今こそ日本の現実を知ろう
~爺さん達の遺言書 これから日本の進む道~
2020.6
平林喜男、馬渕輝夫共著

提言 近況報告・エッセー トピックス総目次



沖縄に講演旅行の時(右・馬渕輝夫)



目  次

 はじめに
 1.日本の現実
 2.政治と経済と環境問題
  ①日本の政治
  ②日本の経済
  ③日本の政策
  ④世界の政治と経済と環境問題
 3.企業と金融・証券市場の問題点
  ①日本の企業
  ②日本の株式市場
  ③株価指数とパッシブ運用



  ④日本の株式市場の問題点
  ⑤金融業の問題点
  ⑥金融機関による投資信託の販売
   活動
  ⑦企業、金融機関はどうあるべきか
 4.少子高齢化と教育の社会的問題
  ①少子高齢化の問題点
  ②教育問題
 5.個人と時代環境
 おわりに
   遺言


はじめに
 未来小説作家堺屋太一氏の「団塊の世代」と「平成30年」によれば、我が日本は「民族の秋」を迎えていると言われて久しい。氏によれば日本は平成の30年間は何もしなかった!と断言されている。ただ大作家に反論するわけではないが、この30年間は大不況と深刻なデフレを回避出来た。政府、企業、国民は、皆そこそこやったのではないか? 例えて言えば平成の30年間は山吹の花のようなものだったと。即ち「花は咲いたが実が成らなかった」時代だったとも言えよう。
 我々は、幸運にも人生の大半を昭和の良き時代を過ごしてきた者として、次世代に経験と知見を伝える義務があると考え提言させていただく。
 まず、第一にわが日本は狭い島国で且つ資源も無い国であることを改めて自覚する必要がある。第二に我が国はもう裕福な国ではないことも同時に理解することだ。現在の国民の生活水準は借金(国債)で賄われていること。すべてはここから始まると言って良いだろう。
 ここで改めて令和の時代を考えてみると、我が日本はいまだメガ下降トレンドにあると言えるだろう。自然の摂理でこれから日本は「民族の冬」を迎える。堺屋太一氏も民族の秋の最後にこれから長い冬「冬の準備を急がねばならん」と言っておられる。全ての日本人は心構えとしての覚悟が必要とされる。これは単なる弱気や悲観論ではない。この長く厳しい冬を如何に過ごすか?平成の30年間を教訓として生かさなければならない。
 幸いか?日本の高齢化は令和40年にピークとなり高齢者数は減少に向かう。それまで当然人口も減少し続け、ほとんど全てが縮小し続けるだろうから、この20年間は相当に厳しいだろう。しかし、人間の身体に例えるならば、少しずつ古い血が出て新しい血に代わることになる!令和50年には新しい日本の曙光が見えると期待し、この20年間で日本人全てが変わらなければならない。
 しかし、これまで敗戦や震災等、様々な苦境苦難を乗り越えて来た我が日本民族に出来ないことではない。
 ここからは各論に入りたい。以下、1.日本の現実、2.政治と経済と環境問題、3.企業と金融・証券市場の問題点、4.少子高齢化と教育の社会問題、5.個人と時代環境について述べてみたい。

1.日本の現実
 バブル崩壊~平成にかけて、国民の憂いや不安は日本の将来の財政危機(国債発行による借金拡大)と老後不安であったと言えよう。デフレ傾向がこれに拍車をかけ、低成長、低賃金、低消費に繋がった。現在はGDPこそ世界3位だが伸びず、一人当たりの国民所得に至っては世界の24~26位まで下がってしまった。また、成長に必要な一人当たり労働生産性は米国の60%で、OECD諸国でも順位を下げ続けている。いまや日本の熱意溢れる社員の割合は僅か6%(ギャラップ調査)で世界139ヵ国中132位と見る影もない。低賃金が意欲を削いでいることは間違いない(参考;日本を100とすると、独170、米145、仏140、英115、中国70)(*製造業時給比較)。また、相対貧困率は約16%(2016年)で格差が拡大し米国に次いで世界2位となっている。
 改めて言おう、「日本はもう豊かな国ではない!」
 以上から、マクロ政策はこれまでの企業優先→個人優先に転換し消費を増やしていくべきであろう

2.政治と経済と環境問題
①日本の政治
 本当に国を憂うる憂国の政治家現れよ!過って西郷隆盛は「児孫に美田を買わず」の名言を詠んだ。今の政治家は子孫に財産と選挙区を残し、国に膨大な借金(大量国債)を残しているようなものだ!
 政治にもっと緊張感を与えるには議員数を減らして競争原理を導入するしかない。任せるとどうせお手盛りになるだろうから、何らかの独立機関制度を設けプレッシャーをかけ続ける必要があろう。特に参議院が問題で最終的には議員数半減が望ましい(米国の上院は100人)。衆議院も選挙のたびに10%程度減らしていくのが望ましい。

②日本の経済
 一方、経済面だがリーマン危機以降、日本を含む世界各国はあまりにも不況回避に拘りし過ぎたと言えるだろう!砕いていえば「世界は、不況はいやだいやだと子供みたいに駄々を捏ね、政治家も選挙を考えそれに同調し、金融政策も後押しし、まれにみる低金利状態が定着した」。その結果、世界は低成長ながら約10年間、曲がりながらも好況に浴した。
 全ての問題はここにある!景気の循環を無視したことで、景気は爛熟し、何時転換点を迎えても不思議はなかった。今回はたまたま新型コロナのパンデミックで不況に陥っただけと言えるだろう。「潮満つれば干し、潮干せば満る」は自然の原理であろう。今回は景気循環を無視しただけに、不況は長くかつ深いものにならざるを得ないだろう。

③日本の政策
 次に日本の政策について述べてみたい。
 2012年秋、安倍内閣の政策は①大胆な金融政策②積極的な財政政策③規制緩和と生産性改善による経済の成長性アップであり、それらの政策はアベノミクスと言われた。たまたま前民主党政権政策の失敗と景気循環の転換(景気は11月に底入れ)したのでアベノミクスは大いに称賛された。しかし、我々金融業界経験者から言わせてもらえば①と②の政策は今までと全く変わり映えしないと言える。大胆な金融政策もたまたま日銀総裁が野心家?に代わって、今までよりかなり政策が大胆になっただけである。つまり、今まであった政策であり、それらは比較的簡単に実行出来たと言える。さて、言葉では簡単に言えるが1番重要で難しいのは③であった。いろんな要因と壁があり現在まで③の達成度はかなり低い状態が続いている。
 その結果、マスコミ中心にアベノミクスと持てはやされているが、安倍政権になってからの日本経済の成長率が高まったわけではない。それでも安倍政権は一時日本の経済成長率3%台を掲げたことがあるが、それは「老人(老大国)に100メートルを10秒台で走れと言っているようなもので、誰が見てもどだい無理があった」。しかし、アメリカや世界経済の成長により、環境が好転した時期だっただけに、国内景況感は低位ながら好況が続いたと言える。ただ日本経済の潜在成長率は0~1%台と依然として低いままである。結果としてアベノミクスも日銀のマイナス金利政策も効かなかったと言えよう。
 最後に総括すると、安倍政権も日銀もまあまあ健闘したと言えよう。ただ冒頭、はじめにで述べたように花は咲いたが実が実らかった!日本がメガ下降トレンドにあることが改めて確認出来た。今の時代は短期の「ミクス」より、中長期の「ドクトリン」が求められている

④世界の政治と経済と環境問題
 この政治と経済の紙面を借りて少し世界政治・経済と環境問題につき問題点を指摘しておきたい。わずかな指摘ではあるが筆者が一番主張したい部分である。
 結論から言えばいかに地球上の人類が浅はかであるかということである。ますます最近になり浅はかさ加減が拡大している。狭い地球、かけがえのない地球上で人類は長い歴史の中で先進国と後進国、人種の差別、領土を争う戦争、自分勝手な通商政策、核の拡大などでいがみ合った来た。G7やG20で国際問題の解決を図ろうとしてきたが中国はじめ後進国の台頭もあり、また米国と中国とのいがみ合いもありすべての国際会議はますます機能しなくなっている。地球温暖化もかけがえのない地球を滅亡させる人類の愚かな経済発展の結果である。地球温暖化対策を協議する国際会議も自分の国さえよければよいとのエゴが先に立ち進展していないどころか地球環境は悪化している。今後は中国と米国の覇権争いがますます激しくなっていこう。この二大大国のいがみ合いは世界協調を生み出すのに大きな障害となっている。無駄な戦争、核兵器の廃絶、領土問題の平和的解決、地球温暖化に対する緊急な対策、秩序ある貿易体制が急がれる。
 ただ中国と米国の覇権争いは続くであろう。国際社会は平和的解決を進めていくことができるのだろうか?国連の機能も減退し、期待できる国際機関もない。さらに地球温暖化の影響もあり気象の変化、海流の変化から台風、水害、干害津波から始まって大きな大地震が心配されている。我が国の島を取り巻くプレートの移動は列島すべての場所での大地震の心配が出てきている。
 またいま、浅はかな人類の所業に罰を与えようと新型コロナウイルスの世界的攻撃にあっている。この世界的緊急事態宣言の中、大きな地震が発生したらどう人類は対処できるか。それこそ自分で蒔いた種で人類は滅亡する。
 このような世界の動きの中に日本がある。日本はどのようは道を選ぶべきか?ここは思い切って中国や米国以外の諸国と手を携えて、世界の平和の道を主導していくしかない。やってもこの二大国を動かせるかわからないがやらないよりはやったほうが良い。

3.企業と金融・証券市場の問題点
① 日本の企業

 ソフトバンクGの孫社長曰く「日本の経営者は真剣さが不足している」と。全く同感であり、それが原因で日本企業は世界で負け続けている。その結果日本の上場企業の約60%がPBR(株価純資産倍率)1倍以下と世界の市場でダントツに多い!これは何を表しているのか?市場は企業の低成長と経営者失格を株価を通じて訴えていると見る。
 PBR1倍以下でも黒字で配当も平均以上ならまだ見込みがあるが、赤字続きや低配当&無配は問題外で市場からの退出を願う。また、今秋実施見込みの東京証券市場改革(東京証券取引所)は変更であって改革ではない。今のままでは多くの市場関係者や世界の投資家は失望するだろう。

② 日本の株式市場
 ではどうすれば日本の株式市場に魅力が出るのか?それは当然ながら上場している各々の企業が価値を創造し、自らの価値を高めることに尽きる。国際競争力を高め、収益力(ROA,ROE)を高める企業改革を実施し、様々な(株主、顧客、従業員、社会等)ステークホルダーの期待に応えることである。

③ 株価指数とパッシブ運用
 ここで証券取引市場の株価指数について考察してみる。
 代表的な指数は、トピックス(1部市場上場2169銘柄全体の動き)、日経平均株価(日経選択の225種の動き)、JPX日経インデックス400(日経選択の400銘柄の動き)がある。問題点はこれら株価指数に機関投資家を始め多くの投資家がパッシブ運用(指数連動投資)で投資し、ベンチマークとするポートフォリオだ。例えば公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)はパッシブの70%以上がトピックス連動型のインデックス運用である。公務員年金や企業年金でもトピックス運用が顕著である。そして、年間12兆円規模と伝えられる日銀の上場投資信託(ETF)買い入れも70%程度がトピックス連動型といわれている
 長年金融市場で働いてきた我々には、これらの運用は、あまりにも無責任ではないかと思われる。東証1部はもともと上場資格基準が緩く、業績が劣化した企業の退出基準も緩い。そのため東証1部の全銘柄で構成されるトピックスをベンチマークとするポートフォリオの場合、投資価値が低い銘柄が含まれて、インデックスとして敵格性に欠けるきらいがある
 私見だが、そもそも東証1部上場企業の内、長期投資適格銘柄は10~20%程度と思われる。批判を恐れず言わしてもらえば約80%程度が石かガラクタ銘柄である!それは長期的に企業価値を高めていない歴史が証明している。
 日本企業の平均的収益率はあまりにも低い!ROA、ROEとも欧米企業に遥かに劣り、中国、韓国より低い
 このようなトピックスを運用対象にして良いのだろうか??勿論運用担当者は分かっていると思われるが?横並び運用で良いのだろうか?結果として運用受益者(多くの国民)は極めて低い収益を強いられている現実がある。運用機関や上場企業、東証の責任は大きく、改めて真剣に自覚してもらいたい。
 次に指数としての日経平均株価だが、こちらは値嵩株の影響が大きいのと先物取引に大きく左右される欠陥がある。よく一般投資家が日経平均株価は上がっても我が所有の株価は上がらない!との嘆きが聞かれる。こちらも批判恐れずに言わせてもらえば、外国人投資家や国内金融機関投資家等のマネーゲーム指数みたいな物とも言える。日経平均株価は過去の投資家の馴染みや習慣の「今日の株価の動き」から徐々に存在感を低下させて行くと思われる。
 結論として我々はJPX日経インデックス400を選択したい。その理由は選択基準が明確であることだ。企業のROE(収益力)が高い、企業統治(企業改革)に積極的である、株主を意識した経営等であり、他の指数にないグローバルな企業価値を高める企業が選択されているからである

④ 日本の株式市場の問題点
 さて、改めて日本の株式市場の問題点を指摘しておきたい。結論から言えば日本の株式市場には魅力がないということである。
 日本の機関投資家(年金や投資信託)は日本の株式に関心を示さず、国際分散投資を志向し、海外の債券や株式に投資を増やしている。また外国の機関投資家は金融機関の持ち合い株放出の時優良銘柄だけを安く仕込んだが、それ以降はヘッジファンド中心に短期の運用に専念して日本株式市場の価格の混乱要因となっている。一方、国内の個人投資家は多額の個人金融資産(1903兆円)を保有しているがそのほとんどの運用先は預貯金(1008兆円)である。「貯蓄から投資」の掛け声とは裏腹に株式投資関連の割合はいまだに11%の211兆円である。なぜ内外の機関投資家や国内の個人投資家は日本株式に長期の投資をしないのだろうか?答えは日本の株式市場には魅力がないの一点に絞られる。
 問題点を三つ上げよう。


[1]構造上の問題点
 まずは前述のように取引所の上場廃止基準の甘さである。きちんとした会 社を上場させ、きちんとしていない会社を上場廃止にすべきである。ここできちんとした会社とは優良会社のことであり、財務体質もよく、収益力も高く、また商品や技術で国際競争力のある会社を言う。きちんとしていない会社はその反対である。また時間をかけて市場区分の再編(プライム、スタンダード、グロース市場)をしようとしているが果たして魅力アップに貢献するだろうか?
 また株式分布状況調査でわかるように持ち合い解消以降保有株数でも売買株数でも抜きんでて外国人投資家の割合が高く、外国人の思うように取引がされている。本来ならば内外機関投資家50%、国内個人投資家50%が理想である。そのためには個人投資家と国内株式投資信託の保有が増えていく必要がある

[2]やる気の欠如
 証券市場にかかわる金融庁、証券業協会、投資信託協会、証券取引所上場会社、投資家ほかの関連団体のやる気の欠如が問題である。各団体と も株式市場に魅力をいかに持たせるか真剣に考える時に来ている。

[3]日本経済と上場会社の問題点
 まず日本経済である。少子高齢化もあるが日本経済の活力が失われてきている。アベノミクスも出だしだけで肝心の第3の矢がなかなか放てられない。中でも技術力の向上が不可欠である。この国際競争力が高まらない限り、日本の経済に成長はない。企業経営者にも責任がある。日本の企業のリーダーはお金を抱え、何も将来のための技術投資をせず、ぼんやり経営をしてきた。どんどん中国、台湾、米国などの会社に追い越されてしまった。また世の中の変化についていけない大企業が多い。従来優れた技術を持っていた大企業も経営者の見方の間違いから市場を去っていった。
 また従来から諸外国に比べて見劣りしていた企業の利益率が低いままである。売上高営業利益率、ROA 、ROEの改善が求められる。
 重ねて言うが企業、関連団体とも株式市場に魅力をいかに持たせるは真剣に考える時に来ている。  
 ただ、中には真剣に考え実行している企業が、数は少ないながら日本市場にも存在している。それは株主資本コストを意識している企業群である。当然ながら様々な投資家はリスクを取って企業に資本を提供しているのだから、それ相応の収益を期待している。その水準は国際的&一般的には8%程度と言われている。企業はその水準を最低基準にして、それ以上が企業価値を高めると事になる。残念ながら日本企業の多くは、無コストのただ同然のお金と考えている意識があるのではないか?
 証券市場に長く働いた歴史の証人として、資本コスト意識の高い企業はROA、ROEも高く、その必然の結果として株価も高く評価されている。
 個人的に評価できる企業として以下に挙げさせていただく。
資本コスト意識が高い企業:花王、HOYA等
持続的に高い収益率企業:信越化学、京都企業群(京セラ、日本電産、
 村田製作所、オムロン)、東京エレクトロン、SMC、ダイキン、キーエンス
市場変化対応企業:富士フィルム、ソニー、ソフトバンクG等
地方企業:ファーストR、ニトリHD、久光藥、イズミ
経営健闘企業:ダイワハウス、アサヒ、堀場製作所、シスメック、
 大塚HD、伊藤忠、大塚商会等

⑤ 金融業の問題点
 上記の通り他にもあると思うが評価できる企業を気が付くまま挙げさせていただいたが、いわゆる金融企業は1社もない!何故だろうか?その前に改めて金融の基本的業務を確認する。
 金融とはお金の融通を付けるという意味である。ということは広く個人消費者から預金という形で資金を預かり、資金を必要としている企業や個人消費者に資金を融通することである。この仲介をするのが金融機関である。金融機関は主に銀行、保険会社、証券会社に分けられる。銀行では預金者に利息を払い、貸付先の企業や個人からは預金者に払う預金利息より多い利息を払ってもらう。これが銀行の主要な業務であり、その利益が資金関係益である。また為替、送金、運用、不動産、信託などの周辺業務があり利益は手数料である。
 ところが戦後一貫して大蔵省の指導の下進めてきた銀行業務の成り立ちが金融の自由化、国際化、バブル以降の金融の再編成などにより大きく変貌した。企業は資本の調達を資本市場から手当てし、銀行借り入れを返済してきた。また、大企業中心に内部留保を蓄えて銀行依存を減らしてきた。本来の銀行の業務が縮小し、今や銀行存立の意味が失われつつある。それに代わって銀行は収益の中心を手数料業務に移しつつある。大手メガバンク、地方銀行、信用金庫の収益の中心は今や投資信託の販売業務、個人融資業務、信託銀行の財産管理、相続・遺言書、不動産業務である。今、考えなければいけないのは金融機関の役割は何かということである。基本的出発点は顧客である個人消費者優先の考え方で金融機関自身の優先の考え方ではない。顧客が金融機関に何を望んでいるかである。従来の戦後の発展のための大蔵省銀行局主導の金融機関指導の時代は終わった。ここは銀行経営者に熟慮していただきポイントである。「お客様と膝を交えて一生懸命話を聞いて対応するのが本当の金融ではなのいでしょうか」。
 ここでは金融企業群について長く金融証券市場に働いた者として、正直に忌憚なく述べさせてもらうと。この業界は全く顧客優先や顧客第一主義ではないと言うことである。
 昔近江商人は「売り手良し、買い手良し、世間良し」の商法で広く全国で伸び顧客の信頼を得たが、この業界は全く逆であったと言うべきであろう。

⑥ 金融機関による投資信託の販売活動
 ここでは投資信託の金融機関による販売活動につき書いてみたい。
 投資信託はご承知のように①小口、②分散投資、③専門家による運用と、まことにノーベル賞ものの優れた仕組みの投資商品である。しかし、金融業界(当初証券会社→銀行→生損保・地銀と信用金庫→郵政等)はこの商品を悪用販売し、国民の資産形成を阻害したと言えるだろう。実は投資信託販売は、販売会社にとって誠にうまみのある商品である。それは第1に販売手数料、第2に信託報酬、第3に運用会社から運用の売買による手数料等を得る。大手と準大手証券会社は傘下に運用会社を設立し、自由自在に商品を大量開発し、顧客無視の販売と乗り換え営業に邁進した!正に悪玉親分は証券会社である。この業界は第1に自らの収益と数字で、顧客は2、3を抜かして最後の方である。その後金融自由化により、投資信託は銀行、生損保、地銀、信用金庫、郵政等まで広がった!
 問題はここからである。販売にうま味があることを知った銀行から始まって郵政まで悪玉親分の証券会社の販売を見習ったことである。銀行と生保のなれ合い販売や他の金融機関でも不適切な販売が広まって行った!正に顧客無視商法が全金融機関で行われると言う誠に嘆かわしい事態となり、すべての金融機関は国民の信頼を失った!(動機不純な企画・営業は必ず失敗する)
 ここで販売現場商法を2、3紹介すると、
・銀行はその口座から顧客の資産が分かる有利さ生かして様々なセールス活動を推進した。例えば筆者も体験したが、銀行嬢から電話があり、預金では資産が増えないから、より有利な投資信託を買わないかと!正に自己否定である。
 また支店では、販売ノルマが達成できないので、顧客に貸金をして投資信託を買わせていた。そのトークは、現在は貸し付け金利は非常に低く、借り入れで投資信託を買っても、運用が貸し出し金利を上回る可能性を説いた販売である。
・地銀・信用金庫・郵政もほぼ同じようなものであったろう。
・銀行と生保のなれ合いもほぼ悪玉親分を見習ったことである。
 その犠牲?になったのは高齢者である。これも悪玉証券会社と全く同様である。
 良いことはなかなか広まらないが、悪いことは直ぐに広まるのが世の常であることを改めて体験した。

⑦ 企業、金融機関はどうあるべきか
 さて、日本株式市場には今まで述べたように、低成長、低収益、低配当の企業群が山ほど存在している。これらの企業群は今後どうすべきか??
それは当然ながら上場している各々の企業が価値を創造し、自らの価値を高めることに尽きる。国際競争力を高め、収益力(ROA,ROE)を高める企業改革実施し、様々な(株主、顧客、従業員、社会等)ステークホルダーの期待に応えることである。
 そうは言っても残念ながらなかなか進まなかったのが現実である。口で言うほど簡単ではないからである。では進めるために具体的にどうしたら良いのか?まずは、①顧客最優先の経営精神強化、②「無難経営」からの脱却、③3高(高い改革力、高い競争力、高い収益力)企業をよく観察・研究して真似ればよい!多くの凡庸な経営者でも真似ることは出来るだろう。
 経営者はもっと考えたらどうか?例えばプロ野球の選手鈴木一郎を→イチローに変えたのは仰木監督のアイデアである。勿論イチロー選手に素質と努力があったから世界的な選手になったのであろう。しかし仮に、鈴木一郎のままであったらどうか?非常に興味深い。もしイチロー選手のモチベーションが高まったのであれば、仰木監督のアイデアはリーダーとして特筆ものである
 また、大相撲の白鵬は何故ダントツに強いのか?見ているとスピードと変化対応力が抜群である。その結果として自分十分の形になり勝ち進んでいる。反して日本の相撲取りは明らかに太り過ぎで、スピードも反応力も見劣りしている。
 この二つの例から人(社員)の資源や使い方を考え直してもらいたい。また経営にもっとスピード感を持って当たってもらいたいものである。
 その為の提案であるが、日本企業のボードはCEO(最高経営責任者)と外国人役員と社内の叩き上げ役員に女性役員を加えたものにしたらどうか。スピード感とグローバル感に自社の強みや課題が浮かぶ。また女性役員の視点が経営にバランス感を与える。あとは執行役員で変わらない役員は1期のみが望ましい。
 また今回のコロナウイルスでの世界的な経済の亀裂は日本企業にとって大チャンス到来と言えるだろう。欧米企業は長い好景気と超低金利に慣れ債務を拡大していることは間違いない(五右衛門風呂は世界共通)。欧米の企業はこれから相当な危機を迎える企業が続出するだろう。一方、敵失ながら守りの経営をして債務が少ない日本企業は、ここで打って出ないと何時出るのか?今こそ積極攻勢をかけるべきである!何もしない経営者は孫氏が言うように真剣さが足らないと見るべきであろう。

4.少子高齢化と教育の社会的問題
① 少子高齢化の問題点

 個人の問題で一番考えなければならないのがこれからの「少子高齢化」である。
 「少子高齢化」での問題点はマクロ的に経済の活気を落とし、経済成長率の鈍化をもたらすものである。さらに少子高齢化対策としての社会福祉制度の充実が求められる。まだまだ国民の一番の関心事である社会福祉の充実が遅れている。
 年金、医療、介護の問題である。制度問題の改良もあるが予算自体不十分な状況で社会福祉予算がたらない、またこの予算の増大は今後の我が国の財政の破綻を招きかねない。ここにきては予算全体の見直しが必要である。政府は真剣に取り組んでほしい。さて個人の問題に立ち返ると高齢者の生き方である。寿命が延びて(一部はラッキーに健康寿命が延びて)元気に生きる方も多いがやはり高齢化は身体の弱体化を招いているので、どこか身体部分にも支障をきたし、医療、介護の世話になることが多くなる。
 また医療制度、介護制度の施設とソフトの充実が求められる。「長生きも結構大変なのよ」という私の母96歳の言葉もある。いくつまでもぴんぴんしていて人の世話にならなければよいが、そうもいかない。どう自分の身体を健康に維持していくか、子供などの世話にならないようにするにはどうしたらよいかである。
 また高齢者も資金が必要である。高齢対策に資金的には2000万円の蓄財がいるといわれているが、将来施設に入るためには足らないだろう。
 金額的に入れる施設は混んで待ちとなり、空いているところは高い。少子化高齢化対策大臣は何をしているのか?厚労省もしっかりしてほしい。

②教育問題
 個人の問題で次に考えなければならない点は「教育」である。日本は教育大国であったがこのところ教育の質は減退している。世界の各国との比較でもすべての面で劣っている。 教育面で劣化してきた要因は多いが、学習指導要領の陳腐化、受験制度の弊害、英語の教育の遅れ、ゆとり教育の失敗、道徳教育の欠如、教育委員会の弊害化、学校体制の不十分化(教師の不足、時間不足、職員不足)などであろう。この中で小学校から大人まで欠如しているのが常識不足である。
 「何をしてよいか、何をしては悪いか」がわかっていない。常識不足は大人になってもまたいくら出世した政治家、企業経営者、官庁や地方自治体の責任者、警察などが常識を外したためテレビの中でそろって頭を下げて誤っている光景を目にする。もともと常識があればこんなことにならない。もう一度、小学校、中学校、高等学校、大学、企業、官庁で「何をしてはいけないか」を学ぶ必要がある。これが一番言いたいことである。この頭を下げている偉い人をテレビで見ていて子供たちからあのおじさんたちはなんで謝っているのと聞かれてなんて答えよう。
 さらに考えなければならないのは教育制度の変更である。より充実した学生生活、教育に専念できるのは今の教育制度ではない。小学校6年、中高6年、大学6年ではないだろうか。小学校での初等教育(ここでは礼儀、常識、やってはいけないことに加え本来の初等基本教育である。)、中高での中等教育(ここでは各科目の基本知識を学ぶ)そして大学での高度教育。専門学問を学ぼう。
 大学の2年間は一般教育で4年間は専門教育である。英語の勉強は小学校から始め、大学を卒業するときは日本語と同じくらいの読み,書き、話すことができるようになっているのが目標である。将来の日本の国際化、グローバル化には必要である。大学4年間の専門知識の吸収は世界に負けない教育水準を目指したい。
 大学から卒業して会社の試験ということになるが、一律な受験の仕方ではなく十分学生が就職活動に煩わせなく学習に専念できるように就職試験の工夫を図りたい。
 最後に触れたいことは国民の分断である。日本だけに限ったものではない。特に米国、ヨーロッパ諸国で分断が進んでいる。これは国民投票ではっきりわかる。米国の共和党と民主党の分断があるが必ずしも政党ではっきり分かれているのではない。国民ベースで従来の資本主義、自由主義、グローバリズムに同意する幾分保守的な資産家層と多くの貧民層との対立。この比率が国民投票をすると50対50になる。これでは政権をとってものちの政治運営が不安定になる。この現象はイギリスのブレグジットに現れ、その後のヨーロッパ諸国の選挙で明らかになった。政治の運営の運営とその安定化はいかにむつかしくなっているかである。
 日本は近いうちに憲法改正の国民投票が行われる予定になっている。憲法改正がどのように行われるか?いずれにしても50対50の僅差であろう。ただしかなりの数の「どちらでもいい」という国民の数は多いであろう。残りが50対50ということだ。このようは僅差での決定にどういう意味があるのだろうか?国民が分断していく。この意味をよく理解する必要が出てきている。

5.個人と時代環境
 この変化の激しい時代に個人はどう対処したら良いのだろうか?
 個人と言ってもやはり世界の政治経済の潮流に大きく左右されるのは当然であろう。現在の世界経済の長期的な流れの一つは、2015年に国連サミットが採択したSDGs(SUSTAINABLE,DEVELOPMENT、GOALS:持続可能な開発目標)であろう。企業が次世代に向けて取り組む目標として注目されている。SDGsとは「地球上の誰一人として取り残さない」と言う目標のために、世界中で「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」など17の目標と169のターゲットゴールに向かって、2030年まで様々な取り組みをしていこうというもので、理想と言うか高邁な目標である!実際の取り組みの例として、タンザニアの女性支援や安心できる情報通信があるがまだまだ認知度は低い。筆者もその一人である。また、今後10年で達成されるとも思えない。
 次に全米経営者協会が打ち出した「株主第一の経営」の見直し?」であろう。そもそも企業経営者は株主や従業員、顧客、取引先や地域社会等のステークホルダーに配慮したESG(環境・社会・統治)経営をしなければならなかったが、米国では株主が最優先されてきた。しかし、既に変化の兆しが現れている。
 この二つの流れは企業として今後無視できない大きな潮流となって行こう。何故なら世界の機関投資家(年金、投資信託、銀行、生損保等)から、社会や環境に配慮しない企業はリスクがあるとして投資対象から外される時代となって来たからである。これからの企業は社会の課題解決に関与し、同時に自らの企業価値を高める経営をしていかなければならない時代である。
 正に「資本主義」→「志本主義」への転換である(名和一橋大教授)。同氏によれば、今後はデジタル志向や複眼的世界観を備える必要があると言う。
 難しい論議はともかく、世界人口は2050年に現在の77億人が100憶人に増えそうである。また、人工知能(AI)が人間の知能に限りなく近づく。その時には仕事のあり方、さらには人間の役割そのものが本質的な変容を迫られるとも言われる(同教授)。
 三つ目は米中の覇権争いの行方である。
 世界の二大大国の政策や競争がどうなっていくか予断を許さないが、相当長引くことは間違いない。日本のビジネスマンも一般人も決して注目を怠れない。おそらくは2040~50年にかけて、中国が米国に並ぶか追い越すことになって行くと思われる。しかし、その時までに中国は世界から信頼される必要があるが、今のままでは無理があろう。中国も世界の責任大国にならなければいけない。
 一方米国も配慮する重大な事がある!それはドルの価値維持である。現状のままでは、いずれ維持できなくなりドルは信認を失い、いずれ暴落する懸念がある。
 ところで、現在の我々二人は何処の組織にも所属しておらず、組織から報酬も得てない自由人である。実際に今後どういう世界になるかは誰にも分からないが、役人やエコノミストや評論家・大学教授達とは違った、経験・知見から、平易な言葉で意見を述べさせていただく。
 激変の世界!個人はどうするか?ヒントは地球史上の生物の盛衰であると思う。史上最大の強獣と言われた恐竜やマンモスはあっけなく滅亡した。地球の気候激変に対応出来なかったからと言われている。人間社会の企業でも同じ事が出現しつつある。過って、世界最大で米国の顔と言われたGMやGEとも今や昔日の影もない!また日本では、バブル景気前後に各都市銀行の株式時価総額が世界のベストテンの上位を占めていたが、その後は凋落の一途である。今や世界株式時価総額上位30位にも入っていない!やはり環境の変化に対応できなかったとことは明らかである。
 これらは人間様の個人にも同じことが言えるのではないか。結論は明らかで環境に適応・順応した者が生き残り強者となる。筆者独自の考えではあるが?平たく言えば、しぶとく(バイタリティー)、粘り強く(ノーギブアップ)、賢しこく(目利き順応)がキーワードであろうと考える。
 ただし、個人としてすべての項目で合格点である必要はない。自分の能力や性格や取り巻く環境によって、自分に何が出来るか?何が自分の強みになるか?を考えれば良い。
 さて、現実から将来であるが、今まで述べてきたように日本のこれからは、残念ながら決して明るくはない。むしろ北風や豪雨が続くだろう。筆者は今後本格的なデフレ(平成の30年間はデフレとは言えないマイドルなもの)と大増税が待ち受けていると考える。そんな環境のもとで個々人が各々どう生きていくかが問われて行く時代なのである。肝心な事は日本人特有?の「横並び意識を止めよ」である。世界には誰とも違う君一人しか居ない!これからの長い人生を、白い紙に「夢や思いや独創画」を描けと言いたい。
 個人の人生は環境や仕事により本当に多様であるが、ここではまだまだ多数を占めている、会社員・公務員等(勤労者)の年代別のライフプランの課題を考えてみたい。まずは言わずと知れた長寿化である。人間の寿命は大まかに言って最近でも10数年あとずれしている。人生100年時代に近づきつつあるのが現実である。個人はこの現実を踏まえ、各々のライフプランを真剣に考え対処していくことが肝要である。以下年代別のキャリアやライフプランを示してみる。

① 若者:18~45歳位まではともかくキャリアとスキルアップを図ることが肝要である。具体的には自分は何をしたいのか?どうすれば社会に貢献できるか?どう専門性を高めるか?等である。この時期にキャリアアップしておけば、希望する企業に転職も可能であろう。今後日本でも客観的な人材評価基準が進み、希望する企業ややりたい事が出来る企業への転職が可能になっていくだろう。尚スキルアップでは英語は勿論中国語もマスターしたい。

② 中堅~ベテラン:50~60歳位 この年代ではまず組織での自分の立ち位置を考える事である。それによって定年まで勤務か?それとも転職か?新しく企業を起こすか?いずれにしても重要な事は退職後の準備である。
老後の準備には相当な時間が掛り綿密な計画が必要となる。退職金や定年延長後の働き方に社会保障制度の勉強は必須事項である。また、家族との対話も重要となる。

③高齢前半:65~74歳位 まずは健康と生きがいであろう。それを何に求めるか?働くか?趣味や研究や社会奉仕等か?その時点での年金や貯蓄額や家族関係に因るが、元気なうちは働いた方が利点が多いと思われる。働くことで社会とのつながりが続き、収入を得で余裕も出来る。また健康保持に生きがいや年金も多くなる等利点が多い。ただここでも家族との対話も重要である。

④後期高齢者:75~85歳位 ここでも健康が第一となる。次に家族との引継ぎであろう。過去の日本で多くはこの引継ぎが出来ていなかった!禁句的な事でもあり、本人も家族もなかなか話し合えなかったのだろう。だが寿命が延びて、相続や介護や認知症等が大きなリスクとなってきたので、家族と本人の希望や引継ぎのための対話が重要となる。回数を重ねての確認が必要不可欠である。
 社会や家族に迷惑を掛けないよう健康に留意しつつ長生きを楽しみたい。また、高額所得者や財産家は、社会的な課題に取り組むNPO団体や慈善団体に寄付するのも良いだろう。我が日本を応援するのである!

おわりに
 我々爺さんが何故こんな事を書いたのか?を最後に伝えたい!顧みれば我々の現在は、明治~昭和にかけての祖父母達の苦闘と懸命に生き続けた努力の賜物の上に立って居るに過ぎない!昭和の大戦の壊滅的な崩壊を乗り越えた祖父母達の苦闘の上に我々は幸せを勝ち得たに過ぎないのである。故にこの勝ち得た幸せや豊かさを次世代に語り継ぐのが我々の責務となるのは至極当然である。我々の祖父母達は我々への語り継ぎを忘れるくらい懸命に生き且つ我々を育てた。現在の日本の基礎を築き上げることに集中してきたからである。ならば我々の責務は明らかである。ここに書いた事は時代遅れや的外れの事もあるかも知れないが、祖父母達の苦労のお陰で現在があることを君達に改めて語り伝える事が、我が日本の再生には絶対に必要と考えるからである。
 人は生まれてこの方、時代によって格差が生ずる運命にある。一面不条理である。しかし我々の祖父母達は再三の戦争と様々な苦難を乗り越えて、現代日本の時代の楚を築いた。そのお蔭で我々は良き時代の恩恵に浴したが、更なる次世代への高みを築けなかった。せめて引継ぎをしっかりやり、君達の負担を小さくしたい、また今まで我々が書いたことを少しでも参考にしてもらいたい。君達の時代は循環と不条理によって様々な苦難の道になると思われる。しかし、人は苦難に立ち向かい、明日を信じて、努力して行く過程が幸せなのではないだろうか。我々には出来なかったが祖父母達がやったように次世代の楚を築いて欲しい!そうなれば君達の子(我々の孫)の時代に明るい日本になることを信じたい!
 最後に君たちに送る言葉を以下に紹介する。
 「嵐は必ず去る」
 「火は必ず消える」
 「夜は必ず明ける」 (坂下真民著)
「新型コロナウイルスが世界的に落ち着き、景気も回復したころ社会を動かすのは君たち若い世代である」
 ここで君たちに遺言を残す。

 
遺言 これからの世界は大きな変動の中でいろいろ自分なりの生き方を判断する必要が出てくる。今までの我々世代とは違う。でもそこで自分を失くしてまで働く必要はない。
                                  以 上