので、「北野」にある古賀さんのマンションでそのお披露目の「蕎麦打ちパーティー」をやるとのことでした。私は以前にこのホームページで「蕎麦のうんちく」という文章を何回か掲載してもらったことがあるので、特に指名されたものと思い参加を快諾しました。 当日は「酒の持ち込み歓迎」とあったので、丁度新潟の小千谷から取り寄せた「寒中梅」の5合瓶とつまみを何種類か保冷剤入りのバッグに入れて持って行きました。 ![]() 古賀さんの部屋は最上階の10階の角部屋で、20〜30名が寛げるテラス付きという豪勢なものでした。玄関から入って右側の部屋では芝木さん、佐藤さんともう一人の“師匠”と呼ばれる人が蕎麦打ちの最中で、テラスでは正野さんや金子さんなどが談笑しており、古賀さんは酒や料理の準備で大忙しといったところでした。 早速、私も暖かなテラスに出て周囲を眺めたり、皆で談笑したりしてそのままビールを飲み始めてしまい、その後、お暇するまでの7時間以上、ビール、日本酒、焼酎、ワインを飲み続けることとなりました。 古賀さんが用意してくれたのは鍋料理でしたが、その他にも参加者がいろいろなものを持ち寄ったので、飲み物と食べ物は豊富でした。高梨さんのように自宅の菜園からこの日抜いてきたばかりの長葱を持ち込む人、梅津さんのように柚子を持ち込む人などがおり、酒も高梨さんが「久保田」の1升瓶を、冨田さんが「比叡山」を、矢崎さんが焼酎などを持参し、女性軍も手料理やスイーツ等を持参していたようでした。 蕎麦打ちは、芝木さん、佐藤さんと“師匠”の3人が早くから来て分業して手際よくやっており、苦労して取りあえず22人分作りましたが、参加者は最終的に20名となりましたので何とか足りたようです。 そこで倉田会長の挨拶と乾杯でパーティーの開始ということになりました。倉田会長の挨拶で初めて知ったのですが、古賀さん、佐藤さん、倉田さんは前々日に宮城県亘理町に支援物資を届けてこれらを配布するボランティアに行ってきたとのことで、前日の夜遅く帰宅したばかりということで、これには一同驚いたり感心したりでした。 ![]() 肝心の蕎麦の味ですが、これが予想を遥かに上回るおいしさでした。蕎麦粉は信州産のもので、小麦との割合は2:8ということでしたが、とてもこしがあり、喉ごしも滑らかで正直びっくりしてしまいました。私はこの「蕎麦打ちパーティー」に参加するための準備として、2〜3日前に浅草の「蕎麦上人」と南千住の「竹やぶ」でおいしい蕎麦の味をしっかり試しておいたのですが、これらの名店の蕎麦に比べても遜色ない出来ばえだったと思います。佐藤さんと芝木さんには感謝するとともに、ここまで腕を上げたことに心から感服しました。 その後、体験コーナーが開催され、蕎麦打ち“免許皆伝”の3名の指導の下、相澤さん達女性軍がチャレンジしていました。 古賀さんの話では、この豪華マンションは何かの集まりの時にだけ使っているとのことで、古賀さん自身は現在別の家に住んでいるとのことでした。この日のように20名くらいの集まっても楽に収容できる広さがあり、談笑の中で今後は43会の役員会や行事もここでやってはどうかとの意見も出ていました。 9時過ぎにこの会もお開きとなり、私など“食べるだけの人”は古賀さんのマンションを早々にお暇したのですが、おそらく後に残った女性の皆さんや古賀さんは後始末でさぞかし大変だったことと思います。本当にありがとうございました。これからも、これに懲りずに年に一度くらいはやって欲しい行事だったと思いました。 (佐藤勝:記) |
● クラス会が開かれました
平成23年11月19日、管理人が所属する第二法学部5組のクラス会が東京・新橋の某和風レストラン(居酒屋)で盛大に(?)開かれました。参加者は9名でした。この中には「るにん会」(このページの下方参照)のメンバーが4名出席しており、このメンバーは開催時刻の午後4時までは時間があるので、午後2時に![]() この日は生憎の雨でしたが、予定の午後4時には全員がクラス会場に集合しました。昭和43年に卒業して43年経った今年、幹事のM君ともう一人のM君の尽力により、連絡が取れた級友は22名でしたが、仕事や趣味の予定が入っていたり、病気治療中で来られない人が半数ありました。当初11名が出席の予定でしたが急遽2名が体調不良のため欠席となってしまいました。 実はこのクラス会は昨年もこの会場で開催したのですが、お互いこの歳になると明日どうなるか分からないから会える時になるべく会っておこうということで、クラス会は毎年11月の第3土曜日にこの場所で開くということが決っていたのです。卒業以来初めて顔を合わす人もいましたが、「今はどうしている」というような話で直ぐに盛り上がりました。 悠々自適といいながら月に何回かは以前の仕事に関わることをしていたり、ケアマネージャーの資格を活 ![]() 来春は自分の畑で蕎麦を作っているという友達が皆を招待してくれるというので、今から体調を整えておかなくてはと思っています。 次期クラス会の幹事も決めて、お互いの健康を気遣い午後6時半には早々とお開きになりました。外はまだ雨が降り続いていました。 (三沢充男:記) |
● 上尾市現代作家協会展が開催されます
![]() 出品作家は公募団体展の日展、二科展、白日展、東光展、日本アンデパンダン展、新構造展、並びに埼玉県展等で活躍の洋画家です。各作家の代表作品と風景を併せ、40点余が一堂に展示されます。 芸術の秋です。お出掛けになってみては如何でしょうか。 1 期間: 平成23年11月17日(木)〜11月23日(水) 午前10時〜午後6時(最終日は午後5時まで) 2 場所: 上尾市民ギャラリー (JR高崎線「上尾駅」東口前1分) 町田譽曽彦「上尾丸山公園」F15号 |
● 東日本大震災被災地ボランテアに参加して
3.11東北地方大震災の後いつか現地に行きボランテア活動に参加したいと常々考えていましたがなかなかその機会がありませんでした。然しこのたび43会仲間のKさんの呼びかけでやっとその機会がまわっ |
● 箱根駅伝菅平強化合宿激励訪問
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● 法律的ものの考え方
八束一郎(法法)さんから「法律的ものの考え方」と題する参考資料をいただきましたので、5回にわたって連載することといたしました。 (第1回目は ココ をクリック) (第2回目は ココ をクリック) (第3回目は ココ をクリック) (第4回目は ココ をクリック) (第5回目は ココ をクリック) |
● 上尾市で「美協展」が開催されました
町田譽曽彦さんが会長を務めている上尾市美術家協会主催の「美協展」が平成23年8月5日(金)から8月10日(水)まで、上尾市市民ギャラリーで開催され、日本画、洋画、写真、書など美協6部門の作品160点余が一堂に展示されました。![]() この度の東日本大震災により被災された多くの皆様に謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。 本年の美協展は、上尾市民ギャラリーで160余点の小作品一堂展示となりました。長い間、上尾市民ギャラリー、上尾市役所ギャラリー、ギャラリー緑隣館の3会場の展示でした。美協展の毎年反省会、出品者の意見と入場者数そして、市民の声を参考にしての決断の開催となりました。出品者は、昨年より10数名減となりましたが交通アクセスの良い上尾市民ギャラリー会場で6部門小作品が一堂展示開催できることは喜ばしい事でオープンの日が楽しみです。 |
● 鹽野惠子さんの個展を見てきました
油絵で文部科学大臣賞、外務大臣賞、衆議院議長賞など数々の賞を受けられている鹽野惠子さん(法法)が、平成23年6月20日(月)〜6月26日(日)の間、東京・京橋のGALLERY KUBOTAで個展を開催されました。 管理人は開催の初日に43会員の友人M君と一緒に見に行きました。鹽野さんから案内のはがきをいただいた時、M君から一緒に行かないかと誘われたので、この日、二人で横浜港に行って豪華客船で食事をしながら港周辺を周回するランチ・クルーズを楽しみ、その後個展に出かけるという計画を立てたのです。 クルーズのことは省略しますが、個展会場では鹽野さんがにこやかに迎えてくれました。今回は45点の作品が展示されていましたが、会場を見渡すなりそのエネルギッシュなパワーに圧倒される思いがしました。あの小柄な身体のどこからこれだけの作品を創出する源泉があるのだろうと驚くと同時に不思議な気持ちになりました。一方で、鹽野さんの作品は人物(特に女性)ばかりかと思っていたら、台東区池之端にある岩崎弥太郎邸や横浜イタリヤ館などの絵も展示されていて新しい発見もしました。 最近は少し作風が変ってきているとのことでしたが、この方面ではとんと感性を持ち合せない管理人はどう変わったのかよく分かりませんでした。聞いてみると従来は奥行きが深い絵だったのが最近は「面」を強調するようにしているとのことでした。そう言われてみれば輪郭の線が少し太いタッチで描かれているような気もしました。 会場には鹽野さんの先生や先輩の方も見えていましたが、一様に彼女の作品を称賛しておられました。 |
● 「日洋展」で鹽野さんの作品が奨励賞を受賞
第25回日洋展(公募展)が平成23年5月25日(水)から6月6日(月)まで国立新美術館で開催され、鹽野恵子さんの作品が500点の入選作品の中で、奨励賞を受賞されました。「COOL」という題の100号の油絵で、奨励賞の受賞は初出展の昨年に引き続き2回目です。 |
● るにん会「房総半島周遊ドライブ」が開催されました(その2)
![]() 曇り空ではありましたが時々陽も射すお誂え向きな天候の中をスタートし、洲崎灯台、野島崎灯台を相次いで訪れました。野島崎灯台は房総最南端に位置していて、東京湾に出入りする船舶にとって重要な役割を果たしており、日本の灯台50選にも選ばれています。工事中のため中に上って見学することはできませんでしたが、資料展示館で灯台のレンズなど貴重な資料を見ることができました。海岸を散策中、近くの草むらできれいな姫百合の花を見つけました その後フラワーラインという海岸道路を一路、天津小湊へ向かいました。S君がレンタカーを運転しながら、この辺りのホテルの持主は何々で資産を築いた何某であるとか、この先の浜辺はよく家内と2人で遊びに来る所だとか(ごちそうさま)と、いろいろ説明をしてくれました。 鴨川市の天津小湊では、遊覧船に乗って鯛の浦周辺を海から見物しました。日蓮聖人の生誕地の鯛の浦、生誕の際に大鯛や小鯛が群れ集うなど、多くの奇蹟が起ったのを目の当たりにした土地の人々は、そ ![]() 時間が押してきたため、勝浦の卸市場の見学はパスし、「月の砂漠」の記念碑がある御宿の海岸も通過し、大原から海岸を離れ、内陸のいすみ市郷土資料館に向かいましたが、この日はあいにく休館でした。ここは狩野派の始祖狩野正信がこの町の出身だったことから「狩野派のふるさと夷隅(いすみ)」を事業の基本としているとのことで、狩野派の絵画を中心に大和絵や琳派の作品などが拝観できる予定でしたが残念でした。 ![]() すべての見学、周遊を終えて車は帰路につき、S君の家の近くの誉田駅に到着しました。皆がお酒を飲んでる時も1人だけ水やノンアルコール・ビールで我慢し、2日間のドライバーを引き受けてくれたS君に感謝しつつ、解散となりました。 |
● 清興展で鹽野恵子さんの作品が衆議院議長賞を受賞
第32回清興展が、平成22年12月20日(月)から12月25日(土)まで「シアター1010(せんじゅう)」で開催され、鹽野恵子さんの油絵の作品が2点展示され、「あなたなら どうする?」(30号)が衆議院議長賞を受賞しました。 |
● るにん会「房総半島周遊ドライブ」が開催されました(その1)
大分時間が経ってしまいましたが、平成22年7月5日、6日の両日にわたって、るにん会の「房総半島周遊ドライブ」が開催されました。この度は幹事の大役を会創立以来務めてきたH君からS君にバトンタッチして初めての催しで、しかも一泊ドライブというのも初めてでした。![]() 第1日目 集合時間の9時30分にはH君、M君、Y君と管理人の4名全員が曽我駅前に到着、間もなくS君がレンタカーで迎えに現れました。 最初の目的地は笠森観音です。正式な名は「天台宗別格大本山笠森寺」といい、延暦3年(784年)に伝教大師最澄が開基したと伝えられているところで、岩山の上に京都の清水寺のように高い櫓を組んで造られた観音堂は国指定の重要文化財になっています。上ってみると30メートルくらいの高さがありそうでした。またこの寺のある観音山の自然林は天然記念物に指定されています。 その後車は牛久、久留里、長狭街道から一路、保田へ入り、保田漁協が経営している「ばんや」という保田漁港に面したレストランで昼食を摂りました。ここは一般食堂、予約客用の食堂、入浴・宿泊施設まで整った大きなレストランで、観光バスできた大勢の客が食事の席についていました。何しろ漁協直営なので新鮮な魚介類の刺身や煮付けなどで、かつボリュームのある食事でした。運転のS君には気の毒でしたが他の4名がビールで喉を潤し、料理に舌鼓を打ちました。 ![]() ![]() 夕食のレストランはバイキング形式でしたが、特注した豪華な船盛の刺身と、S君がわざわざ持参してきた信州の銘酒「雷電」を持ち込んで祝杯を挙げました。窓から眺める海岸の光景はさながら南の国のリゾート海岸のようでしたが、雲が切れて夕空に輝く太陽がどこに沈むのか議論になりましたが、ウエイトレスに聞くとそのまままっすぐに沈んで富士山の背後に隠れるということでした。 部屋へ戻るとテレビのニュースで埼玉県南部の管理人の住む地域に大雨洪水注意報が出ているとのことでしたので、電話してみたら雨は大分降ったが今は落ち着いているとのことで胸をなで下ろしました。(続く) |
● 上尾現代作家協会展が開催されました
![]() 出品作家は、中央画壇の日展、二科展、白日展、東光展、新構造展、日本アンデパンダン展並びに埼玉県展で活躍中の洋画家で、各作家の代表作と上尾の風景を併せ大作30点余が一堂に展示されました。 (右の写真は「上尾陸上競技場」 F30 町田譽曽彦) |
● 町田譽曽彦さんの作品が第95回ニ科展に入選しました
平成22年9月1日〜13日まで、東京・六本木の国立新美術館で第95回記念二科展が開催されましたが、この中で町田譽曽彦さんの作品「船の詩」(F100号)が入選しました。町田さんは24歳で第55回二科展に初入選されましたが、今回はそれ以来、30数回目の入選とのことです。 (作者からのひとこと) ![]() 今年の「船の詩」は、私の人生を船になぞらえて様々な出来事、出会い、別れ、人生軌跡など船、魚、水、空気などに託して制作してみました。「繊細で正確な形の物」は、安定しているが欠けている部分がなく面白さに欠け遊び心もない。一方、重厚で不確実な物体は、見る人により様々な思いや夢と希望などを膨らませてくれ、自然に肩の力を抜いてくれる気がする。そんな形の船を描きたくて、油絵の具のマチエールを駆使しこの作品を描きました。 今、65才の年を境にして造形作品に新たな一歩が踏み出せればと励んでおり、健康に気をつけて楽しみながら描き続けることが出来ればと幸いと思っています。 |
● 「日洋展」で鹽野恵子さんの作品が入選、奨励賞を受賞
![]() 出展された鹽野さんの作品名は、「夏への序曲」(100号)ですが、鹽野さんのいつもの作品とは、一味違う作風を感じました。 鹽野さんは、師事している塗師祥一郎先生(芸術院会員)から2度にわたり応募を勧められ、出品したそうです。それが初応募で見事「奨励賞」を獲得されています。 |
● 町田譽曽彦さんの作品が埼玉県知事賞を受賞しました
二科会埼玉支部展が平成22年4月27日(火)〜5月2日(日)までの間、埼玉県立近代美術館(JR北浦和下車5分)で開催されました。この中で町田譽曽彦さんの油絵「海の詞」(F100号)が埼玉県知事賞を受賞しました。 いつものことながら町田さんのすばらしい感性と技量には驚かされます。 |
● るにん会「散歩ラリーと寄席」の会が催されました
るにん会(このページの下部参照)の「散歩ラリーと寄席」の催しが平成22年3月11日(木)に行われました。この会は年に何回か不定期に行われているので、もう何回目か忘れてしまいましたが、今回は以前白![]() 今回は「江戸通りを歩く 浅草橋〜蔵前橋コース」ということで、隅田川の西岸の江戸通りを中心として歴史的スポットなどを訪ねる企画でしたが、5人のメンバーのうちY君が都合が悪くて欠席、M君が散歩ラリーは時間が間に合わないため、寄席だけという形になりました。案内人は講談師の神田あおいさんでした。 10時に都営浅草線「東日本橋駅」に集合しました。まだ寒くて管理人などはダウンジャケットに身を包んでいましたが、神田あおいさんは、職業柄なのか若いからなのか、和服に羽織姿で颯爽としていました。 ![]() 隅田川畔に出て少し北へ行くと、神田川との合流点の手前に両国橋がありました。武蔵国と下総国の二つに跨るということでこの名がついたといわれています。「明暦の大火」(振袖火事)の後に火除け地として設けられたという「両国広小路」の北側の神田川には柳橋が架かっていました。この辺りで活躍した艶やかな芸者さんの姿が思い浮かびますが、橋の袂には本当に柳の木があり、その隣に小松屋という船宿がありました。佃煮などを商う小さなお店といった風情で、下の川には何艘もの遊覧舟や釣舟が舫っていました。 ![]() この後、JR浅草橋駅脇のガードをくぐり、秀月、久月などといった人形の問屋さんが両側に並ぶ江戸通りをとおって須賀神社、次いで大六天榊神社(境内に浅草文庫跡がある)と回り、鳥越神社へ。日本武尊を祀り、例大祭には都内最大級の千貫神輿が出るという。 ![]() 近くのコンビニで缶ビールとおつまみを買って戻ると間もなくM君が駈けつけてきました。3,000円の会費に含まれているお弁当をもらい、会場前方の畳の席に陣取って、ビールを飲みながらゆっくりとした昼食をとりました。 寄席は、立川ぜん馬、三遊亭好楽などの落語や、案内人を務めた神田あおいの講談(赤穂義士銘々伝 「岡野金衛門 恋の絵図面」)、鏡味初音の太神楽曲芸だった。十分堪能し、この後は恒例の豪華(?)懇親会へ臨みました。 |
● 清興展で鹽野恵子さんの作品を見てきました
![]() 管理人は12月12日(土)の午後、倉田隆次さん(法法)、立岩正義さん(商会)とともに見に行きました。実はこの日は亡くなられた43会幹事の宍倉邦茂さん(法法)の葬儀が川口市内で執り行われ、3人はそれに出席した後、出掛けたのでした。着いたのは12時を少し過ぎたくらいの時間だったので、鹽野さんが来られるまでには少し時間があるだろうと考え、同じ東京都美術館で開催されている「冷泉家王朝の和歌守(うたもり)展」を見てから会場へ行きました。縦に並んだ大きな作品の前で鹽野さんがにこやかに出迎えてくれました。 審美眼が乏しい管理人などは「夢のように」に描かれた人物が2人なのか3人なのかなどと拙ない想像をしてしまいましたが、「アラフォー」の方は写真では分かりづらいですが、ピンクと赤の色合いが微妙なバランスの中に生きており、会員奨励賞に選ばれた理由もその辺りにあったようです。それにしても電車の中で目撃した一瞬の光景を独自の美の対象として昇華させ、鮮やかな色彩でカンバスの上に再現する力は大したものだと思いました。 |
● 上尾現代作家協会展が開催されました
町田譽曽彦さんが代表を務めている上尾現代作家協会の主催による「上尾現代作家協会展」が平成21年12月10日(木)〜16日(水)の間、上尾市民ギャラリーで開催されました。 師走の期間にも拘わらず昨年に引き続き大盛況で、期間中の入場者は1061人にのぼったとのことでした。市民などの美術愛好者の中では楽しみにしている展覧会らしく、中でも「上尾風景10選」は、特別なのかも知れません。 この展覧会に出品された町田さんの作品「上尾市民球場」と最近作の「初秋の公園」をご本人のコメントを含め、以下にご紹介します。 ○上尾市民球場(F30号) 1、3塁側両方の入口を入ってすぐのところに仮設の売店があり、ジュース類、菓子の他に寿司詰合せ、おにぎり、焼きそばが売られていました。この売店のすぐ奥の通路上からガラス越しにブルペンが見え、投球練習中の投手を見ることも出来る。ただ内野のフェンスの金網が高すぎて少し目障りなのが難点。スタンドは内、外野ともに七分程度の客の入り。土曜日ということもあって、ユニフォーム姿の少年野球チームの子供たちも沢山いました。 ○初秋の公園(F30号) 近所に住んでいる人たちが散歩の途中などに公園へ。散歩の人達が絵に興味をいだいて立ち止まり、覗きこんで声を掛けてきました。その中には「こんな所でお会いするなど思っていませんでした」と……。この近くにお住まいで、家内のリハビリのために毎日のようにこの公園に来るとの事でした。上尾駅から少し離れているが、荒川沿いの丸山公園は四季を通じ散歩や絵のモチーフにこと欠かない上尾の名所です。 |
● 町田譽曽彦さんの作品が第94回ニ科展に入選しました
平成21年9月2日(水)〜9月14(月)までの間、東京・六本木の国立新美術館で開催された第94回二科展で町田譽曽彦さんの作品「待つ鳥」が入選しました。町田さんは24歳で第55回二科展に初入選されましたが、今回はそれ以来、実に30回を超える入選となりました。![]() (作者からのひとこと) 今年の二科展作品は、「待つ鳥」 油絵 F80号です。作品は、デフォルメした船体の上に海鳥が二羽、「よい知らせ、良き連絡を待つ」が如き、船の中にメールとパソコンを描きました。仲間の鳥を待つ姿を雄大な海景のなかに、自己の心象を加味して油絵制作したものです。 仲間を気遣うことの人間の余裕がとても大切と思って制作しました。昨年の第93回二科展では、F100号「潮流」と題し、満潮と干潮の大海の鳥と魚の生活を描きましたが、今年の作品は、大自然の鳥とメカニックな携帯電話とパソコンをモチーフにして、人間性の大切な所を描いてみました。 |
● 蕎麦の製粉工場見学
平成21年6月19日(金)、顔の広い中村(武照)幹事がかねてから企画していた蕎麦の製粉工場見学が実現しました。午前10時に都内某駅に集まったのは、企画者の中村幹事の他に白門43会の正野会長以下、三沢、梅津、八束、清水(正)といった蕎麦好きな面々でした。なお、この工場見学は、中村幹事と工場経営者の親しい関係から小人数限定ということで特別に認められたものなので、先方の要請により社名などを伏せてレポートするので了解願います。 工場に着くまでは「米屋の精米機のようなものが何台か並んだ程度のもの」と想像していましたが、この工場が4千坪の敷地の中にそびえたつ大きなものだったので驚きました。まずは工場経営者の方から30分近くの説明がありました。その要旨は、この工場の出荷先は自家製麺の蕎麦屋さんでスーパーやコンビニではないこと、蕎麦の国内消費量は年間10万トンであるが、国産は2万トンなので後の8万トンは輸入(その8割は中国でその他はアメリカやカナダ等)に頼っていること、初めのうちは輸入品は国産品に比べてかなり安かったのですが、そのうちに関税を掛けられたり、値上げをされたり、もっと高く売れるトウモロコシに変更になったりで苦労しているとのことでした。また、出前に頼っていた自家製麺蕎麦屋さんが手軽なスーパーやコンビニに押されて苦戦していることや、個人が自分で手打ちを初めて蕎麦専門店に行かなくなって困っているなどということも披露されました。 国産の蕎麦の生産地についてはその7〜8割が北海道で作られ、あとは山形・福島・新潟・茨城などで、6〜10月に種蒔き、8〜11月に収穫(蕎麦は種蒔きから収穫までが75日と短いため、野菜や大豆の合間に作るのが一般的)するが、乾燥や熟成を経ないとおいしくならないので食べ頃は2〜3月であると言われました。 更に、蕎麦は黒い殻がついた状態を「玄そば」、これを脱皮して甘皮だけが付いた状態を「抜き」と呼び、「抜き」をいろいろな方法で砕いて一番粉(内層部分だけの真っ白な粉)、二番粉(胚芽部分も含まれた淡黄色の粉)、三番粉(甘皮部分も含めた黒っぽい粉)などに分けられ、上品な喉ごしの更科蕎麦や、ゆず、よもぎ等を練り込んだ変わり蕎麦には一番粉、強い風味の田舎蕎麦には三番粉が使われ、普通の蕎麦には程よい風味の二番粉が使われるとのことでした。 また、蕎麦は挽きたて(蕎麦粉への)、打ち立て(蕎麦粉を練って延ばして細く切る)、茹でたて(湯で茹でる)がおいしいとされていますが、説明者の話では、打ち立てをすぐに釜に入れると浮き上がってしまってうまく茹らないので、打った後少し時間をかけてから茹でるのがよいとのことでした。 説明の後、工場見学になりましたが、工場の中では巨大な機械があちこちで唸りをあげて動いており、工場の責任者の方の説明もよく聞こえないほどでした。 まずは、産地から届いた玄そばを巨大な篩(ふるい)にかけて大粒の石を取り除き、次に遠心力で小粒の石を取り除き、最後にブラシを使って石以外の異物を取り除きます。次に実の大きさによって10種類に選り分け、その大きさに合わせて圧力をかけて殻を取り除きます。取り除いた殻は「蕎麦殻枕」の材料になります。また、どうしても殻を取り除けなかった実が残るのですが、これをセンサーに通してまだ殻が付いている黒い実のみを圧搾空気で弾き飛ばして再度殻を取り除く作業工程に戻すという念の入れ方です。 こうして出来上がった「抜き」をローラーや石臼(電動の)にかけて挽くのですが、納入先の注文に合わせて。約50種類の挽き方をしているとのことでした。 いずれにしても、小石やごみが混ざった大きさが様々な蕎麦の実を、大量に迅速にかつ注文先に応じて蕎麦粉にする訳で、昔はこれを手でやっていた訳ですから、日本人の好みの複雑さ、これを巨大なオートメーションにしてしまう器用さには改めて驚かされました。普段、何気なく食べている蕎麦がこのような過程を経たものであることにも改めて感心させられました。 その後は、工場経営者の方の推薦するおいしい蕎麦屋(N)に行きました。(N)は以前は「田中屋」として知られていた有名な店で、幹線道路から離れた分かりずらい場所にあります。そこで板わさ、鴨焼き等を肴にビールを飲み、この工場の粉を使った蕎麦がき、大海老の天せいろをいただきましたが、それらはいずれも絶品でした。中でも蕎麦がきや蕎麦は実に完成度の高いおいしさで、蕎麦好きの一同にとっては至福の時でした。 中村さんのおかげで、こうした工場見学ができたことは実に幸運で、感謝感謝です。 (八束一郎:記) |
● 依岡正樹さんが個展を開催されました
依岡正樹さん(商経)はプロの日本画家ですが(このページの下方参照)、平成21年7月19日(日)〜8月2日(日)の間、東京・練馬区大泉の画廊「Galeroa Piast」で個展を開催されました。依岡さんは若い時から高山辰夫先生に師事され、日展の特選を受賞されるなど輝かしい実績を残しておられます。 |
● 鹽野恵子さんの個展を見てきました
![]() 4階の展示室へ入った途端、色鮮やかな別世界へやってきたような気がしました。とにかく鹽野さんの絵は色彩が豊かです。全部で40点以上ありましたが、中には100号の大きな作品が2点ありました。聞いてみるとこれまで数多く制作した中で、全部最近制作したものばかりが展示されているそうで、鹽野さんのバイタリティーに驚かされました。 ![]() 会場では43会幹事のMさんに偶然お会いしました。何人もの来客があり忙しい中ではありましたが、鹽野さんを交えてしばし談笑することができました。彼女も個展を計画するに当たっては家事と制作で大変だったようですが、会場へ搬送するための梱包という力仕事もすべて一人でやったと聞かされ、あの華奢な身体のどこにそんなエネルギーがあるのだろうかと、今更ながら驚かされました。 「光陰矢の如し」。平均余命が伸びた昨今ではありますが、何もしないでいると身体よりも先に精神の老化が進んでしまいます。鹽野さんのますますのご活躍を期待するとともに、私たちも見習って、若い時にできなかったことをこの際(生きているうちに!)少しでも成し遂げておきたいと思いつつ、会場を後にしました。 (写真上は「できるかな」、下は「カワイイ」。いずれもF30号) |
● 町田譽曽彦さんが絵画教室展を開催しました
洋画家の町田譽曽彦さん(経国)は4年前から絵画教室「上尾洋画研究所」を開いていますが、平成21年6月4日(木)〜6月10日(水)の間、上尾市民ギャラリーで絵画教室展「第4回町田譽曽彦&絵画教室展」を開催しました。30名近い会員の作品(油彩、水彩、クレヨン、パステル画80点余)が展示されました。 管理人は出掛けることができませんでしたが、期間中1,000名近い人が鑑賞に訪れたそうです。 [上尾洋画研究所] 上尾市柏座1-4-22(JR高崎線沿い) 048-771-3911 町田さんのブログ 町田さんのホームページ |
● 第5回目の「るにん会」が催されました
「るにん会」は、法学部の同じクラスの同窓生5人(全員が白門43会の会員)で結成しているミニ会です(結成の経緯等についてはこのページの下方を参照してください)。管理人もその一員になっているのです |
● 清興展で鹽野惠子さんの作品が展示されました
第30回記念清興展が次のとおり開催され、鹽野惠子さん(法法)の作品が展示されました。F100号の大作が2点(題名は「二次会
行く?」と「ストリートダンス」)展示されました。鹽野さんは、第27回の清興展では文部科学大臣賞、第28回では外務大臣賞を受賞されています(このページの下部参照)。 1 会 場: 東京都美術館(東京・上野公園) 2 期 間: 平成20年12月8日(月)〜12月14日(日) 3 主 催: 日本清興美術協会(後援:東京都) |
● 上尾現代作家協会展が開催されました
町田譽曽彦さんが代表を務める上尾現代作家協会の展示会が、次のとおり上尾市民ギャラリーで開催されました。 この展示会には上尾現代作家協会員が油彩、水彩で描いた作品が展示され、出品作家は、中央画壇の日展、二科展、白日展、東光展、新構造展、日本アンデパンダン展並びに埼玉県展で活躍中の作家です。 ![]() 1 会場: 上尾市民ギャラリー(高崎線上尾駅東口前1分) 上尾市宮本町2-1 アリコベールサロン館2F 2 期間: 平成20年12月4日(木)〜12月10日(水) 3 主催: 上尾現代作家協会 (右の写真は、町田譽曽彦さんの上尾風景10選展作品、「荒川(上尾郊外)」 F20 油彩 |
● 町田譽曽彦さんの作品が第93回ニ科展に入選しました
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● 日光・鬼怒川の旅
平成20年4月20日(日)・21日(月)の両日、白門43会有志25人は日光・鬼怒川の旅を楽しんだ。集合地、東武浅草駅からの指定席特急は「きぬ113号」。下今市にて乗り換えの行く先は東武日光駅。駅頭で出会ったのは、44会の野本晃也さん。当地で事業を営む野本さんは、今日はやはり白門の集まりで上京の途中とのこと。駅前で立ち話のミニ交流会が開かれた。観光地行きのバスにはかなりの待ち時間がありそうで、徒歩にて輪王寺、東照宮へ向かう。日光から参加に加わったのは宇都宮市に住む会員鈴木アイ子さん。道案内の役を買って出てくれた。 |
● 山本剛嗣さんが東京弁護士会長に就任しました
白門43会員の山本剛嗣弁護士(法法)が、平成20年度の東京弁護士会の会長に就任されました。東京弁護士会は会員総数5,500名余を擁する全国最大の弁護士会です。その会長は、全国組織である日本弁護士連合会の筆頭副会長としての職務も担当します。任期は、平成20年4月1日から平成21年3月31日までです。 山本剛嗣君の今回の就任は白門43会の大きな誇りです。同時に、我々2法11組の大きな誇りでもあります。
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● 関口明美さんの作品集はいかが?
![]() 関口さんは教育者として小学校の教師を勤める傍ら、ライフワークとして数々の陶版画や彫刻などを制作してこられました。その作品は関係者の間でも高く評価され、美術雑誌「ART MAIND」に紹介されたり、タヒチ大統領賞を受賞(このページの下部参照)されたりしてきました。 関口さんは教員生活を終えられたのを契機に、ご自分の命の結晶ともいうべき作品集を出版すべく準備を進めてこられましたが、残念ながら完成した作品集を目にすることなしにこの世を去られてしまいました。 作品集には陶版画、彫刻、デッサンなど、いずれも「葛藤」、「希望」、「孤独」などといった人間の内面深くに閉じ込められている様々な精神模様を具象化したような芸術作品が多数掲載されていますので、この際、是非お求めになられては如何でしょうか。 現在この作品集は書店にも出てはおりますがなかなか入手が困難なので、白門43会宛てにメールで申込みをいただければ、遺志を継がれた妹の倉松小夜子さんを通じて皆様のお手元に届くようにいたします。
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● 関口明美さんの遺作展に思う
去る1月9日より14日迄神田神保町にある「北の丸Tinyギャラリー」で昨年9月に他界された我等が43会仲間の故関口明美さんの“追悼・遺作展”が開かれた。
彼女は昨年末に自からの作品を集大成した作品集(タイトル=邂逅)の出版を企画しておりましたが、とうとうその完成を見ずして帰らぬ人となってしまいました。 その彼女の遺志を継いで彼女の妹さんらの意思を具体化したのが今回の遺作展でした。 神田神保町の昔からの古本屋街の中にあるギャラリーは、レンガ作りのこじんまりしたたたずまいのものでした。 私は初日の午後2時ごろ訪問したのですが既にかなり多くの来訪者がおりました。壁に飾られた数々の作品は上記作品集の中から抜粋されたデッサン、陶板画、彫刻などでありました。殆どの作品は裸婦をモチーフにしたものでしたが、いずれの作品も若き女性の持つ躍動感に溢れておりました。 私の知る関口明美さんはもの静かな口数の少ない控えめの女性との印象がとても強かったのですが、その静かさに秘めた熱き情熱がどの作品にもほとばしっているように感じられまして、彼女の持つ強い創作意欲に改めて驚かされたものでした。 裸婦を多く扱う事により、裸婦の持つ寛容さ、包容力、躍動感、エロチズムを凝縮する事によって高次元の芸術性を追求していたのではないかと(私は)素人ながら思いました。 この日は場所を移しまして近くの喫茶店にて茶話会(明美さんを偲ぶ会)がもたれました。彼女が卒業した中央大學の同期会である我々白門43会からも12名ほどが参加しました。他にも彼女の親しかった方々が約10人ほど集まりましてコーヒ−など飲みながら生前の彼女を偲びました。多くの方々が語られた事は一致して明美さんは物静かな中にもいつも秘めたるものを持ち続け、それがいたるところで作品に置換されていたのではないかということでした。 長年の先生の勤務も終えられて、さあ、これから自分の好きな作品作りに邁進しようと、自宅もアトリエ風にリホームした直後の病魔のいたずらでした。 これから10年も、いやそれ以上に好きな創作に没頭しようとしていた矢先の悪夢の宣告でありましただけに、本人の悔しさは計り知れないものがあったことでしょう。 突然の思いもしなかった“余命の告知”……私も自分の家内をそのような告知のもとで約一年前に見送った一人として、この冷酷極まりない医師の宣告にうろたえないものは居ないと思います。 しかし、妹さん始め多くの方が話されておりましたが、明美さんは最後の最後まで冷静沈着でもう数日後にこの世を去られる人間とは思えなかったとのことでした。 ![]() 私はごく普通の凡人であるがためにとてもそのような強靭な精神は持ちあわせておりませんが、創作に全身全霊を打ち込んでこられた明美さんならではのことではないかと感銘したものであります。 偲ぶ会の中でも誰かが言っておりましたが、いずれ又我々もこの世を去り、“向こうの世界”に行くのであるから、その時は又「おっす」と言って先に待っていた明美さんと43会のやり直しをしたいものであります。 最後に、明美さんが死の直前に我々に“お別れの言葉”として残されたメッセージを付記したいと思います。 “皆様方にささえられて私の人生はそれはそれは幸せでした……関口明美 ” 明美さん、どうか安らかに、そしてまたいつか…… = 合 掌 = (佐藤 勝:記) |
● 佐藤勝さんがボランティア活動で表彰されました
![]() 平成19年10月3日、佐藤勝さんが千葉大学医学部付属病院より表彰され、同病院長より、これまでのボランティア活動に対しする感謝状の贈呈式がありました。 |
● テッチャンの記事が学員時報にも掲載されました
鉄道マニア「テッチャン」として知られている清水正さんの記事がスポニチに掲載されたことは、このページの下方で紹介したところですが、このたび学員時報にも載りましたので、改めてご紹介します。 |
● 町田譽曽彦さんが油絵の個展を開催しました
洋画家でお馴染みの町田譽曽彦さん(このページの下部参照)が、2007年6月28日(木)〜7月4日(水) の間、上尾市民ギャラリー (JR上尾駅東口前、アリコベールサロン館2F)において、「第22回町田譽曽彦油絵個展」を開催されました。 20才代から最近の油絵作品100号13点を中心にして、50号20点を含めて総数50余点が展示されたそうです。 ・ 1970年代の二科展入選作品「早春の小樽」100号 ・ 埼玉県展 特選 東京新聞賞「春の綾瀬川」100号 ・ 2005年二科展 特選「海の追憶」50号、など 詳しいことはご本人から「寧日雑感」へご寄稿をいただきましたので、そちらをご覧ください。 |
● 清水正さんの記事がスポニチに掲載されました
白門43会の会報委員長で、トリップ会の幹事もしている清水正さん(法法)は、鉄道マニアとして知られていますが、先日(平成19年5月28日)の「スポーツニッポン」紙にその記事が掲載されました。夢倶楽部「Waku Waku」という、50歳以上の方向けのページですが、1ページの大半を使った大きな記事です。 大学2年生の時、九州枕崎線の枕崎駅から、27日間、12,176.3キロを乗り継ぎ、北海道の広尾駅まで一筆書きで日本縦断をしたことなどが紹介されています。 なお、清水さんは、現在東京鉄道少年団の団長も努めています。 |
● カナダ横断旅行
諸兄は、中央大学学員会時報1月25日号で、西村輝雄氏の書かれた「カナダ5500キロ横断」という記事をご記憶だろうか。 確か、文中で(詳細は43会HPにてご覧ください。)と書かれていたように思う。 43会のHPに載せる記事を書くことになっていたのが、何を隠そう小生(芝木雅基)だったのである。 某洋菓子会社の事件で、「賞味期限」がマスコミを賑わしていた折も折り、一緒にカナダ横断旅行をした仲間の一人から「おい、いつまで待っても43会のHPにカナダの話しが載らないではないか。賞味期限切れになっちまうぞ」ときつい一言。 16日間も寝食を共にし、苦楽を分かち合ってきた"お友達"の言葉とはとても思えませんよね。 それでなくても、何とか記事を書かねばと日夜悩んできた人の気も知らないで……友達甲斐の無い奴めと悩むことしきりであった。 そこで一念発起、「賞味期限」ならぬ「消費期限」の切れぬうちにとペンを取った次第である。 ![]() カナダ横断旅行記 去年の9月8日〜9月23日まで16日間かけて、白門43会の仲間10名と、車2台に分乗してカナダ横断旅行をしてきた。 因みにそのときのメンバーを紹介すると、 1号車: 中村(喜)さん、西村夫妻、佐々木先輩、小生の5名 2号車: 中村(武)氏、光國夫妻、梅津氏、龍門氏の5名 総勢10名の大キャラバン隊(?)を編成しての旅であった。 とここまでは、何事もスラスラと書けるのであるが、困ったことにこの先を書く段になると、ハタとペンが止まってしまう。 よくよく考えてみると、バンクーバーからトロントまで5,500キロを16日間もかけて旅をしてきた訳で、その間のエピソードやら、目新しい見聞や体験が色々有り過ぎて、何を書いて良いか分からなくなってしまう。ましてや文才の無い小生の頭では、英語でいうところのコンフューズ状態に陥ってしまい、なかなか取っ掛かりがつかめないというのが、どうやら原因らしい。 ![]() ・ レイクルーズの朝焼けの素晴らしさ ・ サーモンアームでのこと ・ バッドランドのダイナソーの話 ・ メノトナイトのエピソード ・ くまのプーさんの話 ・ テリー・フォックス・ランの話 ・ カナダの交通事情について 等々、書きたいことは山(?)ほどある。 沈思黙考の末、ふと閃いたのは、そうだ、これらのエピソードは、次回以降各論で書けば良いではないか。今回は総論ということでまとめよう。我ながら名案ではないか! しかし、文筆の専門家でない小生に果してそんな器用な芸当が出来るであろうか、一抹の不安を覚えつつ、総論を書くことにしよう。 さて、我々の旅の行程は、下記の表を見てお分かり頂けると思うが、バンクーバーからトロントまで、正確にいうと5,474キロの行程であった。全員、日本で国際免許証を取得して、トランスカナダハイウエイ1号線を交代で運転してきた。 カナダ横断(バンクーバー⇒トロント⇒ナイアガラ)行動記録 (2006年9月8日から9月23日まで)
アルバータ州のドラムへラーにある国立恐竜博物館を後にして、サスカチュワン州に入ると、広大な麦畑が目に飛び込んでくる。 途中車から下りて周囲を見渡すと、何と360度地平線という光景を目のあたりにする。 今回の旅の企画をしてくれた中村(喜)さん曰く、「カナダの広大さをいくら人に説明してもなかなか分ってくれない。どこを向いても地平線しか見えないのよ、と言っても皆一様に、分ったような分らないような怪訝な顔をするばかりなの」だという。 カナダ旅行の目的の一つに、この国の雄大さを共感することの出来る人が自分以外に一人でも二人でもいてくれたらという思いもあったようだ。 この360度地平線というロケーションに立った時、皆が一斉に発した驚嘆の声で中村(喜)さんの思いも達せられたのではと、内心思っている。 まだ日本で旅行の計画を皆で話し合っていた頃のことだ。アドバイスをしてくれる人がいて、この人もカナダに長く暮していた人なのだが、彼が言うには、「自分もカナダを車で横断したことがあるが、5,500キロのほとんどが、いつ果てるとも知れない麦畑の中を走ることになる。単調極まりない」と言う。 彼は、我々が事故を起さないように心配してくれ、カナダの交通ルールなど懇切丁寧に教えてくれた後で、次のような提案をしてくれた。 ![]() 「なるほど、それもそうだよな」と言う仲間が小生を含め何人かいたが、この”中抜き”案は女性陣の猛反対に会い、あっけなくボツになってしまった。結果的に、”中抜き”をしなくて正解であった。 アルバータ州では、胡麻粒を撒き散らしたように見える牛の群れ、かと思うと、日本のつるべ井戸を少しばかり高級にしたような機械で石油を汲み上げている光景、サスカチュワン州では広大な麦畑の風景、既に刈り取りを終えた後らしく、緑一面とはいかなかったが……。そして、マニトバ州、オンタリオ州に入ると、道の左右に森と湖が入れ替わり立ち替わり現れ、まるで”おとぎの国”に迷い込んだかと思わせる素晴らしい光景等々に出会えた。 カナダ大陸横断鉄道も、ハイウエイ1号線と平行して走っているらしく、時々、列車の姿を見ることが出来た。時には、130車輛というとてつもない長い貨車を牽引して走る列車を目にしたりした。 といった具合で、我々を飽きさせることは無く、ドライブの醍醐味を心ゆくまで堪能することが出来た。 泊るところも行き当たりばったりで、その日辿り着いた街でモーテルを探し、交渉して宿を決めるというのも、日本では味わうことの出来ない旅の楽しさであった。 モーテルの交渉など、全て中村(喜)さんにおんぶにだっこであったことを、付け加えておきたい。 同じ国でありながら州境を越えると時差が変るというのも、カナダがいかに広大であるかの証左だろうか。小生にとって珍しい経験であった。 この調子でいくら書いてもキリがないので、総論はこの辺で終りにしたいと思う。 今回の旅行では、カナダ在住経験があり、カナダの事情に詳しい中村夫妻のお陰で貴重な体験をすることが出来た。 中村夫妻に感謝の思いを込めつつ、ペンを置くこととしたい。 (参考) 学員会時報掲載の記事はこちら |
● 中山法華経寺でお花見
本日(19.3.31)は、小生の案内でJR下総中山の中山法華経寺に花見に行きました。参加者は、清水、梅津、立岩、平井、佐藤、宮本の各氏、計7人でした。目的はミニトリップの打合せでしたが・・・。![]() 別途ご案内しますが、6月9日(土)にミニトリップを行いますので、ご期待ください。 (以上、倉田隆次:記。 写真:清水正さん) なお、別件ですが、自衛隊出身の倉田さんが育てた「新教同期生会」(「新教」とは、自衛隊の新隊員教育隊の略称だそうです。)に関する記事が「隊友」(自衛隊の退職者で組織する隊友会の機関紙)に掲載され、その切り抜きを戴きましたので、以下にご紹介します。 |
● 鹽野惠子さんの作品が外務大臣賞を受賞しました
第28回清興展が、平成18年12月10日(日)から12月16日(土)まで東京・上野公園の東京都美術館で開催されましたが、その中で鹽野惠子さん(法法)の作品、F100号の大作「化粧」が外務大臣賞の栄誉に輝きました。鹽野さんは昨年の第27回清興展で文部科学大臣賞(このページの下方で紹介している「学園祭」です。)も受賞されています。
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● るにん会
「愛の流刑地」に流され、愛する人のために命を賭けて島抜けを敢行するような男たちの集まりか、はたまた第一の人生を取りあえず全うし、これから本当の生きがいを求めて流浪の旅に出た男たちの出会いの場か。
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● 佐藤勝さんのボランティア活動が地元の広報誌に掲載されました
佐藤勝さん(法政)は、地元の千葉市国際交流協会に所属して日本語学習支援ボランティアをされていますが、このたび同協会の広報誌「ふれあい」(2006夏号)に「中国、雲南省から来た私の教え子」と題した佐藤さんの活動の記事が掲載されました。千葉市在住外国人に対する地元民の「草の根支援」の成功例として紹介されたようです。 下記をURLをクリックすると掲載記事の詳細がご覧になれます。 http://www.ccia-chiba.or.jp/j/f_johoshi.html |
● 関口明美さんがタヒチ大統領賞を受賞されました
関口明美さん(文哲)は、このページの後ろの方で紹介しているように彫刻や陶版画などを制作していますが、この度タヒチで開催された「ネオ・ジャポニズム
in タヒチ 2006」に陶版画を出展し、審査の結果、タヒチ大統領賞を受賞されました。関口さんおめでとうございます。 詳細は、次のとおりです。 1 賞の名称 タヒチ大統領賞 2 展覧会名 ネオ・ジャポニズム in タヒチ 2006 タヒチ日本芸術文化大賞選抜展 3 事業テーマ 大統領府招聘事業──これまでの日本とタヒチ両国の友好親善に寄与した 日本アーティストを称えるための集大成としての文化交流事業 4 会 場 パペーテ市庁舎 5 会 期 2006年2月14日〜2月17日 6 主 催 フレンチポリネシア・タヒチ日本祭2006実行委員会 7 そ の 他 大統領賞選定に当たっては、特別に各省メンバーによる審査委員会が設けら れました。また、この事業については各メディアにも大々的に取り上げられた そうです。 (作品の画像は、著作権等の関係もあり掲載できないことをご了承下さい。) |
● 永井和之学長が中央大学総長に選任されました
白門43会員である永井和之教授(法学部・法務研究科教授)が、先の学長選挙の結果に基づき中央大学の学長に就任されたことは既にご紹介したとおりですが、この度12月5日の大学理事会において総長に選任され、学長と兼任されることとなりました。総長は大学、付属高校、研究所等を総括統理することとされており、任期は平成17年12月5日から平成20年11月5日までとなっています。 以下に永井教授から白門43会あてにいただいているメッセージをご紹介します。 ![]() この11月6日に中央大学学長に就任しました。大学を卒業して助手に残ったときには、思ってもいなかったことです。あの当時は大学紛争のただ中、いろいろな経験をしました。その中で、学問と大学という組織の関係、そこにおける教員と学生の関係、言論・主張と暴力の関係、といろいろなことを考えました。暴力には心底から賛成できませんでした。権力を持つものの優越性に対する抵抗としても、不毛の荒野しか残らないと思いました。 同期の皆さんの多くと同様、今年還暦を迎えました。昔を懐かしむ気持ちも強くなり、一度、同期会でもあれば、ゆっくりといろいろな話をしたいものです。そのような安らぎの時間がもてることを楽しみに、日々精進をして、誠実に職務を遂行していくつもりです。同期の皆さんには、メールででも助言・ご意見をいただけたら幸いです。 |
● 鹽野惠子さんの作品が文部科学大臣賞を受賞
第27回清興展が平成17年12月10日(土)から16日(金)まで、東京・上野の東京都美術館で開催されましたが、その中で鹽野惠子さん(法法)の作品「学園祭」が見事文部科学大臣賞の栄誉に輝きました。鹽野さん、おめでとうございます。 このほかに「女性専用車」という作品も出展されましたが、いずれもF100号の大作です。そういえば、「学園祭」は既に作品の画面一杯に黄色の大きなVサインが表れているようにも見えます。 |
● 町田譽曽彦さんの作品が二科展で特選を受賞されました
第90回記念二科展が平成17年9月1日(木)から16日(金)まで、東京・上野の東京都美術館で開催され、数多い入選作品の中で町田譽曽彦さんの作品が特選を受賞されました。作品は「海の追憶」というF50号の油彩画でした。また平成18年9月1日(金)から16日(土)まで同じ東京都美術館で開催された第91回二科展においても「海のシンフォーニー」(F50号)が入選しました。入選はこれで27回目になりました。![]() 町田さんご本人から作品についてのコメントをいただきましたので、以下に紹介させていただきます。 今年の作品は、二科展「海の形象」シリーズ第3弾で船体を抽象化した中にランプを入れ、手前には航海地図を配し船上には、自然の幸福を満身に飛ぶカモメを描いたコントラストを活かした詩情作品。生きて来た60年の軌跡を船体で表現し、海の荒波や風雨を人生の出来事になぞらえ、雄大な自然からの恵みが夢とロマンを掻き立てるものとして構成しました。(町田譽曽彦) |
● 吉田邦雄さんが「誰でもわかる内部監査の本」を出版されました
吉田邦雄さん(法法)が、東洋経済新報社から『富士ゼロックスの倫理・コンプライアンス監査』と題し、誰でも分かる内部監査の本を出版されました。 近年、内部統制や監査のあり方が問われ、従来の日本型管理体制あるいはアメリカ型管理体制それぞれが曲り角に来ているように思われます。このような経営環境の変化に対応すべく、本書では、本来の内部監査はどうあるべきか、これからの新しい経営監査の方向性は何か、事例を交えて紹介しております。さらに、富士ゼロックスの企業倫理やコンプライアンスの取り組みは社外からも高く評価されおり、これらの実践活動に多くのページを割きました。また、本書は、大学教授や公認会計士の立場ではなく、監査実務家の立場からの本格的な専門書の発行ということで、内部監査業界から注目されつつあります。 富士ゼロックス(株)経営監査部コンサルタント 吉田 邦雄 |
中央青山監査法人箱田順哉監修 |
★ 近況報告
この欄では会員の近況をご紹介します。 平成20年度総会、新年会等の案内通知の返信では、ホームページに載せるという前提で近況を報告していただくこととしておりましたが、ご報告いただいたもののうち適当なものを選んで、順不同で2、3人ずつ、逐次掲載しております。 |
☆喜多村蔦枝 | 法法 |
過日は著書「風の音の 墓から自然葬へ」を取り上げて下さりありがとう存じました。多くの方々からご感想をいただきました。悩みがこれほどあるとは、びっくりでした。 |
☆岩井重一 | 法法 |
昨年3月まで日本司法支援センターの事業企画本部長として2年間常勤しておりましたが、4月よりアクト法律事務所に復帰しました現在も、同センターの全国配置の責任者として活動を続けております。司法の過疎の解消の自助のため懸命に努力しております。 |
☆田中宏司 | 経国 |
2008年4月から東京交通短期大学(豊島区池袋本町)の学長・教授に就任しました。「企業倫理」を担当しています。 |
横山貴講 | 法法 | 調停委員として週に1〜2回さいたま家裁に行っています。 |
倉田隆次 | 法法 |
健康診断で20年3月8日、医師から糖尿病予備軍編入を命じられました。3ヵ月間の断酒?と腹八分の食事、ほぼ毎日15,000歩のウオーキングを続けた結果、6月7日付で医師から予備軍の退役を宣告されました。 |
宮川弘懿 | 法法 |
組合をつくり直売所を始めました。お米がおいしく、山菜が豊富です。是非ご利用ください。 |
佐藤史郎 | 商商 |
2008年版の ”Who’s Who in the World”(世界的に権威のある人名事典)に掲載されました。 |
西村輝雄 | 法法 |
20年度から大阪支部幹事長を仰せ付かっております。 |
岡田孝子 | 文文 |
16年間勉強させていただきました民生委員、主任児童民生委員制度が始まってからでございましたが、定年となり、神奈川県知事より代表して表彰を受けたことが嬉しくもあり、淋しくもありでございます。ボランティアは身体が許す限り、続けたいと思っております。 |
神林俊晄 | 商会 |
中越沖地震、原発事故そしてその風評被害と観光関業界は大変厳しい状況です。新潟県へ! |
川野健司 | 法政 |
ホームページ楽しく拝見しています。ミニトリップの生田緑地は私の自宅に近く、川崎市の生田緑地計画に市民として参画しましたので興味深く拝見しました。 |
原 健作 | 商経 | 今年度から地元「大宮白門会」の会長に就任しました。 |
岩井重一 | 法法 | 平成18年4月に設立された日本司法支援センター(法テラス)で2年間事業企画本部長として常勤し、常勤弁護士を全国各地に配置する責任者を務めてきました。本年4月より非常勤の常勤弁護士推進本部長として引き続き取り組んでおります。 |
佐藤史郎 | 商商 |
2006年……テレビ大阪、毎日放送とラジオFM局J−Waveに出演したほか、日本経済新聞にコメント。2007年……日本経済新聞、公明新聞にコメント。世界的に権威の在る“Who’s Who in the World”(アメリカ・マルキス社発行)に掲載。(政治、経済、人文、芸術など顕著な業績を挙げた人が対象) |
田中宏司 | 経国 | 現在、内閣府の「公益通報者保護法関係研究会」の委員長を務めています。 |
伊東清邦 | 文文 | 2010年10月JAMCA(日本男声合唱連名)主催による合唱祭を小田原市にできる新しい市民会館「城下町ホール」で開催予定。小田原男声合唱団の一員として参加予定。全国各地から500名近い合唱団員が集まる予定。大木惇夫作詞、多田武彦作曲「西湘の風雅」を合同曲として歌う予定。受け入れ団体として計画進行中です。小田原男声合唱団には第1回の定員から参加(途中休団しているが)。 |
小林和夫 | 法法 | 第2回東京マラソンに抽選で当選しましたので連続出場の為、そろそろ11月から練習の開始です。フルマラソンの完走のため老骨に鞭打って。 |
佐藤 康 | 法法 | 平成18年12月から江戸川区の小岩公証役場の公証人として公正証書などを作成しています。よろしく。 |
遠藤きみ | 法法 |
弁護士2年目、雑用の方が多い毎日ですが、元気にやっております。 |
高田敏之 | 法政 |
この2月で満60歳になり、厚生年金が振込まれるようになりました。 |
伊東清邦 | 文文 |
年金生活に入り2年を迎え、限られたつつましい生活を送るようにしています。外出も大分減ってきました。東京も遠くなりました。 |
田中宏司 | 経国 | 2006年3月に立教大大学院教授を退任し、同大学客員研究員となりました。 |
井出勝正 | 法法 |
新潟に単身生活ですが、仕事は長野県です(北ア白馬山麓のホテル)。水田新潟コシヒカリ。今の時季(夏)はホタルが夜、きれいです。 |
伊藤 敬 | 商経 |
卒業後、今春無事定年を迎えることができました。過日ゼミの同期と卒業以来38年振りに旧交を温めることができました。昔の面影は皆残っており、歓談に花が咲きました。 |
石川進平 | 理管 |
縁があって四国カスタマー・サービス鰍ノて活動しています。四国コカコーラの100%子会社で、赤い自動販売機4万台のメンテを主に担当しています。 |
佐藤弘孝 | 理土 | 還暦を迎えての再就職。片道2時間半の通勤で疲労困憊の毎日です。技術継承のため、若者たちへの最後のご奉公と思い頑張っております。 |
吉岡 徹 | 法法 | 独立して飲食業に参入して13年、ようやく2号店を出店できるところまで来ました。 |
喜多村蔦枝 | 法法 |
(大学)4年で出産の息子(講談師 田辺凌鶴師)を卒業後40年も経って披露するとは・・・・トホホホです。 |
大野克夫 | 法法 | 現役として働いて居ります。学校の中も目まぐるしく変化しつつある昨今です。 |
岸 皓司 | 法政 | 先日東京下町の母校(中学校)の同期会を卒業以来48年振りに初めて開催した。60名もの学友が出席し、恩師も「これで寿命が伸びた」と喜んでくれた程、楽しい感動の再会を果たした。ただ仲間の消息が判明するに連れ、物故者も増え、悲しい思いもした。 |
寺西 正 | 法法 |
6/2〜4 ベトナム(ハノイ) |
横山貴講 | 法法 |
戸田市の市民相談員を週3日していますが、いま次のステップを目指しております。 |
種田 誠 | 法法 | 日本司法支援センター共同地方事務所の所長として10月1日業務開始をめざし奮闘中です。 |
三ツ井孝二 | 文史 | 3月31日をもって38年間の教職生活を無事終了することができ、ホッとしています。 |
下條勝也 | 経経 | 昨年、新聞記者生活を「卒業」しました。湘南ライフ満喫中です。 |
冨木 勝 | 法法 | オリックスで金融関係の仕事をしております。定年は65歳ですが、元気なうちにやめて人生の後半戦の準備をするつもりです。 |
臼杵清次 | 法法 |
16年3月大分県庁を退職し、現在県社会福祉協議会(所長)に勤務しています。 |
須田 浩 | 経産 |
9/23群馬磯部温泉にて同期会を開催、ロスアンゼルスより2名、鹿児島より1名、総勢21名で、卒業以来、還暦の祝いを兼ねて挙行しました。 |
庄司 明 | 理物 |
あま「社交ダンス」を習っています。個人レッスンはレッスン料金が高くて受けられませんので、グループレッスンを受けています。 |
山口三男 | 法法 | 来春(18年)満60歳を控え、少しずつ仏門の世界へと足を進めています。 |
池田俊憲 | 法法 | 観光町作りの研究を行っています。 |
宮川弘懿 | 法法 | 今は(町議会)定例会中です。これからは町おこしで頑張りたいと思います。(18年総会案内の回答で追加) 町議会議員の仕事オンリーでやっていますが、結構多忙なものです。 |
守屋嘉丈 | 法法 | 静岡県庁退職後、小さな団体事務局に勤める傍ら、昨年12月から民生委員、児童委員として少しばかり地域貢献しています。 |
高橋正之 | 法法 | 現在台湾に居住し、たまにしか帰国しません。皆様に宜しく。 |
西郡 鐃 律子 |
法法 |
もうできないと思っていた娘夫婦に孫。それも双子が誕生。泣き声と寝不足の毎日です。続いてもう一人の娘も9月予定ということで、今年は一挙に3人の孫ができました。いやあかわいいものです。 |
金井快夫 | 法法 |
ゴルフにはまっています。先週も宮崎県のフェニックスカントリーに行きました。還暦祝ゴルフで……とうとうというか、ついに還暦をむかえました。さて、総会当日も前からコンペが予定されており、出席できませんが次回は是非出席したいと思っています。今後ともよろしくお願いします。 |
糸川保二郎 |
文史 | 高校教師を退職後、ボクシングジムを開設し6ヶ月、練習生男女43名。最近はカイロプラクティックを勉強し、老後をエンジョイする予定です。 |
池田俊憲 |
法法 | 博士論文に向けて、地域政策分野での地域活動空間モデルの研究を進めています。 |
小泉 勲 | 経経 | 昨年より中央大学学友体育会バレーボール部OB会会長に就任し、会員の親睦、現役のバックアップに努めています。 |
★ 会員紹介
● 伊藤捷雄さん(法法) 伊藤捷雄さんは平成15年春の叙勲で黄綬褒章を受章されました。 伊藤さんは昭和48年に弁理士登録をされると同時に、伊藤国際特許事務所を開設され、昭和56年には「社会福祉法人 かつみ会」を設立され、理事長に就任されています。また日本弁理士会の常議員・福利厚生共済委員会委員長もされ、弁理士会特別功労表彰も受賞されています。受章はこのような社会的貢献が認められた結果によるものです。伊藤さんおめでとうございました。 受章に浴して 正直申しますと、先輩諸氏の受章の報に接するとき、自分にもそのようなことがあるのだろうかと淡い期待を抱いたものでしたが、それは儚い望みのようなものでした。いざ自分の身に現実に起ってみると、突然のことでもあったので、大変に驚きました。と同時に嬉しく思いました。 そして、今日までたくさんの方々から御祝意を頂戴し、改めてこの章の大きさに感銘いたしました。本当に有難うございました。 思えば、草深い片田舎から東京へ出て来て44年、弁理士登録30年目の、しかも還暦の年にこの章を拝受いたしましたことは、誠に意義深く、丈夫な身体と、そこそこの頭脳を持つ遺伝子を授けてくれた今は亡き両親、ご先祖様、並びに今日まで私を支えてくれた関係各位の皆様方に心より感謝申し上げます。 「継続は力なり」と申します。今後は、この章に恥じないよう、またコツコツと努力を重ねて行く所存ですので、今後とも宜しくお願い申し上げます。(伊藤捷雄) |
● 鹽野恵子さん(法法) 塩野恵子さん(法法)は、趣味で油絵を描いていますが、その作品は東京都美術館で開催される清興展(日本清興美術協会主催)に毎年出品され、これまでに文部科学大臣賞や外務大臣賞に輝いてきました。 また、東京・銀座のGALLERY KUBOTAで個展を開催してきました。50号、100号という大作も多数描いておられますが、特に若い女性を描いたものが多いようです。 これまでに展示された主なものは、次のとおりです。 (個展) 21年 6月15日〜 6月21日 21年 5月28日〜 6月3日 (清興展) 20年12月 8日〜12月14日 19年12月 8日〜12月14日 18年12月10日〜12月16日 (外務大臣賞受賞) 17年12月10日〜12月16日 (文部科学大臣賞受賞) |
● 町田譽曽彦さん(経済)
町田さんは洋画家で、中央の洋画壇で今活躍しています。会社にも勤務し現役で頑張っています。東京・上野の公募展、埼玉県展で19歳で共に初入選。県展特選2回受賞。二科展については、第55回二科展で初入選以来、23回も入選されています。第90回二科展では特選に選ばれています。 |
● 佐藤史郎さん(商商) 佐藤史郎さんは跡見学園女子大学で文学部の教授をされています。主な関心領域は、英語教育、経済英語、起業論、デイベートなどだそうです。 その佐藤さんがこのたび「躍進する日本のベンチャー企業」という本を制作されました。これは大学などで使う英語のテキストの形をとっていますが、実は、自ら事業を興して成功した10人の実業家を取材して英語の物語風にまとめたもので、それぞれの章ごとに英語の練習問題が設けられています。 佐藤さんは、執筆の動機を次のように語っておられます。 「この本を書こうと思った動機は、日本社会だけでなく日本の若者があまりにも元気がなく覇気もないので、一代でさまざまな分野で起業をして成功している実業家を取り上げその成功物語を記述することにより、とりわけ将来の日本を背負うことになる大学生が夢を抱きその夢に向ってまい進してくれるのではないかと思ったからです」 この本は2004年4月発売ですが、次にご連絡いただければ購入できるようになっています。(1,800円) マクミランランゲージサービス Tel 03-5833-1017 e-mail yamamoto@mlh.co.jp 佐藤史郎 Tel 03-3918-8997 (大学) 048-478-3413 e-mail sweet10@vesta.ocn.ne.jp 目次の概要は次のとおりです。 (このなかで、キャノン、ダイソー、ぴあ の社長さんは中央大学出身者です。) |
CHAPTER1 | キャノン: | 強さの秘密は経営者にあり |
2 | ヤマト運輸: | 反骨魂で規制を突破し、全国に喜びを宅配 |
3 | アートコーポレーション: | 引っ越しに、「あればうれしいサービスがついて顧客は大満足 |
4 | 島精機製作所: | 完成させたい一心が実現させた次世代 コンピュータ横編み機 |
5 | ジャパネットたかた: | 機敏な企業組織とメディアミックス販売で大躍進 |
6 | 大創産業: | 「え、これが100円!」と思わずうならせるプロのビジネス |
7 | ダイヤルサービス: | 赤ちゃん110番から心の悩みまで、頼れるのは電話のアドバイス |
8 | テンボスバスターズ: | 厨房機器のリサイクルで日本の飲食業を下支え |
9 | ぴあ: | エンターテインメントを身近にした革命児 |
10 | ワークスアプリケーションズ: | 大企業を陰で支えるIT企業 |
● 川野健司さん(法政)
川野健司さんが2002年5月に行われた富山マラソンで通算50回目のフルマラソンを完走しました。その後北海道の大会にも出場され、そのとき川野さんからいただいた記事をご紹介します。 |
● 古賀忠夫さん(商会)
古賀さんは、本職は中央大学の職員ですが、約30年間虎ノ門交響楽団でバイオリンとビオラを担当してきました。 |
● 依岡正樹さん(商経)
依岡正樹さんはプロの日本画家です。お父様もお祖父様も日本画家で、依岡さんで3代目だそうです。19歳のときギュスタープ・モローの作品や高山辰夫氏の「穹」という作品に出会ったことが画家を決意した動機になったようです。 |
● 関口明美さん(文哲) 関口さんは小学校の先生ですが、彫刻やテラコッタや陶板画を制作しています。これまでに2回東京・銀座の画廊で個展を開きました。彫刻は型を作ってそこに石膏や樹脂を流し込んで作り、テラコッタは粘土で固めた造形を焼いて仕上げます。また陶板画は平たく延ばした粘土の上に細い線で画を描いて焼きます。 作品は女性の人物像や猫などの動物をモチーフにしたものが多いようですが、人物像では人間の姿から一切の虚飾を捨て去り、最後に残った心の世界を描き出しているような感じがします。 その関口さんが、平成14年3月(東京銀座のギャラリー・オカベ)に続いて、15年6月には東京・杉並のギャラリー歳時季で「関口明美陶板画展」を、16年2月には東京・銀座で「関口明美彫刻展─生の葛藤─」を開催しました。 作品は、人間の懊悩といった重苦しいモチーフのものはなく、身体全体で喜びや希望を表現しているようなものが多いと感じました。それも喜びなどを満面の表情で表すというのではなく、心の中に抑えた喜びが身体の線や手足の動きの中から滲み出てくるといった精神性の高い作品だと思いました。 また昨年は、上述のとおり、タヒチで開催された「ネオ・ジャポニズム in タヒチ 2006」に陶版画を出展し、審査の結果、タヒチ大統領賞を受賞されました。 さらに、12月12日(火)〜12月16日(土)東京銀座画廊・美術館で開催された12th ART ACADEMY JAPAN (アートアカデミー・コミュニケーション主催)にも陶板画を出展されました。 |
● 後沢節子さん(法政) 後沢さんは趣味で篆刻(てんこく)をやっています。 |