本会について

学員会支部長挨拶  小島泰義

 就任に際し ひとことご挨拶もうしあげます。 平成二十五年六月十六日開催の第三十六回定時総会におきまして支部長に選任され、就任いたしました。
 国立支部会員の皆様に多くの温かいご支援をいただきましたことに対しまして、衷心よりお礼申し上げます。 私は昭和三十九年商学部を卒業し国立市役所に就職し、この年の新入職員のうちの四名が同窓生でしたので、先に先輩二名がおり計六名で市役所白門会を立ち上げ活動開始いたしました。 その後市内に居住する市民の中から国立市の白門会を立ち上げる気運が高まり、大学から市内住所のOB名簿をいただき、その住所に居住しているか調査を行い、市白門会立ち上げの準備段階から参画いたしました。 その後 初代 故村田会長を擁し活動を開始し次期能味支部長のご指導のもとで発展をつづけ、堀田支部長、山口支部長と諸先輩のご努力で現在の国立支部を造りあげていただきましたご労苦に対しまして心より感謝申しあげます。

 当白門会は同窓会員として同地域に居住し地域に密着した活動を行い、地域発展の一助となるよう企画、運営を進めて行きたいと思っています。 また、会員相互の親睦を深める行事に参加し、楽しいひと時を持つ機会の創設が必要だと思います。 また、母校発展のために会員がひとつになって大学関係者との交流の推進を図り、近隣支部の皆様と連携を深め積極的に交流を図っていく所存です。 今後、白門会が行います行事等に多くの会員の方々がご参加頂くことが会の発展につながることと考えておりますので積極的にご参加くださいますようお願い申し上げます。
 最後に会員皆様のご支援ご協力を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。
(平成25年6月・小島泰義)

定期役員会開催場所「ロージナ茶房」(ブランコ通り)


「国立白門会」設立秘話  平成10年国立白門会会長 能味寿哉「白門会ニュース第32号」より)

 今から二十年前の二月のある夜、国立駅前ブランコ通りにあるパブ「レッドトップ」で水割りをたしなまれていた村田亘さんは、偶然、同じ学員仲間だった関喜一さんたちと出会う。 歓談の果て、関さんから「先輩 国立に是非白門会を創って下さいよ」と懇願されたのが、我が会のそもそもの発端になった。 その辺からの経緯については、福谷氏が編まれた「創立十周年記念誌」 (はばたき) の中に詳しいが、昭和53年5月21日に開催された創立総会では、次の顔触れが決まった。


会  長 村田 亘
副会長  井上定男、五十風力
幹事長  福谷 実
副幹事長 閑 喜一
会  計 南川義昭
会計監査 佐藤勝博
幹  事 山崎 武、久保田利雄、田口正明、西野堅吉、笠原勝雄、石川武夫、山下一夫

(←レッドトップ)
 実は私のよく存じ上げない方もおられるが、幸い皆さんの協力によって四年後には108名の終身会員を把握でき、正式名簿を添えて学員会国立支部への昇格を申請することとなる。
 そして僅か二カ月後には、学員会幹事会で支部昇格が承認され、当時の谷村唯一郎会長から昭和57年5月28日付けで承認通知を頂くというスピーディな進展だった。 在野法曹から初めて最高裁判事に就任された中大の最も輝ける星のお一人である谷村さんは承認日付の翌日、急のご発病で他界されたから、まことに因縁めいた忘れられない事実としていつも村田さんの語り草になっていた。 創立当初、顧問にお迎えした中西旭、池田油太郎、井上謙二郎、市橋千鶴子の諸先生のうち、お元気でおられるのは中西、市橋両先生で、現在もご高庇いただいていることはうれしい次第。

 さて草創期の熱気は素晴らしかった。 村田会長の陣頭指揮もさることながら、まだ若かった役員諸氏の情熱がよく一つにまとまり毎月必ず集まっては何か企画し、また運営に携わったことが懐かしい。 ヘビースモーカーだった村田会長の語るシンガポール野戦病院の主計長の苦労談、山形県人らしい温厚誠実な井上副支部長の女房役ぶり、銀座で商売をなさっているという佐藤さん生国秋田県への傾倒ぶり、(第一回のバザーでの多種多商品の提供)今国立市と秋田県合川町との深いかかわりの始まりである。 色んな事業に必ず妙案を出してくれた小柄の久保田さん、自宅マンションの一室で自分は飲まないのに高級スコッチなど気前よく飲ましてもらったことも、感謝の気持ちでいっぱいである。

 今秋、二十周年事業の一環として発行予定の「記念写真集」には、多分全員皆さんにどこかでお目にかかれる、そんな親しみのある、中大精神に言う家族的な味わいの濃いものに仕上がればと願っている。 いまは亡き先輩方もどこかのページで微笑んでいて下さるにちかいないと、私は再会を楽しみにしている。(平成10年5月、国立白門会会長 能味寿哉「白門会ニュース第32号」より)