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同行記 狩俣 健(経済卒・神戸市在住)

■梅薫る大阪での交流会
 東北大震災のあの日から6年目を迎え、改めて被災された方々にお見舞いを申し上げます。
 3月5日・6日、関西交流会ではお世話になりありがとうございました。
 黒羽関西支部長に梅薫る大阪城をはじめ、大坂のコアな部分を案内していただき、感謝しています。
 5日夜の交流会では、私の地元兵庫県出身の藤原正和駅伝監督のお話をさせていただきました。この新監督は地元の誇りであり、応援していただければうれしいかぎりであります。

■私の主張
 しかし、母校を応援するなら自分ができることは何かを考えてほしいと思います。
 たとえば、自分の出身校の後輩に優秀な生徒がいれば「中大をめざしてみませんか」と、声をかけてください。運動部だけに限りません。文化系の部活、たとえばブラスバンドも中大は強いですから吹奏楽部の生徒にもアプローチします。
 OB全員がスカウトになること、それが中大を強くする最強の策だと思います。今行動し、50万学員のベクトルを一つにすること、それが必要です。
 6月17日、全日本駅伝予選会。
 10月14日、箱根駅伝予選会。
 応援しましょう、皆さん。今年こそ伊勢、箱根で歓喜の輪を作りましょう。


白門48会ハイキング同好会に参加して(日和田山ハイキング) 堂原隆志
 9月26日挙行。自分としては数年ぶりの参加となりました。
前日のもやもや天気も御機嫌を直し、格好の山行日和となりました。
当日の集合場所の西武線高麗駅前は大変賑わっていました。近くの巾着田の彼岸花(曼珠紗華)も見頃最後の週末ということもあったようです。ハイキンググループも同年輩のおじさんおばさん中心のグループが沢山ありました。
我が同好会グループもその一類であり、久しぶりの参加とあってなかなか合流できませんでした。あちこちのグループをのぞき、まごまごしているうちに発見されて合流できました。総勢6名の参加になりました。(山口、榎本、佐藤豊、小野塚、紅一点の藤野の各位)。高麗駅10時頃出発となりましたが落伍者もなく11時頃には山頂に立つことができました。初心者コースと言うこともあり順調に進みました。様々な協議の結果、やさしそうな女坂で進むことを選択しました。また展望が開けた神社の入り口では真下に開けた素晴らしい景色の巾着田を一望できました。ほどなく頂上に到着、昼食となり小一時間ほどで切り上げ無事に下山できました。上り下りの途中には藤野さんに勿体なくも珍しいチョコレートを種々差し入れて頂きました。お陰様で下山し巾着田入口まで来ても皆元気で次のオプション案である宮沢湖温泉 喜楽里行きがあっけなく決定しました。また案では高麗駅に戻り、飯能駅経由でバスで行く予定でありましたが、なおなお元気で巾着田を横切り徒歩で行くことに衆議決定致しました。
巾着田では奥の方で入場料を徴収する曼珠紗華祭りの最中でした。宮沢温泉へのコース入り口がこの会場を通らなければ行けないことになっていました。
50m位先に入口に通じるドレミファ橋がありました。入場料300円です。
ちょっとした悶着が起きました。我々は祭りは見学しないし、ちょっと横切り50m先の橋のところに行くだけで300円はないだろう、せめて半分位に出来ないかと猛抗議?致しましたが入場かかりも規則一辺倒で如何ともしがたくなくなく300円を各自払い通過と相成りました。ドレミファ橋を渡り比較的容易に林の中を進みました。葉蔭からゴルフ場のグリーンが見えたり、ボール除けの金網のアーチをくぐったりしながら一時間強歩き、宮沢湖畔に出ました。湖を見ながら進み、程なく温泉に到着しました。14時頃でした。
先回りで途中参加の佐藤愛子さんとも合流し、早速一風呂あびて下山祝賀会を開催する運びとなりました。お互い無事の下山、完歩を祝し乾杯し、おつまみバイキング料理を食しながら、暫し歓談の和やかな時間を過ごしました。
普段はさぼり、皆さんには非礼を繰り返しながら、久方ぶりの参加にも関わりませず、和気あいあいの楽しいひと時を過ごさせて頂くことができました。
あっという間に打ち上げとなり、16時過ぎの温泉発のバスにて飯能駅に到着しました。お互いの健康を気遣い次回の元気な再会を期待しつつ散会となりました。今回の開催企画にご協力戴きました各役員の方々に感謝し御礼を申し上げます。楽しい一日を大変にありがとうございました。


日本三百名山完登と富士山300登達成  経済学部卒 有元 利通
 高校二年(1966.8.3)の時登った故郷の山、那岐山(ナギサン、1255m、岡山・鳥取県境)が、結果的に「日本三百名山」の最初で、今夏8月8日に登った日光の太郎山(2367m)が三百名山の最後になりました。43年の歳月ということになりますが三百名山を意識し始めるのは、深田久弥さんの書かれた「日本百名山」を38歳くらいの時登り終わって(1986.8.13)しばらくしてから。
 山登りのきっかけはW大の山の会に入った兄貴の影響。在学中は中大ハイキング部にいた服部修実君とよく登りました。4年の後半からは単独が多くなりました。
 もう一つの富士山300登ですが、8月22日達成しました。こちらは私が14年半程前に現在校に着任する前の95年3月までに109回登頂していました。この頃は毎月の連続登頂をやっていました。95年3月で51ヶ月連続していました。これはその後も続けて、97年4月半ばに滑落した時も、半月程後に登頂して連続を続けましたがこの年の12月に登れず83ヶ月連続でストップしてしまいました。後は通算の登頂回数記録するだけになりました。1年に10回~20回くらい登ってきました。2000年くらいまでは厳冬期も登っていましたが今は五月の残雪期から十一月の初冬期くらいまでを登っています。今年は、6月に6回、7月に5回、8月は22日分までで5回で計16回の登頂で300回登頂になりました。その後8月2回追加、9月2回、10月3回登ってただいま307登です。富士山に始めて登頂したのは、静岡に来る前の東京時代の1973年8月からです。こちらも37年掛かりました。初めから回数を意識していればもっと早かったでしょう。
 さて、日本三百名山を終わった人は数十人か数百人か数千人かいらっしゃると思います。富士山超300登も10人くらいあると思います。でも、300名山と富士山300登と合わせて600山山を楽しんだのは日本人では私が最初だと思います。ということは世界で初めてだと自負しています。










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Last revised 2017.05.10