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2025年5月20日(火)
 白門43会創立30周年「高知・愛媛2泊3日の旅」


5月12日 30周年の記念旅行 四国に向けて出発。
 東京駅 7時45分集合 8時30分発のぞみ17号
 少し集合に遅れて来た人もいたがなんとか23名全員乗車でき一安心。途中名古屋駅で事前に約束していた通り43会会員の四日市市の川北さんが迎えてくれた。ホームから車内の私達をビデオで撮影してくれている。短い停車時間ですが、なんとも思いがけない嬉しい瞬間でした。岡山駅から土讃線で高知に向かう。車窓から見る緑が美しい。学生時代に来た中でも名前を憶えている吉野川の「大歩危」「小歩危」の断崖が見事です。15時過ぎに高知駅に着く。駅前の広場にある大きな銅像(武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎)の前で全員記念撮影。



 これからは3日間バスの旅です。「とさでん交通」のバスガイドさんはベテランで早速、祭り・料理・有名人など地元の情報を披露してくれました。ビールの麒麟のマークは頭が龍、足が馬で龍馬。高知出身の三菱財閥3代目岩崎久弥がキリンビールの創業に携わったそうです。
 バスで30分ほど移動。日本人で歴史上の人物としては名前が必ず上がる坂本龍馬の記念館では龍馬の遺品が多く残されていました。特に書簡は桂小五郎や陸奥宗光宛など歴史を動かした人とのやり取りが興味深いです。清家さんの薦めもあり「龍馬書簡集」を多くの人が買いました。

 隣接している桂浜は寄せる波も穏やかで静かな砂浜でした。
 市内の夕食会場は「土佐料理司」都内にもある「祢保希」を経営する老舗です。
 やはり鰹が主役。炭で焼いた藁焼きをポン酢と薬味で食べる。にんにくは口からの臭いを抑えるために潰さずスライスで添える。そして土佐ではショウガは使わないとガイドさんが言っていた通りでした。宴会の司会は緑川さん。地酒「司牡丹」「土佐鶴」で盛り上がり、星野さんの音頭で「よさこい節」を皆で歌いお開き。
 食事の後は9人でカラオケに行き、はりまや橋近くのホテルのシングルルームでゆっくり休みました。

5月13日
 8時40分にホテルを出て高知城に向かう。
 この城は土佐藩初代藩主、山内一豊が築城。15棟の重要文化財のある堂々とした城です。昔からの形で追手門と天守がともに残っているのは日本で三城のみ。

 その天守最上階に行くのは滞在時間の制約もあり大変でしたが、皆狭くて急な階段をやっとの思いで登りました。城内には板垣退助の銅像や山内一豊の妻像が置かれ、長宗我部時代の石垣などが残されています。

 次は牧野植物園に行きました。2023年度前期に放送された朝ドラ「らんまん」の高知県出身の植物分類学者、牧野富太郎博士の業績を顕彰するため昭和33年高知市の五台山に開園。ここ五台山は90歳を超えた博士が生前、植物園作成の最適な場所として希望していたところだそうです。約8ヘクタール(8万平方メートル)と広大な敷地。迷子になりそうです。数名が塊になり散策。私はたくさんの植物があるのにほとんどの名前が分かりません。しかし何故か癒されました。時間があれば一日かけてゆっくり楽しめそうです。

 昼食は全国にホテル展開している「亀の井ホテル」です。仁淀川(によどがわ)の美しい流れを眼下にしながらのランチでした。
 そして今回の旅行業者さんの旅行の一つの目玉である「仁淀川ブルーをお楽しみください」という謳い文句の場所(上の写真)に到着しました。「中津渓谷」です。バスを駐車場に止めて渓谷の入り口までゆるい登り坂を歩くのが約15分。ここまではなんとか頑張ったが、さらに渓谷の上にある名所「雨竜の滝」という場所までを目指そうということで、何組かに分かれて登り始めました。途中水着で川遊びをしている外国人カップルに出会い寒くないのかなあ、と少し驚きました。狭くて急な道、ごつごつした滑る石、急流に架かる狭い橋、足腰の弱い高齢者には気を付けなくてはならないところ。何人かは途中で戻りました。多少のトラブルはありましたが、何とか10人ほどが滝にたどりつき、落差20mの雄大な水しぶきを満喫しました。

 ここで時間を相当とってしまったので次の道の駅には寄らずに道後温泉のホテルに直行。高知から松山に向かう道すがらはずーと山林。ネットで調べたところ高知県は森林の占める割合は84%と全国1位だそうです。到着した道後では写真などでおなじみの夏目漱石ゆかりの「道後温泉本館」に行こうとしましたが、あまり時間が無く、当日組と翌朝の6時から入る組に分かれました。

 夕食はホテルのすぐ近くの「金兵衛」。ここでは料理が昨日の鰹が中心ではなく鯛。刺身は勿論鯛の煮付けが美味しかった。昨夜と同様数人が挨拶。他のお客さんがいたので締めは歌ではなく、小塚さんの挨拶。またこの日も6人でカラオケ。玉澤さんがプロの歌を披露。地元の有力者が知っていて玉澤さんと握手をしていました。

5月14日 最終日
 朝6時に「道後温泉本館」に行く。
 既に入口には入浴客が並んで待っている。何故か太鼓の音を合図に入る。改装された風呂は綺麗だが狭いとの皆の評判。一風呂700円を割高と感じました。
 ホテルを8時30分に出て松山城に向かう。この城は標高132mの勝山山頂にある。ロープウェイで城の入り口まで行く。創立者は、賤ケ岳の七本槍の一人としても有名な加藤嘉明。この城は敵の侵入に対して厳重な備えがなされており、難攻不落の城と言われている。多数の櫓、狭間(さま)、石落し、屏風折れなどがある。特に各所の石垣は印象的で、本丸の高さ17mのものは壮大でした。

 旅の後半になり気が緩んだのか、ソフトクリームを食べながらぼんやりしていたら皆から遅れてロープウェイに乗り遅れ、慌ててリフトで降りて行きました。
 次に行ったのは石手寺(いしてじ)四国八十八箇所第51番札所。弘法大師空海が真言宗に改める。仁王門は国宝。金剛力士像が2躯安置されている。ガイドさんの説明では松山には「俳句ポスト」が各所にあり、ここ石手寺にもありました。俳句を投稿して選句をしてもらい、ランクを付け掲載もされるそうです。浅葉さんは四国八十八箇所巡りをこれまでに2回したそうです。レジェンドですね。この寺にも詳しくいろいろと案内してもらいました。今回も御朱印を頂いたようです。参道には仲見世の土産店が並んでいました。帰りがけに清家さんが磁器で地元砥部町中心に作られる砥部(とべ)焼のコップを購入しました。小塚さんはペアのぐい飲みを探しましたが一人用の物しかなく残念でした。
 昼食は今治の「大浜」というお店。皆食欲旺盛で完食。特に鯛めしが旨く量が多いのに全部食べてしまいました。ここからは旅行のもう一つの目玉である全長60kmの「しまなみ海道」です。

 今治から来島(くるしま)海峡大橋を渡りました。自動車だけでなく自転車や歩行者が通行できます。多くの外国人がサイクリングを楽しんでいるようです。富田さんは仲間とハーレーダビッドソンで全国を回っていたそうですが、ここしまなみ海道もお気に入りのところです。亀老山(きろうさん)展望公園の展望台からの眺めは当日少し靄っていましたが、瀬戸内海を一望でき素晴らしいです。ガイドさんはこのあたりを拠点とした「村上水軍」の話をしていました。予定の道の駅には寄らずに瀬戸田PAで買い物。サツマイモやミカンを材料にした菓子類が多く並んでいました。1時間ほどで福山駅に到着。駅弁などを買い、16時35分発のぞみ102号に乗車。岡崎の合津さんは途中名古屋で下車。鶴岡の小田さんは所用があり大阪で下車。他22名も無事東京に戻りました。

 今回の旅行は80歳前後の高齢者でした。2泊3日の旅行は疲れた方もいたでしょう。しかし皆元気で楽しそうで何よりでした。幹事役は高知宿毛市出身の清家さん、奥様が愛媛県西条市出身の長田さん、緑川さん、矢崎でした。清家さん長田さんの奥様からは地元情報を頂き心強かったです。
 また、JR東日本びゅうツーリズム&セールスの京極さん、本田さんは添乗員としてまめに動いて頂き感謝しています。
 ありがとうございました。

【矢崎 勝】


2025年4月28日(月)
 中大落研の噺家による落語会に参加して


 令和7年4月26日(土)14時から16時まで「めぐろパーシモンホール」にて、第16会「幸兵衛会」と称する中大落研出身の噺家による落語会が開催され、白門43会から7名が参加しました。(写真は白門43会の会員7名、中央は真打の林家つる子さん)

演目
「たらちね」 三遊亭好青年(スエーデンからの交換留学後、再来日して落語家へ)
「鰻の幇間」 春風亭三朝
お仲入り
「動物園」  林家つる子
「花見の仇討」 桂やまと

 桂やまと師匠の噺では、昔は中大落研から落語界のプロになるのは否定的だったとのこと。彼がどうしても落語をやりたいとプロの道を選んだ後から、春風亭三朝、林家つる子、三遊亭好青年等が続き、毎年「中大落研出身の噺家による落語会」が開催されるようになったと知りました。こんなところにも中大の真面目さというか学風というものが影響していたのかなと思った次第です。観客も中大関係者が多く、噺家も縁ある観客に応えようと熱が入った噺ぶりが充分伝わりました。
 閉演後、外は予想外の大雨でした。浅羽さんが事前に調べてくれていた二次会の数箇所でパーシモンホールから一番近い「七福神」という串カツ専門店に電話予約を取り、駆け込みました。今年正月、古賀さんの音頭で入谷の七福神めぐりもした縁起が良い名。この店の大阪天満の美味しい串カツと関西おでんを食しながら、みんなで落語の良さを語りあいました。特に、林家つる子さんの落語「動物園」は、演目を聞いてどんなお噺になり、どんな落ちになるのだろうか全く想像できなかったと清家さんの言があり、私も同じ思いでした。
 林家つる子さんの噺のあらすじを私なりに解釈すれば、
 「中央大学多摩移転後、多摩動物園が近くにありモノレール敷設前後、通学路で先輩と後輩の話がかみ合わない。(これはお茶の水時代の我々には通じないが。)ちなみにつる子さんはモノレール敷設後の在学生ということでした。そんな多摩動物園にヒントを得て彼女は噺を作りました。楽にアルバイトをしたい学生がいてバイト先を探していました。そんな中、動物園のアルバイト募集を見て報酬が5万円というのに惹かれ面接を受けました。仕事は、動物園で亡くなったホワイトタイガーの皮を着て虎の役を演じる事。引き受けはしたが、虎はライオンと戦うショーの相手となる。ライオンが戦うために虎に近づく、戦う話は面接を受けた動物園長からは聞いていない、虎は園長に助けを求める。のしのしとライオンが傍に来た時、ライオンは「私は園長。」と小声で言う。虎もライオンもぬいぐるみだったというお話。」こんな噺を作る才能ある人に敬意を表したい。林家つる子さんの表情や所作も凄かった。落語は「近くで、聞く、見る、感じる。」に限る!

【長田 康道】


2025年1月20日(月)
 2025新春の集い


 2025年新春の集いは2025年1月17日(金)、駿河台キャンパス19階の「グッドビュー・ダイニング」で開催されました。この日は快晴でしたが、北風の寒い日でした。参加者は51名(うち女性は、清家さんの奥様を含めて8名)でした。
 会は、星野副幹事長の開会の言葉で開始され、続いて元応援団の小塚副会長さんのリードで校歌を斉唱しました。 会長挨拶は、会長代行の清家副会長(左の写真)が行いました。今年は白門43会創立30周年の記念行事がいろいろ行われることや箱根駅伝で中大が活躍したことなどを話されました。
 また、久しぶりに参加された方や遠方から来られた方などが自席から挨拶をされました。
 続いて佐藤勝見さんの乾杯の音頭で、宴が開始されました。昨年は料理が今一つという意見があったため、幹事長が店側に改善を求めたおかげで、今回は皿数も多く、食べ物も納得の行く美味しい物が提供されました。また食事の間には中大の理事をされている岡田孝子さんも挨拶をされました。
 しばらく懇談ののち、いよいよアトラクションの時間になり、富田副会長のご縁でクアトロパロスによる、ギターの四重奏が行われました(第21回日本ギター重奏コンクールで優勝)。リーダーの齋藤泰士さん(左写真左端)は、日本クラシカルギターコンクール他、数々のギターコンクールで優勝された経験の持ち主だそうです。
 曲は、「星に願いを」、「禁じられた遊び」、「ひまわり」(イタリヤ映画「ひまわり」の主題曲)など、知っている曲もかなりありました。
 最後は星野さんのリードで「惜別の歌」を合唱しました。いつもの例なら全員で肩を組んで歌うのですが、今はインフルエンザやコロナが流行っていることもあり、自席から歌いました。
 最後に矢崎幹事長の挨拶で、宴はお開きとなりました。北風の冷たい日ではありましたが、とても楽しいひと時を過ごすことができました。幹事長や会長代行の清家さん、その他担当役員の皆さま、ありがとうございました。

【幹事 三沢 充男】


2025年1月20日(月)
 谷中七福神巡り


 1月4日土曜日朝、冬の寒さの中JR田端駅北口に向かう。今日は新しい年の幸運を祈願して、「白門43会創立30周年記念」の「谷中七福神巡り」の日だ。集合時間の9時30分過ぎには参加者11名全員が揃う。遠方からは秩父から髙野さんが来てくれました。
 古賀さんの案内で出発。田端駅から歩いてまもなく最初の寺に着く。

①東覚寺(福禄寿):
 山門横の護摩堂の前には赤い紙が貼られた一対の仁王像があり、何だろうと調べたところ赤紙は悪魔を除去する火の色で、仁王様が病気の身代わりをしてくれるそうだ。
 ここは真言宗豊山派の寺で境内には有名な弘法大師の像が置かれていた。また、歴代徳川将軍の祈願所であり、葵の紋が輝いていた。
 ここから町の景色を眺め、お喋りしながらしばらく歩く。高い建物は無くマンションや個人経営とおぼしき会社やお店が多い。お寺も想像以上に多い。下町らしい風情だ。次のお寺に近づく。同じ目的の参拝客がずいぶん増えてきた。
 古賀さんの判断で回る順番を変える。
②修性院(しゅしょういん・布袋尊):
 日蓮宗の寺。江戸時代より青雲寺と共に花見寺と呼ばれている江戸の行楽地。本堂に入ると布袋像が座っている(右下写真)。
 私は個人的には七福神で一番好きな像で以前旅行先の台湾で見たすごく大きい像に驚いたのを思い出した。
③青雲寺(恵比寿):
 ここも花見寺。禅寺(臨済宗)。風流好みの江戸の文人墨客が集まった地としても有名で、境内には文人にまつわる多くの碑がある。



 11時過ぎて昼食を調達しようということになり、谷中銀座商店街に向かう。この辺りは戦災の影響を免れた所で、道路が昔のままで狭い。車が通るたびに注意が必要。商店街は60軒のお店があり人が道にあふれている。時間が少し早いのでオープン前の店もあったが、私は皆さんが見つけた「九州堂谷中銀座店」でおにぎりとさつま揚げを買って、歩きながら食べた。なぜか新鮮な気分でした。
 この後近くの「谷中防災コミュニティセンター」で小休止。清家さんが購入した3種類の煎餅を皆に振る舞って頂き、美味しく幸せでした。
④長安寺(寿老人):
 禅寺(臨済宗)。東京美術学校の創立にも尽力した画家狩野芳崖の墓がある。探したが見つけられなかった。12時になった。
 ここから谷中五重塔に進む。ここは幸田露伴の1892年(明治25年)の小説の「五重塔」のモデルとなった。案内看板によると、明治の終わりころ総欅づくり関東で一番高い塔であった。昭和32年放火により焼失。今は花崗岩の礎石が残る。

*天王寺から谷中七福神巡り後半
⑤天王寺(毘沙門天):
 日蓮宗から天台宗に改宗。江戸時代には「富くじ」興行で賑わった。朝ドラの牧野富太郎博士の墓があるというので探したが広すぎてみつからなかった。
 この後、徳川慶喜の墓の前で記念撮影(右上写真)。東京芸術大学の裏の通りを次に行く。
⑥護国院(大黒天):
 天台宗。天海僧正の弟子が創立した寺。同期の小塚さんの仲人の家の菩提寺とのこと。 住職は寛永寺から交代で来るそうだ。(寛永寺で最も早く建立された子院)本堂には本尊千手観音菩薩や他にたくさんの仏像が祀ってあった。
⑦不忍池辨天堂(弁財天):
 たくさんの人の行列。1時間待ちとのこと。浅葉さんと石嶋さんがお参り。浅葉さんが頂いた御朱印(左下写真)

*ほか7人は新年会場の蓬莱閣に向かった。(途中で大谷さんが帰り、ここで髙野さんが帰宅)。蓬莱閣では美味しい酒を飲みながら9人が七福神や箱根駅伝の話で盛り上がりました(右下写真)。
 北区・荒川区・台東区、駅では田端・西日暮里・日暮里・上野と17,000歩~18,000歩の健康にも良い七福神巡りでした。浅葉さんの御朱印が証明しています

 古賀さん企画から案内まで本当にありがとうございました。

【矢崎 勝】


2025年1月14日(火)
 白門43会創設30周年記念イベント第1弾「ベートーベン交響曲第九番」演奏会


 表題の催事として役員会でベートーベンの第九を長田副会長が提案した時、クラシックの音楽が一般的にこのイベントとして43会で賛同得られるかと一瞬戸惑ったが、いい企画だとその場で承認された。私の音楽仲間につてがあることから音楽鑑賞の担当になった。
 早速、東京シティフィルハーモニック管弦楽団の専属合唱団で毎年第九を歌っている音楽仲間に連絡したところ、2割引きでチケットを購入出来るとの返事があり、会員に呼びかけたところ非会員を含め28人の申し込みがあった。
 2024年12月28日、上野の東京文化会館大ホールは満席だったが、会員は隣同士で着席できた。当日の指揮者は関西フィルの常任指揮者で、人気の高い藤岡幸夫。発売早々に売り切れたようだ。私事だが第九は数回演奏経験があり、20代には合唱でも参加していた。以前所属していた虎ノ門交響楽団で新人の彼にタクトしてもらい、あまいマスクで好評だった。最近も石巻市民交響楽団で、一緒になり話を交わしたことを思い出す。
 さて当日の演奏を振り返ってみよう。静かな滑り出しで第1楽章の演奏が始まり、壮大な音楽が奏でられていく。第3楽章まではオーケストラのみで、第4楽章で4人の独唱と4部の合唱団が加わり、「合唱付き」のサブタイトルがついている由縁だ。第4楽章も長いオーケストラの演奏で始まり、チェロとコントラバスのみの低弦楽器でいわゆる「歓喜の歌」の旋律が流れた後、突然バリトンの独唱から始まり、クライマックスに向かって破格の交響曲が会場に鳴り響いていった。
 万雷の拍手で演奏会終了後、池ノ端そばにある中華料理店「蓬莱閣」の忘年会には18人参加(下の写真)。席上演奏会の感想について、皆素晴らしかった、感激したなどの声が寄せられ、なんと来年もぜひ第九の演奏会企画して欲しいとの発言が相次いだ。もちろんこの件は、次回の役員会に諮ることが前提だが、実現の方向で検討していきたいと思った。

【幹事 古賀 忠夫】


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